フォーマルハウトの姫君 ③
「……そうか、耐性か」
「耐性? どういうことですか師匠」
「覚えてないか? アルデバランで幽霊船の中から拾い上げられた子供を」
「もちろん覚えてますよ! 炭みたいな真っ黒で……あ、なるほど」
幽霊船、タコみたいな黒い触手に触れるだけで人としての形を保てないほど強い呪いを持った船。
ロッシュさんみたいなすごい人じゃないと近づくだけで死んでしまうような怪物の中、生きていた赤ちゃんがいた。
「あの赤子は生まれつき呪いに強い耐性を持っていた、彼女もその類型だろう。 額の角も呪いの作用と考えれば納得だ」
「う゛ー……?」
「君には関係……あるけど気にしなくていい話だ」
「お前、ちっちゃいの! 私をバカにしてるだろ!?」
「ごめんなさいコルヴァスさん、師匠はこういう人なんです。 口だけは悪いんです!」
今にも噛みつきそうなコルヴァスちゃんを抱きかかえて師匠から引き離す。
ケンカになってしまえば師匠の身体なんて一瞬でバラバラにされてしまう、ダイゴロウと一緒に気を付けなければ。
「だがあの赤子と同じ呪詛耐性を持っているなら心強いな、ぜひ君に案内を願いたい」
「う゛ー!! やると思うか、今の話で!?」
「コルヴァスちゃん、私からもお願いします。 あなただけが頼りなんです!」
「うー……」
「なんで僕とモモ君でこんなに反応が違うんだ」
「普段の行いですよ師匠」
それに師匠よりたしかに反応は柔らかいけど、首を縦に振ってくれる雰囲気じゃない。
それもそうか。 アルデバランで起きた幽霊船事件を考えると、フォーマルハウトも危険な状態になっているはずだ。
呪いに強くても死んでしまうかもしれない旅だ、コルヴァスちゃんにも無理強いはできない。
「そうだな、謝礼として食料と金銭を渡そう。 塩漬け肉とパンでいいか?」
「に、肉!?」
「こらこら師匠、ご飯で釣らないでください!」
「良いじゃないかモモ君、互いに納得してるならそれは正当な取引だよ。 彼女たちはひっ迫している食糧問題が解決する、僕らは案内人を雇えてうれしい、両者両得だ」
「言ってることは正しいかもしれませんけど師匠が喋るとなんだか詐欺っぽいんです」
「なんてこと言うんだモモ君」
難しい言葉を混ぜながら早口で語る師匠の喋り方は、昔お母さんと玄関で死闘を繰り広げていたセールスマンを思い出す。
それにこれは弟子としての直感だけど、こういう時の師匠は何か悪いことを企んでいる気がする。
「う゛ー……やる」
「コルヴァスちゃん、無理しなくていいですよ。 私たちだけでも目的地まで行けるので」
「でっかいの、お前は良い奴。 おじじたちも殺さなかった、お前は死んでほしくない」
「僕は良いのか僕は」
「お前は良い、ほっといても死なない」
コルヴァスちゃんの判断は正しい、この中で一番強いのはたぶん師匠だ。
だけど一番心配なのも同時に師匠だ、魔術の腕はいいけどとにかく体力がない。
「モモ君、人の心配はいいから自分のことだけ考えろよ」
「バレてるー……」
「ふんっ、では交渉成立で良いのかな。 できれば明日の日の出には出発したいけど」
「構わない、ただもう一つ約束しろ。 おじじたちには手を出すな、案内も手伝わせない」
「ひ、姫様……」
「わかった、そちらが危害を加えない限りこちらも加えることはない。 お互い停戦協定を結ぼう」
「でっかいの、てーせんきょーていってなんだ!?」
「師匠、説明してください!」
「先行き不安だなこの面子……」
――――――――…………
――――……
――…
「ちっこいの、足元気を付けろ! でっかいの、遅れてるぞ! しっかりついてこい!」
「ひぃー! ほ、本当にこの道じゃないとダメ!?」
『わおーん!!』
翌朝、日の出とともに出発した私たちはフォーマルハウトの洗礼を受けていた。
コルヴァスちゃんの案内する道のりはどれもかしこも険しい道のりばかりで、ついていくのすら精一杯だ。
紫色の水たまりでぬかるんだ泥の道、トゲトゲの枯れ木ばかりが生えた林、そして今私が渡ろうとする壊れかけの橋。 今日だけで寿命が3年は縮んだ気がする。
「しししししし師匠! 私より先に渡ってください、あわよくば風で一緒にバビューンと飛ばしちゃってください!」
「あーそれは魔力消費が重いなー、僕の体に負担がかかってしまうかもしれないなー」
「うぐぐぐぐうぅぐぅ……!」
「遅いぞ、置いてくぞ!」
コルヴァスちゃんはあっという間に向こう岸に渡っちゃったし、師匠は面白そうに後ろで私が渡るのを待っている。
真下は深い谷で、かすかに水が流れる音が聞こえる。 落ちたら絶対に助からない。
だけどボロボロの木の板が辛うじて残っているような吊り橋は、今にもロープが千切れそうだ。
「し、師匠……せめて一緒に渡りましょう……!」
「駄目だ、僕はダイゴロウを向こう岸に運ばないといけない。 君と一緒に渡れば確実に荷重過多だ」
『くうぅん……』
「ああ違うよ、大五郎は悪くないよそんな悲しい顔しないで……もー! こうなったら覚悟決めました!!」
いったん橋から距離を取り、大きく助走をつけて――――私は跳んだ。
そうだ、怖くて渡れない橋なら飛び越えてしまえばいい。 私賢い。
そして異世界にやってきて得たスーパーパワーの宿った身体は、ギリギリ向こう岸まで到達することができた。
「あっぶな、あっぶなぁ……! よかったぁ、届いて……!」
「――――……」
「ああ、ありがとうございますコルヴァス…ん?…ちゃん」
膝をついた私へ差し伸ばされた手に捕まろうとして、違和感に気づく。
黒かった、その手は。 逆光で影になっているわけじゃない、それにコルヴァスちゃんのものにしては大きすぎる。
「――――ヴ ぅ あ 。 」
「でっかいの、触るな!! 死ぬぞ!!」
私が顔を上げると、人の声ではないうめき声をあげた“ソレ”にコルヴァスちゃんが噛みついていた。
ブチブチと何かが千切れる音を立て、真っ黒いソレの肉が食い破られる。 傷口からは血ひとつこぼさない。
それでも首は致命傷だったのか、糸が切れたかのようにバタリと倒れた。
「フゥ゛ゥ゛ー……!! 無事か、でっかいの……!」
「あ、あ、ありがと……ございます……」
ソレが倒れたことを確認すると、コルヴァスちゃんは口の中に残った肉片を何度か噛み、最後は不味そうに飲みこんだ。




