埋火 ④
「戻ったぞーモモ君、そちらはなにか変わりはなかったか」
「ぽにぺぷあぁ」
「何があった?」
「一番弟子、オーバーヒートした……」
「なんだなんだ、どういうことだ?」
「あ、師匠ぉ……」
気が付けばもうとっくに空はオレンジ色に染まり、師匠も帰ってきていた。
勉強していた間の記憶はほとんどない、どうやら私の頭じゃシュテル先生の教育スピードに耐え切れなかったらしい。
「ん、でも3割ぐらいは入った。 進歩」
「ありがとうございますシュテル先生! これからも精進します!」
「君、僕以外から教わることの方が多くないか?」
「でも師匠は全然魔術のこと教えてくれないじゃないですか、シュテルちゃんの方が分かりやすかったですよ!」
「魔術は見て学べ、それが古くから続く魔術師の習わしだ」
「それは1000年前の価値観ですよ師匠!」
「うるさーい、そんなに文句があるならシュテル君の弟子になってしまえ」
「それは駄目です、私は師匠の弟子なので! それと師匠、遺跡の調査はどうだったんですか?」
「駄目だな、予想以上に浸水がひどかった。 今は魔術師が総出で水抜きを行っている」
休憩室の椅子に腰かけた師匠は、羽織っていた外套を椅子に掛けて背もたれに体重を預ける。
かなり疲れているようだ、師匠のことだから水浸しの遺跡を少しでも調べようと強引な行動をとったのかもしれない。
「僕も手伝えればよかったんだがな、あいにくこの身体だ。 無理をすれば君がうるさいだろうからな」
「はい、それはもうきっちり怒りますからね私!」
「一番弟子は、過保護……」
「それはまあ……そうですね、はいっ」
そういえばシュテルちゃんは師匠の身体について何も知らない。 だけど師匠を慕っているシュテルちゃんには辛い話だ。
滑りかけた口を押えて師匠の顔色を窺ってみると、黙って首を横に振るだけだった。 たぶん、師匠も自分の事情を言いふらすつもりはない。
「それでも少しだけ収穫があった、夕飯の後に話そう。 僕はそれまで仮眠を取りたい」
「あっ、それなら私の膝が空いてますよ!」
「せんせ、私も」
「お気遣いどうも、だが僕は立ったままでも眠れるから心配するな」
「駄目ですよ、ちゃんと横にならないと体に悪い気がします!」
「なら適当に部屋を借りてそこで寝る、君は君で勉強を続けろ。 あとで学習範囲をテストするから覚悟しておけ」
「ひ、ひぃー……!」
余計なことを言わなければよかった、これじゃ学校の試験と何も変わらない。
自分の言葉に後悔しながら熱が出る頭を抱えて、私は夕ご飯まで大量の本とにらめっこすることになってしまった。
あとご飯はすごい柔らかいステーキやサラダやパンがいっぱいだった、美味しかった。
――――――――…………
――――……
――…
「……なるほど、君にしてはよくやった方か。 まあ及第点と評価しておこう」
「よ、よかったぁ……」
王様たちとの夕食を終えてまた休憩室に戻った私は、ご飯でたっぷり蓄えたエネルギーを師匠のテストにごっそりと持っていかれた。
胃が痛い、たぶん就職の面接ってこんな感じなんだ。 大人ってすごい。
「安心するなよ、ほぼ赤子同然の魔術知識しかない君の学力で及第点と言ったんだ。 まだまだ先は長いと思え」
「ですよねぇー……ちなみにシュテルちゃんと比べるとどれぐらいのレベル差ですか?」
「トカゲと竜」
「お話にならないですね」
「まあシュテル君は相当“できる”生徒だ、比較対象としては適切ではない。 あれは良い魔術師になるぞ」
「むぅー……」
シュテルちゃんも師匠の生徒とは言え、自分を差し置いて褒められるとなんだか嫉妬してしまう。
そんな弟子の気持ちも知らずに、師匠はこっちを見もしないで手元の紙束にペンを走らせるばかりだ。
この前まで紙は貴重だからと触るのも躊躇していたのに、慣れるのが早い。
「ほら、できたぞ。 明日までには覚えておけ」
「うぇ? なんですかこれ?」
「君の技量から考えた魔術レベルに合わせた学習課題だ、まずは基礎的な用語を網羅しろ。 そうすれば読み解ける本も多くなるだろ」
師匠から渡された紙は、魔術に関する用語とその説明がくっついた辞書のようなものだ。
左端に穴を開けて紐も通してあり、ちょっとしたノートとしても扱えるし、紐をほどけばあとから紙も継ぎ足しできるできる造りになっている。
当たり前だけど師匠の字だ、ちょっと癖が強い字だけどバベルパワーのおかげかちゃんと読める。 これを私のために師匠が作ってくれたんだ。
「し、師匠ぉー!」
「ええい抱き着くな鬱陶しい。 言っておくがそれは基礎の基礎だからな、君が魔術師としての出発点に立つための準備でしかない」
「はい、わかってます! しっかり覚えますから私に魔術を教えてくださいね!」
「気が向いたらな、だからそろそろ離れろ雨が上がって蒸してきたんだよ気温が!」
「いやです、私今感動しているのでしばらく離れられないです!」
「どういう理屈だ! はーなーれーろー!!」
「なんじゃい、女同士でけしからん真似しとるのう」
「ウワーッ!? アルニッタさん!? いつの間に!?」
背後から突然声を掛けられ、反射的に師匠から体を引きはがす。
アルニッタさんの顔にはどす黒いクマが浮かんで髪や髭はぼさぼさだ、逆に充血した目だけはらんらんと輝いてお化けにしか見えない。
「やあご老体、わざわざ出てきたってことは完成したのか」
「えっ? 完成って、まさかもう出来上がったんですか?」
「おうよ、ひとまずはな。 というわけでついてこい嬢ちゃん、お主に合わせたとっておきの杖が待っておるぞい」




