雨に紛れてしまえばいいのに ③
「君はバカだな……モモ君……」
「師匠こそ……今日だけは人のこと言えないと思いますよ……」
「あっ、おかえりなさぁ……どしたの2人ともびしょ濡れで」
土砂降りの中で大げんかを繰り広げた私と師匠は、当たり前だけどびしょ濡れだった。
お互いに譲らない口論はいつまでも続き、結局まるで止まない雨に負けて2人揃ってお城に戻ってきたところだ。
メイドさんたちと星川さんから向けられる視線がとても痛い。
「わわわ、タオルタオル。 か、風邪引いちゃうから速く拭いた方が良いよ?」
「ありがとうございます……へっくち!」
「はっ、君にしてはずいぶんとかわいらしいクシャミでへぷちっ!」
「師匠も全然人のこと言えないじゃないですか!」
「なんだとぉ!」
「はいはぁい、そこまでそこまで。 本当に風邪引いちゃうよぉ、ライカちゃんもまだ病み上がりなのに」
私たちの間に割って入った星川さんに止められ、仕方なくケンカを一度やめて渡されたタオルで体を拭う。
ずっと雨ざらしだった私たちの服は絞れば絞るほど水があふれ出る、メイドさんたちから次々渡されるタオルをいくら使ってもきりがない。
「モモセ様、ライカ様、湯浴みの支度をいたしますのでどうぞご利用ください。 申し訳ありませんがこのままでは城内への立ち入りは許可できません」
「ごめんなさい! ほら、師匠も一緒に行きましょう!」
「湯浴みぃ? 別に魔術で乾かせばいいだろ、5分で済ませる」
「駄目です、魔力の無駄遣いは禁止! それにたまにはお湯にしっかり浸かって温まった方が良いですよ、たぶん!」
「たぶんってなんだたぶんって……待て、まさか僕と一緒に入るつもりか? 君は羞恥心もないのか!?」
「いいじゃないですか(今は)女の子同士なんですから、それに別々に入るなんてお湯がもったいないです」
「別にいいだろどうせ他人の城の湯だ! クソッ、離せー!!」
暴れる師匠の身体を抱えて、メイドさんが案内する大浴場を目指す。
雨で濡れた師匠の身体はやっぱり冷たい、これは魔術でサッと温めるだけじゃダメだ。 ゆっくり湯船に浸って体の芯から温めないと。
「しっかし軽いですね師匠! ご飯ちゃんと食べてます!?」
「失敬だな、昨日食べたばかりだぞ」
「すみません、お風呂上りに食べられるご飯も用意してください!!」
決めた、まず師匠に健康的な生活を教え込むのが先決だ。
このままじゃ半年がどうのこうのという前に死んでしまう、とりあえず毎日三食のご飯と8時間の睡眠は必須だ。 これからビシバシいこう。
――――――――…………
――――……
――…
「あふぅー……いやぁ、やっぱお風呂っていいですね……」
「う゛ー……熱い」
メイドさんに案内されたお風呂は、最高だった。 お湯に浸かる前に決意した色々がほどけてけてしまいそうになるほどに。
体育館より広い湯船、口からドバドバお湯を吐き出すライオンの石像、まさしく王様のお風呂という感じの豪華なお風呂だ。 人生で一度はこういうお風呂に入ってみたかった。
それに入浴剤を溶かしているのか、白く濁ったお湯もとろりとしていてなんだか肌がつやつやしている気がする。 私たちだけで独占するのがなんだかもったいないくらいだ。
「師匠、なんだか大人しいですけどちゃんと温まってますか? しっかり肩まで浸かってくださいね」
「温まってるよ、さっきから熱いくらいだ。 少し温度を下げないか?」
「えー、私にはちょうどいいと思いますけど。 雨で冷えて余計に熱く感じるだけじゃないですか?」
「渡来人が熱い湯を好むだけだろ、1000年前から変わらないな」
「むぅ……それって師匠のお師匠さんの話ですか?」
「ああ、あのウワバミは湯船で温めた酒を呷りながら星を見るのが好きだったよ。 たまに酔ったまま寝ては溺死しかけてた」
暑さに耐えられなくなった師匠は、湯船のふちに腰かけて足湯を楽しむ形で昔話を続ける。
雪のように白い肌には傷も残っていない、濡れた髪を掻き揚げてどこか遠い景色を見る姿は、私でも見とれてしまうぐらい綺麗だった。
「はぇー……最初はあれだけ嫌がってたのに結構大胆ですね師匠」
「冷静に考えてみろ、およそ1000歳だぞ僕は。 君が気にしないなら何も問題はないんだ」
「それはそれでなんだかショックです」
たしかに師匠から見れば、私なんて赤子のような年の差だ。 けどこうも冷めた目で見下されるとそれはそれで複雑な心境になる。
私に気を使ってくれていたのは嬉しいけど、なんだか胸の内がもやもやして仕方がない。
「……師匠のお師匠さん、私の大師匠ってどんな人だったんですか?」
「歩く災厄」
「それは人なんですか?」
「一応人の形は留めていたな。 ただ旅先では必ずトラブルを呼び込み、竜に喧嘩を売り、盗賊や海賊のアジトを素手で叩き壊していく嵐を具現化したような存在だった」
「すごい人だ……」
「まあ君の10倍厄介な人間だったよ、だが……彼女が通った後には必ず誰かの笑顔があった」
「……すごい人、だったんですね」
昔を思い出して話す師匠の顔は、相変わらずの仏頂面だけどどこか笑っているようにも見えた。
師匠にとってすごく大事な人だったんだ、1000年過ぎてもこうしてはっきり思い出せるほどに。
「彼女は自分の境遇を天命と割り切り、元の世界に戻る気はなかった。 それでもほかの渡来人のため、ときおり世界を超える手段を探すこともあったが結果は振るわずだ」
「師匠のお師匠さんでも見つけられなかったとなると、元の世界に戻るなんて本当に難しいことなんですね……」
「だが君たちはこの世界にやってきた、なら逆に元の世界へ戻る手段も必ずあるはずだ」
「ただ、今の今まで誰も戻る方法を見つけることができなかった」
「ああ、僕はその手段を半年で見つけなきゃいけない。 君の戯言を手伝う暇はないぞ」
「分かってます、私は私で師匠を治す手段を探しますので」
ボロボロになった師匠の魂を治す方法。 仮にも可能性がある師匠の話とは違い、私の目的は本当にあるかもわからない話だ。
それでもまだ半年時間がある、ただ何もせずにじっと別れの瞬間を待つよりずっと希望があるはずだ。
「まったく、君との話は平行線だな。 ……どうしてそこまで僕に気を使う、君に恩を返されるほどやさしくした覚えはないぞ」
「えっ? だって師匠、雪の中で死にそうだった私を助けてくれたじゃないですか」
私がこの世界に迷い込み、寒くて凍えて死にそうで、命を助けられた日。
絶対に忘れることはない、初めて師匠に合ったその日から師匠は私を救ってくれた。
こんなに優しい人が1000年も閉じ込められて、やっと出てきたと思ったら半年で死んでしまうなんてあんまりだと思った。 ただそれだけのことなんだ。
「あの時もう本当にダメだと思ったんですよ、師匠が居なかったら絶対に死んでました!」
湯面をパシャパシャ足でもてあそぶ師匠の身体を脇から抱えて、肩まで湯舟に沈める。
そろそろ身体も冷えてきたころだ、もう一回温めないと結局風邪を引いてしまう。
「だからこの恩は絶対に返しますよ、半年なんかじゃ終わらせません。 絶対絶対師匠には幸せになってもらいますから!」
「……本当に、僕は厄介な子供を拾ったなぁ」
されるがままの師匠は面白くなさそうに、顔までお湯に浸かったままブクブクと喋る。
本人に言ったら怒るだろうけど、こういう瞬間は見た目通りの年齢に見えて可愛い。
「…………それならモモ君、ついでに一つ頼みがある」
「はい、なんですか師匠!」
「溺死する前に僕を引き上げてくれ、頼んだぞ」
「へっ? あっ! し、師匠ぉー!?」
遺言を残した師匠はそのまま頭のてっぺんまでお湯の下に沈んでいく。
弟子として失敗だ、とっくにのぼせていたんですね師匠。




