杞憂の空 ⑤
「…………うん?」
一瞬失っていた意識が戻ると、そこは真っ白な空間だった。
周囲にモモ君たちもなく、全身に負った夥しい数の負傷も消え失せている。
これはとうとう死んだか、それともまた夢でも見ているか。
「そういえば、この夢の正体もまだ掴めていなかったな……」
「ああ、その謎なら目を覚ましてから地下を調べなおすと良いヨ。 たぶんまだ残ってると思うからサ!」
ぽつりと漏らした独り言に、知らぬ声で返事が返ってくる。
だが周囲を見渡しても誰もいない、魔力反応も……この状態で知覚できるのかは知らないが、まるで感じ取れない。
「そっちじゃないヨォ、↑だヨ↑」
「これはこれは、まーたみょうちきりんな連中が出てきたな……」
頭上から降り注ぐ光とともにゆっくりと降りてきたのは、黒と白という対極的な色合いの少女2人だ。
黒い少女は、本当に全身が「黒」に染まっている。 この眩しい光の中で影を煮詰めたような黒さだ、かろうじて輪郭と声から少女と判断できた。
黒以外の色が見えるのは、はにかむ口元から覗くのこぎりのような歯と、ひし形に輝く瞳しかない。
そして、もうひとりの白い少女は……
「……僕、か?」
黒い少女の背に張り付いた白い少女の姿は、まるで鏡を見ているかのように僕と同じ姿をしていた。
いや、もともとこの肉体は1000年の刑期に耐えるため、僕の魂を移植した入れ物だ。 つまり目の前にいる彼女こそが――――
「君に体を貸している子だヨォ? よろしくネ!」
「―――――……」
「ああ、諸事情で言葉を話すことができないけど許してヨ。 彼女が下手なことを話すと世界が壊れちゃうからネェ」
「そうか、名前はたしかバベルと言ったかな?」
確証はなかったが、テオが憎々しげに吐き捨てていた名前を呼ぶと、白い少女はうっすらとほほ笑んでわずかに首を縦に振る。
同じ肉体でも中身が違うとこうも印象が変わるのか、何とも複雑な気分だ。
「ほっほぉう、正解正解! こんな状況でも冷静でさすがだヨォ」
「それで君の名前はなんだ。 おそらくだが、君が最後の一人だろう?」
今度は黒い少女に向けて問いかけると、バベルとはまるで違う口が裂けたような笑みを浮かべ、実に嬉しそうに目を輝かせる。
ラグナ、ウォー、テオ、バベル。 そしてたしかノアと気を失う直前に見たペストという少女。
これが“七大災厄”を自称する6名の名であり、七大と呼ぶには1つ足りない。 その穴を埋める存在こそ、目の前に黒い影だ。
「ボクの名、ね。 あえて言うならヌルって呼んでほしいナ。 担当する災厄は“未知の知的生命体による侵略”だヨォ!」
(表情が読めないのでわからないが)決まったと言わんばかりの顔で両手を広げてポーズをとると、再び頭上から彼女を照らす光が降り注ぐ。
頭上を見ると、光を照射しているのは銀色に輝く謎の円盤型魔動機だ。 どうやって浮いているのかも理解できないが、この空間で常識を考えようとするのはきっと無駄な行いだ。
「それで、わざわざ僕に何の用だ? それともテオの報復目的か」
「誤解誤解、用事は謝罪と忠告ってところだヨォ。 むしろボクらは妹たちと敵対してるのサ」
「……敵対?」
「そうだネェ。 まず七大厄災はある共通の目的をもって、人類を殲滅し続けてきた。 それはもう何回もネ」
「それは妙な話だな。 僕も1000年後の世界は見てきたが、滅ぶどころか以前と変わりなく人類は繁栄していたぞ」
「数は問題ないとしても、技術はどうだったかナ? 君も娑婆に出るときは、1000年先の世界に心躍らせたよネェ?」
「…………」
ヌルが突いてきたのは、この地上に降りて常に引っかかっていた魚の骨のような疑問だった。
たしかに僕も投獄されていた間は、自分の知らない未来の魔術を夢見たこともある。
だがふたを開けてみれば、1000年過ぎた魔術の進歩は微々たるものだ。 個人の技量でいうなら、僕の方が優れていると思うことすらある。
「1000年という期間の中で、人類は何度も間引かれているのサ。 その数だけ同じ過ちを犯し続けて今に至るんだヨ」
「同じ過ち?」
「――――神への反逆、サ」
じつにもったいぶったヌルの台詞は、魔術師からすれば実に陳腐なものだ。
これが敬虔な魔法遣いならば千切れんばかりに首を縦に振っていたかもしれない、だが神に背く真似なんてこれまで数えきれないほど犯している。
「まあまあ、話はここからサ。 まずはちょっとは耳を貸してくれ、ライカ・ガラクーチカ。 宇宙に捨てられた哀れな子犬ちゃんヨォ」
「どうせこんな空間じゃ君の話を聞くぐらいしかやることがない、それで君たちは神への反逆を咎める使途ってところか?」
「察しがいいネェ、そんなところサ。 覚えておきなヨ、君たちは何度も絶滅してきた」
ヌルは人差し指で僕の額を小突く。
間近で見てわかったが、身体の体表は決して黒いわけではない。 むしろ鮮やかすぎるほどの色が重なり、うごめき、混ざり続けている結果、黒く見えているだけだ。
彼女の指先でアリの群集がごとくひしめく無数の色を見ていると、目が痛くなってくる。
「ある時は宙から墜ちた巨大な岩に潰されて、ある時は天変地異による海抜上昇、ある時は人間同士のばかばかしい戦争、ある時は3度の厳冬と炎と巨人に飲まれ、ある時は未知の疫病に憑りつかれ、人類は滅亡したのサ」
「……そんな記憶も記録も、一切ないぞ」
「うん、今の人類にその記録は残っていない。 哀れなガラクーチカ、君ならこの意味もわかるよネェ?」
「………………」
「ボクら2人はそんなサイクルに疲れたんだヨ、だから一抜けしたのサ。 そしてこんな空しいこと、愛する姉妹たちにもやめさせたい」
「――――……」
「ん? どしたのバベル? ……ああそっか、時間だネェ」
バベルがヌルの袖(らしき部分)を引っ張ると、ビシリと嫌な音を立てて空間がひび割れる。
その亀裂に同期するように、僕の身体もみるみる透けてきた。
「残念、話の続きはまた次の機会にしよう。 もし逢いたくなっても三次元上にボクはいないからサ」
「待て、一方的に話を打ち切るな! 僕だって聞きたいことが山ほど……」
「大丈夫、テオは仕事が粗いからサ。 遺跡を漁るといいヨ、まだ何か残ってるだろう」
ヌルたちの姿がどんどん遠ざかっていく、手を伸ばそうにも透き通っていく身体は上手く動かない。
身体に染みわたっていく温度と痛みは、現実での重傷を思い出させてくれた。
「――――バベルを探せ、ガラクーチカ。 君ならきっと見つけられるヨ、バイバーイ!」
一言文句を言う前に、僕の夢はそこで途切れてしまった。




