杞憂の空 ③
『――――白銀の、その娘を引きはがせ。 竜2体は余が引き受ける』
「……大言壮語じゃないだろうな、死ぬぞ」
テオとの交戦が始まる前、風魔術を用いた秘匿会議が僕と愚王の間で取り交わされていた。
とはいえ内容は会議ともいえないお粗末すぎるもの、人間1人で竜を2体相手にするなど遠回しに自殺をほのめかしているだけに過ぎない。
『なに、勝算はある。 余の友、ヴァルカはまだ生きているからな』
「根拠はあるのか?」
『この砂漠は余の庭だ、友を一人で死なせはしない。 ゆえにまだ生きているのだ』
「……ただの願望じゃないか、バカバカしい」
それでも魔力の感知範囲と精度を広げてみると、愚王の言うとおりに渇炎竜と思わしき反応を感じ取れる。
場所はやつが寝床にしていた燃える穴蔵の中か、だがその魔力は今にも消え入りそうなほどに弱弱しい。
すでに2体の竜とテオの手により殺害されたあとだろう、それでもまだ息があるのは竜の異常な生命力が成せる業か。
「悪いが僕はこんな状態だ、モモ君も余裕があるとは思えない。 途中で形勢が悪くなろうと、助けは期待するなよ」
『案ずるな、守るべき国がある限り余は負けぬ』
「それと、君の友とやらだが残存魔力を一点に収束させている動きがある。 おそらく最期の一撃だ、無駄にするなよ」
『……うむ、感謝する』
――――――――…………
――――……
――…
「――――ああ……ああぁああぁ……! なんで、なんでよ!? 竜玉はたしかに潰したはずなのに!!」
もはやモモ君に目もくれず、熱線が伸びる先を見上げたテオが半狂乱に叫ぶ。
元々老体の竜だ、寿命も尽きかけているところへ竜の心臓に等しい竜玉を潰し、殺したと思っていたのだろう。
だが彼女に落ち度はない、僕だっておそらく同じ判断を下したはずだ。
竜が死を迎える最中、人を助けるほどの理由がない。 その固定観念こそがテオと僕の敗因だ。
「やあ、素晴らしい息吹だ。 あの発光からして熱量で大気が電気を帯びているな、神の領域に踏み込んだ一撃だ」
「…………バクビリード……オルゲイユ……」
「無駄だ、あれは直撃したぞ。 生死はともかく、戦闘続行できる状態じゃあるまい」
「うるっさい死にぞこないが!! あんたに何が分かるってのよ!?」
「多少でも魔術の心得があるならわかるはずだぞ、燃えるほどに沸き立っていた2体の魔力が弱弱しくなっていることに」
「私は全くわかりませんけど……」
「君は黙ってろ、赤子の方がましな魔力量の癖に」
「一番弟子に向かってなんてことを言うんですか!」
いまだにマッチ程度の出力しかないバカピンクは放っておき、熱線の余韻が残る景色を呆然と眺めるテオの背に魔術を構える。
それだけあの2体が大事だったのか、あまりにも隙だらけだ。 だがここで手を出すとモモ君がうるさい。
まったく、殺されそうになったというのに殺して何が悪いのか。 よっぽど平和ボケしたバカとしか思えない。
「テオちゃん、もうやめましょう。 師匠が後ろから狙ってますよ!」
「おいわざわざ教えるなバカ! 数少ないチャンスを棒に振ったぞ君は!」
「……やめるって、何を?」
テオの背から陽炎が沸き立つ。
震える声を紡ぐ口からは、チロチロと火の粉が零れ見えた。
「やめるも何もないのよ、私たちは何度だって繰り返すだけ。 お前たち人類が愚かにも、同じ間違いを犯す限り……!」
「間違いなら直せばいいじゃないですか! おんなじことを何度も繰り返す必要だってないはずです!」
「モモ君、無駄だ。 あれと僕らは分かり合えない」
「そんなことないです、だってこうして言葉が通じるなら……」
「――――忌々しい、その“言葉”すらお前たちのものではない!!」
振り返ったテオの眼は猫……いや、竜のように瞳孔が縦に細く変貌していた。
さらに乱杭歯が覗く口内には赤い炎が充満し、今にも堰を切ってあふれ出しそうな熱量を見せている。
背中の翼や尾と同じように、体内の特徴も竜を模しているのなら――――
「下がれモモ君、この距離は危険だ!」
「死ねッ!!!」
「いやです!!!!」
テオが吐き出した炎の息吹に対抗し、叫ぶモモ君の口から鏡写しのように灼熱の炎が吐き出された。
互いの息吹は空中で衝突し、余波で周囲の砂地が赤熱する。 が、本人たちは僕を含めて火傷一つない無傷だ。
「な……お前、なんで竜でもないのに息吹が使えるの!?」
「聞かないでください、ちょっと色々あったんです! 本当にちょっとだけ!」
「ちょっとどころの問題じゃないけどな、しかしよく相殺したな、もしや魔術師より竜の方が向いているんじゃないか?」
モモ君の蛮行に慄いたテオは、あっけにとられたまま二歩三歩と後退した。
だが逃がす前に、魔力を馴染ませた砂を伸ばして彼女の足を絡めとる。
「あっつ!? 何よこれ!?」
「熱量で砂が溶けたのは好都合だな、ただの砂より液体化したほうが僕にとっては扱いやすい」
息吹の熱で融解した砂は「熱い」で済むものではないはずだが、この程度はいまさら過ぎる問題か。
彼女の足を掴んだまま冷えて固まった砂は、魔力を含んだおかげでそう簡単に破壊できるものではない。
「下手な動きは見せるなよ、モモ君が止めようと次は息の根を止めてやる。 死にたくなければ捕虜としての扱いは保証しよう」
「っ……! なんでよ、なんであんたが……よりにもよって……!」
身柄を拘束されたテオは、怒りと悲しみを交えた目で僕を睨みつける。
……もっと正確に表現するなら、その目は僕ではなくこの身体の持ち主を見つめていた。
「ああ、バベル……どうして私たちの中で、あんただったのよ……!」
「……バベル? 待て、その名は――――」
「し、師匠! あれ!」
テオがその場に崩れ落ちると同時に、モモ君が空を見上げて素っ頓狂な声を上げる。
「なんだモモ君、今大事な話をし……て…………」
言葉を失う。 空は雲一つない晴天だ、そのはずだった。
だが昨日と変わりないはずの空には、砂嵐のようなノイズが走っていた。




