竜の姫 ①
「ほう、良い力加減だモモくぶへっ!?」
着地に失敗し、盛大に顔面から地面に突っ込む。
モモ君のコントロールは決して悪くなかった、問題があったとすれば僕の運動神経だろう。
痛む鼻をさすりながら顔を上げると、まだ目の前がチカチカして何も見えない。
「うぐぐ……おのれぇ、魔術による制動と感覚が違うな……!」
幸いにもとっさに風のクッションを挟んだおかげで、鼻は折れていないし出血もない。
……しかし妙だ、こんな時モモ君なら真っ先にうるさく騒ぎそうなものだが。
ふと違和感を感じて振り返ってみると、そこにモモ君たちの姿はなくただ墨のような黒い闇だけが広がっていた。
「……モモ君?」
「えー、誰その名前? 今の君の彼女かな?」
聞こえるはずのない声に、反射的に火球を放つ。
赤熱した炎は背後に立っていた人物の顔面に直撃したが、こんなシンプルな術でどうにかなる相手じゃない。
万が一本物ならば、なおのことだ。
「ゲホッゴホガホヴォェエ!!! ひっどいなぁ、君の師匠に向かってさ」
「俺は怪物に育てられた覚えはないぞ、お前は1000年前に死んでいる」
「ケサ」と「アミガサ」と呼ばれる独特な渡来人の衣装に、シャラシャラと澄んだ音を鳴らす杖。
火の粉を片手で払いのけて現れた顔と黒い長髪には焦げ跡ひとつなく、煙で傷んだ喉を癒すために革袋に詰めた酒を飲む。
その習性はまさしく自分の記憶の中にある、ユウリ・リンその人だ。
「そうか、死んじゃったか。 まあそれも人生さ、しかしずいぶん可愛い姿になったね?」
「黙ってろ、もしくは今すぐ死ね」
目の前の阿呆は無視するとして、状況を整理しよう。
周囲を見渡してもモモ君たちどころかあれほど転がっていた骨がひとかけらも見当たらない、いつの間にか床まで黒く染まっている。
幻覚、にしては鮮明すぎるし曖昧過ぎる、人物像と景色の構築精度がちぐはぐだ。 これは他者からの介入というより、自分の内から人物の記憶を投影されているような……
「……なるほど、夢か」
「そういうこと、うっかりさんだね私の弟子は」
背中から張り手を食らったような強い衝撃を受けた身体が、前方によろける。
それが合図だったかのように、黒く染まっていた世界に亀裂が入り、目のくらむほどの光が視界を埋め尽くしていった。
「夢と自覚できたならすぐ覚醒する、君なら原因はすぐに特定できるさ。 だけど目覚めたらすぐ修羅場だから気を付けろ」
「……死んでもおせっかいな奴だな、まったく」
「当然さ、だって私は世界一君を愛したお師匠様だぜ?」
――――――――…………
――――……
――…
『…………ン……ワンワン……ワンッ!! ワンワン!!』
「――――ッ!!」
背中につららを突っ込まれたような悪寒に従い、目を覚ましてすぐに床を転がる。
その瞬間、天井を突き破って降ってきた「何か」が四半秒前まで寝転がっていた床へと突き刺さった。
「ダイゴロウ、モモ君たちを起こせ! 最悪噛みついてでも構わない!」
『ワォン!!』
危なかった、ダイゴロウの呼びかけがなければ間違いなく死んでいたところだ。
だが反省は後だ、状況を整理しろ。 何が起きた、何が落ちてきた?
偶然の崩落なんかじゃない、たしかに殺意のある攻撃だ。
「――――なによ、今ので死んでたら楽だったのに。 あんた運が悪いわね」
「誰かは知らないが、人と話をするなら姿を見せるのが礼儀だぞ。 親に教わらなかったのか?」
「……へぇそう、良い度胸。 いいわ、真正面からぶっ殺してやる」
天井に空いた亀裂がさらに広がり、一気に崩落した穴からガレキと砂がなだれ込む。
先ほどよりも大きな衝撃で体が吹き飛ばされないように堪えるのがやっとだ、それに尋常じゃない魔力の圧に知覚が狂いそうになる。
「モモ君、伏せろ!!」
「ほ、ほぎゃあー!?」
後ろで大量の砂と骨を食らったようだが、どうやら2人と1体は全員無事だ。
全員覚醒しているのならあとはどうやってこの場を切り抜けるかだが、はたして目の前の連中は大人しく見逃してくれるだろうか。
「初めまして人間、私はテオ。 あんたらをこれから最っ低で最っ高な方法で殺してあげる厄災よ、覚えてから死になさい」
ドレスの端をつまんで恭しい礼を見せる灼髪の少女。
はにかむ口から覗く犬歯にトカゲのように細長い瞳孔。 要素だけ切り抜けば吸血鬼のそれだが、日光をふんだんに浴びているところを見るに別種だ。
なにより、「テオ」という名には覚えがある。
「……って、なんであんたがこんなところにいるのよ。 危うく人間と間違えて捻り潰すところだったじゃない」
「はっ? なんのことだ、僕に向かって言ってるのか?」
「何って何よ、私の顔を忘れたのバ……―――――誰だ、お前?」
大気中に飽和した魔力が一気に鋭い殺意を孕み出す。
信じたくないことに、今この瞬間まで彼女は臨戦態勢ですらなかったようだ。
「し、師匠! 大丈夫ですか、今助けに……」
「来るな、足手まといだ! 大五郎達と一緒に逃げろ!」
「っ……わかりました、すぐに助けを呼んできます!!」
「期待しないで待っておくよ、行け!」
モモ君たちが十分逃げるまで赤髪の少女が動かなかったのは、単なる幸運だろう。
目の前の相手はラグナやウォーと同等、魔力量だけならばさらにその上を行く化け物だ。
赤い髪の“テオ”。 その名前は僕の記憶違いでなければ、リゲルで読んだ本に記載されていた七大災厄に記載されていた。
「…………ほとほと呆れ果てるわね人類、ノアで飽き足らずよくも悍ましい真似を」
「君が何を言ってるのかはわからないが、用事がないならもう帰ってもらっていいか? 僕らは見ての通り忙しいんだ」
「黙れ、その口を二度と開くなッ! お前だけは徹底的に殺してやるわ!!」
「クソッ、穏便な交渉を心掛けたのに野蛮な奴だ」
ひとまず風で足元の砂を巻き上げ、その隙に距離を取る。
未知の相手だ、おまけに天井から穿たれた攻撃の正体が読めない。 下手に近寄るのは危険だ。
「この私たちを相手に、その程度の間合いをとってなんとかなると思ってるの?」
「……やあ、思ったより状況が最悪だなこれは」
人差し指を天へ向けるテオの頭上を見上げると、そこには半ばガラス化した砂と雲一つない青空が広がっている。
ただし、雲の代わりに雄々しい翼を広げて日の光を遮る2体の影が見える。
「ヴァルカ・ムェッタと同じ純竜―――――それも2体か」
「せめてもの慈悲に選ばせてやるわ。 “竜”に殺されるか、“星”に殺されるかを……ね」




