塔を崩すことなかれ ③
「……ダイゴロウ、お使いを頼む」
『わふ?』
「アスクレス教会から聖女と治癒魔法を使える人材を呼んできてくれ、場所はわかるね?」
『ぅわっふ!』
自信満々に鳴くダイゴロウの背に魔力で文字を綴る。
たっぷり3時間は消えない魔力文字だ、あの聖女ならこのメッセージで十分伝わる。
問題は応援が間に合うか、そもそも手遅れではないかというところだが。
「できるだけ急いでくれ、頼むぞ」
『わっふ!』
僕という重りを降ろしたダイゴロウは身軽に建物の屋根を跳びながら魔法区を目指す、オーダー通りだ。
だが戻ってくるまでのんきに待っていられる余裕はない、できるだけ音を殺しながら扉を押し開く。
「…………誰かいるか?」
返事はない、悲鳴すらもだ。 少なくとも目が届く範囲には血だまりも見つからない。
だがむせかえるような血の臭いは相変わらずだ、どうやら施設の奥から漂ってくる。
「それと、そこにいる君は敵と見ていいんだな?」
『ギギ……ギ……!!』
人ならざるくぐもった声を上げながら、工房の奥から二足歩行の生物がのそのそと姿を現す。
鳥のような四本指の脚部にかぎづめが備わった小さな手、全身には堅牢なウロコを備えてキバが生え揃った口元からは酸性の涎を垂らしている。
ラプトル、ワイバーンの近縁種であり羽を持たず地上を闊歩するドラゴンモドキだ。 人里離れた森林ならともかく、こんな街中で見かけるような魔獣じゃない。
「できれば話が通じるやつがいいんだが、悪いけど上司に取り次いでもらえるか?」
『ギッギギィー!!』
金属を引っ掻いたような不快な雄たけびを上げ、ラプトルが飛び掛かってくる。 おおかた食いはぐれて腹を空かした若輩者というところか。
相手の軌道上に火球を添えれば、何も考えず突っ込んできたトカゲはそれだけで頭部が吹き飛ぶ。
元より群れを成して初めて脅威になるような存在だ、いくら狂暴でも一個体だけなら学園生でもどうにかできる。
「誰か隠れているなら返事をしろ、助けに来た! 何があった、誰か生きていないのか!?」
望み薄だが声を発しつつ工房の奥へと進んでいく、途中で見つける肉片や血だまりが余計に希望を失わせた。
ザルとはいえこの街には3区画を区切る関所がある、間違ってもこんな場所で魔獣被害が起きるはずがない。
あるとするなら誰かが人為的に魔獣を呼び込んだとしか考えられない。
「まったく、どの街に行っても厄介ごとばかりだな……!」
『ギギッギッギギィー!!』
『ギシャアァー!!』
『ギギァギィアー!!』
大声を出せば当然それにラプトルどもは群がってくる、この工房でどれほど食らったのか知らないがまだ腹を空かしているようだ。
口に付着した赤い液体はトマトソースじゃないだろうに、食い意地ばかり張って邪魔をしてくれる。
「腹立たしいな、まったく……すまない、少し工房を散らかすぞ」
そばに転がる誰かだった躯に謝罪を述べ、風の刃を展開する。
怨念も恨みも全部背負っていこう、その代わり彼らが奪われた命の仇は僕がとろう。
祈りはあとからくる魔法遣いたちに頼んでくれ、魔術師にはこれぐらいのことしかできない。
――――――――…………
――――……
――…
「ひぃー! 遅れた遅れた!」
師匠の後を追って魔導区に入ったころにはもう空がオレンジ色に染まるころだった。
掃除道具を片付けてすぐに来るつもりだったのに、掃除のおばちゃんに捕まってつい長話をしてしまった。
でもおばちゃんのコイバナは面白かったからまた聞きたい、明日にでもまた話しかけてみよう。
「師匠怒ってるかなー……ん?」
人にぶつからない程度に急いでいた足がふと止まる、なんだか街の空気がおかしい。
道を歩く人たちの様子はいつもと同じだ、そろそろ晩御飯の時間だからどこからか美味しい匂いも漂ってくる。
平和だ、昨日となにも変わらない。 だけどなんだか肌がピリピリする。
「なんだろ、この感じ……」
『わん! わんわん!!』
「えっ? わっ! 大五郎!?」
足を止めた私の頭の上を飛び越えていったのは、師匠と一緒に行動しているはずの大五郎だった。
大五郎も私に声をかけて、そのまままっすぐ工房へ走っていく。 その背中に師匠は乗っていなかった。
「ふぅ……ふぅ……あら、モモさん。 こんなところで奇遇ですね……」
「あれ、ロッシュさんも? どうしたんですか、すっごい汗だくですよ」
さらに大五郎を追いかけてきたのは、ロッシュさんとアスクレスさんの教会で働くシスターさんたちだ。
魔法区までみんな大五郎のペースに合わせて走ってきたのか、とても息切れして疲れている。
「ら、ライカさんから緊急の用があると……ゴーレムを使って伝言が……」
「師匠が? わかりました、私が先に行ってみます!」
「ふふ……こ、これではライカさんの体力を笑えませんね……」
きっとこの先の工房で何かあってケガ人が出たから師匠はロッシュさんを呼んだんだ。
それも事故じゃない、この肌にピリピリする感じはもっとひどいことが起きたに違いない。
「大五郎ー! 待ってー、師匠は無事!?」
『わんわんわん!!』
おそらく「ついてこい」と言っている大五郎の後を追うと、すぐに工房へと到着する。
半開きになった扉の先からはさっきよりもずっと嫌な予感が肌をピリピリ撫でてくる。
「師匠ー! 私です、モモです! 無事ですかー!?」
『――――ギギ、ギィ……!』
「…………へっ?」
扉の隙間から中に呼びかけると、工房から出てきたのは師匠……ではない。
二足歩行のトカゲ、いやちっちゃい恐竜だ。 むかし恐竜図鑑で見たものと似ている、群れで襲って大きな恐竜のタマゴを盗むようなやつ。
それがよだれを垂らしながらノソノソと出てきた、びっくりした。
『ガルルルルルッ!!!』
『ギッギィー!!!』
「わ、わ、わー!? ダメダメ、喧嘩ダメ! あっち行ってあっち!」
恐竜を見つけると大五郎は唸り声をあげて、お互いに今すぐでも飛び掛かってしまいそうだ。
だけどこんな街中で大五郎達が戦うとどんな被害が出るかわからない、昨日の今日でまた工房を壊せば今度こそ師匠に怒られる。
『ギギギギャー!!』
「――――“ダメ、あっち行って”!!」
『ギ……ギギ……!?』
ついつい大声で怒ると、驚いたミニ恐竜は扉に多くへ逃げ込んでいった。
いや、驚いたというより今のは私の言うことを聞いてくれたような――――
「モモさん? 今のはいったい……」
「ロッシュさん、追い付いたんですね。 私も今来たばかりでわからないんです、なんですか今の恐竜!?」
「おそらくラプトルですね、肉食性の狂暴な魔獣です。 普通ならこんな街中で出没するはずはないのですが」
「じゃあ普通じゃないってことですね、急ぎましょう!」
『わんわーん!!』
「モモさん、くれぐれも慎重に行動してください!」
大五郎を連れて工房の中に飛び込むと、工房の中はひどい状態だった。
壁や床には鋭いひっかき傷がいくつも刻まれ、血だまりやミニ恐竜の死体がいくつも落ちている。
その中には人の腕や足も含まれていたけど、足を止めてショックを受けるよりも生きてる人を探すのが先だ。
「師匠ー! どこにいるんですか、返事してくださーい!!」
『わふおーん!!』
「…………モモ君?」
よりミニ恐竜の死体が多い方へ走っていくと、廊下の先にある部屋の中で師匠は見つかった。
ここはたしかザイフさんの研究室だ、他の部屋よりボロボロでせっかくの望遠鏡は粉々に破壊されている。
そんな部屋の中央で、師匠はザイフさん……の遺体を抱きかかえていた。
「師匠! 大丈夫ですか、いったい何があったんですか!?」
「……わからない、だが犯人はどうやらこの部屋にあった“なにか”を消したかったらしい」
「なにかって……なにを?」
「さあな、だが彼に遺言を頼まれた。 僕は急いで犯人を追いかける、悪いがこの場は頼んだ」
「ど、どこに行くんですか師匠!?」
「――――“レグルス”、犯人はその街へ逃げ込んだらしい。 君も後で追いかけてこい、モモ君」




