ようこそエルナトへ ④
「増えるな、借金が……」
「お金稼がないとダメですね……」
身分証を手に入れたその日の夜、なんとか滑り込みで宿に泊まった僕らの気分は憂鬱だった。
代金はある程度ギルドから借り入れられたが、手元に残ったのは僅かな硬貨しかない。
「ランクに応じた金額をギルドから借用できるのはいいが、二つ星だとこれが限界か」
「それも返さなきゃいけないお金ですもんね、明日から頑張らないと」
「今のままじゃ食費もままならないからな、すでに保存食も空だ」
「ご、ごめんなさーい……」
髪の代金代わりに分けてもらった村の食料は、ほとんどモモ君が喰らい尽くした。
このままでは食費もままならない、安い依頼でも良いから日銭を稼がないとモモ君が飢え死にしてしまう。
「はぁ……食った分の肉体労働は任せるからな、覚悟しておけよ」
「はい、任せてください! ……って師匠、床に毛布敷いてどうしたんです?」
「床で寝るんだよ、ベッドは君が使え」
「えーっ!? 一緒に寝ましょうよ!!」
「2人だと狭いだろ、それに君の寝相で鯖折にされそうだ」
ぶーぶー文句を垂れるモモ君を無視し、寝床の支度を進める。
安い毛布だが、それでも石畳の牢獄に比べれば極上の寝心地だ。
「それなら私が床で寝ます、師匠がベッド使ってください!」
「明日の肉体労働は全部君に押し付けるんだぞ、コンディションは整えておけ」
「だって師匠が床なんかで寝たら風邪引きそうじゃないですか!」
「なんだ人の身体を脆弱みたいに扱って! それに風邪引いたのは君だろ!?」
「あれはノーカンですよノーカン、ちょっと身体がびっくりしただけってロッシュさんも言っていたじゃないですか!!」
結局僕たちの言い争いは夜が更けるまで解決せず、最終的には彼女が提案したジャンケンで決着がついた。
――――――――…………
――――……
――…
「ぶええぇ……絶対チョキを出すって言ったのにぃ……酷いですよ師匠ぉ」
私が繰り出した渾身のグーは裏切りの師匠が差し出したパーによって打ち砕かれた。
包まった毛布も藁のベッドもなんとなく居心地が悪い、こんな気持ちになるなら師匠と一緒に野宿すればよかった。
「ねえ師匠聞いてます? やっぱり一緒に……師匠?」
返事はなく、振り返って見た床敷きの毛布はもぬけの殻だった。
部屋の扉も半開きだ、私に気付かれないように抜き足差し足で出て行ったのか。
「あれー、トイレですか?」
こんな夜遅くにどこか出かけたのだろうか? だとしたら危ない、師匠の外見でこんな夜を出歩くなんて。
慌てて部屋を出て師匠の姿を探すと、窓の外によく目立つ白銀の髪が揺れているのが見えた。
「あっ、いた! もー、何やってんですか師匠ったら……っと!」
開けた窓から外に出て、宿屋の角を曲がって裏庭に向かう師匠の後を追いかける。
しかしその姿を追いかけて私も角を曲がった時、見えない何かに衝突してストーキングが阻まれた。
「へぶっち! なんですかこれー!?」
「なんだモモ君か、人をつけ回して何やってんだ」
どうやら私の尾行に気付いていたらしい、見えない壁の向こうで呆れた顔をしていた。
「師匠ー! 全然進めません、なにこれ!?」
「君も僕の弟子を名乗るならちょっとは意識を研ぎ澄ませた方がいいぞ……はぁ、“水霧よ”」
師匠が呪文を唱えると、彼女の指先から霧状の水が噴射される。
そして満遍なく巻かれた水の霧は、私の行く手を遮っていた見えない壁の存在をくっきりと映し出してくれた。
「うわー……空気の壁ってやつですか?」
「そうだよ、魔術制御の練習だ。 水、風、火、土、魔術師が司る四属性を意のままに操るために」
そう言いながらも歩き続ける師匠の周りには火の玉がぐるぐる回り、足元の土はボコボコ盛り上がり、振り撒かれた霧はまた師匠の指先に集まって水の球を作っている。
「何も無い牢獄じゃ他にやることも無くてね、習慣になっているんだよ。 寝る前にやっておかないと落ち着かなくてね」
「ほえー、すっごいですね! なんかこう、とってもキレイですごいです!!」
「語彙がないな、言っておくけど君もこれくらいは出来るように目指してもらうぞ」
「えっ、私がこれを!?」
「当たり前だ、僕の弟子を名乗るならな」
まるで息をするような気軽さだけど、師匠の技術はかなりの練習を積んだ先の姿だというのはなんとなくわかる。
私が同じレベルにたどり着けるまで何年かかるだろうか。 いや、その前に私は魔術が使えるんだろうか?
「……ところでモモ君、君は元の世界に帰る魔術を教えてほしいと言ったな」
「へっ? ああ、そんな事も言ったような……」
たしかロシュさんの勧誘を断る時に、勢いで師匠にそんな事を言った気もする。
だけど世界を超えるなんてとんでもない魔術がそう簡単に使えるとは思えない、我ながらすごい無茶な発言だった。
「残念ながら1000年前にそんな魔術は存在しない、渡来人が元の世界に帰ったなんて話も聞いた事がなかったな」
「じゃあ、もしかして私は帰れな……」
「結論を急ぐなよ、1000年前の話だ。 僕が知らない1000年間はまだ未確認だ、それに最悪―――君が作り出せばいいだろう」
「つ、つくる? 私が?」
師匠が振り返ると同時に、私を遮る壁が消えさる。
そして遮るものが無くなったことを確認すると、彼女は私の目の前まで歩み寄ってその細い人差し指を向けた。
「僕に君を手伝うほどの義理はない、だから君は勝手に盗めよ。 僕の技術、先人の知恵、1000年の空白、何もかもをだ。 そしてその先に待つ0にほぼ等しい可能性を手繰り寄せろ」
「……元の世界に帰る魔術という、可能性を?」
「そうだ、それが君の目的だ。 肝に銘じておけ」
……ああ、やっぱり師匠は優しいな。
言葉はトゲトゲしているし、なにかと冷たい態度を取るけど、どこかほんのり暖かいんだ。
こんな私を見捨てないでいてくれるのだから。
「おい、返事はどうした? 別にイヤなら今から逃げ出しても僕は一向にかまわないが」
「いえ、むしろやる気がどんどん湧いてきました! 大好きです師匠、一生ついて行きます!!」
「ぐえー!? おいコラ待て抱き着くな君は自分の力加減ってものを折れる折れる折れあぁ゛ー!?」
「し、師匠ぉー!?」
その日の夜、結局私は気絶した師匠をベッドに寝かせて自分は床で一夜を過ごしたのだった。




