転ばぬ先の杖 ④
「ぶ、ぶっとい注射が……デッカい注射で……血が5Lぐらい抜かれました……」
「安心しろ、それで生きてるなら検査をするまでもなく人間をやめている」
奥の検査室から生還してきたモモ君は、そのまま疲労困憊の体を床に投げ出す。
一瞬見えた物騒な検査機器の割には、肌の血色も悪くない。 何をされたのかは知らないが、そこまで変な真似はされてないはずだ。
「ワハハ! 悪い悪い、うちのもんもつい熱が入った! 検査が終わるまで少し時間をいただくが、この後予定は?」
「とくにないな、良ければ内部を見学しても? 同じ魔力を扱うものとして魔導に興味がある」
「別に構わんぞ、興味を持ってもらったなら魔導冥利に尽きる。 ザイフ、お2人を案内してくれ!」
「な、なんで俺が!? 勝手に見て回ってりゃいいだろ!」
「勝手に立ち入られると危ない部屋も多い、それにお前も研究が行き詰ってるところじゃろ。 ちょうどいい気分転換に歩いてこい!」
「……チッ、ああもうくそっ! 行けばいいんだろ行けば!」
アルニッタに呼ばれ、先ほどの青年……ザイフが駆け足でやってくる。
進捗がよろしくないとはいえ、自分の仕事を横から中断させられるのはいい気分ではないだろう。 その顔にはたしかな不満が見て取れた。
「申し訳ない、邪魔になるようなら断ってくれ。 僕らも適当に時間を潰すことにするよ」
「いや、いいよ……爺ちゃんの言う通りスランプ中だ、どうせ戻ったって仕事にならねえ」
「そ、そうなんですか……あの、どんな仕事か聞いても?」
「案内しながら話すよ。 こっちだ、ついてこい」
――――――――…………
――――……
――…
「……そもそも、魔導士ってのは魔力を扱う概念としては新参も新参だ。 魔術よりずっと歴史が浅い」
「師匠、そうなんですか?」
「初めに魔法ありき、そして次に魔術ありき。 歴史をたどるなら古いものから魔法、魔術、魔導の順になるだろうな」
「神の軌跡を人がお借りし、発現させるのが魔法。 その後、魔力の研究が進んで人の技術として扱えるようになったのが魔術だ。 爺ちゃんから教えてもらった」
石とも鉄とも違う不思議な床材が敷かれた廊下を歩きながら、青年が話を続ける。
彼が語るのは人が魔力を解明するまでの歴史。 魔術が生まれるまでの話は自分も知っているが、ここから先は完全に未知の領分だ。
「魔導は魔力によって人を導くもの。 選ばれた人間にしか扱えなかった技術を、広く浅く普及させるための学問なんだ」
「ほあー……魔術ってそんな難しいんですか? 私でも扱えましたけど」
「君も魔力量が少なくてほぼ満足に扱えていないだろ。 だが君以下の練度にしかならない人間はごまんといる、生まれた時から器のサイズが違うんだ」
「魔術を扱うために必要な魔力の保持量・放出量・制御技術だ。 制御はともかく、保持と放出は後天的に伸ばすのは難しい、だが魔導は違う」
青年は懐から小さな立方体を取り出し、その中央にある凸部を押し込む。
すると、途端に立方体は独りでに変形し始め、それは手のひらサイズのゴーレムへと姿を変えた。
『ギーゴー……』
「うわぁー! 可愛い!!」
「内蔵した魔石を燃料に動くゴーレムだ、まあ試作機だし3分も動けば燃料切れで止まっちまうけどな」
「なるほど、起動さえできれば誰が動かしても性能は変わらないか」
ゴーレムの作成は非常に手間だ。 性能は術者の腕に左右されるうえ、数を増やすほど術者の魔力消費もかさんでいく。
だが駆動する魔力を内蔵した魔石で賄えるなら、量産も夢ではない。
「まだ小さな魔石でしか動かせないが、そのうち人間大のゴーレムだって作れる。 そうなったら、危険な作業は全部ゴーレムに任せられる」
「それがザイフさんのお仕事なんですか?」
「いや、こいつは親父の受け売りだ。 何年か前に事故で死んじまったけどな」
「えっ……ご、ごめんなさい!」
「気にするなよ、もう昔の話だ。 俺の仕事はこっちのほうだ」
長い廊下の途中に建てられた扉に青年が触れると、虚空に3×3のマス目で区切られた1~9の数字が浮かび上がる。
そのまま慣れた手つきで数字を打ち込むと、閉ざされた扉が両脇にスライドして開かれた。
「不用心だな、客人の目の前で暗証番号を打ち込むとは」
「問題ねえ、番号だけがこの扉のカギじゃないからな。 入っていいぞ、危ないからそこら辺の機械には触るなよガキ」
「はっ? ガキじゃないが???」
「師匠、どうどう」
モモ君になだめられながら足を踏み入れた部屋は、無機質な清潔感がある廊下から一変し、雑多なガラクタが散らばる小汚い研究室だった。
床には組み立てかけたゴーレムの部品や思い付きを綴ったメモが散乱している、入っていいとは言われたがこれじゃ足の踏み場もない。
「……魔導学の良いところは、なにも才のない人間が魔力に触れることだけじゃない。 一番の魅力はその拡張性にある」
「と、いいますと?」
「魔動機の性能を上げれば、今まで人が届かなかったところまで手が届く。 たとえそれがこの星の彼方でもな」
青年は器用に足元の障害物を避けながら、部屋に奥にある白い布で隠されたものに向けて歩く。
布をめくりあげると、その下から出てきたのは、青年の身長よりも大きい筒状の物体に三脚を生やした魔動機だった。
「……望遠鏡だ」
「なんだ、知ってるのかよ。 こいつが俺の仕事だよ、いつか星の外まで手を伸ばすためのな!」




