ほしのおうじさま ①
「1000年か、無駄に生きてしまったものだな」
かび臭い湿気に満ちた石畳の通路をふらつく足取りで歩む。
長すぎた牢獄生活でとうに歩行など忘れてしまったと思ったが、存外人間の頭は覚えが良いようだ。
ただ、それでも両手を鎖で拘束されたこの格好では非常に歩きにくいのだが。
「なあ、ここまで来たのなら逃げやしないさ。 この邪魔な拘束を外せやしないか? それと髪も切りたい、伸び放題で非常に鬱陶しい」
『……黙って歩け』
真っ当なこちらの要求に対し、自分の前を歩く男から返って来たのはくぐもった不機嫌な声だった。
自分の倍はありそうな細長い背丈、全身をすっぽり覆う黒づくめの衣装、そして表情を隠す嘴が付属した不気味なマスク。
自己の個性を徹底的に塗りつぶしたような“これ”こそが、陰気臭い監獄の主であり自分の釈放手続きを担当する男だ。
「許してくれよ、久方ぶりの外なんだ、多少なりとも饒舌になるさ。 それにこんな呪詛まみれの鎖で縛られてちゃ歩きにくいにもほどがある」
『………………』
“話しかけるな”という雰囲気を放つ背中に気にせず会話を続けるが、投げた言葉のボールは返ってこない。
代わりとばかりに彼が指先で虚空に印を刻むと、通路上に等間隔で設置された松明が一斉に灯された。
なんということだろう、暗くて足元がおぼつかない苔むした通路が炎揺らめく照明によってとても歩きやすくなるわけないじゃないか肝心の鎖が解かれていないのだから。
「……お心遣いまことに痛み入るよ」
噛みつきたくなる気持ちを喉の奥に飲み込み、心にもない礼を述べる。 どうせ口にしたところで改善はされない。
それよりも今の短い仕草だけで並ぶ松明全てに火を灯す技量、中々筋のいい「魔術」だ。
――――魔術。 そう、魔術だ。 ああそうだ、外の世界には魔術がある。
「僕の居ぬ間にどれだけの進歩があったのだろうな、この世界には」
『……さあな』
珍しく返事を返したと思えば、黒づくめの彼は通路の真ん中で立ち止まり、まるでそこに壁でもあるかのように目の前の空間へ掌を向ける。
いや、自分に見えないだけで実際そこに“ある”のだろう。 微かにだが隙間から漏れる魔力の流れを感じ取れる。
『1000年の刑期、よくぞ果たした。 己が罪を懺悔し、我らが神が見守る懐へと帰るが良い』
「神様ねえ……」
見送る時にお決まりの定型文が決まっているのか、心のこもっていない見送りを告げて彼が虚空に指を掛ける。
白く縁どられた空間が次第に開き、その奥から冷たい風とまばゆい光が流れ込んできた。
牢獄の暗闇に馴染んだ瞳には痛いくらいの明るさに扉の先を直視することができない。
『……どうした、早く行け』
「急かすなよ、こちとら感動を噛み締めている所なんだ」
風を受けて暴れる髪の抵抗を受けながら、一歩ずつ扉へ近づく。
強風、いや暴風だ。 それに肌に触れる空気は凍えるほどに冷たい、一体どこへ放逐されるのか。
少しずつ光に慣れて来た瞳をゆっくりと開くが……扉の先に待っていたのはまったくもって予想外の景色だった。
「…………待て、なんだこれは」
『早く行け』
「行けじゃないんだよ、僕に死ねと?」
完全に開け放たれた扉の先には、大地など欠片も見えない。
あるのは手が届きそうなほどに輝く星々と、眼下に広がる無数の雲ばかりだ。
「地表が見えないじゃないか、高度何mあるんだ。 人間が落ちて助かる高さじゃないんだぞ」
『早く行け』
「いや、だからお前……」
しかしこちらの抗議を聞き受ける気は毛頭ないらしく、黒づくめの男は一切譲らない。
いつの間には一本道の退路は馬鹿みたいにデカい胴体で封鎖されており、進む道は目の前の大空だけだ。
『早く行け』
「おい待て話を聞け耳と脳髄にカビでも詰まったか? こんな理不尽を押し付けられてはいそうですかと言えるほどおい待て押すな落ちる落ちる落ちああぁ゛ー!!?」
必死の交渉を試みるが、初めから聞く耳のない奴にいくら唱えたところで無駄でしかない。
卑怯にも体格差を活用して出口へと押しやられ、最後にはこの小さな体は遥か彼方の空へ蹴り落とされてしまった。
『二度と来るな』
「クソッ、もっと丁重に扱え!!」
星空を不自然に切り取ったような扉の向こうで、こちらを見下ろす看守を睨みつける。
雲の中へと墜ちるまでのわずか数瞬だったが、その姿はしっかりとこの目に焼き付けた。
「……覚えておくぞ、だから覚えておけよ。 この借りはいつか必ず返すからな……!」
地表まで何mかも分からぬ墜落の中、胸に燃える炎を灯りに呪いの言葉を吐き捨てた。
――――――――…………
――――……
――…
「さ、さささささささ寒いぃ!!」
一面雪、雪、雪、膝まで届きそうなほど積もった雪。 だけど空からはまだまだ足りないと言いたげに降る雪。 というか吹雪。
ぐしょぐしょになったローファーで積もった雪をかき分けながら、私は通学かばんを抱きしめて必死に歩き回っていた。
どこに行けばいいのかも分からない、そもそもここがどこなのかも分からない、さっきからずっと頭がすごいいっぱい混乱してる。
「どどどどどどうししししてぇ……!? さ、さささっきまで駅に居たのに……!」
凍ってしまいそうな指で必死に操作するスマホは電波を全然拾ってくれない、地図アプリも役立たずだ。
駅のホームでいつもの通学電車を待っていたところまでは覚えている、なのになんで私はこんな南極? 北極? みたいな場所にいるのだろう。
「だ、誰かー!! 誰かいませんかー!! 助けてくださーい!!!」
吹雪に向かって叫んでも返事なんてあるわけがない、人影も声も全部雪に阻まれているんだ。
制服の上に羽織ったカーディガンなんてほとんど意味もない、段々手足の感覚も無くなってきた。
「も、もう駄目だぁ……! 何でこんなことにぃ……!」
いよいよ足がもつれて雪の上にボスっと倒れ込む、起き上がる気力も残っていない。
こんなことなら冷蔵庫のケーキ、取っておかずに食べてしまえばよかった。
「うぅぅ……お母さん、お父さん……おじいちゃんおばあちゃん……先立つ不孝をお許しくださ――――」
――――――ドゴオオォ!!!
いよいよ凍死も覚悟したその瞬間、ものすごい音を立てて私の目の前に何かが落ちて来た。
「ぶわぁー!? ぺっぺっ! なに、今度はなに!?」
「ああ、すまない。 こんなところに人がいるとは思わなかった」
衝撃で吹っ飛んだ雪が私の上に覆いかぶさり、びっくりして眠りかけていた意識が現実に戻される。
そして口に入った雪を吐き出している私に話しかけて来たのは、どこか大人びた雰囲気の女の子だった。
「不格好ながら着地は成功か……やはり1000年のブランクは痛いな。 しかしあの看守め、僕じゃなかったら間違いなく死んでいたぞ」
謝ったきり私の事を気にもせずに、女の子は一人でよく分からない恨み言をブツブツ呟いている。
長いまつげに二重まぶた、整った顔立ちと陶器のような白い肌はまるでお人形さんみたいで、背丈の倍はある白銀の髪の毛は雪との境が分からなくなるほどにキレイだ。
両腕の袖を縫い付けたような変な服と、そのうえに巻かれた頑丈そうな鎖さえ気にしなければ、ファッション雑誌の表紙を飾ってもおかしくない逸材だ。
「そこの君、ここがどこだか分かるかな?」
「……へっ? あ、えっ? そ、そうだぁ! 私迷子だったんだ、ささささ寒いぃ!!」
「なんだ騒がしい子だな、しかも現地民じゃないのか。 なら用事はない、邪魔をしたな」
「ああいえいえ、別に急ぐ旅じゃないですから……って違う違う、ちょっと待って!」
「本当騒がしいなあ君は」
この吹雪の中を一人で行こうとする女の子の肩を掴み、引き留める。
彼女の服装は私よりも薄着、そのうえグルグル巻きの鎖はいかにも重そうだ。
手荷物だって一切ない、とてもじゃないが生き残れるような装備には見えなかった。
「お、おおおお嬢ちゃん、迷子になったの!? わたわたわたたた私でよければ一緒にお母さん探そうか!?」
「どう見ても他人の心配をしている場合じゃないと思うが? ……はぁ、“灯せ、火の導”」
「ふぇっ?」
彼女が何かを唱え、指を鳴らした途端、私達の間に小さな火の玉がポンっと現れた。
ピンポン玉ぐらいのサイズ、それでも体の芯にじんわりと染みる温もりを感じる。 まるで暖炉に当たっているような優しい熱だ。
「略式詠唱で失礼、だが一時的な暖としては十分なはずだ」
「えっ? えっ? えっ? なにこれ、火の玉? ま、マジック?」
目の前に現れた火の玉は、糸で吊るしているわけでもなく、いくら風に揉まれても消える気配がない。
タネも仕掛けも分からない、とても不思議な炎は――――まるで“魔法”のような……
「……あ、あなたは一体?」
「ライカ・ガラクーチカ、こう見えても魔術士だ。 どうせ短い付き合いだから覚えなくて構わない」
「うぃざーど……?」
魔法、それはおとぎ話の存在なんてことは私でもわかる。
でも実際に浮かぶ火の玉はあまりにも幻想的で、雪の中でも温かく感じる熱はどう考えても説明ができなくて。
だから、きっと“この世界”と“私が居た世界”は違くて……
「さて、こちらも名乗ったんだ。 一応君の名前ぐらいは聞いておこうか」
「わたし、は……」
これが私、百瀬かぐやと師匠の出会い。
そしてお別れを告げるまでの話の始まりだった。