061 付け焼刃の必然
『新手よ!また前方左右に一人づつ!!』
サナの注意喚起にカナタが前方を注視する中、考察に没頭していたオミは、頭を振って意識を現実へと引き戻した。
(通常、戦力の逐次投入は下策。けど、この戦いは普通じゃない。逃げるだけの敵がたった一人。複数で囲んでも流れ弾が味方に向かう以上は、確かに最適だと思う。となると目的は…)
すぐさま敵の意図のトレースに集中したオミは、カナタの現状へと意識を向ける。
『カナタ!スタミナは!?』
「大分っ、消耗した!冷や汗が、止まらねぇっ!思ったより効くぜ…っ!終わりが、見えねぇってのは…っ!」
『…っ!』
精神的な揺さぶりと、戦闘の長時間化による消耗。それが敵の狙いかと、オミは一瞬考える。
しかし、警戒網に引っ掛かってから敵が動き出すまでの時間を鑑みると、そこまで多くの伏兵が居るとは考え難い。正直、このあたりで打ち止めの筈だ。
そして、これまで現れた敵は、カナタが真っ直ぐにしか進めないよう配置されている。
となれば必然。
『この先に何か…』
『10時方向、肩!!』
オミの考察が完了する前に、第4波の攻勢が始まった。こちらも、足を止めてしっかりと狙い撃ってきている。カナタはその警告に、体をこれまで以上に前傾させた。直後、背中の上を銃弾が通り過ぎる。
『3時方向、腰!』
姿勢だけではどうにもならない着弾予想に、カナタは踏み込んだ左足を突っ張ることで急減速。くの字になった全身が接地点を中心にゆるりと円運動を描き、直後に弾丸が腰の前を通過する。それを確認したカナタは痛める前に左膝を曲げ、重心を落としながら急加速。またも最低限の減速による回避を実現して見せた。
オミの懸念を余所に、カナタとサナのコンビは悠々と第4波の銃撃も躱し切る。都合10人の、見覚えのある敵を全て振り切ったのだ。
「クソがっ!本当に人間かコイツっ!!」
「ダメだ!足を止めたところで当たる気がしねぇ!!追うぞ!!」
早々に射撃を諦めたヤクザが、たまらず悪態をついて走り出す。銃を向けてきた10人。その全てが、得体の知れないムササビの能力に、驚愕を通り越して悪寒すら覚えていた。
それも当然。何せ、ここまでカナタは、一切射手へと顔を向けていないのだ。ヤクザたちは、カナタの頭部に取り付けられたカメラの存在を知らない。それを覗き見る規格外の目の存在を知らないのだ。
故に、こうも完璧に躱され続けたヤクザ達は、ムササビのあまりの得体の知れなさに戦慄を禁じえなかった。
そんなヤクザたちの焦燥を知りようもないオミは、改めて現状を省みる。
ここまで出てきた敵は、カナタが単身で一度撮影をしている人物ばかりだ。出てきていないのは指揮官の大男のみ。となると、これで本当に打ち止めの可能性は高い。罠の存在を考えていたオミは、それが杞憂である事を願って、真っ直ぐ突き進むカナタに向けて口を開いた。
『このまま風俗街を離脱してカナタ。いったん出直して、次の策を立てよう』
「了解だっ…!」
そのやり取りを機に、カナタは左後ろ腰から酸素缶を取り出した。それを握ったまま屋上を一つ渡り、着地と同時に口元へと持って行くとマスクの下に差し込んだ。そのまま2秒ほど、酸素を補給する。
凄まじい勢いで楽になる呼吸に装備の有難さを噛み締めながら、カナタは缶をホルスターへと戻した。
進行方向には道路。右斜め前が交差点だ。道路幅を見て渡れると判断したカナタは、歩幅調整のため僅かに速度を緩めた。
瞬間。
「 いらっしゃーい 」
骨伝導による通信ではない。生で聞こえたその声に、カナタの肌が粟立った。思わず発信源と思しき右方向へと、視線が流れる。
5mほどの道路を挟んだ向かいのビル。その屋上にある、分電ボックスや排気ダクト等が集合した構造物群。その影に、金髪白スーツの優男が居た。
両手で銃を握り、左肩を少し前へ。足は肩幅で前後に開き、重心は僅かに前傾。右腕を伸ばし左肘を軽く曲げた、俗にウィーバースタンスと呼ばれる射撃姿勢だ。これまでのヤクザと比にならないほど堂に入った構え。明らかに銃を撃つことに慣れていた。
微動だにしない銃口を、カナタは真横から覗き込む。
その角度から、照準が自身の進路の僅か先を向いていると見抜いたカナタは。
サナの指示を待たず、左を前に半身になって急制動をかけ、左腕で顔を覆った。
瞬間、4発の発砲音と共に、カナタの前方で連続してコンクリートの破片が舞い散る。
『カナタ!?』
そのカナタの挙動に、最も面食らったのはサナだった。
それもその筈。サイドモニタに映った瞬間、サナもこの敵には気づいていた。そのタイミングは当然、カナタより数瞬は早い。
しかしサナは、気づいた上で警告をしなかったのだ。
確かに、これまでに比べれば、サナが敵に気付くのも非常に遅かった。だが、如何に神がかった眼でも、サナのそれは決して超能力ではない。全く視界に映らない人間までは感知できないのだ。完全に建物の陰に隠れていたこの男をサナが視界に捉えたのは、敵がカナタを視認したのと同時だった。
それでも、この男の視線の質、銃口の向き、そのブレのあまりの少なさは即座に見抜いていた。そして、それらを統合したサナは、当たらないし、当てる気もないと、カナタが敵を認識する前には判断を終えていたのだ。事実、この新手は、声をかけて自身の存在を主張することで、カナタに警戒を促している。その行動からは、ムササビが予想外の動きをして不意に当たってしまわないようにという意図が透けて見えていた。
目的は恐らく進路妨害。ならば下手に意識を割くよりも駆け抜けた方が都合が良いと考え、サナは敢えて伝えなかったのだ。これまでも、当たらないと確信した弾はカナタに伝えていない。故に、特段ミスと呼べるような判断ではなかった。
それが裏目となったのは、敵自らによる注意喚起という、不合理な行動によるものだった。サナの声より先に敵の声が聞こえたことで、カナタの集中を乱されたのだ。
無視を促す指示でもあれば、また結果は違っただろう。だが、こんなものを見抜けるのはサナだけだ。唐突に始まった連携で、言葉も交わさず、そんな情報を共有できるはずもない。故にカナタは、連続する弾着の中に飛び込めず、その足を完全に止めてしまった。
顔を覆った腕を僅かに下ろし、恐怖に歯の根を震わせながら、改めて敵を見る。
棚引くサラサラの金髪と、その隙間から覗く垂れがちの目。白スーツの下には黒いカッターシャツが覗き、胸元の銀に輝くネクタイと耳元の黒光りするピアスが、その存在を主張している。
カナタの短い人生では、未だ見たことがない程にチャラかった。どう見てもホストの類だ。
しかし、その所作の滑らかさと、全身から漂う圧は、ただのホストでは有り得ない。
隙の無い佇まいから感じた、全身を刺し穿つ強者の気配に。
カナタの心が、早く逃げろと悲鳴を上げた。




