060 三位一体の忍者
『左に避けて!!』
「っぁ!!」
サナの声に従い、カナタはノータイムで左へと一歩ズレた。カナタの残影を鉛玉が穿つ。
直後に迫る膝丈の四角いブロック。支柱の上端に当たるそれを、軽やかに躱す。ほとんどブレない映像から、頭の位置を安定させるだけの余裕があることが伺えた。
『減速!上半身を起こして!!』
「ぅいっ!!」
僅かにブレーキを踏み、前傾だった上体を立てる。瞬間、カナタの目の前を弾丸が通り過ぎた。
感じる風圧に背筋が凍る。竦みあがる体に喝を入れ、重心を前へ。すぐさまトップスピードへと戻った。間を置かず、ビルの端に至る。
『右斜めに飛んで!狙われてる!!』
「ふっ!!」
隣のビルへ渡るための踏み切り。それを右前方へと進路を調整した。空に弧を描くカナタの左を、銃弾が追い越していく。
唐突な方向転換にもかかわらず、着地に何ら不備はない。一瞬の停滞も無く、カナタはすぐさま駆け出した。
既に幾度と繰り返されたカナタとサナの連携。
その常軌を逸した回避能力に、オミは鳥肌が止まらなかった。
人間の反射神経は0.1秒がせいぜいだ。いくらカナタとて、人体の限界は越えられない。その上、指示を伝えるための時間も必要になるのだ。諸々含めると、サナは1秒以上の余裕をもって敵の動きを見切る必要がある。
それはもはや、未来予知の域だった。
確かに、銃口の向きと体の微細な挙動から射線を予測することは、カナタにもできる。その精度もサナに負けず劣らずだろう。しかし、視覚から得る情報はそれだけではない。仕草や視線、その根拠となる意図を読み取るスキルが、サナは次元違いだった。そしてそれを、サナは視界に映る全てに対して満遍なく発揮できる。そこにカメラによる監視を含めれば、比喩でも何でもなく360度全てが看破圏内なのだ。
超能力染みたその予測を、サナは幾度も繰り返す。敵の視線、銃口の向き、体の動きから想定されるブレ。モニタに映された映像から得られる情報全てを加味し、射線を完璧に言い当て続けるのだ。仔細逃さない危機感知への集中力は、既に常軌を逸していると言っても過言ではなかった。
一方で、その指示に不足なく応えるカナタもまた尋常ではない。射撃の見極めを全面的にサナへと預けたカナタは、すぐさまその身体能力を発揮。意識を前へ集中させた途端、目に見えて逃走速度が上がっていた。初期から追っていた4人を早々に射程外へと置き去りにし、後詰で現れた2人も既にカナタの後塵を拝している。
『前方左右に一人づつ!新手よ!!』
「…っ!!」
都合6人を全て引き剥がせるというタイミングで、拳銃のお替わりがやってきた。早々に飛び出してきたためか、今度はカナタもその姿を視認する。足を止めて両サイドから狙い撃ってくる二人に、カナタは左へステップを踏もうとした。
瞬間。
『右に避けて!!!』
「んぅっ!?」
聞こえたサナの指示に、一歩反応が遅れた。どうにか重心を傾け、無理矢理進路を変更。体を半分ほど右へスライドさせた直後に、後ろから放たれた銃弾が左脇を掠める。同時、斜め前方からも発砲音が響き、カナタの僅か左後方に弾痕が刻まれた。
カナタの全身が総毛立ち、背中で汗が噴き出る。
いくら順調に見えても、それはあくまで客観的なもの。当のカナタからすれば、紙一重の攻防に変わりはない。どれほど神がかった連携を見せようと、カナタとサナはあくまで別の人間。カナタの肉体に指示を出す脳が二つあるような状態なのだ。同時に別の指示が下れば反発は必至。カナタの処理容量は、変わらず一杯一杯だった。
「悪いサナ!方向と当たる部位だけ言ってくれ!モーション中に避け方を指定されると混乱する!!」
『え!?わ、分かった!!』
カナタの要望に応じたサナが気合を入れ直した直後、すぐさま次の銃撃を察知。
全速前進するカナタに対し、新手は参戦直後から足を止めたまま両手で銃を構えていた。その姿がアイカメラから消え、サイドカメラへと移る。スタンディングで両手にしっかりと固定された銃口が、カナタの脚を向いていた。
『左ちょっと斜め前!脚に当たるわ!!』
「あれ!?なんか分かりにくっとぁ!!」
『カナタ!?』
辛うじて飛び上がったカナタが膝を抱え込み、その下を銃弾が通り過ぎていった。足裏を150cmほどの位置まで引き上げたムササビの跳躍力に、ヤクザが頬を引き攣らせて戦慄する。
一方で、背筋が凍ったのはカナタもまた同じだった。着地こそ危なげなかったものの、回避のタイミングはまたも紙一重。即座にトップスピードへと戻したが、カナタの心臓は恐怖で跳ねまわっている。
そのやり取りを聞いていたオミがカナタの心境を察し、すぐさま一つの案を閃いた。
『姉ちゃん!方向を時計になぞらえて!カナタ分かる!?』
「3時が右、9時が左な!いいぜそれ!分かりやすい!!」
『やってみるわ!あ、分は要る?』
「いらねーよ!?細か過ぎんだろ!!」
息を切らせたカナタが脳内に12等分された円を描き、意図を察したサナが無用な生真面目を発揮した。しかし、提案された伝達方法は、2人ともきちんと理解している。
すぐさま対応したサナは、それを十全に活用した。
『4時方向、脚!!』
簡潔でシンプルな指示。それを受けたカナタは、脳内の円に4時から10時へと貫通する一本の線を引いた。
瞬間。カナタは前へと振り上げた左足を踏み込む前に、踏み切った筈の右足を屋上の底面へと打ち付ける。このワンモーションによって、ほんの僅かなブレーキと共に進路が屈折。射線上から外れるように、等速前進する円の中心から8時方向へと半身ほどスライドした。
次いで、先につける筈だった左足をつけた瞬間、少し前のコンクリートを銃弾が穿つ。そして着弾とほぼ同時、カナタの進路と速度が自然に元へと戻った。
『…へ?』
その一連の挙動の結果、アイカメラの映像が前触れなく真横にズレた。速度のロスを最小に抑えた、あまりにも効率的過ぎる回避行動。カメラ越しにカナタの視界を見ていたオミは、何が起きたのか理解できずに呆けた声を上げる。
オミが肌を粟立たせた先ほどまでの動きとて、何かしらの予備動作はあった。だが、今の動きにはそれがない。本当に突然、視界が横にスライドしたのだ。常人の理解が全く及ばない、異常なまでの身体技術だった。
しかし、カナタにとっては、より無理のない動きだったのだろう。先ほどまで回避の度に聞こえていた呼気が全く漏れなかった。即ち、気合を入れる必要すらない、手慣れた機動と言うことだ。
『7時方向、足元!!』
次の指示に、弾道が低いことを悟るや否や、何も無い空をハードルの要領で足を上げて、滞空時間を伸ばした。その斜め下を、弾丸が抉る。
あまりに的確な回避挙動の選択に、新手は早々に置き去りになった。なまじ足を止めてしっかりと狙い撃っていた分、追走のスタートも遅れている。これまでの苦労が嘘のように、減速と消耗を最小に抑えたまま、敵2人を射程外へとぶっちぎったのだ。そしてそれは、接敵時間の短縮も意味し、伴って被射撃数も減っている。
あまりにも急激な変化。少し考えたオミは、すぐにその要因を悟った。
確かに、射線を看破する能力はサナの方が1、2枚上手だ。その能力の由来を知るオミから見ても規格外としか言いようがないほどに、サナの読みの精度と視野の広さは隔絶している。
だがその後、導き出された射線から身を躱す技術は、カナタの方が圧倒的に上なのだ。今現在の態勢の把握。最適な位置へ最速で移動する運足。効率よく弾道を外れる姿勢の選択。その引き出しの多さと身体操作の精密さは、常軌を逸している。
何より、イメージ通りの動作を銃弾相手に躊躇いなく実行できる精神力が、どう考えても尋常ではなかった。
(理屈は分かる…!分かるけどさ…っ!!)
伝達手段一つでこうまで変わるものなのか、と。体の芯から湧き上がる畏怖に、堪らず全身を震わせる。
ひとしきり結論に至ったオミは、口角が上がるのを抑えられなかった。




