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忍者ムササビ ~ 家出少年は早くおうちに帰りたい ~  作者: 岡崎市の担当T
第一章 蜘蛛の糸
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006 散々な日

「…クソが!なんなんだアイツは…!?」


 モリタは事務所で一人、地図を見ながら悪態をついていた。

 一刻も早く捕えなければならないが、奴の正体も目的も、皆目見当がつかない。見た目も行動も、掴みどころが無さすぎる。


「そのシマのシノギ、枝はどこだ!?チンピラで構わねぇ!駆り出せ!!」

 

 モリタは屋上を走っていたチームにむけて、無線で怒声を浴びせた。

 “シマ”とは縄張り、“シノギ”とは商売、“枝”とは下部組織。意訳すれば“道路向こうのエリアで金稼ぎを仕切らせている組織から人手を出させろ”ということだ。

 その指示を受けた6人は、降りられる場所を探しながら方々へと電話をかけ始めた。


――数がいなければ話にならない。


 黒づくめを目の当たりにした全員が、そう思った。

 こちらの拠点へ単身出向かれ、挑発され、翻弄ほんろうされた。完全に遊ばれている。奴のふざけた振る舞いに、腸が煮えくり返ると同時に戦慄せんりつが走っていた。

 アレは異常だ。機動力が人間業ではない。包囲して全ての逃げ道を塞ぐ以外に手が思いつかなかった。それも、無傷で25mの高さを降下したことを考えれば、平面だけでなく下方向の逃げ道も考えなければならない。


 そんな状況は、いくらヤクザでも経験がなかった。


『駄目だ!追いきれねぇ!!』

『離されてる!見失うぞ!!』

『枝はどうした!?何人か先回りさせられねぇのか!?』


 地上を追っている3人からも無線が入る。それは報告というより、むしろ悲鳴に近かった。


『今どこだ!?』

『2丁目の花屋街だ!!』


 花屋と言っても、そのままの意味ではない。彼らにとってそれは“風俗店”のことを指す。ヤクザのシノギの多くを占める業種だ。そして、時刻はそろそろ開店準備に差し掛かる頃合いでもある。

 即ち、人は居るという事だ。


 いくつか連絡が通じ、すぐに若い衆が何人か店を飛び出した。









 裏街故に雑多というほどではないが、それでもチラホラと人はいる。その隙間を縫うように、カナタは駆けていた。

 健康な男子中学生としては心惹かれる看板も多いが、そこからヤンキーみたいなチンピラが飛び出してくるとなると話は別だ。そのまま周りを見渡したかと思うと、自分を見つけた途端に罵声を上げて追いかけてくる始末。

 ただの男子中学生としては、既にトラウマものの恐怖だった。

 

「何…っ、人…っ、増えるんだよ…っ!!」


 カナタは“考えが甘かった”と、そう悟っていた。

 敵の規模もさることながら、問題は追ってくる敵だけではないことに気付いたからだ。


「…っ!!」

「うわっ!」


 角を曲がり、目の前に現れたサラリーマン風の男性に悲鳴を上げそうになる。その向こうに見えた中年の男女二人組もこちらを見ている。さらにその先、酒を煽って騒いでいる若い男が4人。カナタはその全ての前を、怯え、警戒しながら走り抜けた。


 疑心暗鬼ぎしんあんき。今最もカナタを苛んでいるモノの名だ。


 カナタには、誰が敵か正確な判断ができない。ならば、見かける大人全てを“敵かもしれない”と考えてしまうのは必然だった。現状、人が居るたび、カナタは凄まじい緊張を強いられている。

 そしてそれは、体力の消費に直結しているのだ。


「マズイ…っ、もたない…っ!」


 普段のカナタなら、まだ大した距離ではない。もう10km走っても余裕があるだろう。複数人に追いかけられる鬼ごっこも経験はある。だがそれも、誰が鬼か分かっている状況での話だ。


 誰が鬼か分からない。

 何人いるかもわからない。


 追ってくる人間はできれば録画したい。しかし、そんな余裕は無い。絶望に塗りつぶされそうな心を繋ぎ止めるのに、ただただ必死だった。

 まずは人の居ないところを探さねばならない。消耗を避ける意味でも、目撃情報を減らす意味でも、無人の空間は必須だったのだ。


 酸欠になりかけの頭を振って、後ろを見た。20人くらいの集団に膨れていたが、大分引き離せている。

 カメラには収められていないだろうが、事務所にいた11人以外に先頭4人の顔も覚えた。

 日は沈みかけ、既に一帯は仄暗ほのぐらくなっている。人気のない方を目指して進んだ甲斐もあり、今なら他の人影はない。



 

――もう無理だ。撒こう。




 そう考えて、カナタはセーブしていたペースを限界まで引き上げた。









「…は?」

「おい、あのやろう…っ!」

「まさか…!?」


 驚いたのは、最初から追っていた3人。黒づくめがペースを上げたことに気付いて、愕然がくぜんとした。この3人とて体力はある方だと自負していた。それでも見失わないよう付いて行くので精一杯だったのだ。


――あの速さで建物の隙間を縫われたら、付いていけない…!


 急激な諦念が、彼らを支配する。


 長距離走において、体力を消費するペースチェンジは愚策。より遠くへ、より効率よく走るなら、一定の速さを維持するのが常道だ。

 しかし、それがレースとなると全く無い手段ではない。


“力の差を見せつけ、敵の心を折る”


 同道する競争相手がいる場合に限るが、“蹴落とす”という一点においては非常に効果的だ。

 そして折られた心は、蓄積した疲労を何倍にも増幅させる。


「…く…っそ…がぁ…っ」

「ぜ…っ、ぜぇ…、あの…っ、野郎…っ」

「馬鹿に…っ、しやがって…!!」


 ビルに囲まれた暗い十字路。右を見ても左を見ても、奴の姿はない。足音も聞こえず、どこへ行ったか見当もつかなかった。日も暮れかけており、これ以上の追跡は確実に徒労。

 


 腹立たしい“黒“を見失った裏社会の集団は、荒い息をついて完全に足を止めたのだった。









 日が落ちた、ひなびたビル街。所々にネオンや街灯はあるが、一歩裏路地に入れば足元が見えるような環境ではない。

 その闇に溶け込むように、カナタは地に伏していた。ビルとビルの隙間。コンクリートの壁と

地面の境目に、背中を押し込むようにして小さく横向きに転がっている。全く治まらない荒い息使いは、換気扇の音で隠していた。

 時刻は19時過ぎ。東京についてから、10時間も経っていない。たったそれだけの時間で、カナタは既に披露困憊だった。


「委員長…っ、のヤツ…っ、適当、ぶっこきやがったな…っ」


 荒い呼吸の合間で、愚痴が零れる。それは、クラスメイトの学級委員長にしてカナタも所属する陸上部の部長でもある親友に対してのものだった。

 その彼が大会2週間前、自分に向けて必ず禁止を言い渡す、ある行為がある。



 そう、オ〇ニーだ。



 カナタは、息も絶え絶えに呟いた。


「オナ禁が…っ、スタミナに、効くとか…っ、どこがだよ…っ!」


 2週間も我慢したんだぞ、と締めくくったカナタ。そう言うレベルの問題ではない。


 ただ、そうは言いつつも、早すぎる消耗の原因は、カナタも思い至っている。環境と精神状態が悪すぎた、と。この悪態は、本当にただの愚痴でしかなかったのだ。

 くそったれ、と、カナタは顔を上げた。

 気が晴れたわけではないが、それでも優先すべきことはある。ようやく息が整ってきたカナタは、体を起こし壁に背を預けて座り直した。そのまま、早々に集めた情報の整理を開始する。


 まずは敵の拠点。後をつけて辿り着いた時に、スマホのGPSで位置は確認できた。日中に再度赴くことも可能だ。あそこだけという事はないだろうが、銃取引を実施していた連中があの界隈かいわいで活動しているのは間違いない。

 次いで規模。逃走中に次々といろんなビルから敵が出てきて追手に加わっていた。今日通ったルートだけで15人以上は湧いている。これが本当に厄介だった。追跡しながら急遽きゅうきょこれだけの人数を進路上に集められる。それだけ組織の根は広いという事だ。


「…最悪だ…」


 カナタは頭を抱えた。

 取引の時、警察とヤクザのやり取りは聞こえていた。内容を鑑みるに継続的な付き合いがあることが伺える。家宅捜索の回数にも言及していたことから、相当密接な関係にあるのだろう。ともすれば、ヤクザが他組織の情報を警察に流して捕まえさせていることも有り得るのだ。

 そのアドバンテージがあって、小規模に収まっているわけがない。巣をちょっと小突いただけであちこちから敵が湧いて出たのがその証拠だ。上限が想像できない。


 何とかしなければ、本当に一家揃ってほうむられる。その可能性がより濃厚になった。警察側の規模をどう測るべきか算段はついていないが、このまま逃げ帰るというのはできそうにない。


「後は、顔のバレ具合、か…」


 明日以降、街中で奴らを探し、顔を見せてみる。リスクは高いが他に方法がない。上手く行けば変装と素顔、二つの顔を使い分けられる。出来ることは増えるだろう。

 そう考えながら、カナタは腰のポーチからナップサックを、次いでそのナップサックから着替えを取り出した。最初に着ていたGパンにTシャツだ。変装スタイルでこれ以上街を歩くわけにはいかない。出歩くなら着替えてからだ。

 汗だくの変装服を脱いで強く絞り、それをそのままタオル代わりにして軽く体を拭く。取り出した着替えをまとい、変わりに変装服とポーチをナップサックにしまい込んだ。

これで、外観的には変装スタイルとの共通点はない。

 一通り準備を終え、まずは飲み物を買おうと、1枚だけ忍ばせた500円玉をポケットから取り出した。


 その時、同時にポケットから何かが落ちた。チャリン、と。金属特有の音を奏でる。

 それは鍵だった。だが家の鍵ではない。馴染みのない、小さめの鍵。拾い上げてまじまじと眺めたカナタは、何の鍵か気づき、眉間にしわを寄せて冷や汗を流した。

 割と大事なカギだった。何せコレが無ければ、財布もその他着替えも、宝物のメインシューズも、家から持ってきた荷物も、姉から渡された滞在費用20万円も。その一切が使えないからだ。


 問題は、この鍵があっても使えない現状にこそある。

 路地裏の暗がりでしゃがみ込み、頭を抱えながら、カナタはボソッと、その現状を口にした。




「…ロッカー、どこだっけ…?」




 まごう事なきアホだった。

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