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忍者ムササビ ~ 家出少年は早くおうちに帰りたい ~  作者: 岡崎市の担当T
第三章 忍者ムササビ
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059 想定外

『様子が変わった!来るわよ!カナタ!!』

「っ!」


 敵の動きに、最初に気付いたのはサナだった。その声を受けたカナタは、弾かれたように振り返り、全力でスタートを切る。直後、奴らの拠点から、ドアを蹴飛ばすようにしてヤクザが二人飛び出した。

 超能力じみたサナのサポートに、マスクの下でカナタの頬が無意識に引きつる。


「マジで来やがった…!どうなってんだよ、お前の目は…!」


 何が見えているのか見当もつかないサナの能力に、思わず感嘆が口をついて出る。その上、左右の敵も、サナの言と寸分違わぬ場所から時間差で姿を現したのだ。

 サイドモニタ越しにそれを見ながら、想定もしていなかったサナの支援精度に、カナタは冷や汗を流していた。


「貧乳よりその目の方がよっぽど規格外じゃねーか!」

『規格外な貧乳って何よ!?』

『後にしてってば!あと、カナタはそれ言う資格無いよ!』

「サナほど貧乳じゃねぇぞ!?」

『なんで貧乳の方だと思ったのさ!?』

『貧乳貧乳うるさい馬鹿ぁっ!!』


 規格外3人のやり取りは、くだらない方向にヒートアップしていた。しかし、会話にかまけてばかりもいられない。

 カナタは、視界に映るバックモニタから、追ってくるヤクザの様子を改めて観察する。視界に捉えたヤクザの顔は、遠目ながら驚愕にゆがめられているのが見て取れた。


(そりゃそうだ…!味方でもそう思うんだからな…!)


 ゴーグルの下で細まる目。カナタは、ヤクザに少しだけ同情していた。




 一方で、そのヤクザたち。特に、真後ろから追走している二人は、ムササビの挙動が全くもって理解できずにいた。


「あの野郎っ!どんな勘してやがる!?」

「なんで先に走り出せるんだ!?クソが!!」


 そう。ムササビは、ヤクザが姿を現す直前から後退を始めていたのだ。何をどうやって兆候を悟ったのか、皆目見当もつかなかった。

 しかし、百戦錬磨のヤクザたちに、忘我ぼうがの間はない。意識を切り替えると、すぐさま手に握る拳銃を前方へと向け、己の役割に順じた。




 都合4門の銃口が、カナタを向く。


 2門は後ろから。数メートルの間を空けて並んで迫る。

 1門は右。道路を一本挟んだ向かいのビルの屋上だ。

 もう1門は左。隣接するビルで、カナタに僅かに遅れて並走していた。


「…っ!!」


 それを認識した瞬間、カナタの表情に緊張が走る。蘇るのは、初めて銃を撃たれたときの絶望感。心を締め上げるそれを必死に振り払い、カナタは意識を切り替えた。


 竦む心を叱咤し、震える手を抑えながら。

 冷や汗を散らせ、獰猛に歯を剥き。

 "避けて見せる"と息巻いて。






 出っ張りにつまづいた。






「うっ、お…っ!」

『『カナタ!?』』


 辛うじて踏み込みが間に合い転倒は免れるも、数歩ほどたたらを踏む。上半身が前へと傾き、重心が揺らいだ。



『避けてぇ!!!』

「っ!!!」



 姿勢を整え、どうにか顔を上げたカナタの耳に、サナの絶叫が響いた。反射的にステップを切ったカナタは、半身ほど左へとズレる。


 瞬間、カナタの少し前で、床がぜた。

 それは、左斜め後方からの銃撃。サナの声がなければ、右脚を撃ち抜かれていたタイミングと角度だった。

 吹き出る汗、跳ね回る鼓動、荒れる呼吸。しかし、敵は猶予ゆうよなど与えてくれはしない。現状は4対1なのだ。


 次いで聞こえる発砲音。息をつく暇もなく、銃弾がカナタへと飛来する。映像から射線を見抜いていたカナタは、その線上から逃れようと身をひるがえした。

 数発の弾丸が、空を切る。



「がっ…!」



 直後、目前に迫る貯水タンクをかわしきれず、右肩をぶつけた。

 間をおかず迫る屋上の端。バランスを崩しながらも、カナタは2ⅿほど隣のビルをめがけて無理矢理踏み切った。

 空中で姿勢が崩れ、ほぼ真横になる。足での着地を諦めたカナタは、肩を巻き込む形で受け身を取った。2回ほど転がり、勢いのまま立ち上がると、直ぐ様左へと飛び退く。


 直前までいた場所に、銃弾が突き刺さる。


 それを確認する暇もなく、カナタは駆け出した。紙一重の連続に、冷や汗が止まらない。たった数秒で凄まじい消耗を強いられたカナタは、視界の隅に見えるモニタを見やった。



 ヤクザとの距離が、縮まっている。



『何やってるのさカナタ!詰められてるよ!!』


 焦るオミの声。しかし、それに答えられる余裕は、今のカナタには無かった。

 バックモニタから射撃の兆候を見取る。すぐさまサイドステップで射線から避難した。前方への着弾を確認した直後、目の前を横切る太めの配管に気付き、慌てて跳ぶ。常のカナタなら、ハードルの要領でスムーズに躱せた程度のものだ。しかし、モーションが遅れたせいで、今は足を振り上げるスペースすらなかった。飛び込み気味にパイプを越え、無様に転がる。

 すぐさま立ち上がり改めて後ろを確認するも、彼我の距離は更に縮まっていた。



『…駄目っ!後ろに気を取られて前が見えてない!!』

『っ!!』


 サナの指摘に、オミは歯を食いしばって瞳を揺らした。



 これは、カナタとオミの失策だった。

 二人は共に頭の回転が速い。そして、そのことに自覚もある。だからこそ、導き出した結論を疑うという考えが、やや足りないのだ。


 カナタ自身、普段のパルクールとて余裕があるとは言えないが、それでも情報処理に一杯一杯になることなど今まで一度も無かった。だが、もともと反射ではなく思考で体を動かすのがカナタの特徴だ。処理すべき情報が突然増えれば、キャパシティオーバーも至極当然。

 どう走るかというイメージすら出来ない状況に、カナタは焦りを隠せなかった。


 当事者ではないオミは、なおのこと思い至らなかった。周囲の地形。少し先の状況。進むべき進路。自身のコンディション。それらを驚くべき速度で処理するカナタの脳に、後ろ左右の状況を加味する余裕など無いことに。

 なまじ、カナタは何ら危なげなくパルクールと言う技術をこなしてしまうのだ。キャパの上限という当たり前の要素を、オミは完全に失念していた。


(歩幅の調整や足捌き…、どこをどう進むのかの適宜修正…。それが十全に処理できているからこその機動力…!考えてみれば当たり前じゃないかっ!)


 カナタの能力を改めて掘り下げたオミは、自分の浅はかさを初めて呪った。

 今までに無かった映像が3つも追加されている。そして、それを確認しながら走るという状況を、カナタは練習していない。経験すらもしていないのだ。

 もちろん、このゴーグルは変装用で、普段のトレーニングに付けていくことはできない。テストも練習も出来ないのは仕方がなかった。

 これは、見込みを違えたと言うより、考えが甘かったというべきだろう。装備を整えて、十全に稼働することを確認して、使う人間のことを視野から外してしまった。


(僕のせいだ…っ!!!)


 その失態に気付いたオミは、焦燥に震えながら俯いた。オミの用意した装備がカナタの足を引っ張っていると、そう思ってしまったのだ。

 無論、一概にそうとは言い難い。実際、カメラの映像を見ることでカナタは4門の半包囲から放たれる銃弾を躱せているのだ。この装備が無ければ、既に終わっていた可能性は高かった。


 そんな状況下でも、カナタは銃撃を躱しながら、辛うじてもう一つビルを渡る。更に距離を詰める後方のヤクザ。左右のそれも引き離すことができず、戦況はすでに追い詰められつつあった。


 そして、悪いこととは重なるものだ。



『前方の左右に一人づつ居るわ!!』

「っ!!!」



 いち早く気づいたのは、またもやサナだった。新手はまだ身を隠し、ムササビの様子を伺っている。カナタはその姿を視認すら出来ていない。それでも、サナの言を疑うという考えは既になかった。それだけの信頼を、カナタはサナに寄せている。


 だからこそ、この状況で銃が2丁増えるという絶望に、カナタは涙が出そうになった。



 これはモリタが立てた戦術だ。置いていかれるのであれば、リレー形式に人員を投入すればいい。至極当然の帰結だが、モリタはこれでも捕らえられるとは思っていなかった。

 何せ、初期の四人はこの時点で射程外に振り切られている予定だったのだ。これは、あくまでルートを限定するためのサポートに過ぎない。だと言うのに、それが未だ敵を射程に捉え続けている。こんな手がムササビの心を折りかけるほどの追撃になるなど、モリタ自身は欠片も思っていなかった。



 それでも、モリタの意図通りに後ろと左右を塞がれているカナタは、前へと進むしかない。立ち止まってはただの的だ。敵の待ち伏せがあると分かっている前方へ、自殺の如き特攻をするしか無いのだ。


 極限の恐怖と急速にのしかかる疲労にあぶられながら、カナタは必死に考えた。極限に引き伸ばされた思考の中で、打開の手段を模索する。




 右に進路を取る。

 ダメだ。道路幅を渡る跳躍中に撃ち抜かれる。


 左に進路を取る。

 無理だ。右が僅かに先行しているせいで、3点包囲されかねない。


 後方に引き返す。

 馬鹿か。銃2丁が迫る中で正面突破など出来ようものか。


 まっすぐ突き進む。

 一番無い。5点包囲など手の打ちようがないにも程がある。




―― 出来ない。


―― 手がない。


―― 俺は、ここで。






――   死ぬ   ――






 体を必死に動かしながら。

 視線を必死に巡らせながら。


 歯を食いしばって耐えていた涙が溢れる。


 その直前。




『カナタのモニターを切ってオミ!!!』




 響いたサナの叫びに、カナタの心が絶望の一歩手前で踏み止まった。


「な…、何言ってんだよ!?撃ってくるんだぞ!?見ないでどうしろって…!!」

『私が見る!!』



 その提案に、一瞬呆けたオミが意図を察して直ぐ様カナタへの映像共有を停止する。唐突に普段どおりへと戻った視界。しかし、カナタに安堵はない。曲がりなりにも、未だ被弾ゼロで済んでいるのは、この映像のおかげだったからだ。

 ここからどう銃撃を躱せばいいのかと戸惑うカナタに向け、サナが力強い声で続ける。


『耳だけ傾けながら前に集中して!!必要なことは指示を出すから!!!』

「指示って、まさか…!」

『任せて!!』


 そう豪語したサナは、前後左右4つの映像が映る端末のモニタを睨みつけた。

 敵の意図、仔細しさい漏らさず看破せんと。カナタに負けず劣らずの集中で以て、6人の敵をカメラ越しに射抜く。




『視野の広さと悪意の見極めは自信があるの!!!』




 この短時間に見せつけられたサナの能力。

 それを、カナタの諦念を払う光に変えたのもまた、サナ自身だった。

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