054 カナタ支援システム概論(後)
「…マジで涼しいなコレ…。扇風機の風がすっげぇ抜けてくる…」
全ての窓に遮光カーテンが引かれ、外からは中の様子が伺えないよう配慮された、3人で過ごすいつもの和室。自身の脳筋をしばし嘆いたカナタは、早々に切り替えて明日のための確認を再開した。今はサナが持ってきた新コスチュームを試着している。
上下のアウターは、グレーとモスグリーンの都市迷彩柄。どちらもメッシュ素材で通気性は抜群だった。シルエットを隠すため、下半身は少しゆったり目だが、フード付きの上着は比較的引き締まっている。袖は肩口まで切り詰められており、肩より先はグレーのインナーを纏っていた。手はすべり止め素材の薄手グローブで包まれており、それを握ったり開いたりして具合を確かめている。
サナとオミは、着替えたカナタを眺めながら頻りに頷いていた。
お急ぎロッカー便で今日の夕方に届いた変装具一式。それを、配達帰りのサナが回収してきたのだ。コーディネートした姉弟としては、非常に満足のいく仕上がりとなっている。
ジロジロと自分の格好を見下ろすカナタに向け、発案者のサナが感触を尋ねた。
「着心地はどう?違和感はない?」
「無さ過ぎて違和感。めっちゃ軽いわ。前と全然違う」
「当たり前だよ。冬物の裏起毛パーカーなんか着てたのがイカれてるんだ」
そう零しながら、オミは用済みとなった旧式の変態服一式を見下ろしていた。サナの案を聞き、改めてカナタの装備を精査した時は、心底愕然としたものだ。
オミのその呆れた呟きに、カナタは口をとがらせた。
「それ揃えた時は、こんなことになるなんて思ってなかったんだよ」
「改善を図る方針が肉体強化って時点で脳筋なんだよ」
「ごめん。分かったからもうやめて。恥ずかしくて泣きそう」
珍しく消沈したカナタがオミに懇願している。その様子を眺めるサナは、苦笑いを浮かべつつも内心では相当に喜んでいた。
サナは、自分の頭の回転が目の前の男子二人に劣る自覚があった。重要な話し合いで、二人の視点に付いて行けなかったことで悔しい思いもしている。それでもなお、きちんと余裕をもって二人と違う方向を見れば、力になれると確信できたのだ。自己肯定感の薄いサナにとって、この装備が二人に何の反論もなく受け入れられたことは、自身の意義を見出せる希望でもあった。
その心持ちのまま、サナは提案を続ける。
「それから、これ」
「何これ?ポーチ?」
「うん。交差するように腰に巻くの」
次いでサナが取り出したのは、モスグリーンのウェストポーチだった。カナタの前で膝をついたサナが、腰に手を回してそれを取り付ける。
「エロいご奉仕されてる気分になるな、この体位」
「潰すね?」
「ごめんなさい」
頬をヒクつかせた歪な笑顔で拳を握り込んだサナに、カナタが即時降伏。なんでこう要所で茶化すのだろうかと、サナは溜息を禁じえなかった。このやり取りがさして嫌でもないのがまた腹立たしい。
一方で、胃袋を握られたカナタは本能的にサナには逆らえない。反射的に弄るくせに、今は直立不動でされるがままだ。
その様子に拳を解いたサナが、ベルトを調整してカナタの後ろ腰にポーチを固定する。そこには、逆ハの字になるようにホルスターが2つ付いていた。
「これは?」
「この二つを持ち歩くためよ」
首を傾げたカナタに、気を取り直して真面目な顔をしたサナが、二つのものを取り出した。
それは、どちらも円柱形をしていた。片方は灰色の柔らかいプラスチック製で、もう片方は白と青でラベリングされた金属製の缶だ。缶の方には、噴出口にマスク型のガイドがあった。
「ドリンクボトルと酸素缶よ。脱水と酸欠はカナタの天敵でしょ」
その言葉に、カナタは心底納得した。これなら確かに、走りながら回復を図れる。試しにと填められたそれを、後ろ手に出し入れしてみた。マグネット式の留め具も簡単に扱えて、非常に勝手がいい。
「出し入れだけならホルスターは前面にある方が良いかもと思ったけど、そう頻繁に使うものでもないし、走り易さ優先にしてみたの」
「昨日の試着はそういうことか…」
サナの言葉に、カナタは記念すべき人生初デートを思い出す。短い時間の中で、サナに言われるがままいくつかポーチを試着し、動きを害さないか確認した。その時、確かに"チェストポーチは前傾の時に脚が当たる"と言った覚えがある。
ちなみに、カナタの意思で選んだデザインはすべて却下されていた。試着すらさせて貰えていない。
「あと、前転も結構使うみたいだから、真後ろじゃなくて斜めの配置にしてみたの。邪魔にならない?」
サナのその声に、カナタはその場で前回りの受け身をとった。逆ハの字の配置がボトルに当たる接地の衝撃を、綺麗に横へ逃している。
「大丈夫だ。勝手に接地面を外れてくれる」
「良かった」
流石に店で前転はできなかったため、サナは目算で目処を立てていた。意図通りになっていることに、軽く安堵の息をつく。一方、サナの見立てに感心しきりのカナタは、脇越しに自分の背中を覗き込んでいた。
その様子を微笑ましげに見ながら、サナが立ち上がってカナタの横に移動する。
「フードの方も、カメラを出す穴を開けおいたわ。それが留め具にもなるように調整しておいたから、簡単には外れないと思う」
そのセリフに、カナタはゴーグルをつけてフードを被った。穴の位置を手で探り、カメラを通していく。後付で開けられた穴も、解れないようにしっかりと縫製され、ボタン穴のような横長のものに仕立てられていた。
最初からそうだったかのような自然さに、カナタは目を丸くした。
「サナ、裁縫もできるのか」
「うん。多少のものなら直せるわよ」
「母ちゃん超貧乳…」
「なんですって?」
「間違えた。超貧乳母ちゃん」
「何が違うか言ってごらんなさい」
唯一むき出しだったカナタの頬を両手で引っ張るサナに、フガフガ言いながら抵抗しないカナタ。オミにはイチャついてるようにしか見えなかった。
年長者二人の仲睦まじい様子に砂糖を一つ吐いてから、オミが残った装備を取り出す。
「最後にこれ」
「これは?」
「マスクだよ。脳筋じゃないヤツ」
「トラウマだよもう!」
ニヤニヤしながら渡されたそれは、濃いグレーのマスクだった。こちらもメッシュ素材で通気性は抜群。樹脂フレームで経口補給を邪魔しない柔らかさながら、形状記憶で口にも張り付かず、呼吸を一切阻害しない。
手渡されたそれを、カナタはフードの隙間から耳にかけ、鼻から下を覆い隠す。
上から下まで全身が都市迷彩。フードから覗くゴーグルが唯一黒く輝き、腰元のポーチがシルエットにアクセントを加える。
新生ムササビが、ここに完成した。
「完全に不審者ね」
「ヤクザよりよっぽど怖いよ」
「目立ち過ぎじゃないかしら」
「職質は不可避だと思う」
「おーい!?」
仕立てた姉弟が冷や汗を流し、仕立てられた少年があんまりな感想に不安になった。




