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忍者ムササビ ~ 家出少年は早くおうちに帰りたい ~  作者: 岡崎市の担当T
第三章 忍者ムササビ
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049 心解れる熱

「カナタ。私思ったの」


 月曜日の和室。ごはんと味噌汁、焼鮭、寝惚けたままのオミが並ぶ朝の食卓で、小盛の茶碗を持ち上げたサナがカナタに向かって口火を切った。

 その声に、カナタはリスのようになった顔を上げる。手元の茶碗は超大盛だったはずだが、既に半分も無い。モグモグと口の中の鮭と米を咀嚼そしゃく。飲み込んでから、サナの目を見返して口を開いた。


「豊胸の方法か?パッドは駄目だぞ。偽乳にせちちに興味はねぇ」

「先に一発引っ叩いていいかしら」

「はっ…、胸焼け…?」


 砂糖を吐く予兆に、寝ぼけていたオミが覚醒した。

 その様子に気付いたカナタが、弟分に箸を手渡し、牛乳を注いでいる。相変わらずの面倒見の良さに、憤慨ふんがいを引っ込めたサナが一つ息を吐いた。気を取り直し、改めてカナタを見る。


「"水分補給ができないから脱水症状に慣れる"って、昨日言ってたじゃない?」

「そうだな」


 話題を戻す声に、カナタはサナへと視線を向け直す。一頻ひとしきりオミの世話を焼いた後、自分の味噌汁を左手で持ち上げ、おもむろすすろうとした矢先。




「脱水を起こさない工夫が先じゃないかしら?」




 目からウロコの一言に、カナタの手から箸が零れ落ちてカランカランと音を立てた。






「ふぁ…。確かに、脱水後なんてどう考えても分が悪いんだから、そうならないこと考えるのが先だよね。脱水起こしたことないけど」

「うん。補給の方法と消耗の軽減、どっちも装備の工夫で出来ないかなって。ちなみに私も無いわ」

「あの日のカナタを見る限り、脱水起こしたまま動くよりは、よっぽど現実的だと思う」

「ね。土台無茶な話なのよ。考えたんだけど、こういうのは揃えられそう?」

「予算的には大丈夫。出来れば試着しときたいとこだけど」

「夕方、カナタ連れてデパート行こうと思うの」

「買っちゃだめだよ。足がつかないようにロッカー通販使うから」

「分かったわ。という事で、週3回も脱水起こしたカナタに聞きます」


 寝ぼけまなこをこする弟と二人、サナは一息に検討を進めた。結論が出たところで、ようやく当事者へと水を向ける。しかし、蚊帳かやの外だったカナタに、今更意見など求められてはいない。


 告げられたそれは、遠回しな決定事項の通達だった。



「何か異論ある?」

「……………………………ないです……」



 正座したカナタが項垂うなだれて拳を膝に置き、了解の意をボソッと唱えた。明らかに自覚しているその様を、姉弟がジト目で眺める。

 そのまま、無慈悲な追撃を投げつけた。



「「…脳筋」」

「返す言葉もねぇ…っ!!」



 両手で顔を覆ったカナタの声は、恥ずかしさのあまり涙ぐんでいた。




 何ら反論も言い訳もなく、己が不手際を嘆くカナタ。そのいさぎよさに、サナはまなじりを下げて感心していた。深く考えて行動できるのに、結果導き出した自分の答えに全く固執こしつしない。カナタだって、考えに考え抜いて出した結論だっただろう。でなければ、命に関わりかねない真似を早々実行などするものか。


(意地悪なことばっかり言うくせに、根は素直なんだから)


 こういう姿を見ていると、カナタが年下なんだと実感する。責任感が強く、面倒見が良くて、意外と思慮深い。だというのに、何故かしっかりしているとは言い難い。

 そのアンバランスさを、サナは可愛いと思った。


 だからこそ、改めて気を引き締める。

 度が過ぎた時は、年長者の自分が手綱を握らなければならないのだ、と。

 

 サナには昨日、喉元まで出かかるも、苦渋くじゅうの果てに飲み込んだ言葉があった。だが、代替案を導き出した今なら、それを口にできる。いや、しなければならなかった。

 そう言い続けることが、きっと自分の役割だと。そう思うから。


 箸を置いたサナは静かに席を立ち、座卓を迂回してカナタの横へと移動した。そのまま膝をつく。


「カナタ」


 考えが足らなかったことを恥じている少年。その顔を覆っている手を取り、両手で握り締める。それに反応してこちらを向いた少年の顔を、サナは真剣な目で見返した。


「自分に出来ることに妥協しないカナタは、凄いと思うよ。でも、誰だって一人じゃ完璧にはできない」


 サナを見やるカナタの目は、自責にさいなまれていた。スケベなことも恥ずかしい趣味も平気で口にするくせに、大事なことはちゃんと反省し、後悔や恥を感じることもあるらしい。その実直な様は、とても微笑ましかった。

 けれど、この少年に、失敗で顔を伏せる姿は似合わない。すぐに前を向いて、自分なりに出来ることを探す在り方を、サナはカッコいいと思ったのだ。


 カナタにはそう在って欲しいと、サナは握る彼の手を胸元に抱き寄せた。


 無茶が過ぎることもある。見落としだってあるだろう。

 そう言う時こそ、助けてあげたい。支えになりたい。

 内から湧き上がるその願いに、サナは目を細めた。




「そのために、私たちがいる」




 そう言ってサナは柔らかく微笑んだ。

 見惚れるほど綺麗なその表情に、カナタは思わず目を見開いた。その頬に赤みが差し、潤んだ瞳を揺らす。



「だからお願い」



 カナタの目を見つめたまま、眉だけハの字にしたサナ。

 困ったような声で、囁くように優しく、それでも精一杯の心を込めて。




「無理、しないで」




 飲み込んでいた言葉を、口にした。




 羞恥か照れか。サナの顔に見とれていたカナタは、顔を赤くしたまま小さく頷き。

 素直に聞き入れてくれたカナタの反応に、頬を朱に染めたサナが嬉しそうに笑い。



「胸焼け…」



 二人に忘れ去られたオミが、明後日を見て砂糖を吐いた。









 学校指定の体操服と言う、校外ではまずもって見ない格好で街中を駆け抜ける少年がいた。言うまでもなくカナタだ。こんな格好で出歩く人間が他にいるとは、ちょっと思いたくない。

 すれ違う人は皆、一様に驚いた目で彼を見る。気にしているのは恰好ではない。その速度だ。馴染みのない人間からすれば、危険行為ギリギリの全力疾走に見えたのだ。

 しかし、当のカナタは思いのほか余裕がある。大量の汗こそかいているが、息はほとんど上がっていない。それもそのはず。何せ今日はきちんと水分補給をしているのだ。今朝がた再び渡されたお小遣いで、定期的にドリンクを買っていた。

 サナに言われた通り、今日は全く無理をしていなかった。ペースも一般的に見れば速いだろう。だが、カナタにとっては出来るだけ長い距離を安定して走るためのソレだ。本人は相当遅いつもりで走っている。


「あっちが世田谷区で、こっちが港区…。立川市?隣の県か?奥多摩町はなんとなく聞いたことあるな」


 そのせいか、ぶつぶつと独り言を紡ぐ余力すらあった。ついでに、時折上を見上げてはキョロキョロと周囲を見回している。そんな速さで走るなら前を向けと言われかねない有様だった。


 今日のカナタは、頭上の青看板を見ながら、ひたすら地理の把握に務めていた。加減したペースも、あちこち見て回るためのものでもある。無茶をしないなら、他に出来ることをと考えた結果だった。

 作戦行動終了後、自分がどこにいるのか全く予想がつかない。だからこそ、どこからでも迷いなく帰れるように、地名と位置関係を整理しているのだ。


 ところが、今更になって、カナタは一つ致命的なことに気が付いた。土地勘が身に付いたとしても、今のままでは帰れないのだ。

 その理由を、カナタはボソッと呟いた。



「…そもそも、アパートって何区にあるんだ?」



 アホである。


 とは言え、アパート周辺はそれなりに走り込んだ。大まかに方向さえ判断がつけば、見覚えのある景色を探すのはそう難しくないだろう。住所は帰ってから確認すれば済む。だからこそ、今日は行動範囲を大幅に広げてみたのだ。

 その代わり、直近の問題がもう一つあった。



「…俺は今どこにいるんだ?」



 迷子になっていた。やっぱりアホである。


 しかし、当の本人に危機感はほとんど無い。これまで東京で体感してきた事態に比べれば何ら慌てることではないのだ。せいぜい困ったなぁと眉をしかめる程度だ。


「オミを連れてくるべきだったか?つってもアイツ忙しそうだったしなぁ」


 朝食を終えるなり奥間に引っ込んだオミの真剣な様子を見ていたカナタは、邪魔をしないようそっと家を出たのだ。オミが何を用意しているのかは未だに分からない。だが、その知識量を目の当たりにしているカナタは、特段不安もなく任せっきりにしている。


「まぁ、聞いたところでよく分からんしな!」


 と言うより、完全に開き直っていた。

 サナとオミとの付き合いは、未だ10日にも満たない。だが、そうとは思えないほど、既に深い信頼を寄せていた。それぞれの得意分野で、余裕のないカナタの欠点や失策を手早く補ってくれているのだ。


「…ありがてーよなぁ。本当に」


 そう呟いたカナタは、今朝がた自分の手を握ったサナの手の温かさを思い返す。どんな無茶を推してでも二人を守る。その考えが、如何に傲慢で盲目的なものだったかを思い知った一幕だった。

 "二人がいなければ戦えない"。そう言ったのは自分だったはずなのに、結局は個人の無茶が先だって、二人に心配をかけてしまった。


 サナの言うとおりだ。一人で出来ることは少ない。焦って考え方すら凝り固まる。

 命がけの理不尽にさいなまれているカナタにとって、サナとオミに出会えた事は何物にも代え難い幸運だった。



「…委員長が言ってたのって、こういう事かなー」



 そこでふと、カナタは東京に来る前の出来事を思い出した。

 それは上半期のクラス標語を決めた時の話。独断と偏見で、ある言葉を押し通した親友のクラス委員長が、カナタに向けて刺した"釘"だ。


 "お前は放っておいても無茶をする。けど、無理矢理する無茶と、余裕をもってする無茶は全く別物だからな"


 嫌がる担任を無視して決まったクラス標語。以来、カナタのパルクールと言う無茶はクラス全員に共有された。練習に付き合ってくれて、賛辞をくれて、時々リクエストに応えて、成功すると皆で盛り上がる。それだけで、ただの無茶が随分と楽しい無茶に変わったものだ。


 今だってそうだ。銃に挑むという無茶に、相応の恐怖はある。絶望感もある。だが、二人がいることでかすかながらも確かな光明が差したのだ。共にある時間に癒され、盲目的に突っ走った道を正してもらった。先行きの見えない不安の中、日々前向きな余裕が生まれているのは間違いない。


 不意に、カナタの脳裏に優しい瞳で自分を覗き込んだサナの顔が浮かび、思わず赤面した。


「くっそー…、いじられ上手な貧乳のくせにっ。カッコいいこと言ってんじゃねーよ」


 素直になれないお年頃の少年は、捻くれた悪態をついた。ぷんすかと音がしそうな表情で悔しがっている。


「もともと俺にとっちゃ女神なんだぞ?あんな顔されたら見惚れるっつーの」


 優しくも心配そうな表情に、慈愛に満ちた目。今朝目にしたサナの顔が、まぶたに焼き付いて離れなかった。思わず緩む頬を、意図的に引き締める。


「強烈な個性は貧乳だけで十分だろ。男前まで追加する気かよ」


 サナが聞けば平手を振り回して追いかけてきそうな事を呟きながら、自分を取り囲むビル群を見上げた。すると、その視界に、ビル壁面に埋め込まれた大型の液晶パネルが映り込んだ。

 そこには午後のニュース番組が流れている。特段内容に興味は湧かないが、無意識ながら極々一部がとても気になった。一体何がと、画面を凝視した瞬間。

 その理由に、カナタは気が付いた。


 画面の右下に表示されているデジタル時計。

 その時刻が、15時を示している。


「ん?15時?」


 カナタは首を傾げながら、サナとオミが決めた事柄の中に、今日の予定があったことを思い出す。


 "夕方、カナタを連れてデパート行ってくるわ"


 思い出した瞬間、カナタは足を止めて固まった。急ブレーキの拍子に大量の汗が散り、通行人が眉をしかめる。

 サナの方針に異論無しと認めたのは今朝の話。一睡もしないまま忘れて反故にしては、何ら言い訳が立たない。


「…やばい、やばい、やばいやばい!」


 冷や汗を流したカナタは、サナのバイト先へ急ぎ向かおうと考えを巡らせた。


「火木土がファストフードで、日月金がファミレスだから…!今日はファミレス!16時終わり…、ってあと1時間しかねぇじゃん!っつか、どうやって行けばいいんだ!?」


 立ち止まってキョロキョロしている少年を、街行く人は気味悪げに流し見た。しかし誰も関わろうとはしない。正直、声をかけられたとしても、目的地の地名が分からないのでは、訊ねようもなかった。

 通って来た道は覚えているが、今から逆走しては流石に間に合わない。幸い、右回りで大きく円を描くように進んできたつもりだ。直線で向かえば間に合う可能性はある。ファミレス付近もきっちり走り回ったため、近づけば風景で思い出せる自信もあった。

 とりあえずと、おおよその方角に当たりをつけ、全力で駆け出す。



「なんだっけ店名!?えーっと、そうだ、バスト!!……バスト??なんか違う!!」



 大慌てのカナタは、大都会の大通りで胸囲胸囲と連呼する。しかし、一度口にしてしまうとなかなか頭から離れないらしい。最終的には、現実逃避がてらサナのスリーサイズを予想し始める始末だった。


 彼が大手ファミレスチェーンの名称を思い出すのは、もう少し後の話である。

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