046 授業料は知らぬ間に
トレーニングに行くカナタと仕事に向かうサナを見送ったオミは、動画の編集に目途がつくと、早々にゲンのもとへと赴いていた。
毎週日曜は、ゲンから様々なことを教わる授業の日だ。その内容は多岐にわたる。インターネットの仕組み、電子機器の知識、社会のルール、果ては組織の在り方から人心掌握に通じる実践心理学まで。オミが気になることは全て、この老人が答えを持っていた。
しかし、ゲンとて決して甘くはない。すぐさま答えをくれるような教え方をしたことは、ただの一度も無かった。むしろ、その調べ方や答えにつながる基礎知識だけ与え、後は自分で考えさせることが多かったのだ。
そのスタンスは、この日も同じだった。
「携帯端末で処理させなかったのぁ褒めてやる。専用のサーバで処理したものを送り返す方が確かに速いだろうよ」
「…はい」
地下2階にある、仄暗いゲンの電気屋。そのカウンター上にオミが書いた装備の企画書を置きながら、オミとゲンが顔を突き合わせていた。脇には、雑多に置かれた小型の電子パーツがあり、その中に紛れて光量の多いスタンドライトが一つあった。それは、オミの授業のために設置されたものだ。二人の授業は、大体このカウンターで向かい合わせに行っていた。
「保存も撮影側でやらねぇのは正解だろう。容量もバッテリーも節約できる分、稼働時間は伸びるし重量も軽減できらぁな」
「そう、だね」
二人は、揃って険しい顔をしている。オミは、眉間に皺を寄せ口を引き結び、ゲンは呆れたような半目でオミをねめつけていた。高めのカウンターチェアに座るオミは、足置きにすらつかない靴の裏を支柱に押し当てている。両手は拳に握られ、膝に置かれていた。
対面のゲンは左手で顎肘をつき、右手の指はオミ作の企画書をトントンと叩いている。
「ウェブアプリに頼らなかったのもいい。トラフィックが共有じゃ想定外は起こり得る」
「うん…」
訥々(とつとつ)と語られるゲンの指摘は、すべてオミが一人で検討し、導き出した要素だった。企画書を見ただけで、その意図を見透かしてくるのは、流石としか言いようがない。
それでも、セリフだけ聞けばその全てが肯定されていた。普通なら喜ぶべきところだろう。しかし、それを聞くオミの表情は妙に暗い。
「んで?坊主」
カナタを守るため、オミは最大限考えた。いや、考えたつもりだったのだ。
それが自己満足の範疇を出ていなかったことを、ゲンは真顔で突き付けた。
「…なんで画像を処理・保存するサーバーが、すっぽり抜け落ちてやがるんだ?」
「返す言葉もありません…っ」
半目で零されたゲンの指摘に、オミは情けなくて顔を覆った。
その様子に頓着せず、ゲンは顎を上げ、オミを見下しながらその甘さを言葉で突つく。
「オメェ、まさかグラフィックボードすら入ってねぇあのジャンクマシンで、リアルタイムの画像処理ができると思ってたんか?」
「思ってました…」
「ラグるに決まってんだろぉがよ。馬鹿タレ」
「ですよねぇ…」
オミは、使い慣れたパソコンをシステムの中核に考えていた。だが、あのパソコンが大したスペックを持っていないことは自分でも分かっていたはずだ。ともすれば、携帯端末にも劣る程度の処理能力しかない。
「んで?解決策は?」
ゲンの追撃に、オミは顔から手を外して、恐る恐る老人の顔を覗き込んだ。
「水曜には完成品が欲しいんだろう?現実的に今から可能な解決策を言うてみろい」
その言葉に、落ち込んでいる場合じゃないと、オミは思考を切り替える。
(…データセンターは調達が間に合わない。そもそも専用回線付きなんていくらかかるか分かったもんじゃないし。5G環境でのVPNがあれば、自前サーバの方が都合はいい)
口元に拳を当て眉間に皺を寄せ、オミは真剣な目で思考を回す。その様子を、ゲンは楽しげに眺めていた。そもそも論点に上げているものは、10歳の少年に課すような課題ではない。カナタが傍で聞いていれば「何言ってんのか全然分かんねぇ」と言って遠い目をしていただろう。それに平然とついてくるオミを、ゲンは気に入っていた。教えただけ吸収し、応用を利かせて自分から課題を見つけてくる。教える側としては、これほど楽しい生徒もいないのだ。
(動画の保存もあるから多少の容量は要る。でも、それ以上に処理速度が重用だ。高性能のメモリとGPUはもちろん、SSDは必須…。出来ればNVMe規格が欲しい。その上、重要情報の塊になるから、何かあった時には持ち運びたい。となると…)
口角を僅かに緩めるゲンを尻目に、オミの考察は続く。そうして、ひとしきり結論を出したオミは、徐にゲンの目を見つめて言った。
「SSDのノートPC」
「よし」
オミの結論に頷いたゲンは、カウンターの下から要望の品を取り出した。メタリックグレーの外装が煌めく、少し大きめのノートパソコンだ。
「スペックは十分に余裕を持たせてある。処理数がもう2、3増えてもラグは出んだろうよ」
「ゲンさん…」
嬉しそうに破顔したオミに、ゲンは口角を吊り上げた。
併せて、調達しておいたウェアラブルと携帯端末3台を卓上に置く。
「要望の品+α。しめて338,900円だ」
「たっか!!負けてよ!!!」
「原価だ馬鹿野郎」
ゲンの間髪入れない切り返しに、そりゃそうだとオミは呻く。これだけのスペックと、オリジナルのカスタマイズまで施されたワンオフの専用システム。どう考えても安いくらいだ。正規に依頼したら100万前後はかかるだろうか。
「それとは別に、ランニングで通信料が月18,645円だ。どうするよ坊主。支払い回数増やすか?」
「ううん」
悔し気なオミの様子に、ゲンは譲歩を持ち掛ける。「相変わらず、こいつにはどうしても甘くなる」と、情に絆されがちな自分に内心では腹を立てていた。
しかし、そんなゲンの葛藤を知らぬまま、オミは不敵に笑って首を横に振る。
「3回で十分だよ」
「ほう…?」
その顔を見たゲンは、面白いとばかりに口角を上げた。
「えらい自信だな、坊主」
「自信じゃないよ。覚悟を決めただけ」
そう言ったオミは、目を丸くするゲンを力強く見つめ、今朝がた見た居候の背中を思う。
「その程度稼げなきゃ、体張ってるカナタに申し訳が立たない」
どうにかしてみせるよ、と。オミは拳を振るわせて宣言した。
その様を見たゲンは、一丁前に男の顔をしたものだ、と。目を細めて感心する。
(目処は立っているんだろう。それぁいい。…だがよ)
同時、内心で舌打ちもしていた。
(都合の良すぎることは疑えって教えたろうが…。まだまだ甘いぞ、坊主)
相変わらず10歳児に求めるようなことではない。だが、首を突っ込んでいる事情によっては、その甘さが命取りになるだろう。
(それを、実地で教えてやろう)
オミには、付き合いの長さ故かゲンを疑うという思考がなかった。それは決して責められるようなことではない。弟子が師を信頼するのは至極当然のこと。まして、父を知らぬ子どもが、丁寧に自分の成長を手助けしてくれる身近な大人に、そんな感情を向けられるはずがない。
故に。
ゲンは、弟子を嵌めるための仕込みを、苦も無く整えられたのだった。




