043 【幕間】裏社会の苦悩1(前)
「測れねぇな、クソが…」
とある雑居ビル6階の一室。ヤクザたちの拠点となっているそこで、木製の執務机でタバコをふかす大男がいた。銃取引の全権を任されているモリタだ。深々と椅子に腰かけて、順調だった筈の仕事へ刺し込んだ影にぼやいている。
考えているのは、目下最大の脅威である“黒づくめ”。都合3度も追跡を振り切った、腹立たしい程の難敵だった。
今現在、部屋にはモリタの他に3人の部下がいた。取引に従事しているメンバーの中でも、比較的上位にある者達だ。彼らは全員ソファーに座り、ローテーブルを囲んでいる。卓上には地図が広げられ、奴との遭遇地点と走行ルート、その時の状況などを赤ペンで書き込んでいた。
残りの7人は、全員が方々に散って黒づくめの情報を収集している。
「全周包囲しかないが、普通に追ってもアレは包囲出来ん。網を張りたいところだが…」
そう言ってモリタは、目に焼き付いた奴の機動を思い返した。最高速度、小回り、跳躍力、スタミナ。どれもこれも一級品。ただ付いて行くだけでも至難なのだ。それを全方位から囲い込むなど、考えただけで気が遠くなる。
ただ、奴の能力で一番対応に苦慮するのはそこではない。モリタは、苦々しい表情で大きく煙を吐きだした。
「…どうやって、網に嵌めるか」
「誘導できる気がしませんね…」
モリタの独白に、部下の一人が同意を口にした。彼だけではない。全員がその認識を共有し、同じような表情をしている。
そう。黒づくめの最も厄介な能力は、ルート選択におけるバカみたいな自由度だ。
1回目は、垂直の壁面を横に向かって駆けていった。
2回目は、25mの高さを無傷で垂直落下。その上、ヤツが何をしたのか誰も目撃できていない。
3回目は、道路を一つ挟んだ先、届くかどうかといった距離で足幅分しかない狭い手摺へのダイレクトランディングときた。
要所における奴の進路が、全く予想できない。
「…どれもこれも人間業じゃねぇですわ」
部下の一人が呟いた本音に、全員が黙した。
傍目には、あまりにもリスキーな行動。しかし、奴はその全てを危なげなく成功させている。即ち、あれはヤツにとって博打でも何でもない、出来て当たり前のことと捉えるべきだ。自滅には期待できそうもない。
その前提を噛み締めた後、部下3人が議論を再開する。
「…全周包囲だけでも心許ねぇのに、それを追いこむ班まで考えると11人は厳しいな」
「情報を共有し連携の取れる人員が30は欲しい」
「神出鬼没も問題だぞ。常に網は張ってられん」
「何か察知する方法はねぇか?」
「前と同じように、枝を散らしてレーダー代わりにでもするか?」
「それじゃ拠点付近しかカバーできんぞ」
強面を突き合わせた部下たちの声が続くものの、どうにも難題が湧くばかり。結論らしきものは一向に出てこなかった。
その要因は分かっている。偏に敵の素性が知れないことだ。目的や規模すら分からぬ現状、どうしても受け身にならざるを得なかった。
そもそも、自分たちとて社会の闇に潜む側なのだ。隠すことには長けているが、自分たち以上に暗く深い闇に紛れる相手を暴くには、経験もノウハウも足りていない。
接触を控えているため警察側の動向は分からないが、それでも向こうに期待するしかなかった。
そう結論付けたモリタも、脱線した思考を抑えて、現状の検討に立ち返る。
「高所では到底追いつけん。かといって、地上ではそうそう銃も使えん。さて、どうしたものか」
そう言ってデスクに肘をつけたモリタに向けて、部下がおずおずと口を開いた。
「…武闘派の幹部に助力は願えんですか?」
「クゼさん、サカキさん、サワムラさん…。誰か一人でもいれば」
「特に、クゼさんが出張ってくれれば、それだけでカタが…」
そう続けた3人に向けて、モリタはデスクの上にあった灰皿を投げつけた。ガラス製のそれはローテーブルへ当たり、甲高い音を立てて、粉々に砕け散る。
「…話聞いてたか?テメェら」
思わず立ち上がった三人に向けて、ゆらりと腰を上げたモリタが静かに口を開いた。冷や汗を流しながらその様子を見る3人を、眼光鋭く睨みつける。
「人的補充は無ぇ。支給は銃のみ。忘れたか?」
「い、いえ…」
口を挟もうとした部下を見て、モリタが盛大に机を殴りつけた。
「ここで人手を増やせば向こうの思う壺!!ムショにブチ込まれる数が増えるだけだ!!我々の失態に組織を巻き込む気かクソ共が!!!」
確かに、現状を鑑みれば、強力な技能を持つ武闘派幹部の助力は必須だ。先に上げられた3人と同格以上の地位にいるモリタではあるが、自身は黒づくめの捕縛に関して最も相性が悪い。そう自覚があるからこそ、現状に最も歯噛みしているのもモリタ自身なのだ。
「人員の投入は敵が隙を見せてからだ!!他の幹部が出張ってくる前に全て終わらせるだけの気概を見せねぇか!!!」
「「「はっ!!」」」
故に、分かっていてなお助力を乞えない現状を打破すべく、部下達へと発破をかけた。
「随分と騒がしいね。何かあったのかい?」
部下たちの了承の声に混じって響いた聞きなれない声に、全員が入口の方へと顔を向けた。
「うわ、ガラス散ってるじゃないか。危ないなぁ」
「…ミズグチ…」
そこに居たのは、サラサラの金髪とその隙間から覗くピアスが光る、中肉中背の優男だった。肩に担ぐ白スーツの背広と、黒のカッターシャツ、そして緩めた銀色のネクタイがやたら嵌っている。恰好こそ厳ついが、やや垂れがちの目が、その雰囲気を柔らかくしていた。まるっきりホストだ。
ミズグチと呼ばれたその男は、足元に散る灰皿の破片を見ながら、ソファーの周りで直立不動だった部下たちに声をかけていた。部下達も、忌々し気にその男の名を呟く。
歓迎されていないことに気付いたのだろう。ミズグチが部下から意識を切り、モリタへと目線を向けてきた。
「ギスギスしてますねぇ。何を怒ってるんですか?モリタさん」
「テメェには関係のねぇ話だ」
「あ、そうですか」
さして興味も無かったのだろう。あっさりと引き下がったミズグチは、モリタのいるデスクに向かって歩を進めた。
その様は妙に飄々(ひょうひょう)としている。部下たちの敵意をものともしない胆力。それは、その能力に裏打ちされてのものだろう。この男は幹部ではなく、ここに居る部下達と同格以下の地位だ。だが、その武力は自分ら武闘派四幹部に、引けを取らない。
だからこそ得体が知れないのだ。比較的新参者であり、幹部でもない。だというのに、組のナンバー2である若頭から直接指示を受ける立場にある。当然、古参の組員からいい顔などされはしない。
能力、地位、信頼感。その全てがちぐはぐなこの男を、部下達もモリタ自身も警戒していた。
「…何しにきやがった?」
「若頭からの伝言です。どうも証拠を残したくないそうで、口頭でと言われましてね」
うすら笑いを浮かべながら、デスクの前に立ったミズグチは、モリタに向けてそう口にした。そのまま、半身で後ろを振り返り、立ち尽くしたままの3人へ向けて笑いかける。
「パソコンあるかい?スマホでもいいけどさ」
気に食わなかろうと、この男が若頭のメッセンジャーであることに疑いはない。部下たちは歯を剥きながらも、備品として置かれていたノートPCを棚から取り出した。
軽く礼を言ってそれを預かったミズグチは、モリタの前に置いて電源をつけ、インターネットを起動する。
しばらくして表示されたのは、ここ数日で話題になっている、とある動画だった。




