042 浅はかなオミ
「死んだと思った!!何あれ!?怖すぎるよ!!」
「余波だろぉが。向けたのぁ小僧だぞ」
「いや、動けただけで十分だろ…」
笑う膝を叱咤して店を飛び出したカナタは、階段途中で腰を抜かして動けなくなっていたオミを背負って戻った。どうにか落ち着いたオミは、カナタの背中で元気に文句を垂れている。
「ちなみに、俺は最初っからそれ浴びてたぞ」
「なんでカナタ平気なの!?」
「んなワケねぇだろ。チビりそうだっての」
「…」
「なんだよその目は。小心者なんだぞ?俺」
「「どこが?」」
溜め息交じりの震える声に、オミとゲンが半目でツッコんだ。オミはカナタの奇抜な機動力を知る故に。ゲンは自身の圧に耐えて年少者への配慮を維持できる冷静さを見たが故に。どちらも、その度胸は常軌を逸していると評されて然るべきものだ。カナタの言い分に欠片も納得がいかないのは至極道理だった。
アホを見る目になっているゲンへ、カナタは真剣な顔を向ける。
「…失言だった。ごめん」
「あぁ、もういい。別に坊主からは何も担保にゃせん」
「僕?何の話?」
先ほどの怒気が嘘のように霧散したその様に、カナタは訝しげに目を細めた。心底面倒臭そうな表情で、ゲンはヒラヒラ手を振っている。そんな二人のやり取りに、カナタの背中でオミが首を傾げていた。
「坊主。おめぇが今、俺との信頼を担保に、身の丈に余るモノを買おうとしたのぁ分かるかよ?」
「…あ…」
しおらしくなったオミに、ゲンは嘆息する。これだけで察した様子に、こいつも大概頭の回転が速いと感心していた。
もっとも、自身から提案したことのため、それを責める気はゲンには無かった。カナタが気づいて割り込んでこなければ、何ら咎無く済ませるつもりだったのだ。
「小僧はな、その担保に手ぇ付ける前に、己から何かを持って行けと懇願したんだよ」
「カナタ…。だって、お金はカナタの…」
「ならなおのこと、これは俺の商談だ。オミに背負わせるのは筋違いだ」
弱々しいオミの良い訳に対するカナタの返答は、ぐうの音も出ない程の正論だった。自分の浅はかさを恥じたオミは、歯を食いしばって俯く。
「お前は悪くねぇよ。ありがとな」
「カナタ…」
「あと、すまん。そろそろ立てるか?俺も膝が抜けそう」
「あ、うん」
自分が全てを忘却し、なりふり構わず逃げ出すほどの威圧感だ。当然、それを一身に浴びたカナタが、平気な筈が無かった。カタカタ震えるカナタの脚を見て、オミは今更ながらカナタの精神力に敬服する。
そんなオミから視線を切ったカナタは、すぐにゲンへと目を向けた。
「オミから何も取らねぇってどういうことだ?」
「前提が間違ってんだよテメェは。そもそも、儲けは上の収益で十分でとる」
「上?」
二人のやり取りを眺めながらカナタの背中から降りたオミは、未だ震える脚を叩きながらカナタを見上げて補足した。
「カプセルホテルのこと。ゲンさん、このビルのオーナーだよ」
「はぁ!?」
カナタはてっきり、この店がテナントだと思っていた。それがまさか、地下2階地上8階のビルのオーナーときた。
「老い先短ぇしな。今更金に頓着はねぇ。商談?笑わせんな。これぁ施しっつーんだよ」
「…随分見下ろしてくれるじゃねーか」
ゲンの一言に、カナタが青筋を浮かべ、歯を剥いて威嚇する。
百戦錬磨の老人からすれば子猫のような圧。それを見て、ゲンは楽しそうに笑った。
「…そうさな。もし払えんかったら、そん時ぁ労働で返してもらおうかぃ。小僧にな」
「…言ったな?言質は取ったぞ、クソジジイ」
「なんでカナタ嬉しそうなの?」
剣呑ながら妙に息の合っている二人に、オミが眉をハの字にして首を傾げていた。とはいえ、二人の間で話はまとまった様子。機を見たオミは、即座に話を戻した。
「で、ゲンさん。どのくらいで揃う?」
「日曜の授業ん時に渡してやる、組むのは自分でやれ」
「うん。分かった」
オミのノートのコピーを取るゲンは、ついでにその企画書へいくつか駄目出しをくれてやるつもりだった。今週の日曜は熱が入るな、と。口角を禍々(まがまが)しく歪めながら、ノートを返す。
その凶貌に、オミが短い悲鳴を上げて逃げ帰ろうとする。その手を握って手綱を取りながら、カナタがゲンへと振り向いた。
「おい、ジジイ」
「一々喧しいな。てめぇ敬老精神はねぇのか」
「アンタなんだろ?オミに色々仕込んだの」
「だったらなんだ?」
少年のその一言に、ゲンは眉をしかめた。その様に、カナタは頬を緩める。
「オミのおかげで助かった。だから、アンタにも礼言っとくよ」
"ありがとう"
その声に、ゲンは目を丸くした。
カナタは、それを見届けることなくオミに引っ張られ。
またねゲンさん、と。手を振ったオミの声を最後に。
二人は、店を出て行った。
一頻りそれを見送ったゲンは、徐にタバコに火をつけ、天井を仰いだ。
(…身のこなし、洞察眼、思考の回し方、警戒の仕方。どれもこれも堅気じゃねぇ。が、人柄は後ろ暗い所が無いただのガキだ)
肺に堪った煙を吐き出し、眉をしかめる。
「またぞろ、妙な友達連れてきやがったな、坊主」
そう言ったゲンの頬は、やや緩んでいた。
◆
「元は母さんの知り合いなんだ」
電気屋からの帰り道。並んで歩くカナタに、オミが口火を切った。
「…半年前に亡くなったっていう?」
「うん。動画の広告収入の話をし始めた時、必要な機材とか知識とか、二人で教わりに行ったんだよ」
繁華街から住宅街に変わる、街の境目。疎らになった光源に、世界が仄暗くなる。
「母さんは、随分前からの知り合いだったみたいだけどさ。僕は2年くらいの付き合いかな。前言ったでしょ。うちにあるパソコン、電気屋のお爺さんと一緒に組んだって」
街灯の一つを見上げ、オミが続けた。脳裏に浮かぶのは、ゲンとの初めての出会い。普通に怖かったことをよく覚えている。
しかし、母は強面の老人に屈託なく笑いかけ、躊躇なく教示をねだった。それに応えるゲンのしかめっ面の方が、人柄を示すものとして印象が強い。
「毎週日曜はゲンさんの所に通って、いろいろ教わってるんだ。ウェブの知識も、警察に捕まりかねない要素も、全部あの人から教わったんだよ」
「心底納得したよ。あのジジイはやべぇ。怖ぇ」
「ちなみに、姉ちゃんは1度も会ったことないよ。多分相性が悪いから」
「あー…なるほど。オミが都合つかねぇ時は俺が行けばいいんだな?」
「うん。頼める?」
「嫌だと言いたいが、確かにサナに行かせるよりはマシだな」
ややふざけつつも、カナタは老人の異常なまでの威圧を思い返していた。
「…ただモノじゃねぇぞ、あれ。身のこなしが滑らか過ぎる」
「自分で真っ当じゃないって言ってたからね。僕も知ってたつもりだったんだけど…」
そう言って、オミは肩を震わせた。カナタに叩きつけられたゲンの殺気。その余波に煽られ我を忘れた時の恐怖を思い返し、思わず泣きそうになる。
その様に、カナタはオミの頭を撫でて苦笑した。
「ただ、オミを可愛がってんのは分かったわ。手のかかる孫と戯れる祖父だぞ、あれ。素の雰囲気とそぐわねぇったら」
「気に入られてる自覚はあるよ。それも織り込み済み」
「腹黒過ぎだろ」
「褒められてると受け取っとくよ」
「心配すんな。間違いなく褒めてるよ」
そうこう言っているうちに、アパートが見えてきた。ただそれだけで、二人は死地から生還したような安堵感に包まれる。
「通販で問題ないものは教えてもらったし、3回払いって余裕もくれた。後回ししようと思ってたものも揃えられそうだね」
「結局何買うのか未だにわからんのだけど」
「後で説明するよ」
満足そうなオミと眉をハの字にするカナタ。二人並んで敷地に入り玄関に差し掛かる。すると、3人で住まう部屋から灯りが漏れているのが見えた。
「あ、姉ちゃん帰ってる」
トラブルはあれど十分以上に目的を達したオミは、ほっと一息入れ、意気揚々と玄関を開けた。
「ただいま!姉ちゃん!」
「オミ。そこに直りなさい」
板間のキッチンで仁王立ちするサナに睨まれ、オミは固まった。母のクレジットカードを隠し持っていた罪を、完全に失念していたのだ。
据わった眼で迫りくる姉。
数歩距離を開けるカナタ。
子鹿のように震えるオミ。
10歳の少年に降りかかる苦難は、延長戦に突入した。




