041 浅はかなカナタ
「予算が足らん」
一頻り頭に入れ、検証し、結論を出してノートを放ったゲンは、オミに向けてそう告げた。口をへの字にしたオミが、弱々しく食い下がる。
「…ゲンさんでも調達できない?」
「何を作りたいかは分かるが、ジャンクで揃えても倍はかからぁ。それとよ、リアルタイムっつっても、タイムラグぁどうすんだ?許容できんのか?」
「あー、そっか。出来るだけ無い方がいいね。5G環境は欲しいかも」
見込みが甘かった、と、オミは親指の爪を噛んだ。一方、まだまだ教えることが多い、と、ゲンは頭をかく。
ちなみにカナタは、隅っこで体育座りしていた。寂しそうな目で、討論に熱を上げる二人を見ている。
「ウェアラブルと端末3台はこっちで揃えてやる。残りはスペック差の影響が殆どねぇ。要求に沿うものを通販で探せ」
「端末を5G対応にすると余計に足りないよ」
「…3回払いにしておいてやる」
「ホント!?やった!!」
この坊主にはどうも甘い、と。ゲンは結局火をつけられなかった煙草を箱にしまった。そんなゲンに向けて、オミが喜色満面に礼を言っている。
一方、二人の会話を流し聞いていたカナタは、信じられないその内容に目を見開いて耳を疑った。
「…ちょっ…!ま、まてまてまてまて!」
堪らず身を起こし、オミの横から顔を突っ込んだカナタ。カウンターに両手を付き、ゲンに向かって連呼した。それに対し、老人は鬱陶しそうに眉根を寄せる。
「なんだ小僧」
「なんだじゃねぇよ!どうかしてるぞジジイ!!」
「口の利き方がなってねぇな、おい」
「アンタは金の回し方がなってねぇよ!」
不機嫌なゲンを無視して、カナタは眉を釣り上げた。
「10歳の子どもと20万以上の取引をして、何の担保もなく3回払いだ!?怪し過ぎて感心したわ!!」
深い付き合いを思わせるオミの態度と、部屋に残る匂いとは裏腹にタバコへ火すらつけないゲンの気遣い。二人の接し方を見て、カナタはこの老人に対する認識を改めかけていた。ところが、唐突に聞こえてきた有利過ぎる商談のせいで、老人の存在が一気にうさん臭くなったのだ。
眉を吊り上げ唾を飛ばすカナタから視線を切ったゲンは、カウンターの下から日本酒の瓶を取り出し、同じくカウンターの下から出てきたグラスに注ぎ始めた。
「別に踏み倒されても構わん。どうせ趣味の道楽だ」
「はぁ!?」
「そんときゃ俺に見る目が無かっただけの話だ。まぁ出禁にはするがよ」
怪訝そうに半目になったカナタを尻目に、ゲンは澄み切った液体をあおる。割と高級な酒で、オミとカナタにもその匂いが届いていた。嗅ぎなれない独特の匂いに、二人は顔をしかめる。
「ゲンさん、お酒は店閉めてからにしなよ」
「うるせぇぞ坊主。たかが3杯目だ」
「もう吞んでたんだ…」
苦言を呈すオミを半目で睨む老人の様に、この商談をリスクとも何とも思っていないのだと悟る。二人の信頼関係を垣間見たカナタは、歯を食いしばって俯いた。
元々これはカナタの問題だった。サナもオミも、浅慮な自分の甘えに巻き込まれただけ。今のこの商談も、本来自分でどうにかすべき事案の筈だ。
なればこそ、オミの信頼を担保にさせている自分の、なんと無様な事か。
カナタは、そう己を恥じていた。肩を震わせる少年を怪訝そうに見ていたゲンに向かって、勢いよく顔を上げる。
そのまま、剣呑なゲンの目を見て、カナタは叫んだ。
「高町彼方14歳!!愛知県岡崎市から来た中学3年生!!オミとはかれこれ1週間に満たない付き合いだ!!元は全て俺の事情!!が、担保にできるような持ち合わせは無ぇ!!!」
そこで一度言葉を切ったカナタ。深呼吸を一つ挟み、自分にできる最大限の誠意を言の葉に乗せ、盛大に頭を下げた。
「機材の調達っ!!よろしくお願いします!!!」
その大声にオミが目を丸くしてキョトンとし、ゲンは僅かに驚いた顔をした。しかし、深々と下がるその頭頂部をひとしきり眺めた後。
「…はっ」
鼻で笑った。
ゲンは、カナタの意図を理解していた。オミにだけリスクを負わせていると自覚したのだろう。だが、自身にはそれに口を挟めるだけの持ち合わせがない。故に、せめてもの筋を通したのだ。
己の素性を晒し、自身の問題であることを明かし、責は自分にあると示した。オミの信頼を担保にする前に、まずは己を責めろと、そう懇願しているのだ。それは、素直に賞賛すべき思考だった。
その横では、カナタが何をしているのか分からなかったオミが、首を傾げてカナタを見上げている。
それもむべなるかな。オミは今、自分が差し出したものに自覚がない。いや、察したカナタが異常なのだ。ともすれば余計に堅気ではない疑いが深まるほどに。
しかし、ゲンはその懸念を、一度切り捨てた。
(なるほど。こりゃ確かにお人良しだ)
心の中でそう零したゲンは、一度目を伏せ、息を吐く。
そして、その目を開けた瞬間。
全力で、カナタに殺意を叩きつけた。
真っ向から、手の届く距離で、精神が拉げるほどの強烈な圧を浴びせられたカナタ。凄まじい悪寒に一瞬で顔を上げ、歯の根を震わせた。
例えるならば"蛇"。老人は一方的に捕食する側で、自分は食べられるだけの無様なカエルだ。体に巻き付いた殺意が、既に全方位から抗いようのない力で圧殺できる状態が整っている。今のカナタは、そうなって初めて現状に気付いた、ただのマヌケだった。逃げようがないことを体の髄まで刻み込む、濃密な存在感。
体を動かしてもいないのに、呼吸が乱れる。心拍が荒れる。汗が噴き出る。
逆鱗に触れた、と。カナタは理解した。
「10歳の小学生を表に立たせ、商談させたのぁ誰だ?」
その一言で、カナタはゲンが何に怒っているのかを察した。恐怖に竦む思考の中で、それでも修羅場に慣れた芯が冷静さを保ち、自身の不手際に気付く。
己の身を棚に上げた、見当違いの暴言。
それを、自業自得と飲み込んだ。震える体で、その圧を真っ向から受け止める。
拳を握り締め、歯を食いしばり、涙を湛えた目を揺らしながら、必死に耐えるカナタ。
そんな無様な少年に、より一層強めた眼力をぶつけ、ゲンは口を開いた。
「何も持ち合わせがねぇ分際で、人に金回しを問うたか。小僧」
「返す言葉もねぇ!!!」
間髪入れずに切り返したカナタに、今度こそゲンは毒気を抜かれた。目を丸くし、圧が霧散する。
「失言は認めるし、その怒りも甘んじて受ける!!だけど、その前にっ…!」
緩まった気配に息を吐く間もなく、カナタはぎこちない動きで後ろを振り向いた。
「…あんたの圧に逃げ出したオミ、連れてきていいか?アイツいないと話が進まねぇ」
「んぁ?」
視線を向けた先では、鉄製の入口がいつの間にか開け放たれていた。




