034 知恵者の苦
警察なら、動画の投稿元に辿り着ける。
オミが零したその結論は、カナタにとって有罪宣告に等しかった。カナタの表情が明確に強張る。
それを見やりながら、オミはその知識を基に現状を説明した。
「動画を投稿したタブレットの情報は、接続したWi-Fi機器に残る。そして、どこのWi-Fiからネットに繋げて投稿したのかは動画サイトに情報が残り、そのWi-Fiが物理的にどこにあるかは通信事業者が知っているんだ。つまり、動画サイトと通信事業者の情報を合わせれば、ムササビのパルクール動画が向かいの喫茶店からアップされたってことが分かる。そして、そのWi-Fi機器を調べれば、動画をアップした端末の識別情報まで引き出せるんだ」
それはインターネットの仕組みから見た、証拠の残るプロセスとそれを握る主体の概要。細かく説明してはキリがないため、専門用語等を省き、出来るだけ噛み砕いて簡潔にまとめた。
「通常、動画サイトや通信事業者が、外部に情報を漏らすことは絶対にない。暴対法がある今の日本じゃ、ヤクザなんてなおさらだね」
いくら情報があると言っても、現実問題としてそれをヤクザが得ることはあり得ない。昨日までのオミなら、ここまでで結論を出し、不可能だと太鼓判を押していた。
「でも、警察は別だ。警察なら、公的に情報を開示させる手段がある」
しかし、主体が変われば結果も変わる。それも公権力を持つ警察であれば、その危険度は自明だった。
俯いて歯を食いしばり、見開いた目を揺らすカナタ。そんな悔恨に塗れた少年の様子に、オミが一言諫めようとして。
「謝ったら殴るわよ」
その前に、サナがカナタを睨みつけて言った。座卓の対面で剣呑な目が光り、射抜かれたカナタの肩が跳ねる。
一蓮托生であると結論付けたのはつい先ほどの話。早々に悔いて許しを乞うては、そうあることを望んだ姉弟にとって侮辱に等しい。それを理解しているカナタは、深呼吸を一つ挟む。
そのまま顔を上げて、しかとサナを見返した。
「安心しろ。謝らねぇよ」
「…うん」
カナタの様子に、サナが微笑む。それを見て、カナタも不敵に笑って言った。
「言質はとった。この先何回貧乳って言っても、俺は謝らない」
「そんな話してない!!」
「痴話喧嘩は後にしてね。話進まないから」
本題はここからというオミの声に、年長者二人は口を閉じた。
カナタとて、有り得ると思っていたからこそ、オミの結論は腹に落ちている。故に、本題という未知への導入を促す言葉に、真剣な目を向けざるを得なかった。
一方サナは、後でカナタを〆(しめ)ることを誓った。
隙あらばじゃれ合おうとする二人を尻目に、オミは再びペンをとる。
「確かに警察は投稿元を辿れる。でも、そのために必要な手順を考えると、警察にとって2つネックがあるんだ」
オミのその言に、カナタとサナは目を見合わせた。自分たちではなく警察側にとはどういうことか。オミが一つ指を立てる。
「一つは、開示までのハードルが高い事」
そう言ってオミは、ノートに図を描きだした。IPアドレス、MACアドレスなど、見たことのない専門的な用語や、それと一括りに囲われたサイト管理者やプロバイダといった事業者の呼称、それらに向けて矢印を伸ばす警察という相関図のようなものだ。矢印にはそれぞれの行動が補記されている。
「動画サイトの管理者には投稿元のアクセスポイントを示すIPアドレスを、プロバイダにはそのIPアドレスに対応したWi-Fi機器の物理的所在を、それぞれ開示請求しなければならない。その上、開示はあくまで任意であって義務じゃない。拒否されたら、裁判所を通して捜査令状を出すしかないんだ。当然、いろんな組織に依頼を出す以上、正当な理由と正式な書面は必須」
「「…えーっと、つまり?」」
オミが開示までのフローを整理するも、カナタとサナは首を傾げていた。その様子に手元から目線を上げたオミは、簡潔に重要な所だけを告げる。
「要は、警察が動画の投稿元を探しているという証拠が残るってこと」
「…そういうことか」
変わらず首を傾げ続けるサナに対し、オミの考察から派生する事柄に思い至ったカナタは得心していた。その表情のままオミを見て、認識のすり合わせを図る。
「こっちには銃取引の証拠動画がある。所在が割れて俺たちが捕まったとしても、後出しでその動画が世に出れば…」
そこで一拍溜めたカナタは、オミと二人で頷き合った。
「「情報開示に関わった警察官は、全員が銃取引の容疑者になる」」
人差し指を立てて、男二人が声を揃えた。遅れて、サナも口元に拳を寄せて納得顔になる。
「…なるほど。探られて痛い腹があるから、手段はあっても迂闊に動けないのね」
「そう言うこと。別の組織に依頼を出すんだ。当然、警察単独で証拠の隠滅や改ざんは不可能だ」
安堵したサナに、オミが同意する。しかし、僅かに綻んだサナの顔とは違い、オミに緩みはない。
そして、表情が硬いのはカナタも同じだった。
「ただし、その猶予は無期限でも無制限でもねぇ」
「そうだね」
カナタの険しい声に、オミが頷く。今の考察はこちらにとって光明だったはずだ。だというのに、二人に喜びの気配が感じられないことに、サナは首を傾げた。
そんな様子を尻目に、カナタは警察の出方を推察する。
「俺らに何かしらの容疑をでっちあげることは不可能じゃない。公に説明できる算段が付けば終わりだ。具体的には分からないが、タイムリミットは確実にある」
「それに、万が一あの動画のせいで不利益を被った被害者がいたら普通にアウトだよ。大義名分を得たなら堂々と捜査される」
「なるほど」
カナタの推論に、別の可能性を付け加えるオミ。それに頷いたカナタは、徐にサナを見た。
「被害者って現状サナしかいねぇけどな」
「精神的苦痛とか言われたら言い逃れできないよね」
「そこまで分かってるならやめてくれないかしら!」
動画の中で事実無根の痴女に仕立て上げられた少女が、下手人たちにいきり立った。
「とはいえ、ここまでは全て警察側で完結する話。こっちで対処できることはない。そこで2つ目。僕らにとってはこっちの方が重要だ」
無視されて膨れるサナを放置。オミが一際声に力を籠める。
「それは、投稿するために使ったネット回線がフリーWi-Fiだってこと」
「…それが警察にとってどうネックなんだ?」
カナタが首を傾げ、サナが拗ねた。
「一般家庭のインターネット回線や単独で通信機能を持つスマホなら、通信事業者の開示情報で契約者個人まで特定される。けど、フリーWi-Fiは誰でも繋げるから、個人までは特定できない。分かるのは繋げた端末の識別番号だけだ」
そう言ってオミは、タブレットを顔の横まで持ち上げた。
「あの動画をアップしたのは、確かにこのタブレットだよ。その識別情報もWi-Fi機器にログが残ってる。だけど…」
そこで一度言葉を切り、カナタの目を力強く見据えるオミ。それを真っ直ぐ見返すカナタに向けて、紙一重の希望を、オミは口にした。
「このタブレットを、誰が持っているかまでは分からない」
その情報に、カナタは口元に手を寄せ思案顔になる。そのまま上目遣いでオミを見やった。
「…喫茶店周辺でアクセスしたってことがバレるなら、ここら一帯を虱潰しにされるんじゃないか?Wi-Fiの届く距離なんてたかが知れてる。タブレットの所有者が分からなくても、総当たりなんかされたら堪らねぇぞ」
「そのとおり。だから…」
その点は考察済みと言わんばかりに同意しつつも、オミは視線を泳がせた。意を決したかのように一度息を吐くと、タブレットを卓上に置く。その上に手を乗せ、戸惑いがちな上目遣いでカナタを見た。
「…別の場所から、次の動画を投稿しよう」
そう言ったオミの声は、とても苦し気だった。
「…そう言う事か」
そんなオミの様子から、カナタは策の概要を把握した。目を伏せて、しばし思案に耽る。
ただ、考えているのは策の内容ではない。カナタは今、オミの内心を慮っていた。
理屈だけで考えれば、その策は必須と言える。だが、主旨を鑑みれば、次だけでは済まない。本当に言いたいことは、少し言い回しが違った筈だ。
この姉弟は、どちらも優しい。特にオミは聡明だ。苦渋の果てに言葉を選んだのだろう。
なぜならその策は、カナタを地獄に浸す物なのだから。
ならば、と。カナタは目を開けた。
それを、オミに決めさせてはならない。いや、決められる筈がないのだ。だからこそ、その策の本当の姿は、自分の口で言わねばならない。
「毎回違うフリーWi-Fiで動画を上げ続ければ、こっちの位置は調べようがない」
カナタの結論にオミは俯き、歯を食いしばりながら小さく首肯した。




