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忍者ムササビ ~ 家出少年は早くおうちに帰りたい ~  作者: 岡崎市の担当T
第二章 暴力に抗う熱
31/69

031 犬も食わない2

「教えて。カナタ」


 揺れるカナタの目を見据えて、サナは言葉を続けた。



「いったい、何を見たの?」



 理解の追い付かないカナタへ向け、真剣な目をしたサナが同じ問いを繰り返す。

 しかし、カナタはその問いに答えない。答えられない。不意打ち気味に叩きつけられた状況の変化に、動かない表情の下で、ただ思考を回すのに必死だった。

 そして気付く。


 "オミに渡す前に分割する"。

 そう考えていた動画に、全く手を付けられていないことに。


「見た…、のか。昨日の…」

「…うん」


 否定してくれと懇願するように、カナタは震える口を開いた。そんな様に対し、サナは申し訳無さそうに目を逸らして頷く。

 それを見たカナタは、焦りと怒りで思わず声を荒げた。


「お前らっ!何を勝手にっ…」

「悪かったと思ってる!!」


 しかし、被せるように叫ばれたサナの声に、カナタは思わず口を噤んだ。少女の顔はうつむいており、その表情は伺い知れない。


「…悪かったと、思った上で…」


 続くサナの言葉が、後ろめたさで時折詰まる。それでも、それ以上に強い決意があるのだと、サナは意を決す。

 ゆっくり上がってきたサナの眼が、上目遣いのままカナタを見据え、正直な想いを言の葉に乗せた。


「…見て良かったとも、思ってる」


 そのサナの一言に、今度はカナタが俯いた。拳を握り締め、今まで以上にその肩を震わせている。

 そのまま、カナタはぼそりと呟いた。


「何が、良かったって…?」

「…カナタ…」


 その様子から、サナが感じたのは"怒り"。カナタは、サナの一言がどうしても許せなかったのだ。

 不意に勢いよく顔を上げたカナタは、恐怖と怒気が入り混じったいびつな表情でサナを睨み、泣きそうな声で叫んだ。


「銃で追い回されて!無様に逃げ惑うクソガキの様を見て!!何が良かったってんだよ!!!」

「だって!!そうでもしなきゃカナタは何も話してくれないじゃない!!!」


 自分以上の剣幕でもって返されたその一言に、カナタが怯む。怒っているのはサナもまた同様だったのだ。剣呑なカナタの眼を、サナは真っ向から睨み返す。

 サナの目には涙が浮いていた。それが零れないよう必死に食いしばっていた歯を、微かに開く。


「私、まだ…」


 眉をハの字に歪めながら、一等腹立たしい現実を、弱々しく漏らした。




「…カナタの本名すら、知らないんだよ…?」




 もう何日も一緒にいるのに、そんなことすら知らない自分が惨めだった。知らないことが多すぎて、何もしてあげられない。明らかに苦しんでいるのに、どう手を差し伸べたらいいか分からない。そんな情けない状況に、サナはもう耐えられなかった。

 涙目で目を細め、眉間に皺を作る苦し気なサナ。その様に、カナタもまた眉根を寄せて目を逸らす。


「…知らない方がいいって、そう言ったろうが…っ」

「良いワケないでしょ!!」

「なんでだよ!?動画見たなら分かるだろ!!お前らがどれ程の爆弾を抱え込んだのか!!」


 頑ななカナタに、サナは再び激高した。それでもカナタは主張を覆さない。

 自分はこの二人にとって毒にしかなれない。そう思っているカナタは、握り締めた拳を畳へ叩きつけた。


「俺がいると危ねぇんだよ!!お前も!!オミもだ!!!守るべき弟を危険に晒して!!!何が良かったってんだ!!!!」

「…っ!!」


 サナの考えの中で、カナタが一番許せないのがそれだった。二人寄り添って生きる姉弟にとって、互い以上に大事なものなどあるはずがない。自分のような危険物は、ののしって見限って叩き出すべきなのだ。

 そしてそれは、思わず言葉に詰まる程度にはサナも悩んだことだった。例え当のオミが納得済みだとしても、たった一人の弟に迫る危険は、サナとて許容し難くはある。

 だがそれは、カナタを放逐ほうちくする理由にはならない。短い付き合いながら、サナにとってカナタは、既にオミとは違う"特別"だったのだ。


 二人揃って歯を食いしばり、一瞬の静寂が訪れる。


 それを破ったのは、カナタだった。



「…悪かった」



 それは、悔恨に塗れた声だった。苦しくて苦しくて、謝らずにはいられない。思わず零れ出た、姉弟に対するカナタの負い目。


「…誰かに甘える権利なんか、俺にはなかった…」


 自分に対する怒りが収まらない。声色を変えないまま続けたカナタは、右手で自分の顔を覆って、その後悔を吐き出した。


 サナにとって、腹立たしいにも程がある後悔を、吐き出し続けた。


「…俺は、ここに来るべきじゃ…」

「それ以上は絶対に許さないわよカナタ!!!」


 言わせてはならないと、サナはカナタの胸倉を両手で掴み上げた。そのまま顔を引き寄せ、間近で睨みつける。


「カナタは!!ずっと拒絶してた!!!」


 虚ろに惑うカナタと違い、サナに後悔はない。カナタを招き入れたことを、間違いだなどと欠片も思っていないのだ。


「この家に来ることも!!この家に留まることも!!」


 だからこそ、迷いなく強く語れる。揺れるカナタの眼を、躊躇いなく覗き込める。


「全部私たちが望んだことなのよ!!無理やり連れ込んで強引に縛り付けた!!!」


 髪を揺らして、サナは訴える。決してカナタのせいではないと。


「そしてそれを!!私たちは後悔してない!!!動画を見た今も!!!!」

「…っ!」



 "誰か助けて"



 動画でその声を聴いた時、連れて来て良かったとサナは思った。だからこそ、自分たちの強引さを、間違っていないと胸を張れるのだ。

 そして、それを当のカナタに「間違いだった」と言われることほど、腹立たしいことも無い。


「昨夜、二人で話し合った結論よ…。カナタを一人にしなくて良かったって…、私たちはそう思ってるのよ…!!」


 歯を食い縛り、ただ言われるがままになったカナタを見て、サナが手を放す。拳を握り締め、膝に置き、サナは俯いた。

 同時、一人の男の姿がサナの脳裏をよぎる。


「…銃を撃ってきた中の一人、見覚えがあったわ」

「…っ!!」

「私を…、買おうとした人…っ」


 それは、風俗街でサナの目の前に現れたヤクザだった。まさか、こんな形であの男の顔をもう一度見ることになるとは全く思っていなかった。カナタが居なければ、あの男に何をされていたのか想像に難くない。その時の恐怖がぶり返し、思わず全身が震えた。


「あの人との間に割り込んでくれた時、カナタがどれだけ勇気を振り絞ったか…、想像することしかできないけど…」


 カナタの感じていた恐怖は自身の比では無かった筈だと、サナは考えている。何せ、相手はカナタを殺そうと迫ってくる連中の一員だ。体格が違う。持ちうる暴力の次元が違う。数の利すら敵にあり、カナタにはロクな反撃手段もない。ただ逃げるしか手が無いのだ。その状況で至近に立ち向かうことが、どれほどの恐怖だったか。

 それでもなお割って入り、カナタは精一杯の虚勢を張って、サナの盾になったのだ。



「私は、あの時のカナタの背中に、心底救われたの…」



 自分を庇いながら震えるその手を一生忘れない。そう思えるほどに、あの時のカナタの頼もしさはサナの胸に刻まれていた。

 しかし、サナから見たカナタの強さは、当の本人に全く自覚がない。故に、カナタからすれば、その盲信が滑稽こっけいにしか映らなかった。


「っはは…、はははっ!」

「…カナタ…?」


 胡坐あぐらをかいて座り直し、カナタは膝に肘を立てた。掌でその目を覆っていて、サナからはカナタの口元しか見えない。その口が、引きつるように弧を描いていた。


「勇気…?ああ、振り絞ったさ。でもそれは、お前のためじゃない」


 その口が、自分自身をあざけわらう言葉を吐く。


「お前が俺をどう思ってるかは知らねぇ…。けどな、俺は徹頭徹尾、自分の都合しか考えてねぇよ」


 指の隙間から覗くカナタの眼は、見開かれ揺れていた。


「ここに来たのは、肉体的に限界だったからだ」


 手を離して、震えるその手を眺めた。


「ここに留まったのは、奴らを探るのに都合が良かったからだ」


 それを握り締めて目を細め、己の身勝手さを糾弾する。


「きっかけがお前らでも、決めたのは俺なんだよ…。結局自分の都合を優先させただけ…」


 そう言ってカナタは、握ったままの拳を力なく下ろし、引きつった笑みをサナに向けた。


「お前を助けに入ったのもそうだ。お前が思うほど綺麗なもんじゃねぇ…っ!偶々あの男が俺の敵で!情報収集に利用できるから割って入った!ただそれだけなんだよ!!」


 カナタの語気が、徐々に荒くなる。口にすればするほど、自分のクソッタレさに腹が立ったからだ。恩ある女をダシにした自分の下衆げすさが、泣きたくなるほど情けなかった。


「ありがとよ!おかげで俺の顔がバレていない事がはっきり分かったよ!!これで堂々と外を歩けるって!!!そう喜んだんだよ!!!」

「なら万々歳じゃない!!何でそんな卑屈に言うのよ!!?」

「ばっ…!?」


 そんなカナタの自責に対するサナの答えは、カナタにとって完全に予想外のものだった。思わず言葉に詰まる。

 その様子に頓着とんちゃくせず、今度は私の番とばかりにサナがまくし立てた。


「私は救われて!カナタにも良いことがあった!!それの何がいけないの!!?」


 再び身を乗り出したサナは、下ろされたカナタの手を両手で包んだ。


「カナタにどんな思惑があっても!あの時私が救われたことに変わりないのよ!!その上、そうやって私たちに寄り掛かったことを後悔してる!!そんな人をどうして責められるのよ!!?」


 包んだ拳を持ち上げて、サナは必死に訴える。俯き気味にギュッと目を瞑って、自分にとってそれがどれほど特別な思い出かを、精一杯訴える。


「強いカナタには、弱い私の気持なんか分からないわよ!立ち向かうあなたの声がどれだけ頼もしかったか!!私がどれだけ、あなたに感謝してるか!!」


 眼を開いたサナは涙を散らせ、自分の望みをカナタに告げた。


「私も!同じようにカナタの力になりたいと思って何が悪いの!!?」

「バカ言ってんじゃねぇ!!お前のそれは元を辿れば全部俺のせいだろうが!!」


 拳を振ってサナの手を払い、カナタも声を荒げた。そもそも自分が居なければ、サナはそんな状況に陥っていない。そう思っているカナタは、再び反論を吐き出す。


「お前こそわかるのかよ!?飲まず食わずで夜通し彷徨さまよった後!盛りに盛られたご飯の山に!俺がどれだけ感謝したか!!」


 これは根本となる出発点の違いだ。


「ここで死ぬって諦めかけた時に!差し出された水に!どれほど救われたか!!戻ってきたお前の声が!!どれだけ嬉しかったか!!!」


 カナタにとってサナとの出会いは、携帯を壊してしまった1日目のこと。対し、サナにとってのカナタとの出会いとは、チンピラから助けられた2日目を指すのだ。


「親子丼もハンバーグも味噌汁も!!焼きそばも生姜焼きもローストビーフも!!!どれだけ美味かったかお前に分かるのかよ!!!?」


 前提が違うせいで、二人は中々折り合わない。ただ、互いの心に刻まれた思い出をぶつけ合っているだけだった。


「救われた!?感謝してる!?笑わせんな!!全部こっちのセリフだろうが!!!」


 時系列的に言えばカナタが正しい。だが、心象とはそう単純なものでもないのだ。それほど、サナにとってカナタの背中は印象深かった。

 一方で、それはカナタとて同じこと。振舞われた少女の優しさは、須らくカナタの胸へと刻まれている。

 互いに救われたと主張し合う、なんとも珍妙な口喧嘩だった。


 そしてこの場には、そのどちらとも出発点を共有していない第三者がいた。互いの主張を相手にぶつけることしか頭にない二人は、かたわらにある呆れた目に全く気が付かない。


「そのお前を!無意味な危険に巻き込んだ自分のクソッタレさを!!許せるわけねえだろうが!!!」

「私だって!!助けてくれたカナタを感情的にののしった自分が許せないわよ!!!」

「怒りの理由がささやか過ぎるってんだよ!!クソ真面目にも程があるだろ!!!」

「カナタこそ!!!“誰か助けて”なんて一人の時に言うんじゃないわよ!!!」

「ちゃっかり聞いてんじゃねぇよ人の恥!!!」

「恥なんかじゃない!!私たちに言ってよ!!助けさせてよ!!!」

「女子の前でそんな情けないこと言えるか!!俺は男だぞ!!!」

「時代錯誤もはなはだしいわよ!!ええかっこしい!!!」

「うるせぇ貧乳!!!」

「ひ、貧乳は今関係ないでしょ!!?」


「お二人さん」

「なんだよ!!」

「何よ!!」


 耐えられなくなった第三者ことオミは、半目で割って入った。同時にオミの方を振り向いた年長者二人に向け、呆れた声で懇願こんがんする。


「痴話げんかは二人きりでやって。お願いだから」

「「どこが痴話喧嘩だ(よ)!!?」」

「一から十まで全部だよ。夕飯前なのに胸焼けしそう」


 そう言ってオミは、胃のあたりをさすった。どちらの言い分も分かる。分かるからこそ、本気の喧嘩の筈なのに妙に甘ったるく感じるのだ。


 しかし、オミの内心は、表情に反し凄まじい熱をはらんでいた。

 胃のあたりにあった手を胸元へと持って行き、徐に握り締める。口元が弧を描くのを、必死に堪える。涙が浮かぶのを、懸命に耐える。


 オミは今、目の前の光景に感激していたのだ。


 こんな喧嘩もあるんだな、と。

 心が死んでいた筈の姉が、こんな顔もできるんだな、と。


 感情をき出す姉の様に、喜びで彼女へすがりつきたくなる。

 改めて知るカナタの有難さに、感謝で彼へ土下座したくなる。


 しかし出来ない。してはならない。今必要なのは、そうではないのだ。

 激情を自身の内に抑え込み、場に相応しい"呆れ"を、どうにか顔へと張り付ける。



(ありがとう、カナタ。でも、ごめんね)




―― 今は、叩き潰すよ ――




 サナのために、カナタのために。

 胸を焼き焦がす熱情をしるべにして。


 オミは、一日かけて組み立てた"カナタ打倒計画"の最終フェーズを、実行に移した。

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