卍 コロナの未来 卍
SARSやMARSの時は対岸の火事感覚だったけど、今回の騒ぎは明らかに違う。マスク不足に始まってオリンピックやイベントの中止または順延、映画館が閉まり、著名人が倒れ、テレワークが奨励され、ついに緊急事態宣言しちゃった。
天変地異でも起こらないとなかなか変化しない日本の社会が……というか世界がのたうっている。つまり今回の騒ぎは控えめに言っても3.11に匹敵する。
五月までは何もしないように、というお達しである。しかも「とりあえず」という注釈つき。
例によって行政はもたつき、一部マスコミは煽りまくったり見当違いなこと無責任に発信したり、悪い意味で「いつも通り」。社会の上のほうの想像力不足により判断や決断がかなわず、三月末くらいまでは、のらりくらりしているうちに自然収束してくれると思っていたらしいですね。
さて3.11に例えたので今後のことに目を向けてみましょう。
今回もっとも気になったのが武漢ウィルスに対する市民の感覚である。
もうエイズ並みの扱いになってるって、みんな気付いてますよね?
エンガチョーっていうアレです。コロナに罹り回復した人は大勢いるけど、その人たちの現状が気になりますね。
3.11の被害者にしても、よくあるのは「あの記憶を風化させない!」というスローガンですけれど、その陰でいつまでたっても「3.11被害者」という「役割」から解放されない人もいるでしょう……辛すぎてできれば忘れたいのに、周囲がそれを許さない。
血の気の多い他国のように暴動略奪にはなかなか発展しないかわりに、日本人は「静かにパニくれる」という妙な国民性があるような気がする。
静かなので表沙汰にならないけど、気がつけばいい大人が開店前のドラッグストアに並んでマスクを買い占めている。いくら大丈夫と呼びかけても保存食やトイレットペーパーを買いあさってしまう。
理屈が通じなくなってるこの状況をパニックと呼ぶ。
道理に耳を貸さない人たちは、原初的な生存本能に従ってひたすら守りに入る。外に出歩いただけで「真面目に引っ込んでろ」と罵られ、コンビニ店内でうっかり咳もできないような雰囲気が世間にたゆたい、「こいつわざと伝染そうとしてないか?」と、存在するかも分からない身近なテロリストに疑心暗鬼の毎日。
そういう世間ではコロナ羅患者の地位など虫けらなみである。たぶん友達をなくし家族からも当面出禁を言い渡されるであろう。来年になっても「おまえ元コロナだろ!」って虐められる人が続出するかもしれぬ。
日本ではいったん「役割」を割り振られたら、そこから抜け出すのは極めて困難である。いつまでもその地位に甘んじてすっこんでろ、と言われる。たいがいなにひとつ落ち度のない純粋な被害者であっても冷たくあしらわれる……社会のほうがそういう人に対処するのを面倒くさがるから、くさいものには蓋となるのだ。
救済の手が差し伸べられるのはずっと後になってからで、その場合も面倒な「後援者」に囲まれてるので決して「一般人」には戻れない。
みんなそういう風潮を皮膚感覚で悟っているから、エンガチョされないよう必死にマスクを買いあさるわけで……
くれぐれも二次被害を出さないよう、冷静な対処をお願いしたいですけどね……。
というわけで復活しました!