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また、明日

恋愛は、くさくて恥ずかしいくらいがちょうどいい。

そして、あんみつもいいけど、かき氷もいいよね。

そんな、お話

 どこか遠くの方から、蝉の鳴き声が聞こえる。


 季節を勘違いしたおっちょこちょいの蝉の声が耳に心地よくて、僕はうとうとと眠りかけていた。


 昨日まで羽織っていた厚手のコートは部屋の隅に転がり、押入の奥から引っ張り出された扇風機が気遣わしげに首を振っている。


 まるで夏が来たかのような風景。


 十二月の暦にはありえない光景。


 たった一日で通り過ぎた四季を感じながら、汗が伝う額をTシャツの袖でふき取る。


 額に張り付いた髪を、頭上からやってくる風がふわりと揺らした。





 閉じたまぶたの向こう側で、何かが揺れていた。


 うっすらと感じられる柔らかい光が、定期的に点滅を繰り返している。


 眠りの世界に引きづりこまれそうになりながらも、その様子がなんだか妙に気になって、僕はゆっくりと目を開いた。


 急に開かれた視界。


 アップで迫る誰かの瞳。


 「なあ・・・・」


 「ん?」


 寝起きのためにかすれている僕の声に、彼女が言葉を返す。


 「・・・・なにやってんの?」


 「いや・・・寝顔がかわいいなと思ってみてた」


 「・・・・・なんでこんなに近いの?」


 「なんていうか、その・・・・・・キスしようとしてました、はい」


 「・・・・・なんで顔が揺れてるの?」


 「・・・・・いざとなったら恥ずかしくて」


 そんなふざけた答えを返すのは、僕の高校時代の同級生である井坂園子、御年24歳。


 小さな病院で看護婦をやっている。


 高校の時には親しい間柄ではなかったけど、進学のためにやってきたこの街で偶然再会して意気投合、それ以来友人関係を結んでいる。


 恋愛関係は、なかった。


 たまに冗談で、彼女がこういうわけのわからんことをしたりするけども。


 「なあ、そのこ」


 「なに、利也君」


 「普通、友達の女の子が、鍵をかけていた部屋の中で寝顔をのぞき込んでいて、キスまでしようとしてるなんて状況はないとおもうんだけども」


 「そう?普通だと思うけど、けっこう」


 「いや、違うと思うぞ、絶対。それに、鍵、かけといたよな、俺?」


 「うん。でも、ほら、私、合い鍵持ってるし」


 「・・・・・ストーカー?」


 「な、な、な、なにいってんのよ、利也君たら、も〜やだな〜」


 思いっきり動揺している園子に(自覚してるならそういうことするなよって思うけど)、ため息を返すと、それまで横たわっていた布団から身を起こした。


 僕の体の上にのっていた彼女が後ろにひっくり返り、頭をぶつける。


 のたうち回っている彼女を無視し、僕は顔を洗うために洗面所へと向かった。


 ユニットバスに設置された小さな洗面台の蛇口をひねり、顔をじゃぶじゃぶ洗う。


 曇っていた頭が澄んでいく。


 その感覚が心地よくて、僕は何回もその行為を繰り返した。


 あらかじめ用意していた洗ったばかりのタオルで顔をぬぐいながら部屋へ向かうと、すごい目で彼女がにらんでいた。


 「・・・・・・ひどい」


 「しょうがないじゃん、そっちが悪いんだし」


 「・・・・・・ひどい」


 「今回は謝んないぞ。いつもいつもそんなに・・・」


 「・・・・・・ひどい」


 僕のセリフにかぶさってきた言葉に、今日何回目かわからないため息を吐き出すと、僕は彼女の目を見ながら言った。


 「明楽堂のあんみつがあるんだけど」


 怒った顔を貫き通していた彼女の眉がぴくっと動く。


 「遊びに来たときにでもいっしょに食べようと思って、二人分買っといたんだけど」


 彼女の眉がぴくぴくっと動く。


 その表情を見ながら、手に持っていたタオルを首に掛け、僕は冷蔵庫へと向かった。


 明楽堂。


 しわくちゃのおじいちゃんと、やっぱりしわくちゃのおばあちゃんの二人でやっている和菓子屋さんだ。


 戦後すぐに建てられたという小さくて古い店だが、四季の花で飾り付けられたその店を訪ねるファンは多い。


 特に小さな竹筒に入れられたあんこが別につけられているあんみつは絶品で、その味を求めて遠くの街から買いにくる人も多いという。


 そして、そのあんみつが園子の大好物だったりする。


 幸せそうにスプーンを口に運んでいる顔を眺めながら、僕はあらためてその威力を実感していた。


 見つめられていることに気づいたらしく、あわてて怒った顔を作りながら僕のことをにらんでくる彼女。


 だけど、その口元はにやけたままだ。


 そのことに自分で気づいたらしく、ごまかそうと咳払いをしながら彼女が訊ねた。


 「いつ買ってきたの、このあんみつ?あそこのあんみつ、保存料とか入ってないからそんなにもたなかったと思うけど」


 「ん、なんか、午前中図書館からの帰りがけに店の前を通ったらやってたから、買ってきた」


 「え、でも・・・・」


 「やってたんだよね、なぜか」


 口ごもった彼女の理由がわかって、僕はいつもよりも強い口調で言葉を紡いだ。


 ・・・・・世界中を駆け抜けた驚愕のニュース。


 世界の、終焉。


 その事実を知ったとき、多くの人間が日常を捨て去った。


 仕事を放棄し、犯罪に走り、宗教にすがり・・・・・多くの人々が、それまで映画の中だけだと思っていた事実に動揺し、様々な行動を起こした。


 この街も同じだ。


 きらびやかだった多くの店がシャッターを閉め、そのシャッターを壊そうとする幾人かの人々が凶器を振り上げ、その様子を無気力な人々がうつろなまなざしで見つめる。


 世界のどこかの国よりはましだったけれど、この場所でも混乱という名の病魔は確実に牙をむいてきた。


 そんな光景の中、明楽堂はそこにあった。


 いつもと変わりない花々に包まれて、いつもとちょっと違っておばあちゃんが打ち水をしていて。


 二人分のあんみつを袋に入れてくれていたとき、ふと訊いてみたんだ。


 どうして店をやっているのか。


 最後の最後くらい、自分の好きなことをすればいいのに、と。


 そのとき、おじいちゃんは笑ってこう答えたんだ。


 この場所で、こうやってお菓子をお客さんに買ってもらうことが、私の一番好きなことなんです、と。


 園子のスプーンが、餡をのせたまま止まっていた。


 そのスプーンが次第に震え出す。


 彼女は泣いていた。


 おじいちゃんとおばあちゃんの様子をききながら、大きな瞳からぽろぽろと涙をこぼしていく。


 その姿を見て目を細めた僕は、なぜか無性にそうしたくなって、彼女の頭に手をのせ、そのまま抱き寄せた。


 彼女と出会ってから初めての行為。


 握られていたスプーンが、テーブルの上に落ちる。


 初めてのことなのに、とまどいもなくて。


 初めてのことなのに、自然にそうすることができて。


 僕は不思議と落ちついた気持ちになることができた。


 声を震わせた彼女が、僕に問う。


 「夕ご飯どうしようか?ちょっと早いけど、何か食べに行く?」


 「いや・・・・うちで食べようよ。・・・・俺、園子の作っためしが食べたい」


 「え?でも・・・・」


 とまどった声。


 彼女は料理ができない。


 料理はいつも僕がつくっている。


 だけど。


 「園子がつくった料理が食べたい。なんか、ものすごく。俺、手伝うから」


 「・・・・・・・うん」


 いつもと違った素直な返事。


 いつもと同じ、聞き慣れた、声。  








 「どうよ、私が本気出せばこんなもんだよ」


 「三回も指切ったけどな」


 ビルの向こう側に夕日が沈み込み、長い長い影を街に投げかけている。


 赤い光に照らされた町並みを見つめながら、僕は彼女の隣を歩いていた。


 あんなにも騒がしかった街の喧噪も、いまはない。


 その事が少し寂しく思えて、僕は少し唇を震わせた。


 「じゃあ、私、ここまででいいよ」


 家に向かう十字路の前で、彼女は立ち止まった。


 「え?危ないから家まで送るよ」


 「ううん、今日はこのまま病院に向かうから。夜勤があるんだ」


 「病院って・・・・・」


 仕事にいくのかよ・・・・・そう言いたかった言葉は彼女の表情によってかき消された。


 強いまなざしで、見つめてくる。


 「うん、こんなときだから、休みを取った同僚がたくさんいて、人手が足りないみたいだから、私まで休んじゃったら、ね」


 「でも・・・」


 「病院で苦しんでる患者さんがいるのに、それをほっといてなにかするなんて、そんなことできないよ。私、小心者だから、気になっちゃってなにもできないと思う。それにさっきの話じゃないけれど、それがいまの私にとって一番好きなことだから。・・・・・かっこつけすぎ?」


 照れたように笑う園子の額をこづくと、僕は彼女の頭を撫でた。


 「えらいえらい」


 「ま〜た子供あつかいしてるし、この男は」


 呆れたように言いながらも、目を細めてされるままにしている。


 その様子を見ながら、僕は口を開いた。


 「じゃあ、病院まで送ってく」


 「いいよいいよ、こっから近いし。それに、どうせいまから講義をききに行くんでしょ?」


 「うん、まあ・・・・」


 「時間に遅れちゃうからいいよ」


 そういって笑う彼女。


 彼女は僕の夢を知っている。


 冗談めかして話した弁護士という職業に、僕が本気でなりたいってことを知っている。


 「利也君こそ、こんなときに勉強することなんてないのに。いまさら塾なんて行かないでもいいのにさ」


 「まあ、でもさ、そんなに急には頭んなか変えられないからさ。・・・・・あきらめられないし」


 なんだか恥ずかしくなってきた僕に微笑むと、園子は背伸びをした。


 そのまま僕の頭に手をのせ、ゆっくりとなでる。


 「いいこ、いいこ」


 「ちょっ、ばっか、やめろって、恥ずかしいし」


 「いいじゃん、自分だってやったんだからさ」


 抵抗する僕の服を、逃がさないようにつかむ。


 あきらめた僕は、彼女のさせたいようにさせていた。


 「さってと、じゃあ、行くね」


 ひとしきりやって満足した顔の園子が口を開く。


 「ん、がんばれよ、戦友」


 「そっちもね」


 「じゃあ、また」


 「じゃあ、またね」


 いつもと変わらない言葉を交わし合う僕たち。


 <また>なんて言葉に、もう意味なんて無いのに。


 うつろな言葉が、僕の耳に残っている。


 ぐるぐるとまわったまま、僕の心を締め付けてゆく。


 苦しくて苦しくて・・・・・気がついたら僕は叫んでいた。


 「そのこ!!!」


 振り向く彼女。


 「好きだ!!!」


 口に出したことなんて、口に出すことなんてないと思っていた、大切な大切な言葉。


 涙が浮かぶ彼女の瞳が、大きく開かれる。


 何か言いかけて、だけどなにも言えなくて、そして。


 「私も!!」


 彼女が叫ぶ。


 「私も、大好き!!!!ずっとずっと、好きだった!!」


 恥ずかしくて、普段ならいえなかった。


 だけど、いまは普段じゃないから。


 だけど、いまは恥ずかしがってる場合じゃないから。


 「また、明日な!」


 「うん、また、明日」


 二人の顔に笑顔が生まれる。


 言葉に、意味が生まれる。


 その意味をかみしめながら、僕たちは自分の向かうべき場所に向かって歩き出した。






 <また>なんて言葉に意味なんてないのだろう。


 <明日>なんてものがくることなんかないのだろう。


 だけど、あえて僕たちは言葉を紡ぐ。


 僕たちはいくつもの約束を交わしていく。


 きっとそれが、希望というものなのだから。


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