017『恐怖の中で……』
「赤瀬か? ふざけんじゃねーよ。何でこんなことするんだよ。なあ、ふざけてないで早く縄をほどいてくれよ」
青木は言葉が聞こえた方向に今の心情を吐露した。
「何で? 使い古しのセリフだろうけど自分の胸に聞いてみろよ」
そう赤瀬はいった。赤瀬の足音が迫ってくる。青木と黒田のもとに迫る足音が小気味よく洞窟内を何度も反響させた。
「自分の胸に聞いてみろ……? 何をだよ? 頼むって、このままじゃ黒田が漏らしちまうぞ……」
その時洞窟の壁に沿って明かりが順番につきだした。目を凝らしてよく見ると、赤瀬がライターで火を灯している。いつから置いてあった物なのか分からないランプが壁にかかっていた。
徐々に洞窟内が薄く照らされた。かなり洞窟内は広いようで、真ん中まで光が届いていない。ランプに火を灯しながら。赤瀬は徐々に青木と黒田のもとに近づいてくる。
赤瀬の輪郭が識別できるほどには明るくなった。コトコトと赤瀬の足音がだんだん迫ってくる。医者が病院の廊下を颯爽と歩く時のように赤瀬の足音には迷いがない。
そして赤瀬は、青木と黒田のすぐ目の前に立った。
「ど……どうしたんだよ。いつものお前らしくないな……?」
青木は影を落とし、感情の読み取れない赤瀬にいった。しかし赤瀬は何も言葉を発しない。ただ冷たく青木と黒田を見下ろしているだけだった。
「何で黙ってんだよ? 返事ぐらいしろよ」
いくら赤瀬に言葉を投げかけてもまったく、キャッチボールは続かない。赤瀬が返事をしてくれない、のだから投げたボールがそのまま地面に落ちるだけだ。
ふと、赤瀬が手に持っている物が光を放っているのが目についた。青木は目を凝らして赤瀬の手元を凝視しする。
そのとき青木は体中の体毛が逆立つのを感じた。動物が持つ本能的な死の恐怖。赤瀬が持っているものは鋭く刃紋を放つ鎌だった。
呼吸が荒くなり、体中の毛穴という毛穴から汗が浮かび上がってくるのを感じた。
それもじめっとした汗を。
「お、お、おい! じ、じ、冗談が過ぎるぞ!」
恐怖で舌が回らない、何度も吃りながら青木はやっとの思いでいった。
「・・・・・・」
赤瀬はまったくしゃべろうとしない。それがかえって、恐怖を増加させるのだった。
黒田も赤瀬が持っているものに気付き、尿意も忘れただ震えていた。
「そ、そうか。その鎌で縄を切るんだな……」
青木はポジティブな方へ話を持っていく。しかし、まったく真逆の事ばかり頭をよぎる、自分の声が震えているのが分かるが、黙っていると赤瀬の心情は聞きだせない。
「いや、これは縄を切るために使うんじゃない」
まるでニュースキャスターが紙に書かれた文字を読み上げる時のように無感情にいった。赤瀬は感情を隠してしゃべっているのではない。本当に感情のこもらない声でいった。
動物の本能が早く逃げろと危険を知らせる。しかし手足は縄を縛られ一寸も動く気配はない。それがますます青木の恐怖をかきたてた。
「え、え、エイプリルフールじゃないんだぜ……。こんな冗談、ゆ、許されないぞ!」
青木はこれだけ言うのが精いっぱいだった。黒田は何も言わずにとなりで震えているだけだ。肝心な時に役に立たない奴とはこいつのことをいうのだろう。
「青木、黒田―――。冗談でこんなことをすると思うか?」
手に持った鎌の切れ味を確かめるかのように、人差し指で刃先を撫でながら赤瀬はいった。
その言葉を聞いた青木は何も言い返せなかった。
「このまま、殺されたんじゃ納得できないだろうから。理由を教えてやるよ」
殺す、確かに今赤瀬は『殺す』といった。
『殺』という言葉を聞いた時、何を言っているのか分からなかった。意味が分からないのではない。『死ね』だの『殺す」だの冗談で毎日のように使う。
しかしそれは冗談だと分かって言っているから許されるのであって。今の赤瀬がいう『殺』には冗談と思えない凄味があった。
本当に恐怖が迫った時は言葉を発するのも忘れてしまう。
何も言い返さないのを見て、赤瀬は強弱のない音程で語りだした。
「青木、黒田。中学時代のことを憶えているか?。憶えている訳ないよな。憶えていれば俺となんてつるまないもんな。だが俺はあの頃のことを憶えている。――何のことを言ってるか分かんないって顔をしてるな」
そこまでいって赤瀬は一旦黙った。まるでヒトラーのように。
ヒトラーは沈黙した後に言葉を発したという。沈黙の力をヒトラーは知っていた。今の赤瀬もヒトラーのように何秒も沈黙した。
そして、「俺の机に死ねって書いたことを憶えているか。靴を隠したことを憶えているか。トイレに閉じ込めたことを憶えているか。いうことを聞かないからって殴ったのを憶えているか。親の財布から金を盗んでこいといったことを憶えているか。万引きを強制したことをおぼえているか」今まで心に秘めた思いを爆発させ赤瀬は怒涛の勢いでいった。
「そんなこと憶えてないよな。やった方は憶えてなくても、やられた方は憶えてるんだ。忘れたくても忘れられないんだよ」
前髪のあいだから鋭い眼光が青木と黒田を見据える。
「い、伊瀬なのか……。お前伊瀬だったのか―――。……あの時は悪かったよ、あの時は善悪の判断ができない歳だったんだ……。本当に悪いことした……もしまた会う事ができたら謝ろうと思っていたんだ」
青木は言葉を探すのに必死だった。ようやく見つけた言葉は何の力も秘めていない。
「イジメのニュースとかよくやってるよな。中には自殺に追い込むような酷いのもある。そんなニュースを見るたび思わないか? 死ぬぐらいならイジメをしてた奴らを道ずれにしてやればいいのにtって。だけどそう思う立場になって分かったんだ、そんなことしたら家族や親戚に迷惑がかかるって……」
青木には赤瀬が言おうとしていることがハッキリとは理解できたが、なんとなくだが理解し始めている自分に恐怖すら感じ始めた。




