その6
「ルコ!遙華!生きている?返事して!」
こんな忙しい時に恵那の必死の呼び掛けだった。
「吾はまだ生きているのじゃ」
遙華は消え入りそうな声で返事をした。
ルコはそれどころではなかった。激しくなる一方の石矢に怯えながら尚もズルズルと後退していた。このままではやばい!とルコは本気で思い始めていた。
「ルコ!死んじゃったの?」
「ルコ様!返事をして下さい」
恵那と瑠璃が悲痛な叫び声を上げていたが、ルコには答える余裕がなかった。そして、そんな時に矢がルコの目の前に飛んできた。ルコはびっくりして銃で払い除けて無事だったが、猪人間が閉鎖空間に慣れてきたのは明らかだった。
「ルコ……死んじゃった……」
恵那は絶望したようにそう言った。
「生きているわよ!」
ルコは大声でそう叫ぶと、やぶれかぶれで左右連続で撃ちまくった。
「ルコ様、無事なのですか?」
瑠璃はびっくりしたように上擦った事で言ったが、ルコにはまたもや返事する余裕がなかった。
銃撃で怯んだ猪人間の隙を突いて脱兎の如く踵を返して走り出した。
それを見た猪人間達はすぐに矢を次々と放ってきた。
ルコは無駄だと思いながらも、走りながら肩越しに両手の銃を後ろに向けて見ないで銃撃を続けた。猪人間に全く当たる様子がなかったが、飛んできた矢に対しては効果があった。ルコは見ていないから分からなかったが、ルコ目掛けて飛んできた矢を偶然にも撃ち落としていた。この辺は運だけで生きている人間だった。
「ルコ、どうしたの?」
恵那が再び呼び掛けてきた。
ルコの方は渡り廊下から研究棟へ入り、廊下が交わる十字路を転がるように右折して物陰に隠れた。
「今、取り込み中よ!」
ルコは物陰に身を隠しながら猪人間への銃撃を続けた。
「良かった、生きているようね」
恵那は安心したように言ったが、ちょっと涙声だった。
「今から敵を突破してそちらに向かいます。どこに行けばいいのでしょうか?」
瑠璃はルコにそう聞いた。
「研究棟の裏に回って。位置はマリー・ベル、分かるわよね」
ルコは尚も銃撃を続けながらそういった。
「はい、承りました」
マリー・ベルはそう答えた。
瑠璃・恵那組も驚異的に敵の数を減らしていた。研究所の周りは森林地帯だったが、敷地には建物以外の遮蔽物がなく、射線が通りやすいところだったのが幸いしていた。マリー・ベルは瑠璃と恵那の特長を活かすべく、距離を巧みに取りながら敵の戦力を削っていき、驚異的なスピードで6匹を葬り去っており、敵の陣容が薄くなっていた。
そんな事はルコは知る由もなかったが、今は自分の事を考えていた。
あ、私、近接戦闘の方が得意なのね。さっきあんなに倒したのだからと認識し直して急に冷静になっていた。この辺の客観的に自分を見られるところがこれまで生き残れた要因の一つかもしれなかった。
「マリー・ベル、敵の距離を表示して」
ルコは銃撃を止めてそう指示を出した。無駄弾を止めて、じっくり待つ事としたからだ。
「はい、承りました」
ルコの手元にホログラムで渡り廊下と研究棟の地図が表示され、猪人間の位置が赤丸で示されていた。
ルコの銃撃が止んだが、猪人間達は慎重にこちらに近付いて来ていた。そして、時より牽制の矢が飛んできたが、ゆっくりだが確実に近付いて来ていた。
残弾は左右とも1発だった。弾倉を入れ替えたかったが、既に時は遅く猪人間が迫っていた。無駄弾を撃った自分を呪ったが、同時に戦闘開始前に弾倉を入れ替えたのは正解だったとも思った。どうせならいい方に考えよう、ついているとルコは思う事にした。
猪人間達は渡り廊下から研究等へ入り、少し廊下が広くなったので並んで二歩進んだ時にルコは思い切って飛び出した。そして、両手を突き出しながら二匹の眉間に狙いを定めようとしていた。だが、猪人間達はそれを予想していたかのように石弓を構えていた。
ルコはすぐにそれに気が付き、両手を引っ込めると、左の猪人間が矢を放つために右手が弦を離したのが見えたので、ルコはすぐにしゃがみこんだ。
矢はルコの頭の上のヘルメットに当たり、ゴンという音と共にヘルメットがズレる衝撃が伝わってきたが、ルコは難を逃れた。だが、遅れて構えていた右の猪人間がしゃがみこんだルコ目掛けて矢を放つために右手が弦を離したのがまたもや見えたので、今度は右に倒れ込んだ。矢は目の前をギリギリ通過して床に当たって跳ねた。
この状況は再びスローモーションのように見えて、予め自分の振り付けが決まっているかのように感じた。そして、二本の矢が外れた猪人間達が慌てて弓を放り出して背中にしょっている石槍に手を掛けていた。ルコは二人の猪人間達の表情の変化までしっかりと観察できていた。
ゴロンと転がるように倒れ込んだルコの方は、倒れた時に足が跳ね上がった格好になった。パンツ丸見えの無様な格好だが、跳ね上がった足を振る事による反動で素早く立ち上がる事ができた。そして、立ち上がっている最中に、下から突き上げるように2匹の猪人間のそれぞれの心臓に銃口を突きつけると同時に引き金を引いた。
2匹の猪人間はいずれも石槍に手を掛けたまま、血しぶきを上げてそのまま倒れた。ルコはその血しぶきを頭から浴びて全身が真っ赤になった。ただ、これで全部倒せた事になる。
「ルコ、ここ開けて」
恵那がインカムを通じて呼び掛けてきた。タイミングよくすぐ傍の出入口に来たようだ。
ルコは血の匂いで鼻が馬鹿になったようで感じが悪かった。また、血のベトベト感ももの凄く不快だった。そして、半端ない疲労感がどっと出てきた。
「ルコ様、遙華様、無事ですか?」
今度は瑠璃が呼び掛けてきた。
ルコはあまりの疲労感で返事が出来なかった。
遙華の方もしばらく経っても返事がなかった。
ルコは遙華の返事がなかったのでもの凄く焦り、鉛のように思い体を引きずりながらフラフラと歩いていった。ほんの十数mがとても遠く感じられたが、何とか出入り口に辿り着いた。
ルコが出入り口の前に立つと扉は自動的に開いた。開いたのを見たルコはその場にへたりこんでしまった。
「あ、開い……、ルコ!大丈夫?!」
「ルコ様!」
血で全身真っ赤になっているルコを見た恵那と瑠璃が驚きの声を上げた。
駆け寄ってくる二人を見てルコは意味が分からなかった。
「早く治療しないと!血だらけよ!」
「ルコ様、しっかり!」
恵那と瑠璃は悲壮な表情を浮かべた。
ルコの方はまだ意味が分からなく、早く遙華をと思っていた。ただ、両手から銃を放そうとした時に疲れすぎて上手く指が動かなかった。そこで、両手を見た時に、初めて血だらけになっている自分の姿をようやく察することができた。
「これは……全部敵の血よ。私は無傷だから早く遙華をそこの部屋にいる……」
ルコは疲れすぎて息も絶え絶えだった。戦闘中は全然平気だったが、安心した途端に自分の限界を越えていた事が判明した感じだった。
「本当なの?」
恵那はそれでもしつこくルコに聞いてきた。
息も絶え絶えで血だらけだから仕方がない。
「大丈夫……疲れただけ……」
ルコはやっとの事でそう言うと、恵那と瑠璃は担架を持ってようやく遙華の救出に向かった。
しばらくすると、担架に乗せられた遙華が現れた。
「ルコ、吾より……酷いのじゃ……」
遙華は消え入りそうな声でルコの前を通り過ぎながらに言った。
「大丈夫……だから、自分の心配……して……」
ルコは恵那と瑠璃に車の中へと運ばれる遙華に向かってそう答えた。
そして、ルコはなんとか立ち上がると、三人の後を追って転がるように自分も車に乗り込んだ。




