英雄の出発 1
ルベリアはアブラプトゥムから帰還すると、王都の別邸に寄ることなく急ぎ登城した。
すぐにでもエッカルド王に謁見したかったのだが、辺境の令嬢であるルベリアにはそう許されることではない。故に彼女が向かったのは此度の任を命じた宰相の元である。
それでもルベリアは幾度となく足止めされた。王までとはいかずとも、宰相とてこの国の中心を担う重要な人物。致し方ないこととはいえ、王の有らせられる最上階より二つ下にある執務室へ辿り着くまでの間、はしたないとわかっていたが足音を響かせ歩いた。
宰相の執務室は、王城の最上階から二つ下に存在する。
ルベリアが踵の音を響かせて階段を上りきると、長い廊下の真ん中で護衛騎士が二人、扉の前に立っているのが小さく見えた。予定に無い訪問者の姿に、彼らは揃って腰に携えた剣に手を添える。
しかしルベリアは、その様子に萎縮することもなければ、己が来た理由を説明することもせず、急ぎ足で歩み寄る。
彼らは近付いてくるのが非力な女性――それも辺境の美人令嬢であることがわかると、剣から手を離した。
だがやはり王城勤務の騎士だけあるようで、己の職務を忘れはせず、彼女の視線から扉を遮るように並び立つ。
「シェルグラス嬢、どうかなさいましたか」
「急ぎ宰相閣下にお会いしたいのです」
「ですが、本日そのような予定はありません」
「これは重要なことなのです」
ルベリアの言葉に、顔を見合わせる騎士たち。声に出さずとも、どうすればこの令嬢を傷付けずに追い返せるだろうかと考えていることは明白だった。
苛立ちのままに大声で叱咤することもできたが、ルベリアは大きく息を吸って吐いてから微笑んだ。媚びを売るのではなく、なるべく優雅に見えるように。
「宰相閣下には私から説明致しますわ。お二人にご迷惑はおかけしません」
やはり彼らも男であるからして、彼女の笑みには弱いようであった。
騎士たちは先程よりも狼狽えた様子で、今度は小さな声を出して相談し始めた。互いに顔を寄せて囁き合うその姿は、まるで貴族令嬢が噂話をしているようで、騎士の名が聞いて呆れるとルベリアは内心溜息をついた。
「やはり、その、正式な手続きを……」
内緒話が終わると、騎士たちは苦渋の判断でも下したかのように顔を歪めて言った。
ルベリアは呆れて物も言えず、心底から罵る。
やはり騎士などというものには優先順位の分からぬ馬鹿しかいない。彼女の持っている事実がこの国にとってどれほど重要なことなのかとは、考えてもみないのだろう。
しかし彼女は罵詈雑言を口に出す代わりに、なるべく清純そうに見えるよう両手を胸の前で組んだ。それから不安でたまらないといった表情をつくり、瞳に涙を浮かべて騎士たちを見上げる。
「一刻を争うことなのです。私ではどうもできず、宰相様のお力が必要なのです」
「し、しかし……」
あと一押しだと思ったルベリアは、近くにいた方の騎士の手を取った。
無骨な男の掌に、彼女の白く滑らかな指が這う。
思わず肩を揺らした騎士に、弧を描く口元が見えぬよう俯きながら口を開いた。
「どうかお願いします」
俯いたおかげで必然的に上目遣いとなった麗しい令嬢に、ついに男は陥落した。
***
ルベリアが入室すると、宰相は広い執務室の真ん中でひとり机に向かっていた。
静かな室内では扉を開けた音がよく響いただろうが、顔を上げることもせず何かを読んでいる。
「ベイヤー宰相閣下」
呼びかけるも、宰相は書類に向かったまま、彼女を見ることすらしない。
「宰相閣下、至急ご相談したいことがあるのですが」
「…………」
「閣下。ベイヤー閣下! ファウスト・ベイヤー・フォースタス閣下!」
ベイヤーはそこで漸く顔を上げた。
その顔は険しく、心底から不快そうに眉根を寄せている。ルベリアを一切歓迎していないことは言うまでもない。
「そう何度も言わずとも聞こえている」
「申し訳ありません。ですが、至急お知らせしたいことがございまして」
ルベリアがそう答えると、宰相は苛立ちを含ませた深い息を吐いた。
「誠意のない謝罪ほど無意味なものはないと思わんかね」
ベイヤーは立ち上がると、書類の束をもって部屋の中を歩いた。
壁際の本棚まで行くと、その中の一冊を取り出して書類を仕舞う。
「君は先触れも無しにここへやって来た。まずはそのことについて何か言うべきではないだろうか」
「申し訳ありません。至急お知らせしたいことがありまして無礼を致しました。それで、大監獄の……」
宰相の手が宙を斬り、ルベリアは口を噤む。
「君は何もわかっていない。私は口先だけの謝罪の方が無礼だと言っているのだよ」
ルベリアは、話を聞かぬ宰相の方が無礼だと思ったが、まさかそれを口に出すわけにもいかず耐え忍んだ。
「非礼の責任は取るつもりです」
ルベリアは切り出した。
「ですが今は大監獄の最下層にいたアンデッドのご報告を……」
頭を過る忌まわしい光景に自ずと早口になるルベリアの言葉は、再びベイヤーに遮られた。
「何事かと思えば、そのことか」
ルベリアは思わず言葉に詰まる。宰相の言ったことが理解できなかった。
ベイヤーは、まるで何もかも知っているかのようではないか。
まさかと思いながら、ルベリアは聞き返す。
「ち、地上ではありませんよ? 閉じられていた最下層にまでアンデッドがいたのです」
「元より最下層にはアンデッドしかいないのだが、君は知らなかったのかね」
「え?」
狼狽えるルベリアの耳に、更に信じられない言葉が聞こえてくる。
「首を斬られて尚生きているあのアンデッドを封じるために最下層は塞がれた。バース・エッカルドの貴族ともなれば誰もが知っていることなのだが……」
ベイヤーはそこまで言うと、驚愕に目を見開いたままのルベリアを一瞥して、
「もっとも君のような方には、初耳だったかもしれないがね」と、独り言つ。
普段であれば、除け者にされたことに切歯扼腕するところだが、今回ばかりは驚きの方が勝った。
ルベリアは怒りよりも先に宰相に詰め寄る。
「で、では本当に首はこの国にあるのですか!?」
「ああ。そうだ」
ルベリアは息を呑む。
アブラプトゥムでの光景が脳裏を過った。転がってくる首。それを斬り伏せる大英雄。結晶石を反射する刃の鈍い光。微笑んだように見えた切り裂かれた口元。
今でも生々しく思い出せる悪夢を拭い去ろうと、頭を振ってルベリアは叫んだ。
「即刻始末するべきです!」
「始末だと?」
宰相は馬鹿馬鹿しいとばかりに嗤う。
けれどルベリアは主張を覆さなかった。彼女の耳には大監獄の音がこびりついている。己の踵が立てる甲高い打撲音に、亡霊の奏でる不気味な啜り泣き。剣が空気を切り裂く音と、崩れ落ちる砂の音。大英雄の荒い息遣い。そして、ほの暗い深淵から響くかのような低い声。
いつまた闇の中を渡ってアレが現れるかわからないのだ。その恐怖を知ってしまった今、ルベリアを突き動かすのは、アレが死ぬのをこの目で見たいということだけだった。
「アレは始末するべきです。否、しなければならないのです!」
彼女は叫ぶように断言した。
「アレは私には何もしませんでした。けれど正真正銘の化け物だったのです。アレはそこに存在しているだけで悪でした。罪でした。そんなものはこの世に必要ありません。首を燃やし、その骨を砕いて、二度とこの世に現れぬよう消し去るべきです!!!」
言い終えると、ルベリアは己の息が上がっていることに気付いた。
まるで長い距離を足で移動したかのような倦怠感と共に、膝が震えている。全身がひどく熱いのに、手は悴んでいた。
己を落ち着かせるため、ルベリアは冷えた指先を握り込んだ。
「彼は死なないのだ」と、ベイヤーは言った。「その体が存在し続けているということは、首もまた存在し続けているということだ。彼はそうして百年もの間生き続けている。重力すら彼には勝てない。普通ならば、上に被せられた土の重みだけで潰れてしまうだろうに」
ルベリアは絶望した。
それと同時に、だから大英雄ともあろう人物があそこまで狼狽えたのだと気付いた。
だがガードナーは数日でこの地を離れ、この世で最も安全な場所へ行く。それなのに、英雄よりも非力な自分はどうだ。
その美しい顔を蒼褪めさせ、彼女は縋るように問うた。
「光魔法は、効かないのですか? ドラコニカの祈りは?」
「さぁ? 何せ(我々が)生まれる前の話だ」
ベイヤーはそう言ったが、その答えはルベリアにもわかっていた。きっと考えられるすべての方法で駄目だったのだ。だから大英雄はこの国を離れ、世界で一番不自由な国に行く。不自由であるが故の自由を求めて。
そのとき、ふと、ルベリアには絶望の中に一筋の光が見えた気がした。
「閣下、どうしてアレは未だアブラプトゥムに捕らわれているのでしょう?」
ルベリアがそう問うと、ベイヤーは怪訝そうに眉根を寄せた。
そして何を当然のことを問うのだと、呆れながら口を開く。
「首は地下深くにあるのだ。たとえ体が動こうと不自由であることに変わりないだろう。何せ目も耳も鼻も口も無いのだから」
やはり、とルベリアは瞳を輝かせた。
彼女と宰相の間には一つの大きな行き違いがある。そしてそれは、アレを滅ぼすことのできる方法の手がかりになるだろう。ルベリアには希望の光がはっきりと見えた。
「閣下、違うのです」
ルベリアは逸る気持ちを抑え、努めて冷静に事実だけを言おうとした。
「私がアブラプトゥムで見たアンデッドは、首だけだったのです。体ではなかったのです。そこには確かに体もありました。しかし鎖につながれたまま、ピクリとも動きませんでした。私の前で動いたのは首でした。埋められたはずの首が大監獄に現れ、話したのです!」
ベイヤー宰相は、まるで狂人でも見るようにルベリアを一瞥した。
しかし、そんな視線が気にならぬほどに、彼女はその美しい顔を希望に輝かせている。
「首だと?」
「そうなのです。私が見たのは首でした!」
「だがそれなら首を取り戻し自由になることができたはずだ。それをしないということは、体の方に何か問題が……?」
ベイヤーの思考が、ルベリアの見出した光と全く同じ軌跡を辿る。
口元に手を当て、深い思考に陥った宰相に、ルベリアを軽んじる空気は一切無くなっていた。彼女の齎した情報を真剣に考慮する必要があることに漸く気が付いたのだろう。
宰相はそのまま彼女と同じ結論を出すかに思えたが、ルベリアはそれを待てずに口を挟んだ。
「調べてみる価値はあるのではないでしょうか」
「なに?」
「大監獄にある体です。アレが問題とする何かが見つかれば、滅ぼすこともできるのでは?」
己の閃きに興奮を覚えながら、ルベリアは早口でそう言った。
ベイヤーは何も答えず、更に深く考え込む。
ルベリアはこの案が上手くいくと信じて疑わなかった。アレを滅ぼすことは、ルベリアとこの国、どちらにとっても素晴らしく良いことであるのは間違いない。ならば宰相がそれを成し得る方法をみすみす逃すわけがないと思ったのだ。
長くエッカルドの貴族を恐れさせた不死身の化け物を今代で滅ぼす。もしそうなれば、それを考え付いたルベリアは第二の英雄と成れるかもしれない。
恐怖に縮んでいた自尊心が回復するのを感じながら、ルベリアは宰相が頷くのを待った。
しかし、長い思考を終えたベイヤーは、首を縦ではなく横に振った。
「いや、やはり駄目だ」
「何故ですか!?」
まさかこの期に及んで否定されるとは思ってもみず、ルベリアは悲鳴のような叫び声をあげた。
一方、ベイヤーは入室した時から変わらぬ冷静な面持ちで答える。
「アブラプトゥムに現れたのはやはり首ではなく、君の勘違いだったということだ」
「勘違いなどではありません!」
ルベリアは叫んだが、宰相は冷静に言葉を重ねた。
「しかし、そう言っているのは君だけだ。首はここの地下にあることは間違いないのだから、それは君の勘違いあるいは狂言ということになる」
そこまで言われ、ルベリアは悔しさに唇を噛んだ。
勘違いでも見間違いでも、ましてや狂言などでは絶対にない。確かに首は大監獄に存在し、ルベリアの前で言葉を発したのだ。けれどその事実を宰相は信じてくれない。
「私は本当に……」
「数百年と培われてきた歴史と、たった十数年生きてきただけの君。そのどちらを信用するかと言われれば、私は歴史を信じる」
ベイヤーは彼女の言葉を遮り、厳格な教育者のように言った。
ルベリアとて、その言い分はわかる。けれど彼女は本当に見たのだ。ガードナーが振り下ろした剣が斬った首を。荒く呼吸する老騎士の肩の動きを。丸太のような腕が力を失くし、地面を擦る切っ先を。
――そうだ、大英雄ガードナ・スピンディルがいる。
彼女の脳裏に、大監獄から王都に戻ることなく行ってしまった老騎士の姿が、鮮やかに蘇った。
ルベリアは弾けたように顔を上げる。
「ガードナー将軍が私と同じものを見ているはずです!」
見ただけではない。ガードナーはルベリアとは違い、幾度となく転がってきたアレを斬り、話しかけられ、言葉を交わした。彼が証言すれば、ルベリアの話が真実だとわかるだろう。
しかし、宰相は再び首を横に振った。
「たとえガードナーが証言しようと変わらん。首が我々に気付かれずアブラプトゥムに現れることは不可能なのだから」
ベイヤーはそう言うと、机に向かって書類に手を付け始めた。もう話すことは無いと言っているのと同じである。
「何故ですか! 私は確かに見たのですよ!?」
必死に訴えるルベリアを、宰相は追い払うように手を振った。
ベイヤーが机の上にある鐘を叩くと、一拍置かずに扉が開き、騎士が顔を覗かせる。
「お帰り頂いてくれ」
騎士たちはその言葉に頷くと、礼儀正しく部屋に入ってくる。
ルベリアは慌てて宰相の机に張り付いた。
「宰相、まだ話は終わっていません!」
なお言い募るルベリアを、騎士たちは上手くエスコートできないようだった。
頑なに宰相へ詰め寄る彼女の様子に、片方の騎士が焦れて手を伸ばす。
「シェルグラス嬢、ご退出を……」
「離しなさい!」
ルベリアはその手を乱暴に振り払った。
騎士たちの顔に苛立ちが浮かぶ。しかし彼らは騎士としての自負から、言葉でもって再度退出を促した。
彼らの苛立ちはルベリアにもわかったが、今の彼女にとって彼らの反応など塵芥に等しい。無視してベイヤーを仰ぎ見る。
しかし宰相は、これまでの会話をすべて忘れたような顔でルベリアを見下ろしていた。つまり、入室した際と同じく、彼女の無礼を心底から不快に思っているような顔で。
「そうか、君はシェルグラスの令嬢だったのか」
「あ……」
宰相のその言葉で、己が名乗りもしなかったことにルベリアは今漸く思い至った。
しかし彼女に悔いる暇も与えず、ベイヤーは言葉を重ねる。
「君の言うアンデットの話は、そもそも不可能な事象の上に存在するということを知っておくべきだったな」
「ど、どういうことですか?」
ルベリアが震える声で尋ねると、ベイヤーは右手の人差し指を立てた。
そしてその指を、真っ直ぐ下へ向ける。
「首はここにある」
ベイヤーが指すのは、この国バース・エッカルドのことだろうとルベリアは思った。そして、それは彼女とてわかっていることである。
そのように言葉を紡ごうとしたルベリアを、宰相は話を続けることで遮った。
「こことは、つまりこの場所のことだ。王都の中央であるここにはいったい何がある?」
宰相は問うだけ問うと、再び追い払うように手を振った。
それを受けた二人の騎士は、ルベリアが考えている隙をついてその華奢な腕を掴むと、問答無用と言わんばかりに連れ出した。本気になった騎士を相手に、美しいだけの令嬢が敵う筈もなく、ルベリアは引きずられるようにして扉を潜る。
だが最後に、なんとかベイヤーを振り返った。
「閣下! まさか、首はこの城の下に――――!?」
宰相が答えることは無く、扉は閉ざされた。