不死者を連れた傭兵 3
程無くして、一行はエイコン孤児院教会へ足を踏み入れた。
教会内は今日も閑散として、祈りの場は静寂に満ち満ちている。着色硝子の窓から射す日の光が、地面に轢かれた赤い絨毯と、古い木製の会衆席を、色取り取りに染めている。司教が居らぬので、祭壇の上には何も乗っていなかった。
ゼンタは傭兵たちが感心したように室内を見回すのを余所に、一人、真っ直ぐと祭壇を目指す。見た限り、ゼンタが首を置いて行った時と変わっていない。その事に安堵するような残念なような、奇妙な心持ちになりながら、取っ手に手を掛ける。
その時、彼はふと思い立って、祈りと感謝の言葉を口にした。
「よき竜の神徒よ。首を隠して下さいましたこと、竜の祝福と己が幸運に感謝します」
躊躇したのは一瞬で、ゼンタは勢い良く祭壇の扉を開いた。
邪悪な首が、こちらを見ている―――と云う事も無く、首は其処に在った。じっと見詰めていても、首の目は閉ざされた儘、呼吸もせず、瞼が神経質にピクリと動く事も無い。死んでいるのだ。
「おいセリオン! 首だ!! 早くくっ付けろ!」
背後で大声がして、ゼンタは思わず飛び跳ねた。振り返ると、不死者を連れた傭兵団の中、ローブを目深に被った大男が立っている。ゼンタは、生地の下にある顔が、逆光になっているのとは違う理由で色黒い事に、この時、漸く気が付いた。
慌て離れて見上げると、フードの先から、人間のものではない鼻先が覗いている。ゼンタは祭壇の中にある首の事など意識の外へやってしまって、男の奇怪な頭部を凝視した。が、男は少年の事など歯牙にも掛けず、躊躇なく手を伸ばし、死者の首を祭壇の中から取り上げる。
「ハハッ首だ! 完璧に首だぞ、これは!」
男はこう言いながら、天に供物を捧げるかのように、首を頭上に掲げて見せた。浮足立った様子は、まるで贈り物に喜ぶ幼子のようだ。ゼンタは呆気に取られて、魚のように口を開閉させながら男を仰いだ。
すると、男の向こうから、会衆席の間を通って、あられもない格好をローブで隠した女が、怒りを露に近付いて来る。思わず身を竦めたゼンタであったが、女の視線は己ではなく首を掲げる男に向いていた。そうして、女は間合いを詰めるや否や、足を振り上げ、
「落とすでしょうが! 勝手に触るんじゃないよ、犬ッコロ!」
「ギャイン!」
腰の辺りを蹴り上げられ、男は言われた通り犬のような悲鳴を上げた。その拍子に、フードが落ちて、異形の頭部が姿を現す。――が、ゼンタの目はその事よりも、男の手から零れ落ちる首に注目していた。
「あっ」とは誰が口にしたのか。
首はゆっくりと宙を舞い、やがて、継ぎ接ぎだらけの手が、上手いこと掬い上げた。
ほっと安堵の息を吐き、ゼンタは掬い主に礼を伸べようとして、見上げたその人の頭部が無い事に気が付くと、息を呑んだ。
「あ……、あ……」
ゼンタはひりつく喉を動かして、何とか声を発したが、言葉になってくれない。
不死者は、在る筈だが無い顔の近くまで首を持ち上げると、これ又在る筈だが無い眼で、繁々と見ているようである。その様子は、まるで其の首が己の首に相応しいかどうか、見分するが如くであった。
そうして、それから、ゼンタにとっては奇妙な程に長い時間が経つと、不死者は、いよいよ、とうとう、首を繋げる決心がついたのだろう。首を己が断面の上に、無造作に重ねて置いた。
ヒヤリと背筋に寒いものが走ると同時、ゼンタは天に糸を引かれたように、その場で背伸びをした。そうして、それは他の大人たちもそうであったのだろう。視界に映る皆が、僅かに身を震わせたのが、ゼンタには見えた。
どのくらいの時が経っただろう。たった一度の瞬き程度の間だったようにも、一人の人間が生まれて死んだような、ゼンタにとっては途方もない時間のようにも感ぜられた。兎にも角にも、或る時間を置いて再び我に返ったゼンタが目にしたのは、首と体の切れ目から、じゅぶじゅぶと腐敗した血液を粟立たせている、不完全な不死者の姿であった。
「あーあ。失敗ッスか。うまく繋がらないッスねぇ」
こう言いながら、セリオンは頭部を掴んで首を反らさせると、肉が潰れるような音を立て、首と体の断面があっけなく開いた。むわりと湿気のある腐敗臭が鼻を掠めると同時、頭部へと流れる筈だった血潮がピュッと外へ飛び出して、ゼンタの直ぐ近くの絨毯を色濃くする。思わず後退った少年を、誰が責められよう。
「なんだ、足らなかったのかい」
淫らな格好をローブの下に隠した女が、期待外れだと云うような声音で言った。其処に嫌悪や恐怖は無く、ゼンタは己の心持ちとは異なる様子に刮目する。――が、驚く少年を余所に、傭兵たちは然もありなんと、僅かな落胆を見せた他には、驚愕も動揺もしていない。
中でもセリオンは、出会った当初から一貫して、飄々とした態度を崩さない。
「えーっと。これ何年くらい埋まっていました? あとどれくらい要るんスかね」
ゼンタには、彼が紡いだ問いの意味が、当然のようにわからなかった。
而して、ずっと無言だった紫髪の魔女が即答する。
「没期間は百八十二年と百八十六日。計算すると六万六千六百と六十一個」
「うわ。数えてたのかよ。引くわ」
訊ねたのは自分にも拘らず、セリオンは白けた声を出した。
紫髪の魔女は、稚児のように頬を膨らませて、セリオンを睨め付ける。
「魔法には数字が必要だから」
「へぇ。魔法ねぇ」
「……なに」
「なんでもないッス~」
不機嫌そうな低い声で問う魔女に対し、セリオンは厭味らしく唇を逸らして、ゼンタにも判るくらいに判り易くはぐらかした。
「それじゃあ何だ。無駄足だったって事か?」
「そうみたいだねぇ」
「どうしようもねぇな!」
そう言ったのは、フードで顔を隠していたあの大男だった。人間の顔であれば耳の後ろまで裂けているだろう大きな口を開け、鋭い牙を剥き出しにして笑っている。
ゼンタは、頭部が犬の容をした人間――本当に人間かどうかはさて置き、人の形をしている生き物は初めて見るので、無遠慮にじっと観察しているのだが、未だ一度も視線が交わらない。相手の方が敢えて視線を逸らしているのか、或いは又、ゼンタのような非力な存在は、彼が認識する範疇に無いのかも知れなかった。
「これからどうするんだい。くっつかないなら持っていたって邪魔だろ」
女は退屈そうに髪を掻き上げながら、ローブの切れ間から肌を覗かせて言った。
透かさず反論したのは、紫髪の魔女である。
「持って行くべきでしょ。また埋められでもしたら掘り返すのが面倒だもの」
「首持って行くんスか? 唯でさえワンちゃんいるのに目立ちません?」
「ワンちゃん言うな」
傭兵たちは決して和気藹々としているのではないが、ゼンタのような孤独な少年の目には、信頼できる仲間と楽しく会話しているように映った。そうして又、ゼンタは、自分がこんなにも恐怖や不安、そして絶望に見舞われていると云うのに、彼らばかりが楽しそうな様子が、段々と我慢出来なくなって来る。
ゼンタは、膨らみ過ぎた風船が弾けるように、感情を爆発させた。
「早くソレを処分してくれよ! 僕だって暇じゃないんだ!」
幼い少年が指差した先には、首を抱えた不死者が立って居る。本来繋がる筈の首がある場所には、今や乾いた血が跡を残しているばかり。
「ソレが欲しいって、持って行ってくれるって言うから案内したんだぞ!」
「いやいや。見てよ。繋がってないでしょ?」
「そんなこと僕は知らないよ! 兎に角約束したんだから、ソレ持ってどっか行って!」
ゼンタは聞き分けの悪い子どものように甲高く喚いた。普段であれば、彼はそのような子どもを見れば、自分はこうではない、決してこうはならないと、鼻白んだものだが、今はその事に気付いていなかった。――彼の頭にあるのは、首を処分出来て、愛しのティサを迎えに行った、一種の理想の自分の姿である。
「まぁまぁ。落ち着け、ゼンタ」
追い出そうと息巻く少年を押し止めたのは、一番後ろで成り行きを見守っていたラーセンであった。彼は激しく上下するゼンタの肩に手を置くと、やさしく撫で擦る。
「くっついてない首を持っていたら、盗んで来たのがバレちまうだろう」
「それは……っ、そうかも、しれないけど……」
反射的に反論しようとしたゼンタだったが、上手い反論を思い付けず口籠った。
而して、ラーセンはそんな少年の事を決して馬鹿にはせず、こう促す。
「ようは見付からなきゃいいんだ。さっきみたいにまた隠しておけばいいじゃないか」
「でも此処は騎士たちが来るんだ!」
ゼンタは悲鳴のように叫んだ。口に出してしまったら、それが正夢となって襲って来るような気がする。ラーセンの手の下で、少年の体が震え始めた。
「誰も此処に隠せだなんて言ってねぇよ」
「えっ」
驚きで怒りを忘れ、ゼンタは目を丸くして眼の前の男を見上げた。
ラーセンは、得意そうに口を反らしてこう言う。
「お前が隠し持っていればいい。此処まで来る時も見付からなかったんだろ」
「ぼ、僕が……!?」
反射的に、ゼンタは不死者を見やった。――否、正確には、不死者の持つ首を。
見れば見る程、あの時の自分はどうかしていたとしか思えない。死体の首を盗むなど、とても正気で居ては出来る事ではない。腕に抱いた生首の重さを思い出し、ゼンタの背筋に寒気が走った。
「い、嫌だよ! 僕は姉ちゃんを助けに行かないと……」
「その姉ちゃんを助けに行くのに、首が見付かったら不味いんだろうが」
ラーセンは強い口調で言った。まるで叱るようなそれに、ゼンタも思わず息を呑む。
「一時の感情に任せてコイツ等に任せたら、きっと後悔するぞ」
「ちょっと、それどういう意味ッスか」
「アンタはちょっと黙っていてくれ」
聞き捨てならないと口を挟んだセリオンに対しても、ラーセンはぴしゃりと言って退ける。頼もしくも感じるその姿に、ゼンタは目をパチクリさせて注目した。
すると、ラーセンは表情を和らげて、その場に膝を付き、ゼンタと目線を合わせると、我が子に言い聞かせるが如く、穏やかに話し始めた。
「いいか、ゼンタ。相手を直ぐに信用しちゃ駄目だ。旨い話を持ってくる奴には特に注意しろ。世の中がそんなに甘く無い事くらい、お前くらいの年ならもう判っているだろう」
ゼンタは小さく頷いた。
今、改めて思い返すと、ここ最近の自分は愚かとしか言い様が無いものだった。ダラントに始まり、バーデンやジギスムントを含む神聖同盟の同志たち、――ゼンタの事を思って、助けてくれるような口ぶりをした者たちは皆、唯、己の成したい事を成そうとしているだけだと云う事に、どうして気付けなかったのだろう。
ゼンタは、親無き子である。家無き子である。故に、自分に害をなそうとする人間には人一倍敏感であると自負していた。それがどうだ。まんまと騙されてしまったのである。
理由は何かと考えれば、それはティサに違いない。ティサを思うあまり、選択を誤った。焦りは判断力を衰えさせ、結果は失敗に終わった。――が、己は決して諦める訳にはいかない。
「……首を、持っていても、平気だと思う?」
ゼンタは拳を硬く握り締めながら、唯一の味方に問うた。
すると、彼はニヤリと口の端を上げる。
「わかんねぇなら、プロに聞きゃいいんだよ」
「プロ?」
「こいつら、不死者のプロなんだろ?」
ラーセンは愉快気に笑みを深めながら、親指で背後を指示した。――其処に居るのは、当然、先より其処に居続ける、セリオンを筆頭とした傭兵一行である。
「こいつらと一緒に居れば、ヤベェ時にもどうしたら良いかわかるだろ」
「えっ」
ゼンタは思わず目を丸くした。
而して、少年が口を開く前に、反論を叫んだのは、当の傭兵の中の一人である。
「はァ!? ちょっと待ちなよ。アタシらに坊主の面倒を見ろって言うのかい!」
「それが一番丁度いいだろ。アンタらは首が欲しい、けれど時間が足りない。こいつは首を処分したい、でも手段が無い。アンタらに足りない時間を、こいつは待てる」
ラーセンは事も無げにこう言った。
顔色を悪くしたのは、何も女だけではない。セリオンは身を乗り出して、激しく頭を振った。その表情は、先程までの飄々としたものから、随分と違っている。
「いやいや。無理過ぎますって。無理無理。無理ッスよ」
「なら首をもう一度見付け出すのか?」
「うぇぇ……」
ラーセンの問いに、セリオンは奇妙な鳴き声を上げ、そうして、それから、ウンウンと唸りながら考え始めた。彼の中で、ゼンタを連れて行く事と、改めて首を探す事とが、拮抗しているのだ。
そうして、暫くしてから顔を上げたセリオンは、草臥れた様子を隠さずに、渋々言った。
「わかったッス。その子、連れて行きます。首はそれがいいので……」
「そうか。よろしくな!」
一気に年を取ったように疲れ果てたセリオンが居る一方で、晴れ晴れとした笑顔でそう答えたラーセンは、いくらか若返ったようにも思えたのだった。




