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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
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イェンシュテン司教 5


 王座に腰かけたムラトの前で、貴族たちが首を垂れていた。それを見おろす王ムラトの表情は険しく、彼の代より真実の意味で使われるようになった腰に凪いだ剣を、今にも抜き放ちそうな雰囲気を放っており、貴族たちの顔色は悪い。

 が、王ムラトは、施政者たる理性で以て己を律し、深い溜息ひとつで心の中に湧き上がる怒りを鎮めてみせた。そうして、努めて声を荒げぬよう静かに問う。


「司教のイェンシュテンは見つかったのか?」

「混乱に乗じて逃げられました」


 皆が重く口を閉じている中ベイヤー宰相が進み出で、そう答えた。

 すると、不思議な事で、これまでだんまりを決め込んでいた貴族たちが、まるで出口を見付けた溜水のように、一斉に喋り出した。


「はじめから怪しいと思っていたのだ。司教が人間を聖なる炎の使い手と称するなど……!」

「元より我らを騙すつもりだったに違いない」

「司教などとは名ばかり。強欲でどうしようもない男であった」

「思えば、アレは神の代弁者であるにも関わらず、随分と肥え太っていたな」


 然り。然り。

 そう口々に話し出す貴族たちを前にして、王ムラトの眉間に再び皴が寄る。

 王の怒りに目敏く気が付いた者が窘めると、王は鷹揚に片手を振って皆を黙らせた。そうして又、王は静かになった貴族たちに平静を装って、こう問うた。


「今のところ首はどうなっている」


 貴族たちは顔を見合わせた。実のところ、その場に居る全員がその答えを知っている。だが、それを正直に口にすれば、叱咤を受けるのは間違いない。そう思うと、誰も言いたがらなかったのだ。

 やがて、彼らの視線は、後方で控えめに佇んで居た一人の令嬢へと向かう。


「……まだあの場所にございましてございます」


 その令嬢――オビチュアリ・アンホールド男爵令嬢は、集まった注目にも表情を動かさず、王よりも平静な態度で、そう答えた。

 忽ち嫌な沈黙が場を満たす。それは王の怒りに触れる事への恐怖か、或いは言葉で表された事によって現実味を帯びた事への忌避感か、それは誰にも区別できない理由であった。彼らの心にあるのは唯、得体の知れない怪物を前にした人間が抱くに相応しい、言い様の無い恐怖と嫌悪とが混ざり合った暗く重たい心理である。

 不意に、一人の浅慮な者が、彼女を責めるような物言いをした。


「何故もう一度埋め直さないのだ。あのような場所に放置するなど……」

「仕方が無かろう。アレに触りたがる者など居ないのだ」

「平民にでも命じれば良かろう!」


 その者は、オビチュアリを庇ったベイヤーにも噛み付いた。声を荒げて取り乱した貴族としてあるまじき態度に、幾人かが顔を伏せる。が、その一方で、彼に賛同して頷く者も居た。


「首だけで動けるはずがないのだ。少しの間くらい良かろう」


 楽観的な者がこう言うと、忽ちそれに反する声が上がる。


「動けるはずが無いと、そんな事がどうして言える」

「燃えると思っていたものが燃えなかったのを覚えていらっしゃらない」


 両者は表情を変えぬ儘に、凍えるような視線を交わした。そうして、室内が、再び水を打ったように静かになった時の事である。誰かが極小さな声で、ぽつりと呟いた。


「首を掘り返そうなどと言ったのは誰だ」


 シンと静まり返った部屋に、その声は大きく響いた。

 誰からともなく記憶を辿り始めて、やがて、彼らは一つの答えに辿り着く。


「言い出したのは、確かアンホールド令嬢では」


 見ると、オビチュアリは尚も表情を変えないが、先程とは異なり、僅かに顔から血の気を引かせて足を引いた。貴族たちは真実を求めて、彼女に向かって一歩踏み出す。

 しかし、それを制する者が居た。


「私が命じたのだ」

「陛下……!」


 王ムラトは王座から立ち上がり、貴族たちを一層高くから見おろした。威圧感すら感じるその姿に、貴族たちは自ずと踏み出した足を元の場所に戻す。アンホールド令嬢がそれに倣って足を前に戻すのと、王が再び腰を下ろしたのは、殆ど同時の事だった。


「しかし陛下。我々は彼女が言ったから……」


 と、愚か者が口を開くのを、忽ち王が遮った。


「弟が別人だったと報告があったのを忘れたか。彼女は被害者なのだぞ。そうする事に何の意味があると言うのだ。まずはそれを申してみよ」

「首を嗾けて、陛下を亡き者にしようとしたのでは?」

「ふむ。それで?」


 まるで面白がるかのように唇を反らした王に、臣下は戸惑うばかり。


「そ、そうすれば彼女が王位継承権内に……」

「彼女が?」


 ムラトは嘲笑を隠さない。


「おかしなことを言う。彼女は王族ではないぞ」

「いえ、それは、陛下とご結婚なされば……」


 言い終えぬうちに、ムラトは哄笑した。元より貴族と違って表情を隠さずとも良い御仁ではあるが、笑える要素が何一つ存在しない今、とても正気とは思えない。笑い続ける王の姿に、貴族たちは畏れを抱かずにはいられなかった。

 一頻り笑った後、ムラトははっきりとこう言った。


「私と彼女はそのような関係ではないぞ」

「し、しかし、陛下とアンホールド令嬢が、夜な夜な隠れて逢瀬を繰り返していると云う事は、既に皆が存じ上げておりますれば……」


 慌てて声を紡ぎ出す臣下の一人に、王は皆まで言わずとも良いとばかり手を振った。そうして、それから、呆れまじりの笑みを浮かべながら、疑惑の渦中にある令嬢へと思わせぶりな視線を向ける。


「オビチュアリとは弟の件で話をしていたまでよ。なぁ、オビチュアリ」

「はい。その通りでございます」


 オビチュアリは、先程の動揺を悟らせぬ完璧な無表情で肯首した。

 それが本当かどうかは判らぬが、王の言葉を疑うことは出来ない。貴族たちは胸の内に膨らむ疑惑の念を感じながらも、それ以上追及する事をしなかった。が、そうして又、王が一人の令嬢を庇ったようにも思える現状に、先程の話はきっと何も間違いではないのだと確信したのである。


――王は、本気でアンホールド令嬢を一族に迎え入れるつもりなのかもしれない。


 貴族たちの頭には、そんな予感めいたものが思い浮かべられた。







 首はいずれ埋め直す。王は誰に相談するでもなくそう告げると、責務は終えたと言って呼び止める間も無く去って行った。決断力は素晴らしいが、すべて頭の中で終えてしまう王の姿に、臣下は戸惑うばかりだ。

 やがて、此処に残っても仕方が無いと思った者から順に、ぽつり、ぽつり、と部屋を後にする。中には考えが近しい者同士で盛んに言葉を交わしながら退出する者も居る中で、独り議事録を纏めるベイヤーの元に、そっと近付く影があった。

 それに気付いて顔を上げたベイヤーに、影の主は声を潜めてこう言った。


「宰相はどう思われましたか、先程の話」

「先程?」と、ベイヤーは鸚鵡返しに聞き返した。


 この国随一の頭脳を持つとも言われるベイヤー宰相にしては、察しの悪い事この上ないが、特段親しい間柄でもない相手は違和感すら覚えずに、声を潜めたまま器用に声を荒げた。


「アンホールド令嬢が首を掘り返せと言った件です」

「弟君が別人だったのです。アンホールド令嬢が正しい判断が出来なくても仕方が在りませんでしょう」


 ベイヤーの返答は、相手にとって満足の行くものではなかったらしい。貴族らしい表情の読めぬ顔の中で、不満そうな眼差しが浮いて見える。ベイヤーは鈍感ではなかろうに、それすら気付いていないのか、何も言わないどころか表情を変えたりもしない。

 而して、ベイヤーは考え込むような仕草で顎に手をやった。


「それよりも私が気になるのは、アンホールド令嬢が言い出すよりも前に、あのシェルグラスが同じことを言っていたと云う事実なのです」

「それは本当ですか!?」


 思わず叫んだ相手に、近くでこちらを伺っていた他の者が近付いて来た。が、相手に焦った様子が無いので、この場に残っている者は全員、同じ意見を持った者同士なのだろう。

 事実、相手は声を潜めるのを辞めて、こう問うて来た。


「しかし、もしそうなのだとすると、それこそ何の意味があるのでしょうか。首を掘り返したところで、シェルグラスに何の得があるのでしょう」

「それこそ王位ですよ」


 ベイヤーが、何を当然の事を問うのだと言わんばかりに、あっけらかんとして答えると、傍に居た別の男が、耐え切れぬ様子で口を挟んだ。


「歪んだ大地の一族が、――あの裏切り者の血が、王位に就ける筈がありません。いえ、可能かどうかがと云う問題ではないのです。一体誰がそれを許すと言うのですか、宰相」


 無表情の儘に、強く訴え掛けるような声音をしていた。見ると、そう言った男の側で、残っていた臣下の殆どが、頷いて同意を示している。

 而して、ベイヤーは彼らが未だ知らぬ道理について、説き始めた。


「王が否定されたアンホールド令嬢との逢引きの件、あれがもし、アンホールド令嬢ではなくシャルグラスとの間にあったならば、どうでしょうかな」

「ムラト様は、シェルグラスを王妃に向かえるつもりだと仰いか!?」


 忽ちベイヤーを除く誰もが、馬鹿馬鹿しいと笑った。


「あり得ませんよ。そんな事をして何になるのです」

「さぁ、恋は人を狂わせると云いますからな」


 何と云う事はないと答えたベイヤーに、周囲から笑みが消える。彼らの胸中では、まさかそんな事がある筈が無いと云う信じる気持ちと、本当にあり得ない事なのだろうかと疑う気持ちとが、今正に感情の乱れとして生まれ始めていた。

 ベイヤーは、彼らのそうした不安が目に見えているかのように、丁度の隙を突いて口を開く。


「思い出してみてください。ガードナー・スピンディルの大監獄への突然の訪問も、アンホールド御子息の失踪も、首を掘り出した地下牢にも、そして今回の偽りの聖女の件。このすべてにシェルグラスが関係しているのですよ。偶然とは思えません」

「確かに……」


 貴族たちが考えれば考える程、今まで疑問に思わなかったのが不思議なくらいに、ルベリア・シェルグラスは最近起こったすべての事柄に関わっている。それは何故なのか。――彼らがベイヤーの意見に対して理解を示し始め、同時に、それが故の疑問を抱くようになった、丁度その時である。


「そもそも王は、何故シェルグラスを生かしていたのでしょう」

「何故とは……? 封書窃盗の罪で地下牢に入れていたではありませんか」

「そうなのです。牢に入れただけだったのです。どうして直ぐに処刑しなかったのでしょう」


 ベイヤーの疑問に、ハッと息を呑む音が静かに響いた。

 が、誰も口を開かぬ儘、シンと静まり返って話の続きを待っている。ベイヤーは急に勿体ぶるような間を置いて、彼らを焦らしに焦らした。そうして、漸く、薄く口を開ける。


「すべてはシェルグラスの――シエルの実にあるのでしょう」

「シエルの実に?」


 と、周囲は鸚鵡返しで問い返した。先程とは真逆の立場だ。


「歪んだ土地で生まれるシエルの実に施された魔術は、それを食べた下級市民の魔力を城壁の魔法陣へと繋げ、この国の防衛手段とする事でございますのは皆様もご存知の事」

「ええ。だからこそ、この国の防壁は強大なのでしょう」


 一人がそう答えて周囲を窺うと、皆頷いて見せた。

 ベイヤーも又、それに異論は無いとばかりに頷くが、それに続けてこう言った。


「それがもし、城ではなく王一人と繋がればどうなるのでしょう」


 市民から集めた膨大な量の魔力が、たった一人のものとなったら……。ベイヤーの言おうとしているのは、そう云う事である。そうして、それを想像した周囲から、まさかとの声が上がる。――その中の誰も、信じられないとは言わない。


「ベイヤー宰相。それでは貴方は、王はその為に裏切り者の血とも契りを結ぶと仰るのか」

「ムラト様は苛烈なところがおありの方ですからな。隣国ペイガニとの関係についても煩わしく思われている御様子。こちらから打って出る為にも、まず御自身の力を高めようとして、その為の手段を択ばなかったと云うのも、十分あり得る事かと愚行致した次第」


 宰相の静かな言に皆が息を呑んだ。それ程までに、真実味のある話であった。

 が、そうして、最初の頃の勢いを失くしてしまった彼らに向かって、ベイヤーは真剣な表情を一転、眦を下げた僅かな笑みに、お道化るような雰囲気すら滲ませて、彼らの心を軽くせんと、口を開いた。


「これらは全て私の憶測に過ぎませんのです。ムラト様に聞かれれば、お叱りを受けてしまいますな。私は唯、青色封書を盗んだにしては、軽い罰だと思っただけなのです」


 ベイヤーは愚かな事を申したと、恥ずかしそうに肩を竦めたが、周囲の者は誰も何も――僅かな愛想笑い言葉すら、返す事が出来なかった。

 この時、宰相が投じた一石は、話を聞いていた者たちの心の中にいつまで経っても影を落とし続けた。そうして、それから、やがて来たる時には、巨大な疑惑となって王ムラトに牙を向く事になるのだが、この時は未だ誰もその事に気付いていなかった……。


「王の考えは我々には分かりませんからな」


 宰相ファウスト・ベイヤー・フォースタス唯一人を除いて、は。




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