最北の地
ブクマと評価ありがとうございます!
反応があるとやっぱり嬉しい。
バース・エッカルドの最北端にある冒険者ギルドは、一年を総じて深い雪に覆われている。否、それだけではない。周囲には国内随一の長さを誇る山脈が伸び、反対側は港をつくることすらできないほどの激しい潮流が発生する海が占めるという、人を拒んでいるかのような場所にあった。
しかしギルドには今日も多くの人が行き交い、意外にも活気づいている。
ここにやって来るほとんどの人間が、屈強な体を持ち、重い鎧を身に纏い、その手に馴染んだ武器を持つ男たちだ。偶に長いローブを纏い杖を携えた者や女の姿もあったが、それは本当に稀なことであった。
彼らは皆、戦うことを生業にする傭兵や冒険者なのである。
それもそのはず。ここ最北の地と海を隔てた隣にあるのは帝国ペイガニだ。
ペイガニとバース・エッカルドは三十年ほど前から緊張状態が続いている。主な理由はペイガニによるエッカルドの少数民族に対する虐殺行為だというが、一説によれば、ペイガニはバース・エッカルドの聖地ドラコニカを狙っているのだという。
聖地ドラコニカ――国内では“聖都”の呼び名が使われているが、バース・エッカルドにとっても重要な場所であることは間違いない。更に、この度エッカルドの誇る大英雄ガードナー・スピンディルが姫巫女の騎士として選ばれたこともあり、中央の貴族たちは帝国が何か仕掛けてくるのではないかと警戒を強めている。
そのため、ギルドにはペイガニの動向を探る依頼が絶えず舞い込んでいた。
元よりそういった依頼は多かったのだが、大英雄が竜騎士に選ばれてからは倍以上に膨れ上がっている。その殆どが要領を得ない抽象的な内容ものだったが、それを受ける傭兵や冒険者は何も言わなければ、仲買をするギルドも貴族相手に態々余計な口は出さない。
集まった男たちは、複数の依頼を同時に受けて存分に懐を温めると、大英雄へ感謝の言葉を音頭に昼間から飲んだくれるのであった。
そんな毎日を送っていると、男たちの間には奇妙な連帯感というものが生まれてくる。
警戒心の強い傭兵が名も知らぬ冒険者と酒席を共にすることも珍しくなくなり、その逆もまた然り。ギルドで鉢合わせれば、名を知らぬままでも労い合うようになる。
その中で、一人の年若い男が注目を集めていた。
この辺りでは珍しい、年若くて小綺麗な顔をした青年だ。見るからに薄い胸板をして、防御力などまるで無さそうなマントに身を包み、それらしい武器も持っていない。だからといって魔術師のような知性の伺える面持ちをしているわけでもない。
唯一それらしさをあげるとすれば、お世辞にも柄が良いとは言えない男たちが屯するこのギルドで、何を恐れるわけでもなく一人でいられることだろうか。
仕事を終えた男たちが酒盛りを開く傍らで、青年は誰かを待っているのか、二人掛けの席で静かに杯を傾けている。
「どこの傭兵だ?」
「見たことがねぇな」
酔いの回っていない男たちは、飲んだくれの影に隠れて様子を伺っていた。
まさかこんな堂々としているはずはないのだが、立ち振る舞いや装備の身軽さを考えると、ペイガニ帝国の諜者という可能性が無きにしも非ず。
もしそうであれば、最北の地にやってきた傭兵として、冒険者として、そしてエッカルドの民として、速やかに手を打たなければいけない。
青年はどちら側の人間なのか。
それを見極めんと、いくつもの理性の残った視線が青年に向かっていた。彼はそれに気付いているのかいないのか、静かに誰かを待っている。
そのとき、ギルドの扉が荒々しく開かれた。
蹴破ったかのような激しい音に、青年から目を離した男たちは一様に息を呑んだ。酔っ払いたちも同様だ。中には持っていた杯を落として、テーブルの上にエールが零れてしまっている者もいる。
「女だ」
誰かが呟いた言葉に、漸く思考が追いつく。
扉の前に立っていたのは、一人の女だった。
少し薹が立っており、背は並みの男と同じくらいだろうか、女にしては少し高い。しかしそれが気にならないくらいに、彼女はこの辺りではめったに見ることのできない種類の人間であった。
膝下までの長いマントを羽織っているが、腰に腕を当てている所為で、その隙間から引き締まった美しい肢体が垣間見える。女はこの極寒の地にありながら、マントの下にほとど何も着ていないようだった。
長らくこの地にいると話していた傭兵など、間抜けに口を開けたまま、露になった女の柔肌を凝視したまま固まってしまっている。
女がギルド内を睨め付けるように見渡すと、マントの襟から豊かな赤い髪が零れ落ちた。
背中の真ん中あたりまで伸びたその髪は、長旅の後なのだろうか、酷くごわついているのが遠目からでもわかった。
その夕日のような色の瞳がギルドを一周するまでもなく目的の人物を見付けたらしく、女はマントを翻してギルド内を闊歩した。細い脚が怒りを露に床を叩く。
「セリオン」
荒々しく近づいてくる女に、青年は座ったままヘラヘラと笑って手を振った。
「遅かったじゃないッスか」
「うるさいね。こっちはこれでも急いで来たんだよ」
そう答えながら、女はその向かいに断りもなく腰を下ろした。
粗野な動作で足を組んだ所為で、マントの合わせ目から傷ひとつない脚が惜しげも無く曝け出される。やはり女は太腿すら覆えないほど短いズボンしか履いておらず、また足首までのショートブーツを履いているせいで、その美しい脚のほとんどが見えてしまっている。
雪に覆われた大地では滅多に見ることの無い他人の肌、しかもそれが女のものとあっては、警戒していた男たちも思わず女の方に釘付けになった。
「大体こんな田舎で待ち合わせしようだなんて妄言を吐いたのはそっちだろう」
「ハハハ。妄言だなんて酷いッスね」
青年は態とらしく笑い声をあげた。
しかし気を悪くした様子はなく、「何か飲みます?」と、女のために酒を注文してやる程度の気遣いをする。
そうして運ばれてきたエールを、女は不満げに睨め付けた。
「あれ、オルテガさんエール嫌いでしたっけ?」
「あのバカ貴族がいないところじゃ飲まないんだよ。温いだろ」
「あー。そーいやそッスねー」
特に悪びれた様子もなく、青年はギルドで一番良い蒸留酒を頼む。
今度は御眼鏡にかなったようで、女は黙ってそれを煽った。
二人の間で、行き場のなくなったエールが沈黙している。冷えていないため水滴もつかない。
「で? なんだってこんな場所に呼び出したのさ」
そう問いながら己でも思い当たることがあったのか、女の口が弧を描く。
「まさか竜騎士に喧嘩を売ろうってわけじゃないんだろう?」
まるでそうであってほしいと言わんばかりに、好戦的な、あるいは見る者を震え上がらせるような獰猛な笑みを浮かべながら、女は期待に目を輝かせた。
しかし青年はヘラヘラと笑いながら、それを否定する。
「そりゃ面白そうッスけどね、今回は別件ッス」
「なんだい。つまらないね」
女はあからさまに落胆した様子で、椅子にもたれかかった。
「まーそう言わずに。オルテガさんもきっと絶対気に入ると思うッスよ」
「はぁ?」
胡散臭いとばかりに顔を顰めた女に、青年は笑う。
「団長を迎えに行こうと思うんス」
女は最初、その言葉の意味がわからないようだった。
それから段々と理解するにつれて、眉間にしわが寄って行く。
けれど青年が言葉を撤回しないと気付くや否や、勢いよく立ち上がった。
「いつ!? どうやって!?」
女は立ち上がった勢いのまま青年の胸ぐらを掴み上げると、矢継ぎ早に問う。
それに一拍遅れて、二人の座っていた椅子が倒れた。
鼓膜を穿つような不快な音がギルドに響くと、自ずとその発生源に注目が集まる。
「あーもう落ち着いてくださいよー」
青年は首が締まっているにも関わらず平然としており、周囲に頭を下げながら、席に着くよう女を促した。
「これが落ち着いていられるかってんだよ! アタシがどれだけ待ったと……」
「待っていたのはオルテガさんだけじゃないんスからねー」
ヘラヘラと呑気に笑いながらも反論され、女は渋々腰を下ろす。
同じく座りながら、笑って襟を直す青年を見て、彼女は深い溜め息をついた。
「アンタの方こそ、よくもまぁそんなに落ち着いていられるね」
「これでも一応貴族なんで。感情を表に出すのは美しくないって教わったんス」
「よく言うよ。団長が埋められるときなんかピーピー泣いていたじゃないのさ」
「何十年前の話ッスか」
そう言って笑う姿は、感情を出さないように教育されてきた人間には到底見えない。
もっともこの男のことだ。話したことのいったいどこまでが本当なのか。少なくとも、青年が貴族だった時期があることを、女は今日はじめて知った。
「ついでにそのチャラチャラしたところも直してもらえばよかったのに」
「えー。案外評判いいんスよ。これ」
八つ当たりのような台詞を吐くも、青年は意に介さず、ヘラヘラと笑う。
女は深く息を吐きながら、己を落ち着かせるように腕を組んだ。けれど落ち着かないのか、机の上に身を乗り出すと、手持無沙汰に杯の淵をなぞるなどする。
「迎えに行くのは不可能だって、どいつだったか忘れちまったけど、そう言っていたじゃないか」
落ち着かない様子のまま、女は不満げに口を開いた。
「だからアタシは、団長がその気になってくれるまで待とうって……」
「百年も経てば状況は変わるんじゃないッスか?」
あっけらかんと話す青年に、女は恨めし気な目を向けるが口を噤んだ。
「俺も詳しくは聞いてないんスけど、参謀によれば、大英雄のいなくなる今だったら不可能じゃないらしいッス」
女は真偽を確かめるように、青年の瞳をじっと見つめた。
しばらく二人の間に沈黙が落ちる。どちらも決して目を逸らさなかった。
やがて、女の方が観念したかのように視線を逸らした。猛烈な溜息と共に姿勢が崩れ、机の上に倒れ込む。
「アンタ相手に嘘か本当かなんてわかりゃしないよ」
「オルテガさん相手に嘘ついたりしないッスよ?」
「日頃の行いってやつだね」
女はもう一度深く息を吐くと、気だるげに肘をついた。
「それじゃあなんだい、アタシがここにいるのは何かの囮ってこと」
「だってオルテガさん目立つッスもん」
悪びれる様子もなく答えた青年を、女は鼻で笑う。
「その目立つアタシと会ってたらまずいんじゃないのかい。え? お貴族さんよ」
「その辺は抜かりないんで大丈夫ッス」
「あっそ」
尋ねた割には、気の無い相槌。
事実、興味が無いのだろう。女の話題は移り変わる。
「アタシがここで目立つことが誰かの助けになるってわけかい」
「そッスそッス」
奇妙な鳴き声のような肯定と共に、青年が激しく首を縦に動かす。
「なら御誂え向きの依頼でも用意しといてくれたんだろうね?」
女が訪ねると、青年は待っていたとばかりに口を開く。
「アンホールド男爵の長男アブサードの護衛ッス」
「誰だいソイツ」
すかさず女は問うが、青年はその質問には答えずに先に続けた。
「アブサードくんは貴族なんで、竜騎士の出発式に出席しなくちゃいけないんスけど……」
青年はここで初めて声を潜めた。
周囲の喧騒に紛れて、彼の声は目の前にいる女にしか届かなくなる。
「聖都に出発する前の大英雄に会ってみたくないッスか?」
その言葉を理解した瞬間、女は立ち上がり、嫌がる青年を思いきり抱きしめた。
「アンタやっぱり最高だね!」
小躍りしそうなほどの喜色を表しながら、嫌がる青年に頬ずりする。
抱きしめられながら何度も強烈な接吻を受ける青年に、ギルドの男たちから恨めしげな視線が集まった。
「そうと決まればさっさと行くよ! その……なんとか坊やのところに!」
「アブサードくんッス」
二人は密着したまま二言三言言葉を交わすと、女ばかりが上機嫌な様子ではあったが、連れ立ってギルドを去って行った。