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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
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イェンシュテン司教 4



「お前はいったい何をしてくれたんだ!」


 ジョスの家が所有する襤褸小屋に、ジギスムントの怒りの声が響いた。傍に控えた同志たちが、そんな翁に向かって何卒抑えてくださいますようにと懇願している。それ程までに、ジギスムントの憤怒は強大であった。

 ゼンタは彼らの一番後ろから、足の隙間を縫って、奥にある何ものかを見ようとしていたが、ジギスムントの声に驚き飛び跳ねてからは、じっと静かに留まっている。少年の豊富な好奇心も、普段穏やかな老人の狂気が如く怒りの前では、紙切れのように吹き飛んでしまうのだ。

 が、それも次の言葉が聞こえて来るまでの事だった。


「どうして此処に司教が居る!?」


 孤児院教会暮らしのゼンタにとっては耳慣れた言葉に、萎えていた好奇心がむくりと鎌首をも擡げた。


「お前はシェルグラスを匿っているのではなかったのか!」

「ど、どうして俺がシェルグラスを匿うんだよ」


 ヴェンツェルの狼狽える声が聞こえたが、誰も答えてやるつもりは無いらしい。それどころか、皆ヴェンツェルを避けるように、視線を上下左右に散らして見ないようにしている。

 故に、ゼンタはその間を縫って、簡単に覗き込むことが出来た。――小さな少年の動きを、視線を逸らした大人たちが捉える事は容易ではない。それが小賢しい少年ゼンタが相手となれば猶の事だった。


 迷路を抜けるようにして、大人たちの間を縫って顔を覗き込ませたゼンタが、最初に見たのは、小汚い襤褸切れだった。赤黒い泥で汚れたそれは、どうしてだか教会の床に敷かれた絨毯によく似た色をしている。見ると、それは襤褸ではなく、教会関係者が身に纏うローブであると判ったが、それにしては随分汚れていた。

 そう思ったところで、ゼンタの頭に先程のジギスムントの言葉が思い出された。――『司教』と、老人は言っていたが、ゼンタの知っている司教とは、イェンシュテン唯一人である。が、彼がこんな場所にいるとは思えないし、彼の愛する神と権威の象徴たるローブを汚して、且つ床に抛った儘にする事を、あのイェンシュテンが許す筈が無い。

 ゼンタはこう確信していたのだが、それがどうして、床に捨てられた儘のローブの輪郭が、記憶の中のイェンシュテンの後ろ姿と重なった。


 すると、その時である。

「う……」と、襤褸布の塊が呻き声を上げた。


 驚き固まるゼンタの前で、赤黒く染まった塊の一部が崩れ落ちる。――そう思ったのは一瞬だけで、襤褸切れの塊は忽ち人の形へと変化して、上半身と思しき部分からは紫色に変色した人の指が現れた。血膿に塗れたそれが、痙攣を繰り返しながら、ゼンタの小さな足を目指して、地面の上を這って来る。

 ゼンタは、無意識の内に、それから逃れようと足を引いた。

 空を切った指が地面を撫でると、襤褸切れの塊が再び掠れた音を発する。


「……た」


 その音は何か言葉のようにも聞こえた。すると、ゼンタは恐れながらも再び興味を抱いてしまう。そうして、それから、意を決して、指を避けるようにしながら一歩踏み込んだ。


「……んた」


 布の塊は、何かを言いながら、息苦しそうに喉の奥でうがいをした。

 少年はその不気味な音に恐怖を抱きながらも、怖いもの見たさの無謀な好奇心で以て、そっと耳を寄せる。ヒュウヒュウと隙間風が吹くような息遣いが聞こえたと思うと、


「――ゼンタ」


 はっきりと名を呼ばれて、ゼンタは全身に水を浴びせかけられた様な心持ちになった。

 飛び跳ねるように後ろへ下がると、布の下に隠れていた首がぐるりとこちらを巡って、血に塗れて変色した顔の中に、白眼に囲まれた丸い黒眼が片方ぽっかりと浮かんでいる。


「イェンシュテンさま!」


 少年の悲鳴は、声にならないまま宙に消える。ゼンタは全身を震わせながら、足を擦る様に後ろへ下がった。目を逸らしたいのに、まるで縫い付けられてしまったかのように、襤褸切れのようになったイェンシュテン司教から視線が逸らせない。

 後ろを見ずに下がったゼンタの体は、そうして、後ろにいた誰かの体にぶつかって止まった。

 見ると、こちらを見おろす老人と視線が合った。その顔は、先程までの怒鳴り声からは想像出来ない程に冷ややかで、ゼンタは思わず飛び上がった。


「ぼ、ぼく……」


 気付くと、ゼンタは何を言うでもなく口を開いていた。

 何か、何か言わなければと、小賢しい少年が持つ小さな脳みそが急速に動き始める。


「僕、薬を取って来ます!」


 ゼンタは逃げるように身を翻した。行き先は教会だ。あそこならば多少の薬の貯えがある。

 そうして、走って出て行った少年を止める者は居ない。


「結局、シェルグラスはどこへ行ったんだ」


 大人たちの一人が、項垂れるヴェンツェル一派を尻目に呟いた。


「計画はどうなる?」

「誰か他に心当たりはないのか」


 口々に顔を見合わせるが、その答えを知る者は何処にも居ない。頼りのジギスムントは、先程からヴェンツェルを見おろして動かず、その表情は凍ったように固まった儘だ。


「いや、そんなことより今は司教だろう」


 一人がこう言うと、皆口を噤んで、地面に横たわる男を見やった。

 少年に向かって伸ばされた腕は、今や力を失くしてピクリとも動かない。呼吸もしているのかいないのか、掠れ聞こえた声は疎か、喉の奥で血反吐が粟立つ音すら聞こえなくなっている。態々言葉にするまでもなく、司教は虫の息だ。これをどうするか……。

 同志たちは顔を見合わせた。そうして、誰からともなく頷き合う。


「ここに置いておくのは拙いだろう」

「我々と関係があると思われては良くない」


 まるで他人事のように言い合う同志たちの中には、誰一人として、イェンシュテン司教を案じる者は居ない。だからこそ、彼らの瞳に宿る暗い眼差しに、ゼンタは気付いてやるべきだった。――今このとき死の淵に居るイェンシュテン司教が救いを求めたのは、彼が神として崇め奉って来た竜ではなく、ゼンタだったのだから。

 しかし、ゼンタは、その手を握ってやる事無く踵を返した。それは、神が人々に対して救いの手を差し伸べなかったのと何が違うのだろう。――否、寧ろそのように考える事すら、神への冒涜に違いない。イェンシュテンは司教であるのだから、彼が信じる神へと、ドラコニカの竜へと、祈るべきだったのだ。


 なぜなら人は、竜とは何もかもが違う。




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