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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
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イェンシュテン司教 2


 が、そうして、心を満たされる高揚感に煽られたヨアニスは、無駄な口を利いた。


「あの、オビチュアリ様。もし宜しければ、この後……」


 一音目を口にするや否や、美しき男爵令嬢は、素直に、首から視線を離して、騎士へと顔を向けた。ヨアニスはそれを夢現のように呆けて見やりながら、分不相応な願いを音にしようと喉を震わせる。――その時だった。


「あー……」


 と、間延びした、低い、男の声が、二人の後ろから聞こえて来た。

 忽ち現実へと立ち返ったヨアニスは、勢いよく背後を振り返った。――聞こえた通りの、男の姿が一人ある。ヨアニスのものとは比ぶべくもない粗末な甲冑を身に纏わりつけて、髪を剃り、顔に入れ墨までしてあるその姿は、貴族ではないと、言うまでもないだろう。

 が、ヨアニスの知っている顔ではない。すわ同盟の関係者かと、ヨアニスは余計な事を言ってくれるなとばかり身構えたが、驚く事に、隣で同じく振り返ったオビチュアリが、男の名を知っているようだった。


「あら、オイスタイン」


 と、オビチュアリは親しげに呼んだ。

 ヨアニスは、唯々、驚く事しか出来なかった。と、同時に、二人の接点を見付けようと思考を巡らせた。が、そうして、考えれば考える程、美しい貴族の女と一介の兵士とが出会う機会など見当も付かない。

 困惑するヨアニスの横で、オビチュアリは、男に向かって気さくに話し掛ける。


「あなたから声を掛けてくれるなんて珍しいですね。どうかなさったの」

「えーっと、その、あれだ、貴族サマに伝えることがあるんだけどよ。あ、ですよ」


 男は、ヨアニスの睨め付けるような視線を気にも留めぬ様子で、オビチュアリと向き合いながら、平然と言葉を紡いだ。それは、平民らしく、学のない、敬う事も出来ぬ物言いである。


「門を閉めるんで、あとはアンタだけって、一応伝えとく。あ、ました。……ます?」

「あら、そうですか。態々どうも御親切にありがとう」


 オビチュアリは、男の無礼な言葉遣いを許してやっているようで、咎めもせずに頷いた。それどころか、礼まで言う始末。ヨアニスは、何とも言えぬ苛立ちを覚えたが、器の小さい男だと思われるのと天秤に掛けて、口に出す事はしなかった。

 男が去って行ってから、ヨアニスは彼女に問うた。


「あの者は?」

「エイコン市民街と城下貴族街の間の門兵ですよ」

「そのような者が、どうして貴女様に」


 ヨアニスの語気は、この時、己でも気付かぬうちに、不満そうな色を滲ませた。それは、他に聞く者が居れば誰でも、彼が激しい嫉妬に襲われていると気付ける程のものであった。が、オビチュアリは貴族らしく、微塵も表情を動かさぬ儘、こう答えたのである。


「あら、貴方も聞いていらしたでしょう。貴族街へと通じる門を閉じるからですわ。そうでなければ王城を経由せねばなりませんからね。私も今日はあちらから参りましたから、態々教えに来てくれたんでしょう。……親切な方ですわね」


 僅か一言、最後に紡がれた言葉は、ヨアニスの心に憎悪を抱かせるには十分であった。彼は、男が決して親切心などで告げたのではないと、始めから終ぞ確信している。それは、男と同じ理由をヨアニス自身も抱いていたからだろう。そうして、それから、ヨアニスは、男が秘めた真実を、簡単に口にすることが出来る。


「貴女に気があるのでは」


 が、それを言う事は、何故だか出来なかった。




 ***




 ジギスムントの説得に応じたゼンタは、彼の羽織の中に隠れてエイコンの街を進んだ。時折、側を、少年を探す騎士たちが通り掛かったが、誰もが気付かぬまま通り過ぎて行った。思うに、彼ら王都の人間にとって、ジギスムントとゼンタとが、――優れたる老教師と罪人の少年とが、共犯者とは思いもしないのだろう。

 ゼンタは、羽織の中で息を潜める度、ジギスムントのにおいを嗅いでいた。彼は、罪人を匿っていると云うのに、緊張の一つもしていないようで、汗の臭いがしなかった。代わりに、教師らしい、紙とインクのにおいと、町の中腹と同じ乾いた土のにおいがする。イェンシュテン司教の持つ、教会にある香油と蝋燭のにおいとは全く違うと、ゼンタは思った。


 逃げ切る苦労など何処に置いて来たのか、二人は騎士に呼び止められる事は一度も無く、あっという間に神聖同盟の隠れ家まで辿り着いた。ジギスムントが戸を開くと、同志たちは盟主の帰還に湧いた。そうして、羽織の中から現れたゼンタの事は気にも留めず、計画の中断に対する悲哀と憤慨と、そして再発起に向けての言葉を交わしていく。――その事について、ゼンタに不満が無いと言えば嘘になるが、怒りは湧かなかった。それは何より、己の帰還を望んだのが、ジギスムントだと云うところが大きい。同志諸君が、幾ら己の存在を意識の外へと押し遣ろうと、何れ他でもない当の盟主によって、ゼンタは話の中心となろう。ティサを助ける手助けとなるかもしれぬ手掛かりを打ち明けるのは、彼らが落ち着いてからでも良かろうと、少年は鷹揚に考え、大人しく口を閉じて居てやることにしたのだった。


 折りに、大人たちの中から幾人か、冷静で居たおかげで、ゼンタの存在に気付く者も居た。――彼らは、バーデンを始めとする、どちらかと言えば貴族に近い者たちである。が、それはさして重要な事ではない。その者たちは、冷静でない者の輪から一人の男を呼び寄せると、ゼンタのことを指し示してやった。

 そうして漸く、男は、部屋の片隅で所在無さげにしているように見えた少年の元へと、歩み始めたのであった。


「ゼンタ! よかった無事だったんだな」

「ダラントさん」


 ゼンタは安堵と共にその男の名を呼んだ。自分と違って追われる身ではないとは云え、首のある広場で別れた切りとなっていた相手である。近付いてくる相手の元気な様子に、少年は素直に喜んだ。が、同時に、気掛かりな事も思い出す。


「ラーセンさんとスノーレは?」


 辺りを見回すが、それらしい姿は何処にもない。二人はゼンタと同じく逃げる身である。まさか捕まってはいないだろうなと、少年の心に不安が過った。

 すると、ダラントは軽口でも叩くかのように、こう答えた。


「首が戻って騒ぎになったら、他のヤツらに紛れて逃げちまったぜ。流石傭兵だよな。引き際を弁えていると云うか、貴族の居る方に向かって行ったお前なんか眼中に無かったぞ」


 ダラントの物言いは、一聞、傭兵であるラーセンの事を褒めているようで、その実、不満に思っている事を隠しもしない。又、その裏では、薄情者のラーセンとは違って、自分はお前の事を見捨てては居なかったのだと――そう云うような、言外に自身の事を持ち上げてみせる言い方だと、幼いながらにゼンタは思った。

 ラーセンが、ゼンタを置いて行ってしまった事は残念ではあるが、始めに彼らの元を離れたのはゼンタの方である。そうして又、ティサの奪還が叶わなかった今、彼らと共に国外へと逃げる事は、ゼンタにとって最善ではない。故に、ラーセンを責めるつもりも無かった。

 その代わりとして、ダラントを信用するかと言われれば、それも在り得ぬ事である。ゼンタは、ダラントの根底に横たわる、神聖同盟と他の何かを比べた際に、迷いなく前者を選ぶであろう心に、もう気が付いていた。――が、そうして、それも又、責める気は毛頭無い。何故なら、ゼンタ自身、その根底には、彼らと同じ様に、他の何に換えてもティサを選んでしまう心を持っているからだ。


「シェルグラスの行方は誰もわからないのか!」


 同志の一人が発した罵声にも似た叫びが、ゼンタの仄暗い回心を一時に止めた。見ると、同志たちが、怒りを露に、ルベリアの行方を論じている。――ジギスムントだけは、その中央に居ながら、じっと黙り込んで、彼らの話を唯聞いているようだった。


「我々だけでも、真実の公表に踏み切るべきだったのでは……」

「いや、我々のような反王権派が声を上げたところで、信じる者はそう多くないだろう」

「シエルの実は貧しい者たちにとっての希望だ。端から謀と断ぜられて、その隙に貴族たちに揉み消されてしまっては敵わない。すべては慎重に事を運ばねば」


 そう言い終えると、同志たちの間に重い沈黙が落ちた。――誰もが心の中では、自分たちの力だけで革命は起こせぬと理解しているのだ。それ故に、これまで長きに亘って耐えに耐え、水面下で機会を窺って来た。そうして、漸く反逆の狼煙を上げようと云うところで、彼らは又、その火種を失ってしまった。その胸中は如何なるものか。ゼンタの目にも、彼らの抱く失意が、有り有りと見て取れるようであった。……

 だからと云って、未だ幼い少年に何が出来るのかと言われれば、何も出来やしない。それは、この場に居る誰もがわかっている事だ。そうであるからこそ、大人たちの誰もが、少年を気に掛けない。


「クソッ! 貴族どもの鼻を明かす絶好のチャンスだったのに」


 一人が荒っぽく宙を蹴り上げながら悪態着くと、皆が口々に「まったくだ」と、同意した。室内は俄かに騒がしくなったが、又直ぐに、風船が萎むように静かになってしまう。――誰も何も導き出せないのだ。唯一、それを成し得るであろう老教師は、先程から押し黙って居る。


「ヨアニスはどうだ」


 と、沈黙に堪え兼ねた一人が口にした。


「ヤツは貴族に近い。アイツの元に逃げるのは無理だろう」


 直ぐに否定が入り、再び静寂がやって来る。――彼らはやがて、目指すべき道から暫しの間目を逸らす事を選択した。


「聖女が偽物だったのには驚いたな」


 一人がこう漏らすと、ゼンタは忽ち弾かれた様に顔を上げた。彼は、愈々、否、寧ろそれは到頭、自分の持つ唯一無二の真実を、皆に話して聞かせる時が来たと思ったのである。逸る心の余り、ゼンタの小さな体が、一歩前に踏み込んだ。――が、その時だった。


「ヴェンツェルは何処に行った?」


 今まで無言を貫いていたジギスムントが、唐突にそんな問いを口にした。

 同志たちは互いに視線を交わし合い、その中の誰も答えを知らぬ事に気が付いた。すると、忽ち、彼らの心には、或る一つの確信が生まれたのである。


「あいつが、シェルグラスと逃げたのか!」


 一人が態々口に出すと、皆が口々に堰を切ったように話し出した。その顔は、革命の軸となる女が見付かった事への安堵と、それが男の元に居ると云う慢侮とで、厭味らしく歪んでいる。――ゼンタだけは、そんな大人たちの側で、若々しく張りのある肌を嫌悪で顰めていたが、何の価値もない少年の事など、やはり誰一人として視界に入れても居ない。

 暫くの間、大人たちは、少年の前だと云うのに、少しの躊躇もなく、二人の男女を蔑む物言いをしていた。が、ジギスムントの「静粛に」との一言で、皆ピタリと口を閉じた。その姿は、まるでよく躾けられた犬か何かのようであったが、それを指摘する者は居なかった。


「想像だけで彼是と言うのは良くない。とても良くない。それに、アレでも一応は私の身内なのだから、その前で彼是と言ってはいけない」


 ジギスムントは哀れな老人を装って言った。数人は申し訳なさそうな顔をしてみせたが、殆どの者は、笑みを抑え切れずに、口の端を上げている。


「ヴェンツェルの友達は居るかね」


 孫を探す老人の問いに、同志の中から一人が「いません」と、素直な子どものように答えた。




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