聖なる炎の儀 4
「…………は?」
思わずそう零したのは、セリオンだけではなかっただろう。オルテガも、ヴィーカも、獣人であるガルムヘッグさえもが、目と口を丸くして、ソレの首が無い儘であるのを見た。
「ちょ、ちょっとセリオン! 首はどうしたんだい!」
「そんなの俺が聞きてぇッスわ!」
オルテガは狼狽しながらセリオンに問うたが、彼とて知る由もない。二人は落ち着くことを知らぬとばかり、慌てに慌てた。そうして又、彼らの他に居る一人と一匹とが、冷静であると云う事も無く、ヴィーカは澄まし顔に脂汗を滲ませ、ガルムヘッグは依然として呆けた儘の獣の口から、顔より長い舌をだらんと垂らしている。
セリオンは混乱の中、首無しへと目を向けた。すると、彼の視線の先で、こちらに向かって歩いて来ようとした体が、瓦礫に躓いて、今にも倒れ込みそうになっている。
「だ、団長!」
慌てて駆け寄るセリオンの前で、首無しの体は自ずと持ち直した。セリオンは安堵する側、赤黒く露になったままの断面に、やはり首が無いのは見間違いではないのだと理解する。そうして、それは彼らの計画が破綻したことを意味していた。
「クソッ。なんで――」
セリオンが悪態を付きながら、何やら言おうとした、その時である。
「な、なんだこれは!?」
「至急王都に伝令を!」
アブラプトゥムを巡る堀の向こうから、騒がしい声が聞こえて来た。見ると、質素な甲冑を身に着けた兵士がニ三人、こちらの方を指差しながら、動き回っている。彼らにとって幸か不幸か、セリオンたちの姿には未だ気付いていないようだが、それも時間の問題だろう。今や大監獄は崩れ落ち、その残骸が群れになって転がっているばかりで、身を隠す場所など在って無いようなものなのだから。
「どうするんだい」
オルテガは、先の動揺を消し去った無の表情で彼らを見やりつつ、そう問うた。
すると、ヴィーカが懐を探りながら、こう言う。
「騒がれたら面倒だよね」
彼女がローブの合わせ目から取り出したのは、小さな結晶石だった。月光を受けて淡く青色に煌く宝石は美しく、だからこそ、この場に相応しくない。が、ヴィーカは路傍の石でも見るかのような目で一瞥すると、大きく振り被った。――その腕を、セリオンが掴み止める。
「……何」
「まーまー。ヴィーカちゃん、落ち着いて」
この時、既にセリオンは、常の軽薄な笑みを取り戻していた。
「ここで騒ぎを起こすのは得策じゃないッスよ。だって、団長の首が戻らなかったって事は、未だ終わってないって事かも知れないんスからね」
「どういうことだい」
怪訝そうに、けれど瞳には僅かな期待を浮かべて訊ねたのはオルテガだった。
「アタシはてっきり、参謀の言う『全部壊せ』ってのは、首が戻るのに合わせて団長の体を外に出しておけって意味だと思ったんだけどねぇ」
「オルテガさんが自分でも言っていたじゃないッスか。『どうせ全部アイツの筋書き通り』って。たぶん、その通りなんじゃないッスかね」
「ああ?」
セリオンの言葉の意味を図り切れず、オルテガは機嫌の悪い疑問の声を上げた。事実、彼女は不機嫌であったし、この男のヘラヘラとした態度と勿体ぶったような語り口とが、昔からどうにも癪に障る。が、そうして又、そう云った態度こそが、セリオンと云う青年にとって平素であると知っているために、釣られて自分も素の状態に戻れるかのような、そう云う奇妙な心持ちになるのであった。
困惑するオルテガの隣で、訳知り顔で頷いたのは、獣人のガルムヘッグだった。
「なるほど。それじゃあ団長の首は未だ埋まったままって事だな」
そう言って、幾度となく頷いてみせる狼男を前に、セリオンは心底から馬鹿にし切った表情を向けた。
「馬鹿ッスねー。聖なる炎の儀をやるって全土に通達が来てたでしょ。つまり団長の首はもう掘り出されてるってことッスよ」
「はぁ? じゃあ、なんで首は戻らねぇんだ」
「そんなの決まってるじゃないッスか。はじめから失敗するようになってたんスよ」
セリオンは何を解り切った事を聞くのだとばかりに、平然と言った。
「王都に巡らされた団長封じの魔術陣を、どうやって越えるのか、ずっとわかんなかったんスよね。大英雄さんが居なくなって、てっきりその方法が見付かったから今なんだと、そう思っていたんですけど」
穏やかな語りの側で、何時の間にか、その場は水を打ったように静かになっていた。対岸の兵士たちが騒ぐ声が、潮風に負けずによく聞こえる程である。
「思えば最初からおかしかったんスよね。自分で迎えに行きたがるだろうあの人が、自分は来ないで俺たちだけを此処に寄越した事、あの人たちが未だ王都に留まり続けている事、――そう云う事は全て、団長が此処で復活するなら全部必要ない事なんですから」
そうして、セリオンは、ヘラヘラとした笑みの奥に憎悪すら滲ませて言った。
「はじめから、此処で復活させるつもりなんて無かったんスよ。あの人は、あの人たちは、封印を解く鍵なんか見付けてない。――首は未だ王都にある」
***
闇に覆われたバース・エッカルド王城前の広場では、人々が不安な声を上げていた。中には聖職者の元へと駆け寄って、共に祈りを捧げる者すらいる。――竜の加護を受けた大英雄さえもが倒せなかった怪物を、愚かにも焼こうとした娘に対して、神に許しを請うているのだ。
壇上にいる信仰心など捨てたような貴族たちも、空を覆う異様な闇に恐れを抱き、列を崩しはじめていた。屋内へと逃げる者、広場で一番安全な場所――王の側へと寄る者、平民に紛れて身を隠そうとする者など、彼らの取った行動は様々だったが、その中の幾人かは、平民たちの祈りの輪に加わっている。
そうして、不安と混乱が広場に蔓延する中で、ゼンタは唯一人、行動を起こしていた。
少年はこうなるだろうと予想が出来ていた。それは勿論、首について特別な事を知っているからではない。ティサが聖なる炎の使い手ではないと、知っていたからだ。だからこそ、ゼンタは何度もティサを救おうとした。陰謀の渦から美しい人を掬い出そうとした。
而して、それは間に合わなかった。ティサは広場の中央で、暗雲立ち込める空を見上げ、独り、狼狽えている。ゼンタは空を見上げる人々の間をすり抜けて、ティサの元に向かった。少年は、この状況を良い機会だとも考えていた。今ならばティサの誤解も解ける。貴族たちの視線も彼女から離れている。――逃げられる、そう思ったのだ。
が、その時であった。
「あれはなんだ!?」
誰かがこう叫ぶや否や、空を向いていた人々の視線が、再び地上に戻って来た。
ゼンタもその例に溢れず、――否、寧ろ彼は元より空など見ていなかったのだが。――少年も又、人々と同じく広場の中央を、――それもティサの前にある灰となった首の跡を、見た。
人間たちの目の前で、小さな灰の山の元に、天から伸びる闇が渦を巻く。それは段々と小さな球体となって、闇は影となり、影はやがて、元の容を成した。
「ひっ! 首が!」
「く、首が戻って来たぞ!」
影が霧散した後には、火傷の跡一つ無い首が舞い戻り、民衆の視線を受けて尚、沈黙している。当初と変わらぬその姿は、生きているとは到底思えないものであったが、だからこそ人々は恐怖に駆られ、一人、又一人と、逃げ出す者が出始めた。そうして、いつの間にか、その場に居る誰もが、人より少しでも早くこの場を離れようとして、他者を掻き分け走っていた。
逃げ惑う人々を横目に、ゼンタは又しても独り、その流れに逆らっていた。が、少年の体は人波に呑まれ、思うように前に進めない。ゼンタは苛立ちに拳を振り上げるが、恐怖に犯された人々にそれを気にする暇は無く、少年の手が痛むだけである。
暫くして、人の数が減ると、ゼンタは漸く前へと進むことが出来た。と、思うと、今度は後ろから彼を引き留めようとする流れがあった。苛立ちを露に振り返ったゼンタは、そこに居た男――ダラントに気付くと、驚きのあまり怒りを忘れる。
「どこに行くんだ、ゼンタ。お前も逃げるぞ! 計画は失敗だ!」
前半の言葉に、己を案じてくれるのかと、ゼンタの心が俄かに温かくなった。が、その後に続いた言葉のおかげで、ダラントも結局のところ革命のことしか考えていない事がわかり、心は反って凍て付くようだった。
そうして、ゼンタは心の儘に、彼の手を振り払った。
「僕はティサ姉ちゃんを迎えに行く!」
「あっ、おい! ゼンタ!」
ダラントは狼狽えたような声を上げた。しかしゼンタの足は止まらない。広場の中央を目指す少年の瞳には、広場の中央で独り狼狽える、可哀想なティサの他には何も見えていなかったのだ。
だから、ゼンタは二度と振り返らなかった。




