シエルの実 5
古い文体ではあったが、その内容はゼンタにもわかるものであった。が、理解すると同時に、事の重大さから少年の頭脳は限界をとうに越えて、忽ち機能を停止してしまう。
硬直したゼンタの手から、ラーセンが羊皮紙を抜き取った。そうして、其処に記された文字に目を通すや否や、息を呑んだ切り動かなくなってしまう。それを見たダラントが又、何事かと奪い取り、読むや否や同じように硬直して――と云った具合に、手紙は同志たちの手から手へと移り動いた。
誰もが言葉を失くす中、逸早く衝撃から立ち直った者が居た。――ゼンタである。
「これは本当なの?」
ゼンタは誰に問うでもなく訊ねた。それが出来たのは、何も、彼が幼い所為で、事態の深刻さがわからないからではなかった。この場にいる誰もが――否、寧ろこの世において、彼の他には唯一人しか知らない事実が、少年を早く衝撃から立ち直らせたのだ。
「知らない知らない! 嘘に決まっているわ! 私は知らないもの!」
ルベリアが、激しく頭を振って否定した。
耳を貫くような甲高い大声に、大人たちは漸く呪縛から解き放たれた様子で、周囲の者と顔を見合わせたり、何か深く考え込んでみたりと、思い思いに動き出した。が、その二手目には皆同じ様に、或一点を――狼狽えて見えるルベリアの方を――猜疑的な目で以て見るのであった。
その中の一人が、こう言った。
「本当に知らないのか。シエルの実はシェルグラスのものだろう」
「知らないわよ! 私だって食べているのよ!? それも自領で穫れるものなんだから、アンタたちより余程多く食べているわよ!!」
「ハァ!? 配給制のもんを勝手に食ってるのかよ!」
「それが悪い!? 私の領地で穫れたんだから私の好きにしていいじゃない!」
ダラントが透かさず噛み付いたが、ルベリアは反って勢い付いた様子で、厚顔無恥にも程がある内容を声高らかに叫んでみせた。流石のダラントもこれには呆れ返って閉口するしかない。が、それをどう思ったのか、ルベリアは勝ち誇った様子で口を反らした。
すると、その時である。
「だからなのでは?」
と、ヨアニス騎士が静かに口を開いた。
ヨアニス騎士は同志たちと違って、ルベリアに対する不信感は抱いてはいないようだが、その代わり、友好的な雰囲気も感じられなかった。彼の顔は声と同じく硬く強張っており、どこか非難めいている。それは次の言葉で明らかなものとなった。
「平民に配給制される実を食べたと云う事は、自分は賤しい乞食だと自ら示されたと云う事ではございませんか。だから、あなたは貴族では無い。だからこそ、軽んじられるようになったのでは?」
「ふざけないで!」
ルベリアは羞恥と屈辱に顔を赤くして叫んだ。――その姿は、この国の貴族とは思えぬ感情に満ち満ちた品位に欠けるものであった。騎士であるヨアニスの方が、瞳に浮かんだ嫌悪と侮蔑とを除けば、彼女よりかは幾らか貴族らしいだろう。
ヨアニスは表情を崩さぬままに、静かに口を開いた。
「シエルの実はエッカルド王家より民へと施されるものです。その為、受け取りには署名が求められる。故に国外には出回らず、他国民に譲渡することは王への背信となります」
「だ、だからなによ!」
「手紙にも書いてあったでしょう。シエルの実は平民に与えられるもの。それには魔術式が込められているのです。それもおそらく、実を食った者の魔力を、王城の守りに供給する類のものが。――だから平民は魔術を使えない」
同志たちの幾人かが、ハッと何事かに思い至った様子で顔を上げた。
その一方で、この場にいる誰よりも若いゼンタが、彼らよりも早くに、結論へと辿り着いていた。それは彼が知る唯一つの事実を以て、殆ど確信的に、脳内に浮かび上がったのである。そうして、それから、少年は口を挟むでもなく妙に落ち着いた様子で、静に、騎士の紡ぐ話の続きを聞いた。
「あなたは貴族であるにもかかわらず魔法が使えない。それは何故か。実を食べたからです。平民が支給されるものを勝手に食べる賤しい人間だと、彼らはそう思ったのではないですか」
「なんですって!?」
ルベリアは怒りに顔を歪めた。美しい顔が醜悪な様相へと変わっている。が、罵声が響くことは無かった。その前に、ラーセンが横から口を挟んだからである。
「なるほど、だからこの国は貴族にばかり魔力持ちが生まれるのか」
多国を渡り歩く傭兵であるからこそ、その歪さには真っ先に気が付いていたのだ。
「確かにどの国も魔術師は貴族に多いが、ここまで偏ってはいないからな。それこそ平民から生まれた魔力持ちが王にまでなった国もあるくらいだ。ここじゃ宮廷魔術師が精々だろう。妙だと思っていたんだ。なるほどそういう絡繰りだったのか」
誰もがラーセンの言葉に納得していた。そうでないのはルベリアだけだ。
「全部偶然に決まってるわ! だっておかしいじゃない。どうしてこの私が知らないのよ! いずれあの領地を継ぐのは私なのよ!? 隠し通せるはずが無いじゃない!!」
ルベリアは必死に訴えた。そうして、彼女の言う事にも一理あると、同志たちが僅かに考えを検めようと思考を巡らせ始めた時である。ジギスムントが、永く俯いていた顔を上げ、枯れ果てた大地に水を灌ぐが如く、その喉に大きな唾を落とし込んでから、口を開いた。
「君の御父上は、君に魔力が無いとわかった時、何と仰ったのかな」
「え?」
「嘆き悲しんだのか、或はこれも運命だと受け入れたのか。現シェルグラス領主ならば、実の真実を知っていたということはないのかね。平民が食べる実を娘がこっそり食していたと知った時、御父上はどう思ったのだろうね」
「それは……」
何か思うところがあったのだろう。ルベリアは忽ち勢いを失くし、先のジギスムントのように俯いてしまった。そうして、それが一連の事に対する答えのようなものであった。
「クソッ! さっきも食っちまったじゃねーか!」
苛立ちを露に、ダラントは側にあった机を叩きながら叫んだ。彼は先程、シエルの実をゼンタの分まで余計に食ってしまっている。そのぶん怒りも増すと云うものだろう。
が、それは何もダラント一人だけの事ではなかった。
「今直ぐこの事を皆に知らせよう!」
「今日の分ならまだ食ってないやつもいるはずだ。止めねぇと!」
同志たちは口々にこう叫び、部屋を飛び出さんとばかり、皆が我を忘れて勇み足になった。彼らは目の前に突如として現れた脅威を、又と無い好機とも考えていた。――シエルの実という明確な象徴があれば、神聖同盟はもっと大きく、強くなれる。そう思ったのだ。
「待て!!!」
だが、ジギスムントの鋭い一声に、同志たちの勢いは忽ち衰えた。
老教師は草臥れ返った先程までの様子とは打って変わって、今や歴戦の志士を思わせる鋭い眼光をして、室内の仲間たちと右から左へと順繰りに視線を合わせた。そうして、猛獣もかくやと云う強い視線で射止められると、命ある物は皆恐れ戦き、立ち所に恭順の意を表してしまうのである。
ジギスムントは浮足立った雰囲気を一掃すると、満足げに一度頷いてから、こう言った。
「急いては事を仕損じるというだろう。みな落ち着け。冷静になるのだ」
同志たちは畏まって無言を続けた。
「お前たちが事を急ぐ理由もわかる。我々の活動は常に危険と隣り合わせだ。そうして、今もこの国の悪政に苦しんでいる人々が多く居る。助けたいという気持ちも良く分かる。幸いにして、同志ヨアニスのおかげで、我々はそれを成し得るかもしれん。シエルの実の真実は、早急に白日の下に晒されるべきだと私も思う」
ジギスムントの語り口は、いたって穏やかなものであったが、不思議な力強さを以て仲間たちの胸に響いた。そうして又、彼らが此の老いてはいるが優れた先導者の示す道を共に行かんと、さぁ行く末を指してくれと、瞳を輝かせた、丁度、その時である。
「待ちなさいよ! そんなことをされたら、シェルグラスが悪いことになるじゃない!」
ルベリア・シェルグラスは、同志たちの心などまるで知らぬ存ぜぬ様子で、口汚く割って入った。同志たちは導く声ではないそれに不快感を露にする。が、当の先導者たるジギスムントは、反って一層穏やかになって、口を反らした。もし此処に彼と馴染みの深いバーデンか、或は心が読める人間が居れば、この温和な老教師が、心の内では、思惑通りとほくそ笑んでいるのがわかっただろう。が、生憎どちらも居らぬので、それは誰にもわからなかった。
「だからこそだよ、ルベリア・シェルグラスくん」
ジギスムントは諭すように言った。
「他でもないシェルグラスであり、純正貴族の君こそが、全てを公にするんだ」
「なんですって?」
「君の地下牢入りは、真実を明らかにしようとした君を、エッカルドの貴族たち――それこそ現エッカルド王が、不当に捕らえたと云う事に他ならないだろう」
ルベリアはその言葉に、虚を突かれたような顔をした。彼女からしてみれば、突如として閉ざされた前途に途方に暮れていたところ、又しても、不意に光明が差したような気持ちがしたのだろう。
ジギスムントはそれを見るや、一層穏やかな声を出して、問い掛けた。
「言っていたじゃないか。君は何も悪くないのだろう」
「ええ。そう。そうよ。私は悪くないもの!」
ルベリアは虚ろな様子で頷き返し、矜持を以て同意した。老教師は唯、頷くばかり。
「君は革命の先頭に立ち、皆を導く女神になるんだ」
想像したのか、ルベリアは恍惚とした笑みを浮かべた。――無邪気らしく頬を赤らめ、瞳を潤わせたその表情は、本来であれば男たちの欲を煽るものであっただろう。が、今ばかりは、美しい顔にあると云うのに、邪悪なものに見えて仕方が無かった。
ジギスムントは狂女から視線を離し、同志たちに向き直ると言った。
「我々の目的はエッカルド一族からの脱却。その為にも、我々がシエルの実の真実を知ったと貴族どもに悟られてはならぬ。心苦しいが、今は耐えて備えるのだ」
「黙っていろっていう事かよ」
ヴェンツェルが不満そうに言ったが、その実、反発しているのではないようだった。不良青年の瞳は不思議と凪いでおり、老教師はそれに短く答えた。
「全ては期を以て明らかにする」
「それって何時だよ」
「決行は――」
ジギスムントは思案するように視線を宙に向ける。その瞳には何が見えるのか、そこには草臥れて撓んだ天井と、穴が開いた所から垂れ落ちる蔓草の若芽が、枯れているのと腐っているのとが、蝋燭の灯りにぼんやり浮かんで見えるばかりである。
が、そうして、僅かな思考の後に、老教師は口を反らして言った。
「“聖なる炎が披露されるとき”とする。奇跡を見に来た者たちの前で、王家の真実を明らかにしてやるのだ」
その表情は老教師でもなく先導者でもない、暗い感情に裏打ちされた歪なものであったが、同志たちも同じ感情に支配されていたので「応」と、叫ぶに終わったのである。




