シエルの実 4
「そうして、私はここにやって来たのです」
何くれとなく語った騎士は、そう言って、悪びれた様子も無く、堂々としていた。その様子に、ゼンタはつい感心してしまう。――と云うのも、彼らは互いの思想こそ知っているが、その実、仲間とも言い切れぬ間柄である。ヨアニス騎士は、そんな相手の元に単身やって来て、更には、言外に見下げていると伝えて来た。それは並大抵の人間に出来る事ではない。
が、感心したのはどうやらゼンタだけの様であった。
「随分な言い様じゃねぇか騎士サマよぉ!」
第一に、血気盛んなヴェンツェルが口を開いた。平素ならば、荒くれ者のようなその態度に、幾人かは顔を顰めているところだが、今は誰もが同意するように顔を険しくさせている。
「地に堕ちた者だなんて、よくも言ってくれるぜ。酷いじゃねぇか」
そう言うヴェンツェルは、口調ばかり荒々しいだけの無法者のようだったが、それでいて、ヨアニスを睨め付ける眼が、闇夜に隠れて獲物を狙う獣が如く、怪しく光っていた。そこには仄暗い知性が感じられる。そうして、それを見たゼンタは、彼がジギスムントの親族と云うのも強ち間違いでは無いようだと、確信のようなものを抱いたのであった。
「そんな奴等の手なんか借りなくていいんじゃねぇか? 王城の騎士サマなら女の一人や二人、自分だけで救えるだろ。なんたって地に堕ちた俺たちと違って、天に上ってるお人々だからなぁ!」
ヴェンツェルの言葉に、「そうだ」「そうだ」と、賛同の声が上がる。ヨアニスを同志として迎えようと言う者は、この場に誰一人として存在しない。――否、寧ろ誰もが彼を追い出そうとしていた。彼らの根底にある、貴族やそれに近しい者に対する嫌悪と憎悪とが、ヨアニスと云う明確な存在を前に、水を得た魚の如く、一挙に解き放たれたのである。
当然、ヨアニス自身にも、それが分かっただろう。が、彼は断固として表情を崩さず、又、その場から一歩も動かなかった。そうした姿が、やはり貴族のように思えてならず、彼らの間に生まれた悪感情の連鎖は、止まる事を知らないのであった。しかし、その時である。
「待ってくれ。今の話は本当なのか?」
それまで沈黙していたラーセンが、悪意の中に割り込んで、ヨアニスに訊ねた。その理性ある態度に、皆忽ち我に返って口を閉じたので、辺りはシンと静かになった。
ラーセンとヨアニスは視線を合わせた儘、一方は答えを待ち、一方は問われた意味を捉えかねて、沈黙を続けていた。すると、側にいたダラントが、焦れたついでに口を挟んだ。
「急にどうしたんだ、ラーセン」
「オビチュアリ・アンホールドは、俺を牢屋から助けてくれた人なんだ」
ラーセンは直ぐに答えた。そうして又、ヨアニスの方を向いて、こう言った。
「まだ幼い娘を連れて国を出ろと、そう言っていた。いったい何があったんだ? この国の貴族がそんな事を言うなんて……、アンタたちは、王の寝所で何を見付けたんだ?」
ゼンタは、驚愕のあまり言葉を失した。否、それは何もゼンタだけの事ではない。この場にいる誰もが、ラーセンの口から発せられた事実に驚き、言葉を失くし、又理解も出来なかった。
ヨアニスも此の事は知らなかった様子で、表情を崩して、驚きを浮かべていた。そうしていると、貴族では無いと判るので、皆にも冷静さが戻って来る。やがて、その中から一番に立ち直ったジギスムントが、こう言った。
「お前が、一人の令嬢の為に、我々と協力したいと云うのは分かった。が、それが今ここに来る理由とはならぬだろう。何がお前たちを動かした。その手紙とやらを早く出さぬか」
ジギスムントは、老いて皴のある顔を――見る者に知性を感じさせる老教師の顔を、それとは不似合いの期待と緊張とで、厳しく強張らせていた。
「君は同志として認められたわけではない」と、ジギスムントは素気無く言った。
「神聖同盟はこの私が盟主を務める秘密の同盟なのだ。いくらベイヤー殿より推薦を受けようと、この私が認めねば同志と成ること一切適わない。そうして、私はまだ君のことを認めていない」
ゼンタは、ヨアニスの顔が――頬がぴくりと痙攣して、喉仏が大きく上下するのを見た。
「郷に入っては郷に従えと云うだろう。我々の力を借りたくば、まずは君の価値を示しなさい。それとも、話は全て嘘で、手紙など端から存在しないのかな」
最後ばかりは常と同じ、導く者の顔をしてみせたジギスムントだったが、その眼差しには、嘘偽りが一切通じぬとわかる鋭利な光がある。ヨアニスは僅かばかり後退った。が、離れようとする騎士とは反対に、老人は悉く距離を詰めて、それから、とうとう、耐え切れなくなったのだろう。常の賢者が如く冷静な姿は何処へ行ったのか、老人はこう叫んだ。
「あるのか、ないのか、どちらなのだ!」
「あ、ある……」
「さっさと出さぬか!」
ヨアニスは、先の堂々たる姿が嘘のように、弱者であるはずの老人の一挙一動に肩を震わせた。そうして、震える手をゆっくりと懐に伸ばし、丸めた羊皮紙を取り出したと思うと、おずおずと勿体ぶって差し出した。
「ですが、どうか、お嘆きになりませんよう」
老人は引っ手繰るように受け取った。――ゼンタには、彼らの様子が、まるで、飢えて狂暴になった猿と、その飼い主とが、食い物をやり取りしたようにも見えた。
「俺たちにも教えてくれるんだよな」
ラーセンがこう問うと、ヨアニスは僅かに思案してから、こう答えた。
「お前たち平民には、知らない方が良いこともある」
「ハッ! お貴族サマだけ知っていればいいってか?」
噛み付いたのは又してもヴェンツェルだった。彼は唯一人、一貫した嫌悪と憎悪とを、ヨアニスに向けていた。睨むような嘲笑は、止むことを知らぬ儘、その顔の上に浮かべられている。
「これだから、貴族の言うことなんて信用できねぇんだよ」
「私は貴族ではない」
「同じようなもんだろ!」
水と油のような二人を余所に、ジギスムントは手紙に視線を落としたきり、何一つとして言葉を発しなかった。それどころか、彼は身動きもせず、視線だけが、羊皮紙の上を何度も行き来していた。
あまりの様子に、何事だろうとゼンタが見詰めること暫く、その中、ラーセンが、次いでダラントがと云った様に、次々とその様子に気が付く者が出て来た。――大した長さの無い羊皮紙を、依然として読み続ける老人を、皆が奇妙に思うと同時に、言い様の無い不安を覚えていた。その時である。ゼンタの横から、甘い匂いと共に一人の女が歩み出た。
「ちょっ、駄目だよ!」
ゼンタが言うより早く、ルベリアは老人の手から羊皮紙を奪い取った。が、ゼンタや他の者たちの予想に反して、ジギスムントはこれを咎めなかった。彼は唯、皴のある顔から血の気を引かせ、地面に視線を向けた儘――まるで未だそこに手紙があるかのように、硬直して、言葉を失っていた。
皆、何事かと目配せをし合い、やがて、その視線は、自然と、或る一点に集まった。其処には一人の美しい女がいる。ルベリアだ。否、彼女が手にした一枚の羊皮紙である。
「なによ、これ」
ルベリアが羊皮紙に目を通したと思うと、彼女は忽ち怒りを露にしてヨアニスを睨め付けた。が、その一方で、ヨアニスは、地下牢に居るはずの罪人が此処にいる事に、今になって漸く気付いたところであった。又、彼ら彼女らが、あまりにも平然とした表情をしているので、己の記憶が間違っているのかと疑い始めてもいた。
「これは一体どういうことよ!? 私はこんな話知らないわ!」
混乱の中にあったヨアニスは、彼女がもう一度叫んだところで、漸く、女の名前が手紙にある内容と関係が深い事を、思い出した。
ルベリアは、体格ばかり立派で脳の足らない騎士の事を、心の中で頓馬と罵りながら、周囲に視線を巡らせた。そうして、直ぐ側に居るのが死に摑まれたように萎れてしまった老人だと気付くと、彼ではない誰かを探して、――丁度、目が合った少年に手紙を押し付けた。
「こんなの嘘に決まっているわ! 私たちを騙そうとしているんでしょう!」
言うや否や、ルベリアは再度騎士を睨め付けた。嬉々として同調したのはヴェンツェルばかりである。皆どちらを取るとも言えず、近くの者と顔を見合わせるだけだった。……
そうして、思いがけなく手紙を手に入れたゼンタは、誰かに奪われてしまう前に、と、好奇心が赴く儘に、何の躊躇いも無く、手紙に目を通した。
そこには驚くことが書かれていた。
拝啓
余寒酷しく候処益々御多祥の段奉賀候。却説突然の御尋失礼千万に候へ共、此頃或る先生に進められ、シェルグラスの実なる配給制の果実に関し少々奇妙な事有り、御調査頂き度候。
エッカルド建国記に依り候へば、王城に施されし封印術はエッカルドの民の生命是力が在つて維持されると言い伝えて居る。友人魔術師より次の事を承はり候。御煩し申上げ候。
一、シエルの実なる果実及食物、他国に在る例無し。
一、右の実を授け候際はエッカルドの民、特に貧民賤民之候哉。
一、右の実を産なるシェルグラス依り王都又特に王城へ続く魔力の道筋在り。脈の如く幾重に広がり候。
第早速御調査希上候や。シエルの実に魔術式有と愚考申し上げ候。食に依て魔術供給の贄となる畏れ申上候。早速の御調査度幾重にも願ひ上げ候。
末筆ながら御健康を祈り居候や。/草々




