シエルの実 2
夜の帳が落ちて、空にはぽっかりと口を開けたような月が浮かんでいた。
神聖同盟の隠れ家には、いつの間にか、幾つかの蝋燭が灯されて、誰かが横を通る毎に、壁に伸びた影と炎とが揺れ動いている。ゼンタは、その心細い光を、ぼんやりと眺めながら、これから自分がどうするべきかと云う事や、貴族に染まってしまったティサの事を、それからそれへと、とめどなく考え続けた。
「おい、広場に貴族どもが集まるらしいぞ!」
灯火の静けさを文字通り切り裂くように、一人の若い男がアジトに駆け込んで来たと思うと、こう叫んだ。すると、中央の大机を占領して、つまらなそうに酒を煽っていたヴェンツェルが、嬉々として、真っ先に立ち上がった。
「ジョス。詳しく話せ!」
「広場に人を集めて聖なる炎のお披露目をやるらしい。態々アンデッドまで用意したって、兵士たちの間で噂になっているぜ!」
やって来た男は、その足で、ヴェンツェルの前まで行くと、口を反らしながら、随分興奮した様子でこう言った。その声が、静かな部屋の隅々まで伝わったのだろう。安寧と退屈とに緩んでいた空気が、忽ち期待と好奇心とに引き締まったのが、少年の柔肌でも感じられた。
そうして、奥にある上等なソファに寝転んでいたルベリアが、跳ね起きるや否や、鬼の首を取ったように、こう叫んだ。
「そのアンデッドが、地下に埋まっていたあの首の事なのよ!」
狂気に瞳を輝かせる女を、今度は誰も否定しない。――女を恐れるゼンタですら、今回ばかりは、女の言う事が、正しいと云う事がわかっていたのだ。が、そうであるからこそ、同盟同志たちの間には、おぞましい真実に対する憤怒を越えた先にある沈黙が降りるのであった。
「城の地下に隠していた事は、兵士にも明かさないのか……」
一人の同志が、静寂の中、かすかに、言葉を紡いだ。それは、枯れ葉が擦れたのが音となったもののように、小さく、乾いていた。そうして又、草木の間を風が通り抜けるが如く、その声を皮切りに、皆がそれぞれ思い思いの事を、口に出した。
「兵士たちにも真実を教えてやるべきだ」
「そうする位なら、我々が表に出るのでも良いだろう」
「いや、それならばアンデッドを倒してからの方が良いだろう」
「それこそ愚策。倒されてからでは、民の心が王へと向いてしまうではないか」
葉擦れのようなさざ波は、誰を押しやる事も出来ずに、霧散して消える。やがて再び沈黙が訪れると、冬の落葉樹林のように、辺りはひっそりと静まり返った。――その中、唯、ゼンタだけは、違っていた。彼は、ティサの炎が聖なるものでは無いと知っている。故に、不死者がどんな存在であろうと、死なないと云う事がわかっていた。
ゼンタは、愈々、己はすべてを話す時が来たのだと云う事を、それと知れた。つまり、子どもである自分が、大人である彼らに、何も怯える必要はないのだと教えてやれる事、それと同時に、とうとう、ティサとの約束を破る時が来た事、そうして又、これを利用すれば、ティサを取り戻せるかもしれない事――そう云う事が、だんだん目前に迫って来ると、少年の唇は渇いて仕方が無かった。
ゼンタは、唇を舐めてから、ゆっくりと口を開いた。が、丁度その時である。外へと通じる扉が、ドンドンと、向こう側から、音を立てて、叩かれた。忽ちゼンタは、体中が一時に凍るような心持ちがした。
「ジョス、付けられたのか?」
ヴェンツェルが鋭く問うと、ジョスと呼ばれた男は、震えながらも、確りと首を横に振った。元より、問い詰めている時間は無い。同志たちは素早く辺りに視線を配ると、それと判るものが出ていない事を確認した。そうして又、ルベリアとラーセン、それからゼンタを、音を立てぬよう慎重に、部屋の奥へと促した。
ゼンタは促される儘、足を進めながら、好奇心を抑え切れずに振り返った。すると、他の者が恐れて距離を置く中、ヴェンツェルが唯一人、扉に近付いて行くのが見えた。彼はその儘、扉の向こうを窺っている。――若いが故か、恐れを知らない不遜な態度が、この時ばかりはゼンタの眼にも頼もしく映った。
「誰だ? こんな夜更けに人を呼んだ覚えは無いぞ」
ヴェンツェルは、威嚇するように、短く、非難を込めた物言いをした。
「ミロシュより伝言を預かって来た」
扉の向こうから、低い男の声が、静に、そう答えた。同志たちは、声の主にも、ミロシュの名にも、聞き覚えが無い。ヴェンツェルが、そんな人間は居ないと答え、それで万事が休してしまう。誰もがそう思った。――が、それに而して、同志に連れられて奥の部屋から出て来たジギスムントが、刹那に血相を変えた。
「開けろ!」
鋭く叫んだジギスムントは、己で命じたにもかかわらず、老人とは思えぬ健脚で、あっという間に扉まで辿り着くと、他が止めるより先に、隠れ家の戸を開け放ったのであった。
「早く入れ」
ジギスムントが、叱るような声音で言った。
「……失礼する」
その声と共に、一人の男が、室内に踏み込んで来る。――屈強な体つきの男だった。出迎えたジギスムントと比べると、倍近い背丈で、年は三十を少し過ぎた位であろうか。若くもなければ年寄りでもない。形は平民のそれだが、平民が着るには些か上等すぎる布地の服を纏い、赤土のような、くすんだ朱色のマントを羽織っている。その隙間から、時折、蝋燭の灯りを返して、腰に佩いた剣の柄頭が光って見えた。そうして、何よりも、全身から醸し出される、貴族とも言い切れぬ独特の気配が、この場所に相応しくないと示していた。
「こいつ騎士だ! 宮廷魔術院で見たことがある!」
一人がこう叫ぶや否や、皆が確信を持って身構えた。
その中で、ジギスムントは唯一人、落ち着いた様子でありながら、それでいて周囲には目もくれず、唯一図に、男を見上げて、こう問いかけた。
「騎士だな。だが、ミロシュの名を知っているということは、協力者だろう」
男は一度だけ頷いた。その意味がわからないのは、新参者であるゼンタだけではなかった。皆が疑問を顔に浮かべながら、ジギスムントの先の語について思考を巡らせた。が、誰一人として、真実に辿り着いた者は居なかった。
「どういうことですか?」
自然とダラントが、皆を代表して、問い掛けた。
すると、ジギスムントは、漸く視線を周囲に巡らせた。そこで初めて、皆の理解が得られていない事に気が付いたのだろう。老人は、先の逸った自分を恥じながら、咳払い数回を以て、常の威厳のある態度を取り戻すと、殊更落ち着いた声で言った。
「王城の協力者に付けた名だ。急を要する場合には代理を立てることになっている」
「貴族に協力者が居るのか!?」
ヴェンツェルが嫌悪を浮かべて問うたが、ジギスムントは答えず、再び騎士の方へ向き直った。
「何があった? 時が来るまで接触しないと決めたはず。それほど緊急か?」
ジギスムントには、且つてより一つの懸念があった。それは、神聖同盟が巨大になるに連れて、その存在が、王城の貴族たち、延いてはエッカルド王その人に露見してしまう事である。そうなれば、誰もこのままでは居られない。と、思うと、彼の脳内には、様々な案と策とが、浮かんでは消え、消えては浮かんでいた。……
が、彼の惧れに反して、騎士は、考え込む老人の事を、じっと見下ろしながら、
「これは私の独断です」
そう言った騎士に対し、皆が怪訝な顔をした。――貴族側であろう騎士が、平民を虐げる他に、何を決める事があるのだろう。
すると、先を促されたように感じたのだろう。騎士は、かすかに、言いあぐねた様子を見せた後に、深く息を吐きながら、肩の力を抜いて、口を開いた。
「王の手より救い出したい方がいるのです。その為には、私一人ではなく、志を同じくする誰かと――あなた方と、協力するべきだと考えました」
その言葉を、まっさきに信じたのは、何を隠そう、ゼンタであった。己とティサの事を重ね合わせて、少年は目の前の男に対して同情と共感とを抱いた。が、彼は未だ子どもであり、大人たちは関心を寄せていなかったので、騎士を取り巻く環境は何も変わらなかった。
「それは誰の事だか、言ってみろよ」
ヴェンツェルが、厭味らしく口を反らして、こう訊ねた。――誰も止めなかった。否、寧ろ促すような気さえ、しているのかも知れない。
騎士は、ヴェンツェルの態度が不快だったのだろう。かすかに、そうと思って見ていなければ分からない程に、眉を顰めた。が、眼の前に居る盟主と思しき翁も、答えを求めている事に気が付いたのか、或は特段隠すような事でもないのか、数拍の後、彼は反って自慢げに、その名を紡いだ。
「オビチュアリ・アンホールド様です」
「アンホールドだって? 貴族じゃねぇか!」
ヴェンツェルは、その名を耳にした途端、鼻で笑った。心底から馬鹿にしているのがわかる態度に、騎士の顔が不快気に歪んだ。が、宮廷魔術院に居たとの証言に相応しく、その表情は、忽ち、貴族のような無表情の下へと隠されてしまった。
表情を失くすと、益々平民には見えない男は、再び、口を開いた。
「この不肖イオ・ヨアニス、宮廷騎士団分隊長の身分を頂戴しては居りますが、オビチュアリ様をお救いする為ならば、反旗を翻すことも厭いません」
その声は、静かでありながら力強かった。勿論、ヴェンツェルの無礼に対する怒りを押し殺しての事では無い。その証拠に、彼の眼の奥には、こうと決めたら曲げない意志のようなものが聳え立っていて、その周りを、愛と憎悪とが、炎が如く、這うようにして燃え上がっているようだった。
誰もが――ジギスムントですら、その気迫に圧倒されて、口を閉じた。流石のヴェンツェルも、嘘と言って謗る素振りも無く、口を噤んでいる。そうして、それから、しんと静まり返った室内で、騎士は、訥々と語った。――




