隠された真実 3
何度か馬車を乗り換えて、ゼンタたちは神聖同盟の隠れ家に辿り着いた。
ゼンタは、ダラント、ルベリアに続いて、三番目に馬車を降りると、態々扉を開けて出迎えた人を見て、思わず声を上げた。
「バーデンさん!」
久しく見なかった貴族のような雰囲気の男は、少年の無事な姿を見て、僅かに頬を緩めたようだった。が、その隣に、見覚えのない老人の姿があって、ゼンタは駆け出しそうになった足を、その場で踏み止めた。
「はじめまして、ゼンタくん」
老人は、イェンシュテン司教よりも年を取っていた。教育者のような服装をしている。バーデンと比べると、いくらか平民に近い格好をしているが、雰囲気はやはり貴族のようだった。
「あなたは?」と、ゼンタは恐る恐る訪ねた。
「私の名はジギスムント。この神聖同盟を率いるのは、何を隠そうこの私だ」
驚き目を見張る少年を余所に、ルベリアが二人の間に割って入る。
「ちょっと、この私を差し置いて何を話しているの?」
老人――ジギスムントは、気を悪くした様子も無く、穏やかに話し掛けた。
「お待ちしていましたよ。シェルグラスの御令嬢ルベリア殿」
「私の事を知っているのね」
「勿論。我等はそんじょそこらのレジスタンスとは異なるからね。貴族のことだって、ないがしろにはしないさ」
聞くや否や、ルベリアは「ふぅんと」気のない返事をしたが、その実、己の身分を相手が知っていたことで、自尊心が満たされたのだろう。顔には愉悦の笑みが浮かんでいた。
ゼンタは女の厭味らしい表情を見て、殆ど嫌悪に近い感情を抱いていたが、ジギスムントは、老成した精神から来る温厚さ故か、尚も穏やかな様子でルベリアに対し、こう提案した。
「君が協力してくれると云うのならば、我々も君に協力しようじゃないか」
「どうしてこの私がアンタたちなんかに協力しなきゃならないのよ」
すると女は、忽ち気分を害したようで、高圧的な物言いをした。
「アンタたち平民は、私たち貴族の為に働くことが義務でしょう。そうでなくとも、美しい私を見れば、何かしてやりたいと思うのが男と云う生き物なのではないかしら」
それが世の理と云わんばかりのルベリアに、ゼンタは呆れて言葉も出なかった。それは、側に居たダラントたちも同じだったのだろう。皆一様に、苦虫を嚙み潰したような顔をした。
が、その中で唯一人、涼しい表情をした儘の男が居た。――ジギスムントだ。彼は寧ろ、穏やかな笑みを浮かべ返して、やさしい慰めの言葉を口にした。
「これはこれは手厳しい。無論、あなたの美しさは大いに魅力だ」
聞くや否や、ゼンタは思わず目を向いて、彼を凝視した。老人はそれを気にした素振りも無く、外見ばかりが美しい女へ語り掛ける。
「だけれどもね、ルベリア殿。私が言いたいのは、その美しさが、時には君に辛い選択を指せたのではないかと云う心配事なのだよ。この国の貴族には、君も苦汁を舐めさせられて来ただろう。違うかね?」
見ると、ルベリアの表情が変わった。それがジギスムントにも分かったのだろう。彼の弓なりになった瞳の奥が、僅かな光を反射して、煌いたようにゼンタには見えた。
ジギスムントは、低く問うた。
「君の本当の望みは何だね?」
「化け物の消滅、或はこの身が国外へと脱出することよ」
と、ルベリアは即答した。が、彼女は続けて、こうも言った。
「そして、この国の貴族共を、一匹残らず、全員、地獄の底へと落とすことよ」
そう言ったルベリアの顔には、ゼンタの知らない凄みのようなものがある。それ故か、暫くの間、誰も何も言えなかった。沈黙はジギスムントも同様であった。が、彼は深く感じ入った様子で、瞳を閉じていた。――それは、祈りを捧げるには十分の時間だった。
彼は再び目を開けると、皴の寄った口を開いた。
「我々の目的も同じところにある」
老人の枯れた声が、力強く言葉を紡いだ。それは、彼の纏った衣装と相違ない。人に教え、導く者の声だった。――ゼンタは唐突に、彼の前に跪いて、教えを請いたい気持になった。教会で行う祈りの時間だろうと、そんな気分になった例が無いと云うのに、まるで、そうする事が正しい行いのように感じられたのだ。
「我ら神聖同盟は、ルベリア殿を全面的に援助しよう」
ジギスムントが宣言すると同時、少年は我に返った。彼の体は、未だ跪いては居なかった。前と変わらぬ位置に、ルベリアの顔がある。――彼女は、口を反らしていた。美しいが、歪な笑みだ。すると急に、ゼンタの背筋に冷たいものが走った。
ゼンタには、彼女こそが悍ましい怪物であるかのように思えて仕方が無かった。そうして、少年はその思いから逃れるために、視線を側へ逸らして、二度と顔を上げなかった。
***
隠れ家の一番綺麗な部屋にルベリアを案内し、後の世話は他の者たちに命じて、漸くバーデンは一息つけたような心持ちがした。――エイコンの市場調査をダラントに任せ、ゼンタを同志として迎え入れたのは、他でもないバーデンである。此度の騒動によって、万が一にでも計画が露見するような事があれば、彼も責を問われる事となっていただろう。そうして又、その場合の己の末路が頭を過り、貴族らしい無表情を僅かに歪ませたのだった。
バーデンは悪い幻影を振り払うために、前を行く老教師の背に尋ねた。
「ジギスムント様、本当にあの女を利用するのですか?」
彼は、シェルグラスと名乗った女の事を到底信用など出来そうになかった。貴族と自称していたが、彼女はあまりにも感情を露わにし過ぎている。シェルグラスと云えば、悪名高いと同時にエッカルド誕生から続く、古く長い血筋だ。その人間が貴族らしくないと云うのは、可笑しな話だった。
問われた方のジギスムントは、振り向くこともせず、呆れた声でこう言った。
「君は些か素直過ぎるな」
「え?」
と、バーデンは考える暇も無く、一音を発していた。
疑問に思った彼を余所に、ジギスムントは、老人とは思えぬ健脚で、前へ前へと進んで行く。その背中を、バーデンは憧憬とも侮蔑とも思える視線で見詰めながら、置いて行かれぬよう足を動かした。
「その名の善性は置いておくとして、シェルグラスは貴族だ。それに見せかけだけとは云え、あの美しさは平民から生まれ得るものではない。これを利用できると言わずしてなんと言う」
ジギスムントはそう言ったが、バーデンは納得できなかった。
「ですが、あの女は一時とは云えども、牢に入っていたのですよ」
「それを誰が知っている」
言いながら、ジギスムントは鼻で笑った。――彼は自信に満ち満ちていた。己の考えが、万が一にも誤りであるなどとは、端から思ってもいないのだ。そうして、問いのような言葉を口にしつつ、答えを求めてはいない。
が、バーデンは、敢えてその答えを口にした。
「誰って、それは当然、彼女を捕らえた城の人間、つまり貴族たちでしょうよ」
言ってから、彼は老教師の言わんとすることが、自ずと知れた。
「まさか……」
バーデンは息を呑んだ。すると、これまで一度も顧みなかったジギスムントが、僅かに視線を後ろへ反らして、彼の姿を、その眼で捉えた。――凍えるような冷徹さのみを湛えた瞳だ、と、バーデンは思う。先程までは確かに存在していた、誰かを導くような引力や、教え子の成長を見守る温かさ、それら一切が感じられない。
殆ど反射的に、身が竦むような思いがして、彼は足を止めた。ジギスムントは興味が失せた様子で、再び前を向き、それから、問いの答えを、自ら話し始めた。
「貴族が知っていると云う事は、平民は知らないと云う事だ」
語り口は、朗々として明るく、教師らしいものだったが、バーデンには反ってそれが怖ろしい事のように思えて、後に続く事が出来なかった。が、そうして又、立ち止まった儘の彼を置いて、ジギスムントは独り、前へ前へと進んで行く。
「貴族共を滅ぼす為には、平民たちが貴族だと思っているシェルグラスはうってつけだろう。思わぬところで良い道具を拾ったな」
そう言う彼の脳内には、計画が成功した先の未来が在り在りと浮かび、具体性と共に、明確な勝利として、仮定されているのだろう。老教師の皮を被った革命家は、鼻歌まじりに滅び逝く王国への賛歌を口にしながら、足取り軽く、バーデンの事を置き去りにして行った。……




