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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
39/65

逃亡者 2


 その言葉を聞くや否や、少年の顔が見る見るうちに、羞恥と後悔、それから確かな歓喜で、真っ赤に茹で上がるのが、隣の寝台に座るラーセンには随分と良く見えた。そうして彼は、少年と男の間にある確かな友情に気付くと、思わず破顔した。


「あんた、いいヤツだなぁ」

「こ、このくらい当然だろ。俺はこいつが赤ん坊みたいに小さい頃から良く知ってるんだからよ!」


 ダラントは、忽ち頬を赤く染めて、弾かれた様に少年の頭部から手を離した。

 ゼンタは、それを名残惜しく思ったが、その心が二人に気付かれぬ様、愛猫家の手から漸く逃れた野良猫の如く、落ち着かない様子で頭部を擦り、――隙を見て、目尻に滲んだ涙を拭った。――幸か不幸か、大人たちがそれに気付いた様子は無い。


「まぁ、なんだ、あれだ、俺はアジトに報告して来るな!」


 言いながら、ダラントは顔に上った熱を下げるが如く、風を切って立ち上がった。


「ついでに食べ物なんかも持って来てやるよ。この宿の近くには定食屋のひとつも無いからな! ま、まぁ、あったところで、お尋ね者のお前らが店で食事なんか出来る訳ないんだけどな!」


 ダラントはそう捲し立てると、わざとらしい豪快な笑い声を上げながら、逃げるように部屋を飛び出して行った。

 ラーセンは、呼び止める暇も無く閉じられた扉に唖然としながら、ぽつりと独り言ちた。


「そんなに照れなくてもいいだろうに……」


 それから暫くの間、部屋の中は居心地の悪い静寂に包まれた。――眠りの波間を揺蕩うスノーレは兎も角、ゼンタは、未だシーツに顔を埋めた儘、耳を赤くしていたし、ラーセンは、少年の置かれた心境が手に取るように分かったので、話し掛けるのを躊躇したのだ。

 が、そうして、沈黙が続くと、ラーセンの唇は、彼の意思とは反対に弧を描き始めた。すると可笑しな事で、彼は急に、腹を抱えて笑い出したい衝動に駆られた。と、思うと、口から吐息が溢れ、それは忽ち、吹き出すような笑いへと変わった。

 愉快で仕方が無いとばかりに、寝台へ倒れ込んだラーセンを、少年の小さな拳が叩いたが、それが反って、笑いを誘った。

 しかして、腹を抱えて笑っていたラーセンではあったが、少年が真実、羞恥のあまり泣いてしまう前に、彼は再び身を起こして、伏せた儘の少年の頭を乱暴に撫でた。――それは、先程のダラントの手つきと、よく似ていた。


「何はともあれ、良かったじゃねーか」


 そう言うと、真っ赤な耳の少年が、くぐもった声で「うるさい」と、悪態を付いたので、ラーセンは一層笑って、少年の頭を掻き回した。――ゼンタは、抵抗する事が反って相手を煽るのだと気が付くと、その後は、骸の様になって動かず、唯、されるが儘に、その手を享受した。




 ***




 漸くゼンタが顔を上げた頃には、その顔から赤色はすっかり消えていた。が、彼は心底から不機嫌な様子を隠さず、隣に座る男を睨め付けた。


「笑い過ぎだと思う」

「そうだな、悪かった」


 ゼンタの言葉に、ラーセンはまだ軽く笑いながら言った。


「スノーレが起きちゃうよ」

「これくらいじゃコイツは起きないよ。ほら、ぐっすりだろ」


 ラーセンは乱暴とも思える仕草で、眠ったままの幼女の頭を叩いた。冷やりとしたのはゼンタだけで、スノーレは尚も穏やかな顔で寝息を立てている。


「それより、お前はこれで良いのか?」


 風向きが変わったのは、そんな一言だった。


「なんのこと?」


 と、ゼンタは起き上がって首を傾げる。

 すると、ラーセンは、片方の眉を上げた、怪訝そうな顔をした。


「何の事って、お前、わかっているのか? 俺たちはこのまま国外に逃亡するか、同志たちが革命を成功させるまで隠れ住んでいる事しか出来ないんだぞ」

「そんなこと、わかっているよ」


 何を今更、と、ゼンタは苛立ちすら覚えて眉を顰めた。

 しかし、ラーセンは、そんな少年に向かって、気を悪くするでも無く、唯、真剣な顔をして言葉を続けた。


「お前じゃ姉ちゃんを助けられねぇって事だぞ。本当に解っているのか?」


 それを聞いた瞬間、ゼンタは雷に打たれた様な衝撃を受けた。それは、当然、彼がそう感じたに過ぎないが、少年の体は見る見る内に力を失くして蒼褪めた。

 ラーセンは然もありなんと頷きかけて、相手はまだ年端も行かぬ子どもなのだと思うと、哀れに思いもした。そうして、それから、図らずも、少年にとっては何の前置きも無く、唐突に辛い現実を突き付けてしまった事を、申し訳なく思った。――が、そう思ったところで、それは、文字通り、既に事実として現れてしまっている。

 故に、ラーセンは前述を否定しなかった。代わりに、少年にとっては何の慰めにもならないだろうと分かってはいたが、彼は敢えて、そう云った内容の言葉を紡ぐ事にした。


「こう言っちゃ何だが、地下牢で言われた事を思えば、あの子にとっては、貴族の中で過ごす方が幸せなんだろうよ」


 それは違う、と云う否定の言葉が、何故かこの時ゼンタの口から飛び出すことは無かった。彼の口は、空気を求めて海面に出た魚の如く、必死に開閉を繰り返したが、結局のところ、何の音も紡がなかった。そうして、それから、力尽きて、死んだように引き結ばれた。

 俯いた儘、か細く震える少年の肩を、ラーセンが慰めに叩こうと手を伸ばした、その時である。


「辛気臭い顔はしないでくれる? 気が滅入るわ」


 弾かれた様に顔を上げたラーセンとゼンタは、其処に美しい女を見た。

 部屋の入り口は音も無く開かれており、女が一人立って居た。その顔には疲労が浮かび、頬は窶れていたが、それが反って、幸薄な美人と云う印象を深めていた。


「あの男は何処に行ったの?」


 女は、無遠慮に部屋へと踏み込んで来た。――そうして、漸く、彼女が地下牢に居た狂女と同一人物であると気が付いた。――幽鬼の様に棚引いていた髪は洗い清められ、窓から差し込む光を受けて輝いており、薄汚れていた肌は、透き通るような白さで、平民ではないと容易に推察出来るものへと変わっていた。

 口を開いた間抜け顔を晒すゼンタたちを余所に、女は部屋の中を見回した。


「やっぱりあの男、居ないじゃない。何処に行ったのよ」


 訊ねる声には、苛立ちが滲んでいた。――と、思うと、女は、わなわなと震え出し、聞こえるか否かの大きさの声で、不満を口にし始めた。


「貴族であるこの私に、庭で水浴びなんかさせておいて、謝罪のひとつも無いのかしら。ああ、そうね、平民だもの、礼儀がなっていないんだわ。それに、こんな汚くて狭いところに泊まれですって。私を誰だと思っているのよ。貴族なのよ。このルベリア・シェルグラスに物置小屋に泊まれって言うの!」


 異様と言うに他ならない様子に、ゼンタは、彼女が地下牢にて、気が触れた様に叫び散らかしていたのを思い出した。そうして又、あの甲高い声で叫ばれては堪らないと、慌てて口を開いた。


「ご飯の用意だって!」


 途端に、女は「ふぅん」と、満足げに唇を反らした。

 女の狂気が収まると、ゼンタは安堵の息を吐いた。が、女の方は、元より大した興味も無かったのだろう。少年の心情を慮る事も無く、再び口を開いた。


「アンタたち、この後はどうするの」

「どうするって……」

「王城の牢から逃げ出したんだから、もうこの国には居られないでしょう? 国外に出るなら、私も連れて行きなさいね」


 ゼンタは酷く驚いた。と云うのも、彼は、女がこの国に残るとばかり思っていたのだ。女が本当に貴族であるならば、その身分を捨ててまで他国に行く理由が、少年には思い付かなかった。

 が、そうして、ゼンタが答えを求めてラーセンを仰ぐと、彼に驚いた様子が無いのが不思議だった。

 ラーセンは、極めて冷静だった。――とは言え、それは、ゼンタには分からないだけで、彼も心の中では驚愕していたかもしれないが、真実、少年の目に映る男は落ち着いて見えた。額に浮かぶ脂汗が無ければ、体の何処も震えていない。当然、その声も、ゼンタの知る常のラーセンと同じものだった。


「しかしお嬢さん。我々は君を助ける義理は無いんだが」

「アンタ、この美しい私と一緒に居たくないの?」


 その台詞を聞くや否や、ゼンタは驚愕のあまり思わず目を剥いた。が、彼が見上げた先にある女の顔は、冗談を言っているものでは無い。――つまり、彼女は本気でそう思っていた。

 殆ど拒絶に近い言葉を紡いだラーセンも、これには随分驚いた様子で、目を丸くしていた。が、女はそれに気付いているのかいないのか。自身に満ち溢れた態度で話を続けた。


「何なら、上手く逃がしてくれたお礼に、一度くらい相手をしてあげてもいいわよ?」


 その言葉だけでは、センタには彼女の真意が分からなかったが、ラーセンは違ったようで、彼は忽ち顔を赤らめると、叫ぶ様にこう言った。


「子どもの前だぞ!」

「どうせ何の事だか分からないでしょ」


 ルベリアはそう言って、ゼンタに向かって「ねぇ」と、同意を求めて来た。

 素直に頷くのは癪だったが、だからと云って答えを言えと命じられても困るので、少年は、渋々ながら、ひとつ頷いた。

 すると、それを見たラーセンが、殊更困った顔をする。


「だからってなぁ……!」


 ラーセンの低く唸るような反論を遮ったのは、部屋の扉が開く音だった。

 見ると、其処には、外に出ていたダラントが、随分と驚いた顔をして突っ立っていた。――視線の先には、美しくなった女がる。

 つい先程、彼と同じ現象に陥った身として、ゼンタは、彼が正気に戻れるよう、


「ダラントさん?」


 と、声を掛けた。

 すると、ダラントは激しく目を瞬かせ、一度ゼンタに視線を向けてから、今度はまじまじと女の事を見た。


「何よ」

「あ、ああ、いや……」


 不機嫌そうに問う女の声に、ダラントは何とも形容し難い顰め面をしてから頭を振った。

 そうして彼は、気を取り直し、不思議そうに見やるゼンタと、その隣で苦笑しているラーセンに向かって、大きく唇を反らしたと思うと、瞳を輝かせながら、こう言った。


「二人とも、アジトに戻って来いってよ!」


 喜色を浮かべたダラントとは反対に、二人は当惑して顔を見合わせた。


「いいのかな? 迷惑かけたのに」


 ゼンタがそう口にすると、ラーセンは顎に手を当て、僅かに考え込んだ後、ダラントを仰いだ。


「件が終わるまでアジトに匿うより、さっさと外に出した方が手間も費用も掛からないだろ。まだ幼いコイツらの事が気に掛かるって言うなら、これは俺が始めた事だ、俺が最後まで責任を持つから心配しなくていいぞ。これでも傭兵で食って来たんだからよ」

「さっきも言っただろう。俺たちは同志なんだ。何も遠慮する事はねぇよ」


 と、ダラントは快活とした笑みを浮かべて言った。


「もちろん、国を出た後の事が心配だって云うのもあるが、アンタの腕を信じていない訳じゃない。それにアンタだって、借りられる手は借りておいた方が良いと思っているだろ。計画の時も近いんだ。手を貸しておくれよ」


 ダラントは、そうやって、わざと謙った言い回しをした。

 すると困った事で、ラーセンが彼らの事を思って遠慮する方が、反って、誠意が感じられない様に思える。

 が、そうして又、二人の会話を遮ったのは、空気の読めない女の声だった。


「アジト?」


 と、女は唐突に口を挟んだ。


「何のアジトよ。アンタたち何者なの?」


 外見だけは美しくなったが、女の態度は相変わらず、高慢ちきで不遜なものだった。今までのダラントならば、直ぐに怒りを露にしていただろう。が、しかし、この時ばかりは流石の彼も、己にある矜持のおかげで、唯、口の端を上げた勝気な表情をするに留まった。否、寧ろ彼は、機嫌よく口を反らして、こう言った。


「俺たちは、――“神聖同盟”だ」




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