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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
37/65

閑話 下

2019/12/08 タイトルを変更しました。


「オビチュアリ、君の弟の件について話がしたい」


 演説の余韻が醒めた頃、王は密かにアンホールド男爵令嬢へ耳打ちした。

 令嬢が断れる筈も無く、二人は人目を忍んで部屋を出て行った。が、当然、それを確りと見ている者も居た。中でもベイヤーは、二人の姿が扉の向こうに消えた途端に、明確な呆れを滲ませた声で、こう言った。


「英雄色を好むと言いますが、王のアレには困ったものですな」

「ベイヤー宰相! 口が過ぎますぞ!!」


 隣にいた貴族は、素早くそう言うと、顔を青くして辺りを伺った。反逆罪にも当たるその言葉を聞かれては居るまいかと、辺りを窺ったが、騒ぎそうな貴族たちは皆離れたところに居た。それに加えて、近くに居た別の貴族などは、ベイヤーの言葉に同意するように頷いた。


「アンホールド令嬢は弟を亡くされたばかり。いくらなんでも……」

「王に人の心は分かりますまい」


 そうやって、声を潜めて言葉を交わす貴族たちを、壁際の影に隠れて、一人の騎士がじっと見詰めていた。

 騎士は、最北端の町にてルベリア・シェルグラスを捕縛した騎士団の長で、名は、イオ・ヨアニスと云った。普段であれば警備をするような立場ではない彼も、建国時代の怪物の首が見付かると云う、正に寝耳に水の事態のおかげで、護衛として駆り出される羽目になったのだ。

 が、彼はそれを不服としなかった。否、寧ろ喜びを覚えていた。――彼は、騎士として申し分の無い、実直な男であったし、貴族の護衛とあれば、延いては彼女(・・)を守る事に繋がるのだと思うと、誉れとすら感じられた。

 それが、今はどうだろうか。彼が真実守りたいと思った彼女は、王と共に部屋を出て行ったきり、帰って来る様子は無い。見間違いでなければ、部屋を出る際に、王の腕は、彼女の腰を抱いてはいなかっただろうか。――そう思うと、ヨアニスは、臓腑の奥底から、怒りが炎の様に燃え上がるのを感じた。が、そうして又、そんな彼の様子を、会話の輪から一歩下がったベイヤーが、全く感情の伺えぬ表情で見ていた事には、気が付かなかった。……




 ***




 夜の帳が落ちて、月明かりが世界を青く照らす中、エッカルド城の長い廊下を、一人の美しい娘が歩いていた。彼女の歩みに合わせて空気が揺れ動き、その中を、美しい金糸が泳いでいる。その様は、まるで月の女神がこの世に舞い降りたかの如く怪しげで、又、美しかった。


「アンホールド様」


 背後から掛かった声に、娘――オビチュアリ・アンホールドの歩みが止まった。

 暗い廊下の中、身を縮める様にして振り返らない彼女の元へ、甲冑の擦れる音と共に、踵を叩きつける様な硬く重い足音が、ゆっくりと近付いた。


「私では、お役に立てないでしょうか」


 懇願にも似た響きの声に、オビリュアリは後ろを振り返った。


「あなたは……」

「騎士のイオ・ヨアニスと申します」


 右手を心臓の上に当て、恭しく一礼をした騎士の姿に、傍から見ても分かる程に、彼女の肩から力が抜けた。当然、騎士も気付いていたが、彼は相手を追い詰めたい訳ではなかったので、貴族である彼女に対して、それを指摘するような愚行はしなかった。

 するとオビチュアリは、貴族らしく冷たい表情を浮かべ、小さくスカートを持ち上げてカーテシーをした。


「存じ上げておりますわ、魔術院騎士団長。いつも私共魔術師を守ってくださってありがとう」


 そう言うと、オビチュアリは、普段の彼女を知らなければ気付けない程度の笑みを浮かべた。その瞬間、ヨアニスの胸を打ったのは、歓喜と云う名の雷光が如く激しい衝撃だった。そうして、又、彼女を守りたいと云う、決意にも等しい欲望が、彼を突き動かした。

 一歩踏み出したヨアニスを、オビチュアリは不思議そうに、――貴族らしく表情は乏しかった為に、彼がそう解釈したに過ぎなかったが、貴族である彼女が、騎士であるヨアニスに対して下がるよう命じなかった事から、その推測は正しいと云っても過言では無いだろう。――それが一層、ヨアニスを勢い付けた。


「どうか、貴女を苦しめる憂いを、このヨアニスめに打ち明けてはくださいませんか。必ず力になってご覧に入れます」


 言うと同時に、ヨアニスは跪いて、堪らず、彼女の白魚の様な手を取った。そうして、それから、美しく滑らかな彼女の肌を、己の指が撫でようとするのを堪えながら、騎士が忠誠を誓うのと同じ様に、額に押し当てた。すると、閉じた瞳の向こうで、掴んだ儘の彼女の手がピクリと痙攣したのが分かった。


「……どうか、お立ちになって」


 その声に促されて、ヨアニスが顔を上げると、オビチュアリは、微笑を浮かべながら、困ったように眉を下げていた。彼が握っているのとは反対の手が、彼に向かって伸ばされたかと思うと、肩に振れるか否かのところで止まった。

 あまりのいじらしさに、ヨアニスの心は舞い上がらんばかりだったが、反対に、オビチュアリは困っている様子だった。

 やがて、彼女の手は躊躇う様に揺れた後、羽が当たるが如く軽さで、彼の肩に触れた。


「あなたのような立派な方の膝を、私などのために汚してはなりませんわ」

「それが私の願いです」


 ヨアニスは、息を付く間も無く即答した。

 再び首を垂れると、彼女は戸惑うような空気と共に、一歩後退った。が、そうして又、片方の手はヨアニスに捕らわれた儘なので、その場に留まらざるを得なかった。

 暫し二人の間には、痛い程の沈黙が流れた。


「私は……」


 と、沈黙を破ったのは、驚く事に、オビチュアリの方だった。


「我がアンホールド家は愚弟の失態を償わなければなりません」


 静かに紡がれた言葉に、ヨアニスは思わず顔を上げた。

 アンホールド男爵令嬢は、既に先程浮かべていた微笑を消して、貴族らしい無の表情をしていた。が、ヨアニスには、その無表情の下で、彼女がどれ程苦しんでいるのかが、手に取る様に分かった。そうして、それから、彼は再度、身勝手な決意に駆られたのだった。

 オビチュアリは、ヨアニスが何かを言う前に、それを遮るようにして、言葉を重ねた。


「それに、王からお呼び頂くなどとは、とても光栄なことですわ。貴族の娘として、これほど誇らしいことはございませんもの」

「オビチュアリ様……」


 ヨアニスは、虚ろなに彼女の名を呼ぶ事しか出来なかった。彼女が本心からではなく、殆ど虚勢で以てそう言っている事は、明らかだった。――彼が握った儘となっている彼女の手が、酷く震えていた。それは、寒さからではなかった。が、そうして、騎士であるヨアニスが、王より彼女を救い出す事が出来ない事も又、明らかなのであった。

 無力感から、忽ち、ヨアニスの胸に満ち満ちていた喜びは消え去り、生まれた時から定まっていた〝王〟と云う存在への憎しみが溢れ出して来る様だった。王が居なければ、自分が王として生まれていれば……。そんな事ばかりが頭を過り、掴んでいた彼女の手を、無意識の内に強く握り締めた。――と、思うと、驚く事に、オビチュアリが彼の手を握り返した!

 驚きのあまり勢い良く顔を上げたヨアニスに対し、彼女はこう言った。


「ヨアニス団長、あなたが、もし、こんな賤しい存在を憐れんでくださるというのならば、ひとつ、お願いがございますの」

「私に出来る事ならば、何でもお申し付けください!」


 ヨアニスは即答した。そうして、彼の心には再びの歓喜が湧いた。

 オビチュアリは、掴まれていた手を引いて取り戻すと、漸く解放された両手で懐を探った。そうして、小さく筒状に丸められた羊皮紙が、彼女の胸の間から現れる様子を、ヨアニスは食い入るように見詰めた。


「これを、宰相のベイヤー様にお渡しいただけますか」


 彼女の手からヨアニスの手の上へと、筒状の羊皮紙が移動した。――まだ温かい。と、思うと同時に、ヨアニスは、強靭な理性を以てその羊皮紙から視線を逸らすと、こう訊ねた。


「いったい何が書いてあるのですか?」

「王家が建国より隠し続けていた秘密の事実です。決して中をご覧になってはいけませんよ。知ればあなたも罪に問われることになってしまうかもしれません」

「それ程のことが……」


 唖然と呟きながら、自分の手の中にある羊皮紙へ視線を落とした。が、そうして又、それがどこからやって来たのかを思い出してしまい、不埒な記憶と幻想が脳裏を過ると、煩悩が心を満たそうと溢れ出した。

 ヨアニスは、頭を振って、それらを思考から打ち払うと、彼女に気付かれない内にと、手早い動作で羊皮紙を視界の外に、――甲冑の中へと仕舞い込んだ。


「必ず宰相閣下にお渡しします」


 彼がそう言うと、オビチュアリは、どこか重荷を下ろしたような声音で以て、「ありがとう」と、小さく口にした。やはり表情こそ乏しかったが、その声の向こうに、寂し気な微笑を浮かべる彼女の姿が、ヨアニスには見えたような気がした。


「こんな事をお頼みして申し訳ありません。ですが、今の私では宰相さまにお会いすることは出来そうにありませんから……」


 オビチュアリは、そう言うと、馬車まで送ろうと云うヨアニスの申し出を辞して、一人暗い廊下を歩いて行ってしまった。今度ばかりは、彼も呼び止める事が出来ず、華奢な背中が遠く離れて行くのを黙って見ている事しか出来なかった。

 彼女の後姿が、闇へと解けて見えなくなって暫く、ヨアニスは、甲冑の中から羊皮紙を取り出した。決して見てはいけないと言われたそれを、じっと見下す彼の心中を慮るのは、然程難しい事では無い。が、ヨアニスは、周囲を見渡し、誰も居ない事を確認すると、それを、


――読んだ。




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