閑話 上
2019/12/08 タイトルと王の台詞の一部を変更しました。
ラーセン、スノーレ、ゼンタ、ダラントの計四人は、オイスタインの手によって、貴族街を脱した。朝霞の中、四人は人目に付かぬよう足早に、身の丈を優に超える巨大な門から離れ、狭間の町を抜け、市民街へ足を踏み入れて、漸く、人心地着いたような気がした。
落ち着いてみると、ゼンタは、後ろから付いてくる女の存在に、意識が向けられるようになった。彼は小さく振り向いて、後ろを伺った。
狂女は、牢に居た際の狂喜が鳴りを潜め、感情の伺えない、貴族らしい顔付きをしていた。平民には無い長い髪が、歩く度に霞の上で棚引く様子と相まって、まるで貴族の幽霊の様である。が、そうして、青白い顔に浮かぶ双眸だけは、飢えた獣の如く、強い感情を露に、こちらを睨め付ける様に見詰めているのが、貴族には相応しくなく、又、不気味だった。
ゼンタは、背筋を寒気が過った気がして、慌てて視線を前に戻した。それでも堪らず、数歩先を行く男たちに駆け寄ると、そっと身を寄せた。
「ねぇ、あの人ついて来ているよ」
少年が声を潜めてそう言うと、大人たちは揃って苦い顔をした。が、その儘、黙々と足を進めている。
「大丈夫なの?」
と、ゼンタは問いながら、再び後ろを窺うと、不意に、女と目が合いそうになった。彼は慌てて前に向き直ったが、心臓が激しく脈打って痛い程だった。
「このままついて来られたら面倒だな」
ラーセンは、横目で後ろを伺いながら呟いた。
「アジトの場所がバレたら不味い」
「分かっている」
ゼンタの頭上で、大人二人は声を潜めて言葉を交わした。
「撒けないか?」
「俺一人なら出来なくも無いが……、どうかな」
神妙な面持ちで考え込む大人たちの側、再び女の様子を伺おうと、ゼンタが振り返ろうとした時だった。
「ねぇ、ちょっと」
女のそんな声が聞こえた。が、誰一人として反応しなかった。つい今し方、振り返ろうとしていたゼンタとて、確りと前を見据え、黙々と足を動かしている。彼らの態度は、一様に、女との接触を拒んでいた。正に、君子危うきに近寄らずと云った態度である。
「ねぇ、ちょっと! 待ちなさいよ!」
しかし女は、それを理解する筈も無く、更に声を張り上げた。
朝霞も薄くなり、夜の名残を残していた通りが、日の光を浴びて白ばむ中、女の甲高い声は殊更よく響いて聞こえた。此の儘では、騒ぎに気付いた何者かが、彼らの前に現れても可笑しくないだろう。と、思うと、ゼンタの背筋には、先程までとは違う汗が、じわりと滲み出した。
「ねぇ! ねぇってば!!」
「静かにしろ!」
尚も声を上げる女に、堪らずダラントが振り返った。
怒りを露にした彼の様子に、ゼンタは自分が怒鳴られた訳でも無いのに、思わず身を竦めた。が、女はそれすら気にならない様子で、こう言った。
「アンタたちは、これからどうするのよ? どこに行こうってわけ?」
「教える筋合いは無い!」
と、ダラントは切って捨てた。女の態度に、彼は更に苛立った様子で声を張り上げており、反って、彼の声の方が、静かな町の中に木霊していた。
ゼンタは、いつ追手が掛かるかと冷や冷やして、隣に居るスノーレの小さな手をギュッと握り締めた。スノーレはその手を握り返してくれたが、伺った彼女の顔は、現在の状況の何ひとつとして理解していないようだった。
すると、ラーセンが苦笑を浮かべながら、二人の間を取り持った。
「俺たちの身元がどれくらい割れているのか分からないからね、真っ直ぐ帰っても良いものかと、途方に暮れていたところだよ」
「なんだ、使えないわね」
ラーセンの言い分は殆ど出鱈目だったが、ゼンタはその事が分かっても口にしなかった。それどころか、女が自分たちを見限って離れて行ってくれる事を期待していた。
が、少年の希望虚しく、女は未だ怒り続けるダラントへ視線を向けた。
「アンタの家はどこにあるの?」
「どこでもいいだろう!」
ダラントは直ぐにそう言ったが、今度は、女も言い返した。
「騎士の詰め所に行ったっていいのよ」
それは脅迫も同然だった。忽ちダラントは苛立ちを治め、言葉に詰まった。すると、女は厭味らしく唇を反らした。その表情は、やはり貴族らしさなど微塵も感じさせぬ醜悪さで以て、確かな愉悦が滲んでいた。
その時、口を開いたのは、ラーセンだった。
「君だって逃亡者だろう。騎士たちが逃がしてくれるとは……」
「私は騎士よ。そしてシェルグラスという所領を持つ貴族なの。アンタたちみたいな平民と一緒にしないで」
彼の言葉を遮り、女は堂々たる態度で、そう言った。
あまりにも自信に満ちた態度に、彼女の言葉が嘘だと断言するのは、些か躊躇われた。何より、女の髪や服は薄汚れていたが、平民が持つには相応しくないものである事は確かだった。貴族に詳しくないゼンタでさえ、そう思うのだから、きっとラーセンやダラントには、その差が明確に感じられたのだろう。二人は険しい顔で押し黙った儘、その場に立ち尽くしていた。
と、思うと、女は、再び口を開いて、甲高い声で叫ぶ様に、こう言った。
「連れて行きなさい!」
***
時は、今から数時間前にまで遡る。
エイコンのゼンタと傭兵ラーセンと云う二人の囚人の手によって、地下牢の下が掘り返され、其処から鉄桶に入った首が出て来た事に、貴族たちは不思議な高揚感を覚えていた。今まで貴族にのみ受け継がれて来た眉唾物の伝承が、本当に存在して、更に、己の目の前にあると云う事実は、彼らの自尊心を大いに満たしたのだ。
今その首は、部屋の上座に、――宮廷魔術院に所属する最上級の魔術師たちが、念入りに記した、魔封じの魔法陣の中央に置かれている。もちろん、生首の状態では無く、地下牢から持ち出す際に入れた鉄製の首桶の儘ではあるが、それは些細な事だった。
「万が一復活されたらどうする!? 直ぐに聖なる炎で燃やすべきだ!」
「いや、諸外国へ大々的に公告してから燃やす方が、如いてはこの国の利となるだろう」
掘り返す前もそうだったように、貴族たち二つに割れていた。が、それは、直ぐに聖なる炎で以て首を燃やすべきだと言う者と、力を示すためにも公表してから燃やすべきだと言う者の二つである。地下室での作業に立ち会った貴族たちの口から口へと、首の存在は、紛れも無い真実として語られ、其処に首がある事を疑うものは、最早一人も居ないのだった。
宰相ファウスト・ベイヤー・フォースタスと、エイコン伯ムスタファーは、貴族たちが議論を交わす後ろで、そっと目配せをした。どちらからとも無く、視線は直ぐに逸らされたが、そうして、ムスタファーは、貴族らしくなく反ろうとする唇を隠そうと、徐に咳払いをした。
その時である。扉が勢いよく開け放たれ、警備に当たっていた騎士の一人が、慌てた様子で駆け込んできた。何事かと視線が集まる中、彼の上司に当たる公爵が駆け寄ったのだが……、
「囚人たちが逃げた!?」
公爵の叫びに、周囲からどよめきが起こった。
それに負けぬ様、騎士は声を張り上げ、はっきりとこう答えた。
「封書窃盗罪に問われていたルベリア・シェルグラスと、エイコン伯爵家への侵入を行った庶民二名が地下牢より脱走したとのことです。状況から鑑みて、シェルグラスには協力者が居た模様。あの女が庶民を逃がす筈が無いと、警備が手薄になったところを狙われました! 今、非番の騎士も動員して周囲を捜索させております!」
騎士はこう言うと、己も捜索に加わると言って、一礼を以て退出して行った。
怒りと羞恥に震える公爵を遠巻きにして、室内の騒めきは未だ治まらず、貴族たちは口々に憶測を口にした。――いったい誰があの女に味方する?
「だからシェルグラスなど、さっさと処刑してしまえば良かったのだ」
その低い声は、喧騒の中でも良く響いた。貴族たちは何とは無しに口を噤み、声の主へと視線を送った。その人物は、周囲の視線を一身に受けて尚、一歩前に踏み出した。
「ルベリア・シェルグラスこそが、首謀者なのではないですかな、公爵」
そう言って、鋭い視線を向けたベイヤーに釣られて、今度は、公爵に視線が集まった。
「わ、私は何も知らんぞ!」
「では何故シェルグラスめを処刑しなかったのです? あの女を地下に留め置いた理由は? 貴方ともあろう御方が、まさか美しさに目が眩んで妾にでも望まれましたか?」
「ッそんなはず無かろう!」
公爵は、貴族としての矜持から、表情こそあまり動かさなかったが、その声音には、彼が動揺している事がしっかりと現れていた。すると、周囲の視線は忽ち冷ややかなものに変わった。
が、そうして、彼の失態を理解すると、反って、シェルグラスの悪評が真実味を帯びて来るので、貴族のひとりなどは、こう言った。
「シェルグラスはあまりにも愚かではないか。首を掘り返した途端にこれでは、嘘だと言っているようなもの」
「だからこそ歪んだ大地と呼ばれているんですよ」
「奴等の血は嘘偽りに飢えているのです。一度だけでなく、何度だって裏切るでしょう」
彼らの嘲笑に追従して、ベイヤーが再び口を開いた。
「王は何故裏切り者の血を生かすのか……」
それはエッカルド王への不信を煽るに等しい台詞だったが、ルベリア・シェルグラスと云う女を知る殆どの者が、かねてより疑問に抱いていた事でもあった。故に、彼らの中から反論の声は上がらず、唯、顔を突き合わせた儘、難しい顔をしていた。
すると、そこへ漸く、執務を終えた王が遅れてやってきた。
先程の発言を気不味く思う者も居なくは無かったが、多くの者は、王の真意を問いたいと浮足立った様子で、王が定位置に、――部屋の上座にやって来るのを待つ事にした。が、その前に、渡りに船とばかりの表情をした公爵が、王へと駆け寄り、その耳に顔を寄せた。
「なに、シェルグラス嬢が逃げただと?」
公爵より耳打ちされるや否や、王はそう声を上げた。
次いで、何やら思案気な様子で顔を顰めたかと思うと、部屋を見渡した。――誰かを探しているかのような様子で、それは正しかった。
「オビチュアリ、君はどう思う?」
王の顔が向けられた先、壁際に最も近い場所に居たオビチュアリ・アンホールド男爵令嬢は、呼び掛けられた瞬間、僅かに驚いた様子で目を見開いた。が、それは文字通り一瞬である。直ぐに貴族らしい無表情となった令嬢は、本日初めての謁見となる王を前に、魔術師を表す真紅のローブを持ち上げ、優雅にカーテシーをしてから、こう答えた。
「魔術の波動は感じませんでした。何者かが手引きしたとみて間違いないと思われます」
「大監獄に首が現れたなどと主張したシェルグラスが、嘘の発覚を恐れて逃げ出したと見るのが妥当でしょうな」
ベイヤーは、オビチュアリの後、ここぞとばかりに言葉を重ねた。
「ご覧の通り、首は存在していたとは云えども、棺桶の中です。我々の祖は、きちんと封じ込められていた。アブラプトゥムに現れる筈が無い。全部あの女が自身に注目を集めたいが為の狂言だったのですよ」
彼の言葉に、他の貴族たちも口々に同調する声を上げ、室内は再び騒がしくなった。
「やはり我々の祖先は素晴らしい存在だったんだ!」
「当たり前だろう。あの女の話は、あまりにも馬鹿げていた」
「確かにそうだが、シェルグラスの見た目は美しかっただろう?」
「中身は強欲。いや、裏切り者の血に相応しいものだったか……」
その時、王が手を叩いた。乾いた音が響くと、室内は水を打った様に静かになった。
若きエッカルド王は、手を降ろしながら、静かな声でこう告げた。
「首の処刑は民の前で行う。この国には聖なる炎の使い手がいることを民に示せ」
「それでは陛下!」
喜色を浮かべて声を上げた男を、エッカルド王は鷹揚に頷いて、続きを待つよう制した。そうして、王は周囲の貴族たちを見渡した後、――部屋の奥で、じっとこちらを見詰める美しい男爵令嬢を真っ直ぐに見やると、僅かに一度頷いてから、こう言った。
「刑が終わり次第、バース・エッカルドは聖都ドラコニカと同じく聖なる力を持つと諸外国に伝えよ。それを以て宣戦布告とする。――我がバース・エッカルドのみが聖なる竜と対等にあると示すのだ。そして、竜の威を狙う異教徒共は我々の手で滅ぼすのだ!」
次の瞬間、どっと歓声が上がった。貴族たちは、無表情ながらに瞳を輝かせ、口々に王の決断への賛辞を贈った。中には、些か気後れした様子の者も居たが、彼らは周囲の熱狂に水を差す勇気も無く、強張った表情の儘、皆に合わせて王を褒め称えるのだった。




