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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
34/65

地下牢にて 4


 小窓から差し込む光が消え、暗闇に慣れた瞳が、月明かりを眩しく思うようになった頃、誰かが、地下牢の蓋を開けた。ゆっくりと降りて来る足音は、小さく軽いものがひとつ。

 ゼンタは、救世主を前にした信徒の様に、救いを求めて、その足元が階段を下りる様子を見た。彼は、口を開かないどころか、身動きする音も発てないラーセンの方を、まだ、振り返ることが出来ていなかったのだ。


 現れたのは、美しい女だった。年の頃は、丁度ティサと同じくらいだろうか、若いが、貴族らしい表情の乏しい顔は、確かな気品を湛えていた。華奢な体には、濃い紅色のローブを纏っており、その上に垂らされた金糸が、月の光を受けて輝いていた。――まるで月の妖精のようだと、ゼンタは先程までとは違う眼差しで、彼女が地下に降り切るのを見ていた。


「オビチュアリ……? あなた、オビチュアリじゃないの!」


 向かいの牢屋から、女の驚く声がした。見ると、狂女が、決して触れることの無かった鉄格子を握って、信じられないものを見る目で、彼女を凝視していた。その表情は、やはり正気とは程遠いものだと、ゼンタは思った。

 が、美しい人は、反対側の牢屋には一度も目を向けず、唯ゼンタのいる牢屋の前に立った。そうして、それから、彼女は、やってきたから今まで変わらぬ静寂さの中で、口を開いた。


「ごきげんよう。惨めな傭兵さん」


 ゼンタは、驚き振り返った。そこで、ラーセンの目に、光が戻るのを見た。


「……誰だ?」


 ラーセンの口から、低く嗄れた声が漏れた。まるで、長い間ずっと口を閉ざしていた様な声だった。ゼンタは、本能的な気味の悪さを覚え、その視線から外れるように、脇へ寄った。

 恐れを覚えた少年とは異なり、女は、表情を微塵も動かさず、彼の問いに、こう答えた。


「アンホールド家が長子、オビチュアリと申しますわ」

「やっぱりオビチュアリじゃない! ねぇ、私をここから出してよ! 友達でしょう!?」


 狂女が喚いているが、彼女は、貴族らしい顔を崩さなければ、振り返ることもせずに、唯ラーセンを見つめている。その口元が、何かを堪えているのか、あるいは言葉を探している様子で、僅かに開閉を繰り返すのを、ゼンタは見た。

 やがて、淡く色づいた唇をひと舐めして、美しい人は、こう言った。


「そういえば、この近くで平民の子が一人で歩いているのを見ましたの」


 聞くや否や、ゼンタは息を呑んだ。が、それはラーセンも同じ、――否、彼の方が顕著だった。ゼンタが瞬きをした間に、ラーセンは、女の前の鉄格子に掴み掛っていた。


「その子に何をした!」

「さぁ、何だとお思いになります?」


 美しい女は、彼の剣幕にも、表情を動かさなかった。静かに問い返され、ラーセンが、悔し気に奥歯を噛み締めるのを、鉄格子を掴む手に力が込められたのを、ゼンタは唯見ていることしか出来なかった。女が言った事が本当だとすれば、その平民の子どもとは、ラーセンからゼンタへと託され、彼が逃がすはずだった少女、――スノーレのことだった。


「……危ないところでしたのよ」と、女は感情の見えぬ声で言った。

「誰かに見つかっていたら、貴族街への侵入で、その場で斬り殺されていたかもしれません。そうしたところで、誰も咎めませんもの。――この私が、たとえ平民であろうと、子は慈しむべきものと思っていなければ、今頃、彼女は、この世に居なかったかもしれません」

「無事なのか!」


 ラーセンの声音が、一転して、明るくなった。ゼンタも、驚くと同時に顔を上げる。が、女は相変わらず、その美しい顔に、感情の欠片すら見せてはくれなかった。


「幼い子どもです。庇護する者がいるでしょうに、どうしてあの子は一人だったのでしょう。まさか、門に隔たれているこちら側に、独りで入ってきたはずがない。ならば、あの子は、一緒にやって来た者の、囮にされたのではないでしょうか」

「違うよ!」

「違う!」


 ゼンタとラーセンは、殆ど同時に、口を開いた。それは、彼女の言葉を否定するためだった。が、女は表情を固めた儘、その瞳に、僅かな冷笑を浮かび上がらせて、こう言った。


「そういえば、父親はラーセンという名の傭兵だとか」


 その瞳は、真っ直ぐにラーセンの事を見ていた。ゼンタは、その横で、ごくりと唾を飲み込んだ。――バレている。彼がその子どもの父親、――正確には、父親代わりであることを、女は、はじめから確信していたのだ。もちろん、ラーセンがゼンタにスノーレを預けたことも、ゼンタがスノーレを一人で行かせたことも、どちらも彼女を守る為であり、囮にするつもりなど微塵も無かったが、先程の口振りからして、彼女は、そう思っているようだった。


「何が目的だ!」


 ラーセンは、険しい表情の儘、そう叫んだ。


「知りたいのですか?」

「ああ。知りたいね。貴族様が、平民の子どものために、態々牢屋までお越しになるとは思えないからな。――アンタの本当の目的はなんだ?」

「それは……」

「お嬢様」


 彼女が何かを言いかけた時、暗がりから、知らない声がした。

 驚き振り返るラーセンの横で、ゼンタも目を丸くした。見ると、階段を降りたところで、老人が立っていた。やはり、平民の着るものとは、生地から違う衣装を纏っているが、貴族と言うには、些か地味な印象を受ける黒一色で、首元だけに白のシャツが覗いていた。――誰だろう、と、ゼンタが、不思議に思う側、老人は、それ以上、何も言わなければ、何もしなかった。彼の視線は、はじめからずっと、たった一人に向けられている。

 すると、代わりと云う事は無いだろうが、ラーセンが、口を開いた。


「貴族の女が一人で来るはずが無いとは思っていたが、気が付かなかった……」


 ゼンタだけに聞こえるような声で、悔しそうに言った彼は、老人が何者なのか、見当がついているようだった。が、彼も又、それ以上は何も言わなかった。


「そう目くじらを立てなくても、わかっているわ……。バソリー、鍵を開けて」


 女は、不服そうにそう言ってから、老人に向かって静かに命じた。――ゼンタとラーセンは、まるで信じられない言葉を聞いたとばかりに目を丸くして、それから、老人が近付いてくるのを又、信じられないと云った様子で、凝視した。すると、それまで大人しくしていた狂女が、姦しく騒ぎ始めた。


「ねぇオビチュアリ! 私もここから出してよ! ねぇ!」


 が、地下牢にいる誰もが、彼女をいないものと考えた。ゼンタだけが、僅かに視線を向けたが、彼のことは、狂女の方が、意識の範疇に置いていないようだった。

 二人の眼の前で、鉄格子の鍵が開けられると、より近い所にいたラーセンが、まず外へ出た。そうして、その後を、ゼンタが続いた、――その前に、出口は閉じられた。少年は、今も冷たい牢屋の中、無慈悲に閉じられた扉を見て、その前に立つ老人を見上げた。無数の皴が刻まれた顔には、ゼンタに対する何の感情も浮かんでいない。少年は、恐ろしさのあまり、一歩後退した。

 と、思うと、弾かれた様に振り返ったラーセンが、鍵を持つ老人に近付き、頼んだ。


「な、なぁ、こいつも出してやってくれないか」

「一応、申し上げておきますが、あなたは許されたのではありませんわ。寧ろ、それよりもずっと重い。彼は、此処で静かに己の罪と向き合い、ひっそりと首を跳ねられるのが良いかと思いますが」

「それは……」


 口を開かぬ老人の代わりに、女が答えた。忽ちラーセンの顔から、安堵の色が消える。

 女は、やはり表情のひとつも浮かべない儘、彼を促して、――動かないので、老人に命じて、三人は地下牢を後にした。背を押され、階段を上らされながらも、ラーセンは、何度もゼンタの事を振り返った。が、ゼンタは、唯、唖然としたまま見送るしかなかった。

 狂女は、先程から、忙しなく鉄格子を揺さぶり、叫んでいた。が、頑丈な造りの格子はびくともせず、又、誰も相手にしない所為で、女の甲高い罵声が、壁にぶつかって虚しく反響するだけだった。


「オビチュアリ! このクソ野郎! 出せー!」


 女は、暫くの間、そうやって騒いでいたが、見張りの注意する声すら聞こえないと分かると、糸が切れた様に座り込んだ。すると、地下はシンと静かになった。

 俯いた儘ピクリとも動かない女を、ゼンタは、恐ろしいようにも思ったが、ラーセンと云う頼もしい存在が無い今は、一人ではないと云う事実に縋り付きたかった。故に、ゼンタは、狂女に話しかけた。


「ね、ねぇ、おじさんがどこに連れて行かれるか分かる? 帰って来るのかな?」


 女は、ゆっくりと頭を上げた。暗闇の中で、月明かりを反射した瞳が、怪しく光って、ゼンタを見ているのが分かった。――ゼンタは、思わず、ゴクリと喉を鳴らして唾を呑んだ。が、彼は、目を逸らさないよう努めて、女が答えるのを、じっと待った。

 やがて、女は、ゆっくりと瞬きをしてから、答えはじめた。


「さぁね、私が知るわけないじゃない。練習台にでもされるんじゃないの」

「練習台って、何の?」

「アイツは魔術師なのよ。魔術に決まってるじゃない」


 そんな事も分からないのかと、言外に言われたゼンタだったが、彼は、自分はそれを知らなかったのだと、普段の様に反論しなかった。それどころか、彼は、激しい後悔と自責の念に駆られて、俯いた。


「ラーセンさん……」


 ゼンタは、喉の奥から彼の名を絞り出すと、その儘、嗚咽を漏らし始めた。少年の心は、ラーセンと云う支えを失くして、とうとう、堪え切れなくなったのだろう。流れる涙は勢いを増し、少年の啜り泣く声は、地下牢では良く響いた。

 常人であれば、幼い少年の哀れな姿に心痛める者も居るだろう。が、生憎と、此処には少年の他に狂女しか居なかった。女は、少年が泣き始めて暫くすると、苛立ちを露に、鉄格子を蹴り上げた。


「うるさいわね! 泣いたところでどうにもならないのよ! どうせだったら、アンタも連れて行かれればよかったのよ。この役立たず!」


 狂女の声から逃れようにも、ゼンタは、牢屋の中に居た。仕方が無く、最後にラーセンが与えてくれたボロ布に包まると、目を閉じて、耳を手で覆い、体を丸めて小さくなった。すると、女の声が僅かに遠くなったが、同時に、昨日も感じたカビ臭さが、鼻を突いた。と、思うと、ゼンタは、急激に、自分のことが惨めで仕方が無くなった。


「ティサ姉ちゃん……」


 ゼンタは、幼い頃のティサを思い出そうとした。――自分が、まだ、世の中の不条理を知らず、純粋に神への祈りを口にして、それを見た彼女が笑ってくれた頃の事だ。


「ここから出せ! 私を誰だと思っているのよ! 出してよォ――!」


 狂女の叫びが、ゼンタの思考を切り裂き、温かな思い出は、臭いの向こうに消えてしまった。ゼンタは、耳に当てた手に力を籠め、全てから逃げる様に、一層、身を縮こまらせた。




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