地下牢にて 3
ゼンタは、日の光が顔に差したことで、跳ねる様に目を覚ました。
辺りを窺うと、ラーセンは既に起きており、牢屋の中とは思えぬ快活とした笑みで以て、朝の挨拶を口にした。ゼンタは、唖然としながら、小さな声で同じ言葉を返した。
向かいの牢屋は、光が差して尚暗く、女の姿は闇に紛れて見えなかった。
やがて、射し込む光が強くなるにつれて、見張りたちが、落ち着かない様子で、牢屋の上を行ったり来たりする足音が聞こえ始めた。ゼンタは、不安を煽られる様な気がしたが、又それを悟られるのは恥ずかしいことの様な気がしたので、努めて平然とした声を装って、こう訊ねた。
「なかなか来ないね。やっぱり止めたのかな」
「いや、おそらく日が昇り切るのを待っているのさ」
ラーセンは、少年の心に湧いた僅かな希望が形を成す前に、それを打ち砕いた。
「アンデッドは光魔法に弱いのは知っているか? それに、ヤツらが現れるのは廃墟や炭鉱と云った薄暗い場所が多いから、日光にも弱いんじゃないかって言われているんだ」
ゼンタは、僅かに光の射す窓を仰いだ。小さすぎて、太陽がどこにあるのかはわからないが、段々と強く温かくなっていく日差しは、時が正午へと近付いていることを示していた。
***
それから、二人が、大分待ったかと思うと、牢屋の上を歩く足音が、急に数を増した。ラーセンの言った通り、時が満ちるのを待っていたのだろう。地下牢の蓋が開けられると、騎士をはじめとした、ゼンタがこれまで見たことも無い格好の人間が、次々に階段を下りて来た。そうして、丁度その中間に居た人物に、ゼンタは目を見開いた。
「ティサ姉ちゃん!」
牢屋の側を歩いていた騎士が、不快そうに眉を顰め、剣で鉄格子を叩いた。危うく指を挟まれそうになって、ゼンタは慌てて下がった。が、それでも、視線は彼女に向けた儘、決して放さなかった。
「お知り合いですか?」
ティサと呼ばれた娘の方は、周囲を固める護衛の騎士に、怪訝そうに問われていた。が、彼女は貴族らしく表情を変えぬ儘、小さく首を横に振る。
「いいえ。知りません」
「姉ちゃん、僕だよ! ゼンタだよ!」
非難を滲ませた少年の声に、見向きもしないで、娘は、鉄格子の前を通り過ぎていった。
彼女を助けるために捕まったと言ってもいい少年に対し、あまりにも軽薄な、――慈悲の欠片も無い態度であった。ラーセンは、肩を落とした少年に、思わず問いかけた。
「なぁ、本当にあれがお前の言う姉ちゃんなのか?」
ゼンタは、名残惜しそうにその背中を見送った後、ゆっくりと振り返った。その表情は悲惨の一言に尽きる。ラーセンは、かける言葉も無く、肩に手を置いた。
「――出ろ」
二人が顔を上げると、昨日と同じく厳格そうな衣装を身に纏ったベイヤーがそこに居た。
騎士の手によって、鉄格子の鍵が開けられると、ティサへの感情でいっぱいになっていたゼンタの心は、忽ち恐怖を思い出して竦み上がった。が、今更、逃げることなど、出来る訳が無い。
ゼンタとラーセンは、屈強な騎士たちに囲まれて、鉄格子の外に出た。そうして、それから、二人が連れて行かれたのは、地上ではなく、牢屋の更に奥だった。そこでは既に、地図を持ったムスタファーが指示を出して、石畳を剥がさせていた。
屈強な男たちでも、苦労していることが分かる様子で、分厚い石が、幾重にも積み重ねられていく。その奥にティサの姿が見えて、ゼンタの足が僅かに動くと、横に控えた騎士が剣に手をかけた。――少年は、慌てて元の体勢に戻った。
やがて、石畳が取り除かれて、土が剥き出しになった場所を指差して、ムスタファーは何度も頷いた。
「さぁ、お前たちの出番だぞ」
ゼンタとラーセンは、スコップを渡され、地面の上に棒立ちになった。
「そこを掘るんだ。掘り出せれば、君たちの死刑は撤回しよう」
ベイヤーの声に、二人は顔を見合わせて、――ゼンタは酷く震えていたが、ラーセンが強く頷いたことに勇気を貰い、揃って、地面に視線を落とした。そうして、それから、二人は黙々と地面を掘り進めた。
暫くして、ゼンタは両手に痺れを感じた。が、それは、化け物の呪いでも何でもない、――疲労だった。掘った高さは、当の昔に彼の身長を越え、今やラーセンの背も越していた。それでも、二人が解放される条件だと云う怪物の首は疎か、大きな石のひとつも出て来なかった。
「もう、残って無いんじゃない?」
「無駄口を叩くな!」
疲れのあまり零した言葉は、しっかりと拾い上げられ、叱責された。ゼンタは、慌てて、再び手を動かした、そのとき、――ガツン、とスコップの先が何かに当たった。その音が聞こえたのは、ゼンタだけではなかった。ラーセンは、掘る手を止めて振り返った。周囲も急に静まり返り、牢屋の中は、忽ち薄ら寒い雰囲気へと変わった。
恐怖に竦む少年を横に、ラーセンが、同じ場所へ向かってスコップを振り下ろした。そうして、再び、何かにぶつかる音が響くと、彼は恐れた様子もなく、腕を何度か動かした。すると、そこから、古い鉄製の箱が現れた。
「どうするんだ?」
誰も何も口にしない中、ラーセンは、顔を上げて問うた。
貴族たちは顔を見合わせて、その内、ベイヤーが一歩進み出でて、こう言った。
「開けろ」
ゼンタは、拒否したくて堪らなかったが、ラーセンは、ひとつ頷くと箱に手を伸ばした。その腕に力が込められる、――が、何かに阻まれた。彼は首を傾げて、箱の側面に張り付いた土を手で払い、全体を興味深そうに眺めた。と、思うと、再びスコップを手に取って、箱の手前にあった出っ張りを、何度か叩いた。ガンガンと不快な音が、地下に響いた。
暫くして、ラーセンがスコップを抛った。そうして、それから、再び彼の手が箱に伸びて、腕に力が込められたと思うと、周囲の視線が一点に集中する中、ゆっくりと蓋が開いた。
「うわぁ!」
ゼンタは、気付くと悲鳴を上げていた。箱の中には、真っ黒い髪が敷き詰められていた。が、ラーセンは、恐れを知らぬ様子で手を伸ばすと、髪を手で掻き分けた。
誰もが、黙って彼の手元を見つめていた。そうして、黒い髪の間から、何か、白いものが見えて、彼の手が、明確な意思を持って、髪を掻き分けると……、
「あ、あった! 本当にあったぞ!!」
穴の上では、誰かが、何度もそう叫んでいた。ゼンタは、唖然とした儘、――恐怖に固まった足では、動くことも出来ずに、ラーセンが首を持ち上げる様子を、一番近いところで、唯、見ていた。
それは、本当に首だった。
長い黒髪を垂らした、真新しい生首だった。女の話では、バース・エッカルドが誕生したころに埋められたはずだが、目の前にある首は、一片の腐敗もせず、今尚、綺麗な儘、此処に存在していた。断面に、虫が湧いた様子もなく、又、血の一滴も零れていない。が、髪の隙間から見えた顔には、乱雑な縫合痕が残っており、切り裂かれた傷が頬にまで伸びている様子は、死して尚、笑っているかのようで、不気味だった。
ゼンタは、悍ましさのあまり視線を逸らし、それを持っていられるラーセンのことも又、恐ろしく思った。見上げると、彼は表情を失くした儘、手の中にある首のことを、じっと見下ろしていた。
「……ラーセンさん?」
「あ、ああ。――なんだ?」
呼ぶとすぐに、彼は、こちらを向いた。が、ゼンタは、彼が別人になってしまったかのような、気味の悪い違和感を覚えて、二人きりの穴の中、一歩後退した。
「それをこの箱に入れろ!」
突如投げかけられた大声に、ゼンタの肩が跳ねた。見上げると、興奮した様子のムスタファーが、騎士に命じて、何か大きな物を投げ入れるところだった。慌てて飛び退いた所に、箱と言うよりも、鉄製の棺桶と云った方が相応しい物が、土の上に、鈍い音を立てて落ちて来た。
立ち尽くすゼンタを余所に、ラーセンは、長い髪が挟まらない様に、どこか丁寧にも思える手つきで、桶の中に首を入れた。次いで、投げ入れられた鉄板で、蓋を閉じると、上部に開けられた二か所の穴へ、鉄の棒を差し込めば、容易く開けることが出来ないのは明らかだった。が、ムスタファーは、更に、その上から鎖と縄で厳重に封じさせた。
首桶は、騎士たちの手によって穴の外へ持ち上げられ、二人も、後を追うように、穴の外へ出された。――漸く終わったのだと、ゼンタは安堵の息を吐いた。気味の悪い作業だったが、これで解放されると思うと、少年の心は晴れやかだった。そうして、それから、ティサへと視線を向けた。相変わらず、視線は交わらなかったが、それでも、ゼンタは、説得さえすれば、彼女が戻って来てくれるのだと、信じて疑わなかった。
が、少年の希望を砕くように、宰相は、二人に向かって、こう言った。
「お前たちの沙汰は追ってする」
反論する暇もなく、二人は檻の中に戻された。
一方で、貴族たちは、来た時と同じように列を作り、その間に、首を入れた桶を挟んで歩き始めた。ゼンタは、ティサが振り返ってくれることを信じて、その美しい横顔を、後ろ姿を、見詰め続けた。が、結果として、彼女が振り返ることは、一度として無かった。
やがて、誰もいなくなり、牢屋の上からも足音が消えると、ゼンタは、全ての力を使い切ったように、力なく座り込んだ。項垂れる少年に、常であれば、かけられるはずの男の声が、今は何も聞こえなかった。地下はシンと静まり返り、布切れの音ひとつも聞こえない。
「ねぇ」
昨日と同じく、女が鉄格子の向こうに立っていた。が、ゼンタは、もう恐怖を抱かなかった。彼女よりも遥かに恐ろしいものを、彼は見てしまった。
「首はまだ生きていた?」
「……そんなこと、あるわけがないじゃないか」
ラーセンが黙っているので、ゼンタが代わりに答えた。男は、牢屋に入れらる少し前から、一言も喋っていない……。
ゼンタは、振り返るのが怖かった。そうしたら最期、ラーセンの口が、あの首と同じ様に、頬まで裂けて、不気味に笑うところを、見てしまうかもしれない。――そういった恐ろしい予感が、少年の頭を占めて、消えなかった。
「じゃあ、ちゃんと腐っていたの」
「ううん。綺麗だったよ」
女は、少年の返事に、「そう……」と、零すと、ぶつぶつと独り言をはじめた。
ゼンタは、昨夜はそれを気味悪く思ったが、今日は、反って、耳を澄ませてよく聞こうとした。――頭のおかしい女でも、生きている人間の声を、聞いていたかったのだ。彼は、自分の身動きで女の声が消えてしまわぬよう、鉄格子に額を付けたまま、静かに目を閉じた。




