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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
28/65

ムスタファー邸 4


 ゼンタが蹌踉めいた先にあった壺が、床に落ちて、酷い音を立てて砕け散った。


「何をやっているんだ、馬鹿!」

「ごっごめんなさい!」


 ゼンタは慌てて謝罪を口にしたが後の祭り。

 騒がしい声と共に無数の足音が近付いてくるのがわかると、ラーセンはゼンタの手を引いて弾かれたように走り始めた。


 スノーレが脇に抱えられたまま、ゼンタのことを見た。その視線は非難するようなものではなかったが、ゼンタは目を合わせていられずに背後を振り返る。すると曲がり角の向こうで灯りが揺れているのが見えた。その光は段々と強くなり、人の手足のような影が壁に映る。


「くそっ! 回り込まれてやがる」


 ラーセンの悪態に、ゼンタは視線を前に戻した。彼の言う通り、廊下の先で光が揺れている。

 前からも後ろからも人が来ていて逃げ場がない。ゼンタは己の所業によって迎えた最大の危機に、顔から完全に血の気を失せていた。

 そんな少年を見下ろして、ラーセンはひとつ大きな息を吐くと、抱えていたスノーレを下に降ろした。それからゼンタの手をゆっくりと放す。

 ゼンタは吃驚してその手を掴んだが、ラーセンは穏やかに笑ってその手を振りほどいた。


「いいか、よく聞いてくれ」


 ラーセンはゼンタの手を優しく包みながら言った。


「ここは一先ず俺が囮になるから、お前にはスノーレと一緒に助けを呼んで来て欲しいんだ」

「助けって……」


 ゼンタには、貴族から守ってくれるような存在の心当たりなど何一つ無かった。己の不甲斐無さに、少年は心底から情けなくも悔しくも思う。

 悲痛な様子で顔を歪めた少年に、ラーセンは仕方が無いと言わんばかりの表情で笑った。


「わからないか? 同志たちのことだよ」


 ゼンタは思わず息を呑んだ。彼らには味方がいるということを漸く思い出したのだ。


「できるな?」

「はい!」


 ラーセンの問いに、ゼンタは今度こそ確りと頷き返す。

 少年の眼に生気が蘇ると、ラーセンはゼンタとスノーレを近くの部屋に隠した。その部屋には鍵が掛かっていたが、彼が再び懐からあの石を出して翳すと軽い音を立てて開いたのだ。


「俺が外で奴らの気を引くから、お前は地面に耳をあてて足音がしなくなるまでこの部屋に隠れているんだ。何も音がしなくなったら、スノーレと一緒に屋敷を出て、神聖同盟のアジトに向かえ」


 ラーセンはその間で言うと、少しだけ心配そうに「できるな?」と、問うた。

 ゼンタはそれに何度も頷き返す。


「できます! スノーレのことも僕がちゃんと守って連れて行きます!」

「頼んだぞ」


 ラーセンはそう言って扉を閉めた。

 ゼンタは扉の鍵を掛け、地面に這いつくばると、言われた通り床に耳を付けた。ラーセンのものと思しき足音が、迷ったように扉の前を彷徨う音が聞こえる。

 やがて無数の足音が慌ただしく近づいてきた。


「居たぞー!」


 知らぬ声が叫ぶ声が聞こえた。地面に響く足音が一層強くなる。

 扉の前を彷徨っていた足音が、一二度大きく響いたかと思うと、何かが割れる大きな音が聞こえて、ラーセンの足音が消えた。


「外に逃げたぞ!」

「追え! 追うんだ!」


 扉の前で慌ただしい足音が響く。ゼンタは聞いていられず顔を上げた。

 スノーレが所在無げな様子で近くに居たので、ゼンタはその手を握って引き寄せる。扉の向こうでは話し声が続いていた。

 やがて声が聞こえなくなり、慌ただしい足音も遠ざかったので、ゼンタは再び地面に顔を寄せる。床に耳を付けると微かな足音がまだ聞こえたが、直にそれも聞こえなくなった。

 耳に痛いほどの静寂が訪れる。

 ゼンタは起き上がると、静かに扉の鍵を開けた。廊下にガラスが散乱している。ラーセンはここから窓を破って逃げたのだろうか。

 そのまま僅かに扉を開けて、辺りを窺う。――誰もいない。


「……行こう」


 ゼンタはスノーレの手を引いて立ち上がった。


 屋敷の中はまるではじめと同じように静まり返り、人の気配が消えていた。ラーセンはどこへ行ってしまったのだろう。ゼンタは彼の行方を知りたい欲求を必死に堪え、少女の手を引いて暗い廊下を進んだ。

 その間も、スノーレは黙ってついてくるだけだった。唯一の身内であろうラーセンがいなくなったにも拘らず、少女は不安や不満を口にするどころか何ひとつ喋らない。

 ゼンタはそんなスノーレの手を引きながら、この子は単に無口なだけの子どもではないのかもしれないと思い至り、哀れに感じて握った手に力を込めた。


「おや? そこに居るのは誰だね」


 暗闇から急に声が聞こえて、ゼンタは飛び上がるほど驚いた。


「ムスタファーに子どもがいるとは聞いていなかったのだが……」


 ゼンタは恐る恐る振り返った。

 一抹の光も無い廊下の向こうから、一人分の静かな足音が向かって来る。人の気配は全くしない。まるで闇そのものが近付いてきているかのような気がして、ゼンタは恐怖のあまり繋いだ手に力を込めたが、やはりスノーレは何も言わなかった。


「こんな夜更けに平民が……。まさか迷い込んだ訳ではあるまい」


 そう言いながら、暗がりの中から足が現れると、腕、胴体、そして最後に顔が現れた。

 薄く皴の刻まれた知性溢れる顔の中で、凍えるような眼差しがゼンタたちを見下ろしている。


――貴族だ。


 ゼンタがそう思ったのは、男が纏う物が平民と同じものとは到底思えなかったからだ。光沢のある生地は月光を浴びて青く輝き、厳格さを示すような詰襟は、平民が着るには格調高い。それでいて、どこか倹約的というか、清々しい簡素な印象を受ける。ティサと共に居た貴族とは正反対だ。


 そこまで考えたところで、ゼンタは不快感のあまり顔を顰めた。

 仲睦まじい様子で寄り添っていた二人の姿が頭を過る。何故あんな年寄りとティサが抱き合うことがあるのだろう。きっと彼女は脅されていたに違いない。少年はそう思うことでティサの行動を正当化した。

 代わりにゼンタの胸に湧きあがったのは、ティサを誑かした貴族への憎悪である。目の前の男がムスタファーとどういった関りがあるのかは分からないが、貴族であるというだけで今のゼンタにとっては怨むに値する存在であった。


 ゼンタがその心持ちのまま睨み上げる。すると男は器用にも片方の眉を上げた。


「その顔はなんだね。まさかこの家に忍び込んだにも拘わらず己に非は無いと?」


 まるで湧き上がる憎悪に水を差されたようだった。ゼンタの勢いは急速に衰え、恐れるように後ろに下がる。すると男が一歩、また一歩と近付いて来る。

 少年は男の眼を見ながら少しずつ後退していく。その様子はまるで獣から逃げる小動物のようであった。握ったままの少女の手を、痛いほど握り締めている。

 ふいにその手を握り返されて、少年は弾けるように声を上げた。


「逃げるんだ!」


 言うが否や走り出す。その手はしっかりと繋がれたままゼンタは駆けた。

 振り返ると、貴族の男はあの場で立ち止まったまま、冷たく静かな目でこちらを見ている。追ってくる様子はない。安心して良いものか判らなかったが、ゼンタは再び前を向くとスノーレの手をしっかりと握り締めて、もう二度と振り返らなかった。


 屋敷の中から庭に出て、壁の穴を目指す。

 だが空洞を見つけるより早く、門が開いているのが見えた。門番の姿は無く、今ならば通り抜けられそうだ。ゼンタは考えるより早くそこに向かった。


「待て! 止まれ!」


 門を潜り抜けようとする前に、門へと繋がる道の上にいた騎士に見つかってしまった。まだ距離はあるが、大人と子供の足ではすぐに追いつかれてしまうだろう。

 ゼンタはスノーレを隠すように駆けると、先に少女を門の外へと追い出した。


「逃げて!」


 スノーレは何も答えなかったが、ゼンタの手に背中を押されて駆け出した。

 石畳の上を小さな影が走って消える。

 ゼンタはそれを追うことなく、門を出ると少女とは反対方向に走り出した。




 ***




 結論から言うと、ゼンタはそれから程なくして捕まった。

 騎士たちは重そうな甲冑を物ともせずに駆け回ると、貴族街に相応しくない格好の少年を見つけて捕らえることなど容易いと言わんばかりに、首根っこを掴んで持ち上げたのだ。

ゼンタは子猫のように宙に浮いた状態で、再びムスタファー伯爵邸の門を潜った。


「なんだ、お前も捕まっちまったのか」


 門からまっすぐ続く道の先、屋敷の玄関からすぐの部屋に放り投げられたゼンタを迎えたのは、屋敷の主ではなくラーセンだった。彼の右頬は痛々しく腫れあがり、衣服の所々が鋭い刃物で切り裂かれたように破れている。


「おじさん……」と、ゼンタは泣きそうになった。


「折角逃がしてくれたのに、ごめんなさい!」

「まぁ仕方がねぇよ」


 ラーセンは何という事はないと笑ってみせたが、傷に触れたのか呻くと同時に顔を顰めた。

 そこへ足音を響かせて、豪華な装飾が成された衣装を身に纏った男がやって来た。先ほどティサと共に居た男だ。

 ゼンタの頭は一瞬にして怒りに湧き立ち、立ち上がろうとしたが、その前に騎士に蹴られて地面に伏せる。


「ゼンタ!」


 思わず声を上げたラーセンも、同じく騎士に背を蹴られて倒れる。


「大人しくしろ、罪人どもめ!」

「そう乱暴にしてやるな。まだ子どもじゃないか」


 余裕そうな声が制止の言葉を口にすると、ゼンタを押さえていた背中の重みが無くなった。

 辺りを窺うと、騎士たちは一様に首を垂れている。


「では、申し開きでもしてもらおうかな。我がムスタファー邸へどうして侵入したのか」


 話してくれるね、と言う男を、ゼンタは思わず凝視した。

 軟らかい素材が贅沢に使用された衣装とは異なり、感情の見えぬ硬い顔をしている。その中で瞳だけが異様に冷たく、刃のように鈍く光を反射しているのがわかった。

 この冷たい相貌の男が、バース・エッカルド王都エイコン領が伯爵ムスタファー。ティサを奪い、彼女の純潔を穢した極悪非道の貴族なのか。

 ゼンタが憎しみを堪えて辺りを窺うと、ティサは連れて来られていないようだった。


――今ならば、ティサを連れて帰れる。



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