神聖同盟 3
「捕らわれる?」
妙な言い回しにゼンタが思わず首を傾げると、バーデンは組んでいた指を解いて机の上を叩きはじめた。
それは何かを思案しているような態度であったが、彼の感情に乏しい顔に見つめられると、ゼンタはどうも落ち着かない気がしてならない。
長い沈黙の後、バーデンは徐に口を開いた。
「ゼンタくん。君はお姉さんが大事かい」
「は、はい! もちろん大事です」
弾けるようにそう答えたゼンタを見つめながら、バーデンはまだ何か考えているようだった。机を叩く指の動きは留まるところを知らない様子で繰り返されている。
「お姉さんのためなら、どんな秘密でも守れるかい」
ダラントと同じことを聞くのだなと思いながら、ゼンタは勢い良く頷いた。
「守れます!」
「司教様や孤児院の兄弟、親しい友人にも話してはいけないんだよ。それでも秘密にしておけるのかな」
バーデンは再度そう問うので、ゼンタは思わず笑ってしまった。
彼の問いは、ゼンタにとっては確認する意味も無く、馬鹿らしいことだったからだ。けれど目の前の男とは出会ったばかりで、彼がそれを知らないのだと思うと、ゼンタはその馬鹿げたことを態々口で説明することにした。
「孤児院の人達は僕に雑用を押し付けてばかりだし、同年代の子とは話が合わないから友達もいません。もちろん姉ちゃんを連れて行った司教様に話すことなんて無いです」
ゼンタはそう言い切ってバーデンの顔を見る。彼はゼンタの顔をじっと見た。
感情の伺えない瞳と見つめ合うこと数秒。
「……よろしい」と、バーデンは頷いた。
ゼンタの答えは、バーデンが設けた基準を満たしたようだ。
嘘偽りがないとはいえ緊張していたようで、少年の小さな体から力が抜ける。
その様子に気付いていないわけでもないだろうに、バーデンは謝罪の言葉も無く、ただ指の動きを止めるに留めた。彼は何から話そうと腹の中で考えるような間を置いてから、静かに口を開く。
「ダラントと私は、すべての人間は皆平等であるという理念を掲げる一団に属している」
「平等?」
ゼンタは鸚鵡返しに訊ねると、バーデンは続きを話して聞かせてくれた。
「我々市民だけでなく、王も貴族も元は同じ人間だろう? 本来なら、そこには差など存在しないんだ。どちらが上ということもない。故に片方がもう一方を支配することはできないし、片方の都合だけで使役されるということも無いはずなんだ」
「ふぅん」
ゼンタは曖昧に頷いた。
彼にとって王は王だし、貴族もやはり貴族という生き物なのである。自分と同じ人間だと考えるには、それらはゼンタと住む世界が違い過ぎるように思う。
バーデンはそんな少年を見て、僅かに表情を緩めた。ゼンタは知らなかったが、その反応は、彼にとって見慣れたものだったのだ。
そして、バーデンは説得することにも慣れていた。
「この世に差があるとすれば、それは神と人間の間に存在するものだ」
「うーん」
ゼンタは考えた。
少年にとっては、いるかどうかもわからない神よりは、王や貴族などの方が差を感じられた。けれど先ほどの話を聞いた後だと、神と比べれば同じ人間である貴族たちとの間に差があるのは、不思議なことのような気もしてくる。
バーデンは少年の心に湧いた共感を敏感に感じ取り、話を続けた。
「君も理不尽に感じたことがあるだろう。ほら、今しがた自分で言ったばかりじゃないか。孤児院の先輩たちは、君が幼いというだけで仕事を押し付け、つまり使役しようとする。それは理不尽なことだろう?」
「そうかもしれない」
ゼンタは合点がいったとばかりに頷く。それは彼が仕事を与えられた際に度々感じていたことだった。
「お前もギルドで理不尽だと思っただろう」と、横からダラントが口を挟む。
「この活動が実を結べば、俺たちみたいな平民でも王都のギルドで依頼できるようになるんだぜ!」
ゼンタはこれにも頷いた。王都では貴族でなければ依頼を受けてもらえない。それはなんとも理不尽なことだと思ったのだ。
「誰もが平等の名の元に支配されずに済む。そんな世界にするために活動しているのが我々“神聖同盟”だ」
バーデンが誇らしげに言うころには、彼らの活動が素晴らしいことのように思えていた。何よりバーデンのような貴族らしい立派な人が言っていることが間違っているはずがないのだ。ゼンタは殆ど憧憬の眼差しでバーデンのことを仰いでいた。
しかし、その表情に意識が向くと、ゼンタの頭は忽ち冷静になる。
「でも、それが姉ちゃんのことどう関係があるの?」
少年の意識が逸れたことに、バーデンは些か驚いたように目を見開いたが、ティサのことが頭を占めていたゼンタはそれに気付かなかった。
「それこそ我々の役目なんだよ、ゼンタくん」
バーデンは極めて冷静な目をして微笑む。
「おそらく聖なる炎の使い手と認められた者は、すぐにでもムスタファー伯爵の手によって王城に行くことになるだろう。そして王の近くで召し抱えられる。聞こえはいいが、軟禁されているのと同じことだ」
「どうしてそんなことを!」
ゼンタは殆ど悲鳴のような声を上げた。
彼の予想では、ティサは伯爵の屋敷に留め置かれるとばかり思っていたのだ。それが王城それも王の下になど連れて行かれてしまえば、ゼンタが彼女と再び会うことができるのはいったい何時になることか。否、二度と会えないと言っていいだろう。
「貴族たちは恐れているのさ」
バーデンは少年の心に湧いた感情を目敏く刺激した。
悔しさに舌を噛んでいたゼンタは、その策略に容易く引っかかる。
「恐れているって、いったい何を」
「不死者」
バーデンは短く答えた。
ゼンタはその単語をつい最近聞いたような気がした。そして市場での会話を思い出す。
「それ、女将さんも言っていたよ! そんなに怖いものなの?」
「知らなくても無理はねぇ。町で普通に暮らしていたら一生出会わなくて済むからな」
首を傾げたゼンタに、ダラントが言った。
彼は同意を求めるようにバーデンに視線を向けたので、ゼンタも釣られて目を向ける。
「アンデッドとは、死にきってはいない存在のことを指すのは知っているかい」
バーデンが静かにそう問うてきたので、ゼンタはひとつ頷いた。
孤児院教会で暮らすゼンタは、幼いころより、遺体をそのままにしておくと勝手に動き出すのだと聞かされて育ったのだ。もっとも教会に住むものとして死者の弔いを経験した今となっては、それが迷信に過ぎないことを知っている。だが、そう伝えられるようになったのは不死者の所為だということも知っていた。
「一概に、アンデッドが生まれるのは“神の呪い”によるものだとされている」
「『不信心の罪』に対する罰のことだね」と、ゼンタは頷いた。
バーデンもそれに頷き返す。
「教会の教えにもあるように、神は天より人の営みをすべて見ていて、特に罪深い者には罰を与える。アンデッドに与えられたのは、“不死という神の呪い”なのさ。だからアンデッドは死なない。否、死にたくても死ねないんだ」
「でも、どうしてそれが恐ろしいの」
バーデンの話は尤もにも思えたが、ゼンタは不思議に思って訊ねた。
「神に逆わなければ、『不信心の罪』は科されないよね」
「それは教会の主張だろう?」
バーデンは素気無く否定した。
「真に恐ろしいのは、アンデッドに傷つけられた者は皆アンデッドになってしまうことなんだ。そこには唯一つの例外は無く、神の存在は必要じゃない」
ゼンタが理解できずにいる間にも、バーデンは話し続ける。
「生者であれば致命傷となる怪我を負っても、アンデッドは死なない。そしてアンデッドには普通の魔法も通用しない。やつらを生かす“神の呪い”を排除するには、光魔法しか方法はない。だから冒険者たちはアンデッドを恐れて、見つけたら決して近づかないんだ」
光魔法を使える者など世界中を探しても極僅かだ。そんな貴重な魔術師ならば、冒険者のような危険で安定しない生活をするくらいならば、王や貴族に召し抱えられた方がよほど安全で優雅な暮らしができるだろう。つまり、冒険者の中に光魔法を使える魔術師はいないと言っていい。それにもかかわらず、一切の攻撃が通用しない存在と出会ってしまったらどうなるのか。
ゼンタはその光景を想像してしまい、あまりの恐ろしさに血の気が失せた。
少年の蒼褪めた顔を前にしてなお、バーデンは衝撃的な事実を口にする。
「我々が掴んだ情報では、大監獄から囚人が脱走した」
「大監獄って……、あのアブラプトゥムのこと!?」
ゼンタが思わず叫ぶと、バーデンは「よく知っているね」と、ただ頷いた。
驚愕の事実に言葉を失っていると、今度はその隣にいたダラントが口を開く。
「驚くよな。しかも俺たちは誰一人その事実を知らされちゃいねぇんだからよ」
そこには先ほどまでの愉快そうな表情は無く、暗い光をその眼に宿していた。
ゼンタは混乱しながらも否定の言葉を引き出そうと、問いを絞り出す。
「でも大監獄は今や廃墟なんだよね。もう何十年も前から封鎖されたままだって聞いたよ。それなのに誰が脱走してくるっていうのさ?」
ゼンタはそう口にしてから、最悪の事態が頭を過った。
少年が自分自身で答えを見つける様子を、大人二人は黙って見ている。
「まさか、それがアンデッドなの?」
震える声で紡がれた問いに、答える者はいない。だが、それこそが答えだ。
恐怖か怒りにか、ゼンタは弾かれたように椅子から立ち上がる。
「どうして公表されないの!? 危険じゃないか!!!」
「だから貴族たちは聖なる炎の使い手を求めたのさ」
そう言ったバーデンは、それまでの無表情を一転させ、苛立ちを露に眉を顰めていた。
己以上に怒った様子のバーデンに、ゼンタは慌てて口を噤む。
「城に隣接する魔術院には光魔法を使える魔導士が当然いるはずだ。それにもかかわらず、やつらは己の身が可愛さのあまり、聖なる炎の使い手まで手元に置きたいのさ」
「大監獄のアンデッドが倒されるまで、嬢ちゃんは帰って来られないだろうな」
吐き捨てるように言ったバーデンに続き、ダラントもそう言った。
ゼンタは悔しさに拳を握り締めることしかできなかった。その口から零れ落ちたのは、打開策ではなく、ありきたりな感情論だ。
「そんなのティサ姉ちゃんが可哀想じゃないか」
その言葉を受けたダラントが瞳を鈍く輝かせたことに、ゼンタは項垂れていて気付かなかった。
「なぁ、ゼンタ」
俯く少年の肩を慰めるように抱きながら、ダラントが口を開く。
「お前が言うには、あの娘は聖なる炎の使い手じゃねーんだろ?」
「なに、それは本当か!?」
「だから俺はこいつをここに連れて来たんですよ」
驚き問い質すバーデンを前に、ダラントはどこか自慢げにそう答えた。
次いでゼンタを見やったバーデンに、少年は強く頷きながら言う。
「ティサ姉ちゃんは絶対に聖なる炎の使い手じゃありません。断言できます」
バーデンは思ってもみなかったようで、彼は些か困惑していた。
ダラントとゼンタの間で視線を何度か往復させると、再び思考に耽ってテーブルを叩き始める。
「だがムスタファーは認めたのだろう。教会のシスターがあの男を騙せるとは思えないぞ」
バーデンの問いは尤もだった。
そこでゼンタは思い切って、秘密を少し打ち明けることにした。
「姉ちゃんが使える火魔法は、これと同じ火なんです」
机の上に突き出した指の先に、小さく宿る炎。
差し出されたバーデンはもちろん、隣にいたダラントも飛び上がるように驚いた。
「お前、魔法が使えたのか!」
「隠していてごめんなさい。でも、魔法が使えるってバレたら孤児院にいられなくなるから黙っていたんだ」
「孤児院なんかより魔術院にでも行った方が良いだろうよ……」
信じられないとばかりに呻くダラントとは違い、バーデンは至って冷静な目をしている。
彼はダラントが騒いでいることを余所に、ゼンタの指先に宿る炎を観察していた。その眼は初めて見るものに対し、もっとよく見ようとするものとは違うようにゼンタは感じた。
もしかしたら、バーデンは火魔法を見たことがあるのかもしれない。
「本当に君と同じ炎なんだね」
「そうです。姉ちゃんと僕の火は全く同じです」
ゼンタがはっきりとそう答えると、バーテンは魔力切れを考慮して炎を消すように言ってから、また暫くの間、机を叩いて思考に耽った。
しかし今度はすぐに止み、彼は心を決めた様子で指を組んだ。
「ゼンタくん、同志になってくれないか?」
「同志?」
「神の名の元にこの世に存在する全ての理不尽を失くし、君のお姉さんのような悲劇を生まないようにする。そのために我々の仲間になってほしいんだ」
ゼンタは話の跳躍について行けず、困惑した。
思わず隣を伺うが、ダラントは「それはいい」と、頷くばかりで役に立ちそうにない。
「ど、どうしてですか」
止む無くゼンタはバーデンに問うた。
しかし彼は気を悪くした様子も無く、再度誘いの言葉を口にする。
「君のその指に宿る炎と、ムスタファー伯爵が認めた君のお姉さんの炎が同じものだというならば、そう遠くない未来において、我々は君のお姉さんを貴族たちから救い出さなければいけないことになるだろう。それには君の助力が必要不可欠だ。だからその時のためにも、君には今のうちから我々と共に戦ってほしいんだ」
感激のあまり、ゼンタの体は打ち震えた。
少年はこれまで、必要とされることなどティサを措いて他には無かった。だからこそ少年はティサのことが大事であったし、如何なることがあっても秘密を抱えたまま生きることを良しとした。そしてそれは彼女もまた同様だと思って今まで生きてきたのだ。
更に驚くことに、バーデンはまだ幼いゼンタに対し、まるで対等で在るかのように握手を求めてきた。
「どうか力を貸してほしい」
そう懇願するバーデンに、少年は恐る恐る手を伸ばす。
ゼンタの手が届くか否かのところで、バーデンの方から腕を伸ばされた。
驚き固まる少年を余所に、美しいが故に水仕事を一度もしたことがなかったティサと同じくらい美しい男の手が、少年の手を包み込む。
「ようこそ、我らが神聖同盟へ」
そう言ったバーデンの手を握り返せずに、ゼンタは夢心地のまま、ひとつ頷いた。




