神聖同盟 2
ダラントに連れられてやってきたのは、貴族街の近くにある寂れた町だった。
小綺麗な街並みに反し、閑散として人気が少なく、通りに面した建物の窓の殆どが閉まっている。けれども誰かが住んでいるのは確かなようで、視線を感じたゼンタが見上げると、慌ててカーテンを閉められるということが何度かあった。
そして何より異様なのは、道の先に見える大きな門の存在である。
貴族街と市民街の境目には、町を囲うように高い壁が築かれていると聞いたことがあったが、実物ははじめて見る。通りに面して造られた門の前に兵士の姿はなく、こちらからの接触を一切拒否しているようだった。
物心ついたころから孤児院教会を離れたことがないゼンタは、貴族の町に興味津々だったが、それに気付いているのかいないのか、ダラントは門の中に入ろうとする素振りすら見せず、壁に沿って移動した。ゼンタは後ろ髪を引かれる思いで後を追う。
壁と建造物の間には、一定の距離が設けられていて、道のようになっていた。二人はその隙間を随分歩いて、どれだけ進んだだろうか。代わり映えのしない景色に、ゼンタが疲れを感じ始めた頃になって、漸くダラントは足を止めた。
「ここだ」
ダラントが指差したのは、今にも崩れ落ちそうな寂れた一軒家だった。
特筆すべき点はこれといって無い家だ。他の建物と同じく、壁から一定の距離を開けて築かれており、塀の上に飛び出した木々は枯れていて、随分長い間放置されてきたであろうことが伺える。あえて挙げるとするならば、他と比べて庭が広いことぐらいだが、その周りを囲む木製の塀は朽ち果て、所々穴が開いている。出入りしているのは動物ぐらいだろう。
ダラントは慣れた様子で、塀に開いた穴から中に入る。
「秘密ってここのこと? ここに何があるの?」
思わずそう訊ねたゼンタに、ダラントは無言でついてくるよう促すと、そのまま奥へ入って行ってしまった。
慌てて塀に近づいて、ゼンタは恐る恐る中を覗き込んだ。外から見えた様子と大して変わらない。庭というにはあまりにも不格好で、至る所に半分枯れたような雑草が伸びており、その真ん中にある辛うじて道のようになっている砂利の上を、ダラントが歩いている。
ゼンタは振り返って誰も見ていないことを確かめると、意を決して中に足を踏み入れた。
「待ってよ、ダラントさん!」
男を呼ぶ声は、緊張の所為か小さく。そして震えていた。
ゼンタが走って隣に並ぶと、ダラントは少年の頭を叩くように撫でる。それに妙に安堵しながら、ゼンタは辺りを窺った。砂利道は思ったよりも音を立てず、二人の足音は風が木の葉を揺らす音に紛れて聞こえない。きっと砂利の隙間から顔を出している雑草のお陰だろうが、少年は無意識のうちに男の服を掴んだ。
二人は朽ち果てた家の玄関までやって来ると、その前で止まる。
その扉もまた建物と同じくらい朽ち錆びており、今にも崩れ落ちそうな様子だったが、ダラントは躊躇うことなくその扉を拳で叩いた。
「こんにちはぁ! 誰かいませんかぁ!」
静まり返った周囲に、大きな声と拳が扉を打つ音が響く。
ゼンタは慌てて辺りに目を配ったが、ダラントは気にせず扉を叩き続ける。
するとしばらくして、扉の向こうから小さな声がした。
「誰だ」
「俺です。エイコンのダラントです」
一考するような沈黙の後、軋んだ音をたてて扉が僅かに開く。
ゼンタの位置からは中の様子は見えなかったが、隙間に鎖がかかっているのは見えた。鈍く光る銀色は、廃墟にあるにしては新しいように思う。
「合言葉は?」
「“神聖”」
ダラントが短くそう答えると扉は閉まり、金属を弄る音の後、今度は大きく開いた。
「驚いた。本当にダラントじゃないか。急にどうしたんだ?」
現れたのは貴族のような雰囲気を持つ小綺麗な男だった。
市民街ではあまり見ることのない白っぽい服を着て、見るからに指通りの良さそうな髪を結っている。そして何と言っても、無に近い表情だ。驚きと疑問を抱いた声音に対し、その顔にはどちらの感情も浮かんでいない。寧ろ他に見る者がいたならば、ゼンタの方がそんな表情をしていることに気付いただろう。
ダラントのような平民然りとした隣人が、貴族のような男と交友があるとは到底信じられなかったし、貴族のような男が廃墟に住んでいるというのも信じられなかった。しかし今目の前で繰り広げられている光景は、そのどちらも肯定するものである。
「今は私しかいないとはいえ、些か不用心だろう。次の集会まで待てないような案件か?」
苦言を漏らしながらも、中へ促すような仕草をする男に、ダラントは笑う。
「仲間になれそうなヤツを見つけたんで、連れてきました」
そう言ってゼンタの肩を抱いてみせると、男は目を剥いて驚いた。
「まだ子どもじゃないか! お前は何を考えているんだ!!」
非難の声を上げる男に、ダラントは否定しなかった。
ゼンタは訳も分からず二人を見上げる。そんな少年の姿に、ダラントは気付いているのかいないのか。慰めるように肩を叩くと、声を潜めて男に告げた。
「それと、例の件について報告が」
「待て。ここではまずい」
男は無表情でありながら焦った様子を見せた。
「とにかく中に入れ。話はそれからだ」
ダラントは小さく頭を下げて中に足を踏み入れる。
ゼンタが困惑して立ち止まっていると、こちらを見下ろした男と目が合う。
「……とりあえず、君も入りなさい」
男が大きな溜息を吐きながらもそう言ったので、ゼンタも小さく頭を下げて中に入った。
***
廃墟の中は意外にもまだ新しく、それでいて小綺麗にされていた。
外から見えない位置には壊れていない机や本棚までもが置かれていて、貴重な本がぎっしり詰め込まれている。更に奥には、教会のものと比べると簡素ではあるが、庶民の家にはあるはずのない絨毯までもが敷かれてあった。
貴族風の男は扉に鎖を巻いた後にやって来て、その上に置かれた大きな机を指差した。
「どうぞ、かけてくれ」
ゼンタは絨毯の上を歩くのに躊躇して立ち止まったが、ダラントは慣れた様子で歩いていく。ダラントが椅子を引いて座ったのを見て、ゼンタも恐る恐るその隣に腰かけた。
貴族風の男は、ゼンタが葛藤している間にキッチンから三人分の飲み物を用意して、それぞれの前に置くと、ゼンタの向かいに座った。
「……ゼンタくん、と言ったかね」
静かに問いかけられて、ゼンタはカップから視線を上げる。
見上げた先にある表情はやはり貴族と同じ、感情を隠したものであり、ゼンタはティサのことを思い出した。
「はい。エイコン孤児院教会のゼンタです」
「私はバーデン。ここの主だ」
貴族風の男ことバーデンは、ゼンタの自己紹介に名乗り返してくれた。
喩えこちらが伺おうとも、貴族が平民に名乗ることはまず無いと言っていい。それなのでゼンタは、彼は貴族ではなのかもしれないと思ったが、机の上で指を組んだバーデンは、どう見ても貴族にしか見えないので、益々混乱する。
「バーデンさんは貴族なんですか?」
「そういう時期もあった、とだけ言っておこう」
堪らず尋ねたゼンタに、バーデンは口の端を上げてそう答えた。
慣れきった無表情を態と崩したようなその表情に、ゼンタは大凡を察したが、黙ってカップの中を覗き込むことで、それに気付かないふりをした。
「ゼンタくん、君はここがどういう場所なのか知っているのかな?」
バーデンにそう問いかけられて、ダラントについてきただけのゼンタは、どう答えるべきか隣に座るゴマ髭面を仰いだ。
こちらを向いたダラントの気まずそうな表情に、ゼンタは年相応の悪戯っ子のような表情を浮かべると、ダラントが止める間もなくバーデンに向かって口を開く。
「ダラントさんには姉ちゃんを助けてもらいたくて相談したんです」
「ふむ。それで?」
ゼンタの的を射ない返事にも、バーデンは不快な顔をせず続きを促した。
「秘密を守れるなら、姉ちゃんを助け出すのに手を貸してくれるって言うので、ついてきただけです。それなので、ここがどんな場所かなんて僕にはさっぱりわかりません!」
ゼンタが笑顔で言い切ると、バーデンは沈黙の後ダラントを睨め付けた。
「お前、子どもを騙したのか」
「いや、違うんです!」と、ダラントは慌てて言った。
「こいつの言う姉ちゃんっていうのが、例の聖なる炎の使い手だとかで連れて行かれた娘なんですよ! それに、他にも何か知っているもんで……。そうだろ、ゼンタ」
必死な様子のダラントが面白いので、意趣返しも兼ねて暫くわからないフリをしようとしたゼンタであったが、ティサに似た雰囲気を持つバーデンと目が合うと、そんな自分が酷く狭量な人間のような気がして恥じ入り、椅子の上で体を縮めた。
バーデンはその様子をどう思ったのか、難しい顔をして額を押さえる。
「仮にそれが本当だとして、それなら聞き出すだけで良かっただろう」
「いやでも……」と、ダラントが反論しようとするのを、バーデンは遮った。
「言い訳をするな。我々の活動に子どもを巻き込むなど、到底許されることではないとお前だって本当はわかっているだろう」
反論の余地も無いのか、ダラントは罰が悪そうに口を噤んだ。
三人の間に嫌な沈黙が落ちる。そんな中、ゼンタは思わず椅子を鳴らして立ち上がった。
「僕もう子どもじゃありません!」
憤慨した様子で宣言したゼンタを、バーデンもダラントも驚いた顔で見下ろす。
ゼンタは、そうされてることにすら怒りを覚える勢いで口を開いた。
「ダラントさんが司教様のことを探っているなんて、とっくの昔に気付いていたよ。今日ここに連れてきたのは、聖なる炎の使い手がティサ姉ちゃんじゃないことを僕が知っているからでしょう。姉ちゃんが本物じゃないってバレたらいけないんだね?」
大人二人は面食らった様子で顔を見合わせる。
元よりゼンタを知るダラントは特に驚いた。同年代の子どもより賢いとは思っていたが、まさか自分の企みに気付いているとは思ってもいなかったのだ。
「お前、気付いていたのか」
ダラントは取り繕うような笑みを浮かべながら問う。
「子どもだと思って油断し過ぎだよ。信徒でもないのに司教様のことをよく聞いてくるし、俺に話したことは秘密にしてくれだなんて。そんなの探っていますって言っているのと同じだよ」
憤慨した様子で言い放ったゼンタに、ダラントは苦虫を噛み潰したような顔をした。
一方、吹き出すような笑い声をあげたのはバーデンであった。
「言われているなぁ、ダラント!」
貴族らしさを欠片も無くし、腹を抱えて笑うバーデンに、ダラントは忸怩たる思いで肩を落とす。対照的な二人の様子に、ゼンタは鼻息荒くして椅子に腰かけた。
己の矜持は守られたと背筋を伸ばす少年に、バーデンは笑いを治めて微笑みかける。
「だがゼンタくん。君はひとつだけ間違っているようだ」
「えっ」
ゼンタは思わず声を上げた。
「君がダラントに教えたから、我々はひとりのお嬢さんが聖なる炎の使い手候補としてムスタファー伯爵の元へ行ったことは知っていたよ。けれどその後どうなったのかは、たった今君から聞くまで知らなかったんだ。君のお姉さんは本当に聖なる炎の使い手だと認められたのかい」
バーデンの静かな声に頷き返しながら、ゼンタは高揚感が忽ち萎んでいくのを感じた。
すっかり血の気の引いた顔で、少年は最愛の人に似た雰囲気の顔を見上げる。
「おじさんたちは本当の聖なる炎の使い手を知っているんじゃないの?」
「どうしてそう思ったんだい?」
バーデンは心底から不思議そうに首を傾げる。
隣を伺うと、ダラントも同じように怪訝そうな顔をしていた。
ゼンタは己の推測が間違っている可能性を考えながら、もう一度口を開く。
「おじさんたちは本物の聖なる炎の使い手を隠しておきたいのに、僕が騒いでティサ姉ちゃんが偽物だってバレたら、王様はまた探し始めるよね。だからそうならないように、僕を黙らせる対価として姉ちゃんを取り戻す手助けをしてくれるんだと思ったんだけど……」
ゼンタの言葉に漸く合点が行ったのか、バーデンは表情を崩して愉快そうな顔をした。
「ふむ。君は中々面白い発想をするね」と、事実バーデンはそう評価した。
ゼンタは何故彼がそう言ったのかわからず、ダラントを仰ぎ見る。すると彼もバーデンと同じような顔をしていた。否、バーデンよりも喜色を押さえられない様子で笑っている。
「なるほど……なるほど……」
「なんだよ、その顔は。どこか間違っているなら教えてよ!」
ゴマ髭を撫でながら態とらしく感心してみせるダラントに、ゼンタは透かさず噛み付いた。
しかしダラントは間違いを正すどころか訳知り顔で頷くだけで、バーデンはそんな大人気のない大人に苦笑しながら、静かに答えを口にした。
「ゼンタくん。先ほども言ったように、我々は聖なる炎の使い手が誰なのか知らなかったんだ」
「じゃあどうして……」
疑問を口にしようとしたゼンタを、バーデンは人差し指を立てることで黙らせた。
「我々が危惧しているのは、王に――というよりも、この国の貴族に、聖なる力を持つ者が捕らわれてしまうことなんだ」




