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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
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大監獄アブラプトゥム 1


 今やほとんど廃墟と化した大監獄へと続く唯一の橋があった場所。底が見えぬほど深い堀の淵に、ひとりの男が立っていた。

 丸太のような腕を組み、皴のでき始めた顔を不機嫌そうに歪め、眉間に深いしわを刻んでいる。その眼が見据えているのは朽ち錆びた鉄柵の向こう。男にはいったい何が見えているのだろうか。険しい表情は微塵の油断も無く、また何かを恐れるように緊張の色が滲んでいる。


 コツリと、華奢な踵が石を叩く音がした。


「お待たせいたしました。ガードナー将軍」


 男が振り返ると、今しがたまで無人であったそこに人影が現れた。

 金色の豊かな髪をした軍服姿の美しい女を先頭に、甲冑を身に纏った精悍な男たちが数名。彼らは一様に転移魔法の残骸で衣装や髪を靡かせている。

 女はガードナーの視線が己に向くや否や、恭しく胸に手を当て腰を折った。


「わたくし、今回のアブラプトゥム遠征への案内役を受け賜わりました、シェルグラス家が長子ルベリアと申します」

「シェルグラス……。バース・エッカルドの歪んだ大地の名だな」


 ルベリアはその言葉には答えず、ただ微笑んだ。

 ガードナーはそんな彼女の反応に気を悪くした様子もなく、再び視線を鉄柵の向こうへと飛ばす。


「なるほど好き好んでこの老いぼれと共に地獄へ行こうなどとは誰も思うまい」

「そんなことはございません」と、ルベリアは即答した。「将軍閣下の随身を許されると聞いたとき、皆がその栄に浴したいと懇望いたしました」

「物好きがいたものだな」


 英雄足るが故に、鼻で笑うような無作法はしなかったが、ガードナーはルベリアの言葉を信じてはいないようだった。だが少しは機嫌が直ったのだろう。その表情ははじめよりかは幾ばくか穏やかなものになっている。


 ルベリアが言ったこと、これは強ち間違いでもない。

 彼女は真実、己の持てるすべての手段を使い、此度の任務を奪い取ったのだ。

 普段はルベリアの生家を歪んだ家と賤しみ、女であるという理由で嘲りの対象として見てきた男たちが、王都を発つルベリアを見るなりその眼に激しい嫉妬の色を浮かべ、それでも王命には逆らえず黙って恨めし気な顔をすることしかできないのを見た時は最高の気分だった。今でもその光景を思い出すと、彼女の美しい口元は自然と笑みの形を作ってしまう。


 歪に緩む口元を押さえながら、ルベリアは懐から玉璽の入った封書を取り出す。

 あの男たちが手にできなかった物。

 そう思うと、やはり口元が緩むのが抑えられない。


「それでは、これより転移魔法を発動させていただきます」


 美しい顔に緩んだ笑みを浮かべたまま、同行者たちの顔を伺う。

 男たちは、その美しさに思わず顔を赤らめた。最もガードナーだけは表情を変えずに、ただ行く先の廃墟に視線を戻していたが。


「よろしいですか。では」


 封を切った瞬間そこにいた全員の体の周りに魔力が走り、転移魔法が発動した。




 ***




 一行が堀を越えアブラプトゥムの門の前に立った今も尚、辺りを囲む鉄柵は錆びてはいたが立派にその役目を果たしていた。


 入り門を除くすべての鉄柵には魔法陣が刻まれ、触れた物には死をもたらすほどの電流が流れる仕組みになっている。門から見える範囲にも、その魔法で死んだのであろう動物たちの白骨がところどころに目立って見えた。


「開門作業を行います」


 ルベリアはそれらを一瞥するに留め、また新しい封書を取り出す。

 玉璽を表に門へと擦り付けると、魔力の胎動の後に鉄製の門は自動的に開いた。


「参りましょう」


 不自然な程に背筋を伸ばしたルベリアを先頭に、険しい顔をしたガードナー。続いて、恐怖と不安を隠しきれない騎士たちが大監獄へと足を踏み入れる。


 鉄柵の中は、綺麗な程に何も無かった。

 世話をするものがいないため植えられていた草木は枯れ果て、魔法陣で封じられていては新たな動植物の侵入も無く。ある意味で侵入から守られてきたアブラプトゥムは、建設当時の美しい石畳をそのままに生き物の気配だけを失っていた。


 一行は無言で石畳の上を進んでいく。

 ルベリアの踵が石を叩く音が静寂を打ち破り、甲冑の擦れる音が良く聞こえた。


「お聞きしてもよろしいでしょうか」


 騎士たちが今にも崩れそうな扉を開けている最中、ルベリアが口を開いた。


「なんだね」

「ここには将軍閣下が態々会いに来なければならぬほどの男がいたのですか?」


 ガードナーの眼が軽い驚きと共にルベリアの方を向く。

 まるで、はじめて自分以外の誰かがいることを認識したかのように見えた。


「閣下がバース・エッカルドの英雄となる物語は、私も幼い頃からいろいろと拝見させていただいています。幼子向けの英雄譚から学者向けの歴史書まで、そのどれでもあなたは宿敵を討ち滅ぼしている。あなたほどの大英雄が、こんな場所にどんな用があるというのです?」

「ああ……」


 ガードナーは答えることなく項垂れた。

 そこにあるのは徒労感だろうか。ルベリアの無知と無礼に対する苛立ちや失望でないことは見て取れた。ただ単に、彼はその理由を口にすることに途方もない疲労を感じているようなのだ。

 ガードナーは顔を上げ、ルベリアの視線に促されるように口を開く。


「厳密に言えば、『いた』ではなく『いる』だ」


 低く掠れた声だった。彼を知っている者からすれば、通常では考えられないほど年老いた、力ない音だっただろう。

 また、ルベリアの問いに対する答えでもない。


「アレは、ヒトかどうかさえもわからない。どうしようもないバケモノだ」


 そう一息で言い切ると、ガードナーは、これ以上は何を言うつもりもないようで、案内をするはずのルベリアより先に扉の中へと入って行ってしまった。


 慌ててその後を追いながら、ルベリアは困惑していた。

 彼女が国王陛下より命じられたのは、大監獄アブラプトゥムへと渡り、英雄将軍ガードナーの希望通りに案内することだった。


 今の時代、アブラプトゥムは存在を忘れられたと言っていい。

 ここへ送るための転移魔法のほうが高くつく所為で、ここ数十年ほど新しい囚人は投獄されていなければ、以前は騒いでいた人権団体による食料物資の投下も行われていない。彼らは帝国との戦争への抗議に夢中で、生きているかどうかもわからない囚人たちの食事のことなど、忘却の彼方に葬ってしまった。

 そんな場所へ、大将軍がいったいどんな用があるというのか。英雄譚には描かれぬ隠された宿敵か、あるいは英雄には似つかわぬ復讐の相手か。

 ルベリアは好奇心の赴くまま、その案内役を買って出たというのに。


 横を通り過ぎていく際に見えた大英雄の顔は、一気に老け込んだように見えた。

 ルベリアの中で、高揚していた気持ちが急激に萎えていく。幼い頃に憧れた英雄のこんな姿など、彼女が見たいものではなかったからだ。


「それで、どこへ向かいましょうか?」


 ルベリアは言った後に思わず口を押えた。不満が声音に現れていたように思ったのだ。自分でそう感じたのだから、聞いていた方はもっとそう感じただろう。

 しかしガードナーはそれに気付かなかったか、あるいは気にする余裕もないのか。


「最深部へ」


 と、短く答えた。

 ルベリアは気を取り直して、宰相より授かった地図を取り出した。

 来る前に一度目を通してきたこともあり、目的の場所はすぐに見つかった。


「ではこのまま真っ直ぐ進みましょう。どうやら牢屋の最奥に、地下へと降りる階段があるようです」


 地図を持つルベリアを先頭に一行は再び歩き始めた。

 アブラプトゥムの中は、長年にわたり空気が滞っていたせいか酷くカビ臭く、天井近くに開いた窓から差す光があっても薄暗かった。ルベリアが騎士の一人に命じて結晶石に光を灯させると、随分と明るくなった。


 結晶石を持った騎士が光を掲げると、監獄内が良く見えた。

 牢屋の殆どは空だった。枷は鎖に繋がれたまま、飼い犬が逃げた後のように、虚しく地面に転がっている。囚人たちが自分で外したのだろうか。

 そのとき、ふと、一人の騎士が声を上げた。


「今、何か聞こえませんでしたか?」


 一行は思わず立ち止まり、耳を澄ませる。

 ルベリアの踵の音が床を叩くことを止め、騎士たちの甲冑が擦れることもなくなれば、辺りは静寂に満ち満ちた。


「何も聞こえないわね」

「聞こえるわけありませんよ。ここにはもう誰もいないんですから」

「だが確かにっ……」


 騎士が反論しようとしたそのとき、全員の耳に何かが聞こえた。

 思わず動揺した騎士たちが動き、甲冑の擦れる音が俄かに静寂を乱す。


「シーッ! 静かに!」


 ルベリアが口元に指をあてて命じると、男たちは恐怖を忘れて彼女に従った。

 情けの無い騎士たちを横目に、ルベリアはこの場で唯一頼れるであろう男を仰ぎ見た。すなわちガードナーを。


「亡霊でも出たか?」

「まさか。ここにはアンデッド化を防ぐ魔法が施されているはず……」


――しくしく。しくしくしく。


 反論していたルベリアも、再度聞こえた声に思わず息を呑んだ。

 騎士たちの甲冑がまた騒がしくなる。

 今度は全員の耳に、どこからか啜り泣く声がはっきりと聞こえたからだ。


「本当にアンデッドが?」


 騎士の一人が狼狽えたようにぽつりと漏らした。

 皆が皆、まさかとは思いつつも、己の耳を疑うより余程納得がいく。


――しくしく。しく……。


「ま、まただ……!」

「全員いますぐ結晶石を灯しなさい」


 ルベリアの声に、騎士たちが懐を漁る。

 慌てながらも魔量を通すと、辺りは随分と明るくなった。


――しくしく。しくしく。


 明りの届かぬ奥の方から、泣き声がまだ聞こえてくる。

 一行は迷っていた。

 アブラプトゥムは囚人たちの亡霊化を防ぐために、あらかじめ聖魔法が施されたある意味での聖域であるはずだった。そのため、ルベリアたちは不死者用の武器を持っていなければ、聖魔法使いの同行もなく、持っているのは照明用の結晶石だけだ。

 万が一にも襲われるようなことがあれば、いったい何人が生きて外に出られるのだろう。

 ルベリアは今すぐにでも引き返すことを提案したかった。


「先を急ぐとしよう。結晶石の光りがあれば亡霊も近付いては来られないはずだ」


 大英雄将軍閣下の声に促され、一行は渋々ながら再び足を進めることとなった。




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