王城にて 下
重苦しい沈黙が流れる中で、王が口を開いた。
「やはり確かめるべきか」
「ですが王よ! 掘り起こすことは不可能です!!」
「それは確かか? 首がまだあると誰が証明できるのだ」
王の冷静な言葉に、反論の声は忽ち途絶えた。
「確かめるにしてもどうやって? まさか掘り返そうなどと言うのではありませんな」
「それでは本末転倒でしょう!」
議論が再燃する前に、可憐な声が響く。
「ですが、そうするしか他に確かめる方法は無いのではありませんこと?」
水を撃ったように静まり返った室内で、一身に視線を受けたその声の主は、オビチュアリ・アンホールドその人であった。
彼女は王と共に入出してからというもの、弟の話題が上がろうと少しも表情を動かさず、涙ひとつ浮かべていない。エッカルド貴族の見本とも言える態度でそこにいた。
「アンホールド男爵令嬢、しかし……」
「我が愚弟が別人であるなどと、私は考えもしませんでしたわ。それだけでなく、あの首には常識では考えられない現象が起きている。ならば我々の予想を超えてくることも無きにしも非ず。はじめから否定していては後れを取るだけなのでは?」
平淡で冷たくも聞こえる声に、室内の男たちはしばし黙り込んだ。
「だが、もし首が無かったらどうする」
「そんなことがあるはずがない。問題は掘り起こしてしまった後だろう」
「首がまだ埋まっていたとすれば、物理攻撃が有効と言うことになるでしょう。であれば、そのまま殺してしまえば良いのですし、それができないと言うならば、また埋めてしまえば宜しいのではありませんこと?」
若き令嬢の口から発せられた、いっそ過激とも取れる言葉に、男たちは閉口する。
その中で王がただ一人、この美しくも勇ましい令嬢に向き直ると、
「しかしオビチュアリ」
と、親しみを持って彼女の名を呼んだ。
「もし首が埋まっていなかったとしたら。そして万が一にも、掘り起こされていたなどということがあったとしたら、君はどうするべきだと考えている?」
男爵令嬢は、王に臆することなく常の態度を貫いて答えた。
「恐れながら申し上げます。そうであれば今度こそ、確実に仕留めれば良いだけのことでしょう」
「だが、アレは死なぬと言われているぞ」
王は間を置かずそう言った。
オビチュアリは焦る素振りも見せず、淡々と答える。
「スピンディル将軍がいなくなったことが切っ掛けなのだとすれば、逆を言えば将軍がいたら危ない。つまり、死ぬおそれがあるのではないでしょうか」
言葉尻は問いかけているようで、そうであると確信しているものであった。
それは自信からか、無知からか。
しかし王は彼女の言い分を大いに気に入り、その顔に今日初めての笑みを浮かべた。
だが、まだ納得するには至っていない。
「だが頼りのスピンディルは聖都へ行ってしまった。私とてそう簡単には連れ戻せん」
「仰る通りですが、けれども将軍とて、はじめから英雄であったわけではありませんわ」
オビチュアリの答えに、王は思わず驚愕に目を見開いた。
王だけではない。その場にいた誰もが、思ってもみなかった答えに言葉を失くしていた。その発言をした彼女だけが、平素と変わらぬ態度を貫いている。それが異常とも言えた。
「スピンディル将軍がいないというならばそれで結構。我が弟を見捨てた男など、私は英雄とは認めませんわ。英雄でもない男に切られた化け物に、なにを恐れることがあるでしょう。今度こそ、我々の手で殺してしまえばいいだけのことではありませんか」
弟を失くした女の強さに、男たちはただ圧倒される。
「そしてその暁には、かの地へ逃げ去った老騎士ではなく、新たな真の英雄が誕生することになるのでしょうね」
その時だけ、艶めいた瞳が王を仰いだ。
王は面食らって肩を揺らしたが、瞬きのうちにその表情は彼女の顔から消え失せてしまった。
「それに、人は長い年月を経て成長しましたわ」
再び口を開いた彼女の瞳は、貴族らしく感情を隠してしまっていた。
しかし王の脳裏に焼き付いて離れない。その感情を再び見たいと、王は令嬢をじっと見つめた。
「そうか、燃やせばいい」
王の思考を遮るように、宰相の声が聞こえた。
「あなたは伝説をご存知ないのか! アレは燃やされた灰の中からも蘇ったのですぞ!!」
公爵が反論するも、宰相は深い思考に陥っており、聞こえていないのは明らかだった。
代わりに、気を取り直した王が口を開く。
「聖なる炎なら、それも可能かもしれないな」
その言葉に、皆が王を仰ぎ見た。その中にオビチュアリの視線も含まれていることに気が付くと、王はなるべくそちらを見ないように顔を逸らす。
「皆もアンデットを消すことのできる炎の話は聞いたことがあるだろう」
実在するかもわからないその炎のことを、民たちはそのまま『聖なる炎』と称した。
まさか王の元にまで届いているとは思わなかったが、それはここ数年の間に王城でもよく聞くようになった話である。
「しかし陛下、それはあくまでも噂であります」
「火のない所に煙は立たぬ」
王はその一言で数ある反論を押し止めると、感情を殺すためか、あるいは先の未来を見ようとするかのように、しばしの間その目を閉じた。
「探すのだ」
と、低く命じた王に、室内の注目が集まる。
「聖なる炎の担い手を探せ。そして今度こそあの化け物を葬り去るのだ」
王が再び目を開けた。――そこには偉大なるエッカルドの王がいた。
***
勇んで退出していった貴族たちの背中を見送り、ベイヤーは深く息を吐く。
この部屋には彼ともう一人を除いて他には誰もいない。王は貴族たちよりも前に自室へ戻られている。
だからこそ、ベイヤーは疲れたような態度を隠さないでいるとも言えた。
「些か強引だったのではないかね」
ベイヤーが零した言葉に、もう一人は鈴を転がすように笑った。
「あら、城下に聖なる炎の噂が流れていたことは事実でしょう?」
そう言って彼の近くまでやってきたアンホールド男爵令嬢は、愉快そうな表情を隠すことなく全面に浮かべている。
そうしていると、普段の表情との対比が大きく、大輪の花が咲くような印象を受けるが、ベイヤーは見惚れることも無く不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「その出所が反乱分子だとバレたら困るのは貴様だろう」
「心配してくださいますの?」
そう言って、オビチュアリは笑みを深めた。
ベイヤーはそんな彼女を睨め付けるように見下ろしている。
「ですが私、普段は魔術院に籠りきりで、滅多に外へは出ませんのよ。だからこそアブサードが入れ替わっていたことにも気付きませんでしたの」
「何も知らなかったと、そう言うのかね」
「ええ、そうですわ。私たち、しばらく会っていませんでしたもの。ですからこんなことになって驚いていますの。いったい本物のアブサードはどこへ行ってしまったのか……」
頬に手を当てて首を傾げる様子は、なるほど弟を案じる優しい姉に見えなくもない。
けれどベイヤーは、不信感を露に口を開いた。
「ならば少しくらい悲しんではどうかね」
と、冷たい声。
「涙のひとつでも浮かべて見せねば、まるで気にしていないように見えますぞ」
オビチュアリは、少し気分を悪くしたようだった。
弧を描いていた唇が窄まって、不満そうに眉を顰めている。
その表情のまま、今度は彼女の方がベイヤーに対する苦言を口にした。
「それを言うなら、あなたこそ、そのシェルグラス嫌いを少しは隠したらどうです」
「裏切りは許さん」
ベイヤーは即座にそう断言する。
ここではない遠くを見つめるベイヤーに、オビチュアリは一層不満そうにじっと見つめた。
その視線に気付かぬ男ではない。
「何か言いたそうだな」
「いいえ、何でもありませんわ」
あからさまに何かあるという態度で、オビチュアリはそう答えた。
面倒なことになったとベイヤーが眉間を揉んでいる間にも、彼女は不機嫌さを増していく。
彼は早々に匙を投げた。己の半分も生きていない女の心を推し測れという方が無理なのだ。
「……君も、早く行った方がいいのではないかね」
「あら、どこに?」
と、オビチュアリは冷たく答える。
「私これから屋敷に帰りアブサードを待たねばいけませんの」
そう言って、オビチュアリは老婆のような暗い笑みを浮かべる。
今の表情の方がよほど彼女らしいと、ベイヤーは納得するような恐ろしいような。
「それは、どちらの彼なのかな?」
「おかしなことを申されますのね。そんなの決まっていますでしょう。本物のアブサードをですわ」
そう言って、再び令嬢らしい軽やかな笑い声を上げると、オビチュアリは「では、ごきげんよう」と、御座なりなカーテシーで以てベイヤーの前から立ち去った。
「その本物とは、いったいどこにいるのだろうな」
誰もいなくなった部屋の中でベイヤーは独りそう呟くと、深い溜息をひとつ。
この数日は、ガードナー・スピンディルのアブラプトゥム遠征に始まり、宰相として慌ただしい日々が続いていた。極めつけに、ルベリア・シェルグラスの窃盗事件だ。
執務室に飛び込んできたときから、おそらく何かしでかすだろうとは思っていたが、まさか封書を盗み出すとは思いもしなかった。おかげで余計な手間が増えるし、予想外の事態にまで発展してしまった。――聖なる炎を探す必要はない。
だが、予定外とはいえシェルグラスを牢屋に入れられたことは、僅かに溜飲が下がった。あとは邪魔にならないことを祈るばかりである。
「これもすべては我が王のために」
ベイヤーは窓の外に向かって、恭しく一礼した。
夜の帳が下りてすっかり暗くなった空の向こうに、威光を示すようなエッカルドの紋章が浮かんでいる。王城を囲む塀の上からまっすぐに伸びた旗に描かれたそれは、僅かに魔力を帯びて夜闇の中で光っていた。
風ではためくと、闇に呑まれて消えてしまったようにも見えたが、再び風に靡かれて、ぼんやりと姿を現す。
ベイヤーはその様子を暫くの間、じっと見つめていた。