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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
15/65

英雄の出発 8 END


 大海原に浮かぶ一層の船の上で、ガードナーは眉間に深い皴を刻んでいた。

 丸太のような腕を組み、遠くの海を見つめる老騎士の姿は、まるで今しがた戦いを終えたばかりのように草臥れて、疲れきっていた。それに、どこか怯えているようにも見える。


 ガードナーは頭を振って地平線から視線を外すと、懐に手をやった。

 取り出したのは、透き通った瑠璃色の楕円型の石。

――竜の鱗だ。

 大英雄の手の上に転がった宝石は、日の光を浴びて彼の掌を青く照らす。


 竜の鱗とは、この世に存在する物体の頂点に存在する結晶の呼び名だ。生まれたばかりの幼い竜か、あるいは数千年を生き続け神格化した竜からしか採れないと云われている。だからその名がついた。

 しかし、実際のところ、その誕生から人に渡った経緯まで、詳しいことは何一つわかっていない。竜の鱗を求めて、冒険者や学者、名のある王など様々な人間が世界中を探して回ったが、自然界では誰も見付けることはできなかった。

 見つかるのは、すべて人の手に渡った後の物なのである。そして、そのはじまりは誰も知らない。


 竜の鱗は、またの名を『純粋なる魂の証』とも言う。

 古代の人々は、竜から人へ渡ったその理由を竜が認めたからだと言い伝えた。竜の鱗を与えられた原始の人は竜に認められた聖なる人である。故に、それを手にすることができるのは、その聖人に認められた次世代の聖人。つまり、純粋なる魂の持ち主だということである。


 だがそれは、あくまでも竜の鱗を目にしたことのない一般人からした話。いわば伝説なのである。

 事実、ガードナーの持つ竜の鱗は、彼が何者かに認められ譲り受けたのではなく、偶然訪れた農村で祀られていたのを買い取ったのだ。

 国境に近く寂れていたその村は、彼が対価に支払った金貨に諸手を上げて喜んだが、真実を知ればそれがどんなに愚かなことだったかわかるだろう。しかし、そのときガードナーはもういない。


 古来より生まれたばかりの竜は、この世で最も純粋な生き物だと言われており、その身から剥がれ落ちた鱗もまた純粋だからだという。赤子を見れば庇護欲が湧くように、その純真さの前では悪も鳴りを潜める。つまり、持ち主をすべての害意から守るとされている。


 ガードナーは竜の鱗を握り締めた。そして目を伏せる。


「竜よ、どうか悪しき魂よりこの身を守り給え」


 彼は竜も神も信じていなかったが、縋るように祈った。


「同志よ、あと半刻で竜之国に到着する」


 ドラコニカの使者が後ろから声をかけた。

 彼らからすれば、ガードナーのその姿は聖都に向かって祈りを捧げているように見えたことだろう。


 ガードナーは、竜の鱗が彼らに見えぬよう懐に仕舞った。

 顔を上げれば、小さくとも確かに島が見える。

 竜を信奉し竜に守られた島『ドラコニカ』。そこでは悪しき魂の持ち主は、髪の一本すら存在すること許されない。


――また会おう。


 脳裏に低く掠れた声が蘇った。老騎士は子供のように頭を振る。


「そんなことはあり得ない」


 ガードナーは呟いた。


「あるわけがないのだ」


 あの化け物が聖なる大地に降り立つことはあり得ないのだと、もう一度呟いた。

 それは聞きようによっては己に言い聞かせているようであったが、彼以外に聞こえる者はいなかったために、誰も指摘できなかった。




 ***




 一方、大英雄が向かった方向とは異なる海の上では、一層の木造船が、港を抜けたときよりは遅くなっていたが、それでも水飛沫を上げて走り続けていた。


「クソ野郎の顔を見たかい、最高だったね!」


 そう言って笑う女の赤い髪が、風に吹かれて宙を舞い、海の青と激しい対比を描いている。


「アンタの台詞も最高だったよ、セリオン!」

「あーあー! 聞こえないッスー!」


 耳を押さえて頭を振る青年に、女は腹を抱えて笑う。


「人を騙くらかす才能はあると思ってたけど、ああいう演技もできるんだねぇ!」

「目立つためには丁度良かったんッスよー」

「他の奴らにもしっかり教えてあげないとねぇ。なんて言ったかい、聖戦が?」

「はーい、もう忘れてくださーい」


 エンジン音にも、波を斬る水音にも負けぬ声で言い合う二人に、操縦桿を握っていたとんがり帽子が振り返った。


「うっさいんですけど!」と、少女は叫ぶ。

「こっちは遠路遥々こんなとこまで船走らせて来たんだから、ちょっとは労わんなさいよ!」


 文句を言いながらも、少女は再び海へ視線を向ける。

 彼女の周りには複雑な構造の機会がいくつも並んでいた。彼女はその中の一つから伸びた操縦桿を握って、滑らかに船を走らせていく。とんがり帽子に似合いの黒いローブの上で、菫色の細く長い三つ編みが風と踊っていた。


「ヴィーカちゃんは……」


 少女に向かって口を開いたセリオンの顔の上を、影が滑る。

 言葉を止めた彼が空を仰ぐと、鳥が一羽飛んでいるのが見えた。港から随分走ったせいで、この近くには島一つ存在しない。それなのに、どこから飛んできたのだろうか。


 船の速度を物ともせず、鳥はセリオンが伸ばした手に静かに舞い降りた。

 異様なほどに真っ白なその鳥は、セリオンがその背に触れると共に光となって掻き消える。

 後には筒になった羊皮紙だけが残った。


「アタシらはこの後どうすりゃいいって?」


 書状を読むセリオンに、オルテガが尋ねた。

 振り返りこそしなかったが、操縦桿を握るヴィーカの注意もこちらを向いている。


「アブラプトゥムに行くッス」


 羊皮紙を懐に仕舞いながら、セリオンは軽い調子で言った。

 息を呑む音と共に、船を操る少女から悲鳴のような声が上がる。


「反対側じゃない!」

「封印されてるだろ? 行ったところでどうするってんだい」


 ヴィーカだけでなく、オルテガからも怪訝そうな声が上がる。

 しかしセリオンは飄々とした笑みを浮かべたまま、さもありなんと頷いた。


「大監獄はこれからもエッカルド王の玉璽が無ければ入れないそうッス」

「なら、どうしろっていうんだい。手紙(ソレ)には何て?」


 尋ねながら、彼女の脳裏にもひとつの可能性が浮かんだのかもしれない。怪訝そうな表情が一転して、晴れ晴れと愉快そうな、得てして獰猛な笑みに変わっていく。


「我らが参謀殿より――全部壊せ(・・・・)との御命令ッス」


 セリオンがそういうと共に、オルテガの口から哄笑が上がった。


「なるほど。だからこの面子だったのかい」

「降りますか?」


 と、いうセリオンの問いに、オルテガは


「まさか」


 と、即答した。

 彼女は機嫌が良さそうに笑いながら、羽織っていたローブを脱ぐ。

 ガードナーの最後の足掻きで無残な姿になっていたが、オルテガは気にせず床に敷いた。

 滑らかな肌の殆どを曝しながら、オルテガはその上に胡坐を組み、笑いを抑えられない様子で口を開く。


「ヴィーカには悪いけど、こりゃ長い旅になるね」

「別に、いい」


 少女は海の先を見つめながら素っ気なく答えた。

 先程までの不満そうな様子が一切消えたヴィーカの姿に、オルテガは然もおかしそうに笑う。今の彼女は、何が起こっても笑ってしまうほど上機嫌なのだ。


「ねぇセリオン。体が消えたところで首が埋まったままじゃ困るって言ってただろ。あっちは漸く掘り起こせでもしたのかい?」

「そちらは我が姉上に任せましょう」


 セリオンはアブサードの口調で言った。


「姉弟仲が悪くとも、エッカルドの貴族が汚名を着せられたままにしておく訳がない。きっと上手に掘り起こしてくれますよ」

「姉上だなんて、よく言うよ」


 オルテガはまた笑う。

 セリオンがその隣に腰を下ろした。彼は女の滑らかな肌を前にしても、視線一つ向けないどころか、まったく興味深そうにしない。


「そういや、あの嬢ちゃんは結局なんだったんだい?」

「誰のことッスか?」


 本当に誰のことかわかっていない様子のセリオンに、オルテガは呆れるやら感心するやら。

 この男、記憶力はそれなりにあるはずなのに、用が無くなった途端についさっき口説いた女の顔すら忘れてしまうのだ。


 仕方が無く、オルテガは自分で思い出せる範囲の特徴を挙げた。


「アンタと一緒にいたあの金髪の嬢ちゃんだよ。顔が良くて、軍服を着てたね」

「ああ、ルベリアちゃんね」


 セリオンは合点がいったとばかりに手を叩いた。


「大英雄の野郎を王都に連れ戻したいとか言ってたんで、ちょっと詳しく聞かせてもらいたかっただけッスよ。まぁ、案外口が堅くて、教えちゃくれなかったッスけど」

「それにしちゃ随分お熱い様子だったけどねぇ?」


 オルテガが冗談半分にそう言うと、セリオンは少し変わった笑みを浮かべた。

 軽薄そうな表情の中に、侮蔑と憎悪の色が浮かぶ。


「だってあの子、シェルグラスなんスよ」


 そう言ったセリオンに、今度は違う方から呆れたような怒りの声が上がった。


「はぁ!? アンタあの裏切り者を口説いたわけ!?」

「いや、口説いたっていうか……」


 態々振り返って塵芥を見るような眼を向けてくるヴィーカに、セリオンは思わず言い訳のような台詞を並べてしまう。

 その様子をオルテガが面白そうに眺めていた。


「わたし団長に言うからね! バカがクソを口説いたって!!」

「だから本気で口説いたんじゃないッスから!」


 叫ぶように否定したセリオンの声は、どこか悲鳴のようで、その頼りない声音に今度こそオルテガは声を上げて笑った。

 セリオンはそんな彼女に恨めし気な視線を向けながら、軍服姿の令嬢を思い出す。

 似ているなどとは口にしたくもないが、大英雄へと向ける視線には隠しきれぬ憎悪のようなものが滲んで見えた。あの国で育った者としては、類を見ないものだ。


「あの子どうなっちゃうんスかねー」


 思わず口に出た台詞に、オルテガが首を傾げたのが視界に入った。


「大英雄の言ってた通り、ルベリアちゃんが持ってたものには封蝋がなかったんで、たぶんどっかで盗んできたんだと思うんですけど、それってあの国じゃかなりの重罪なんスよー」


 そう言い切ったセリオンに、オルテガは「へぇ」と、興味なさそうに相槌を打った。


「エッカルドの貴族の中には裏切り者(シェルグラス)の血を入れたくないっていう派閥もあるんで、相当不味いことになるんじゃないッスかね」


 と、そこまで言ってセリオンは頭の後ろで手を組んだ。


「まぁ、俺らには関係ないかー」


 自分から口に出したくせに、セリオンは心底からそう思っているようだった。

 オルテガは呆れて、青年に白けた目を向ける。


「なら言うんじゃないよ」

「いやだって気になるじゃないッスか。シェルグラスなんスよ」


 セリオンの言葉を、オルテガは鼻で笑った。


「どうせ全部アイツの筋書き通りだろ」

「まじッスか? え、じゃあ俺の変装が解かれちゃったのも?」


 オルテガは答えずに、ただ頷く。


「竜の鱗は少し前にオイスタインのやつがどっかから盗ってきたって言ってたね。どんな理由かは知らないけど、そう近くに二つもアレが転がっているわけないだろ」

「うわぁ……」


 絶句という言葉が相応しいように、セリオンは顔を歪める。

 そんな彼に向かって、僅かばかりだが年の功というべきか、オルテガは諭すように続けた。


「アンタの変装が解けたってことは、竜の鱗が本物だとはわかっただろうね。けど、それじゃあアブラプトゥムで起こったことの説明がつかない。あのクソ野郎、きっと今頃考えているだろうねぇ。聖なる土地はどれくらい本物なのか(・・・・・・・・・・)って」


 言い終えて、オルテガは喉の奥で笑った。

 セリオンは己が最後の捨て台詞を思い出す。あのとき自分は確かに暫し楽むがいいと言ったが、目の前の女や我らが参謀殿は、そう易々と安寧を味合わせる気はないらしい。


「えげつな……」

「だから参謀なんだろ」


 セリオンの呟きに、オルテガは何を当然のことを、と一蹴した。




 ***




 最北の地には、ドラコニカの船はすでに無く、渦潮がとぐろを巻いている。

 しかしルベリアは海の向こうを見つめ続けていた。


 そこへ突如、港に転移魔法の渦が発現したかと思うと、重厚な装備に身を包んだ騎士の一団が現れた。腕に付けられた紋章から、貴族院に属する者たちであることが見て取れる。

 騎士団において近衛騎士の次に位の高い存在が現れたことで、この事態をどう処理してよいか決め倦ねていた港の騎士たちは、安堵すると共に緊張を強いられた。


 ルベリアが魔力の奔流に気付いて振り返ると、一団の中から、ひと際体の大きな騎士が進み出てくるのが見えた。

 彼はまっすぐルベリアへと近づくと、その高い身長でもって彼女を見下ろした。


「ルベリア・シェルグラス。貴女には封書窃盗の疑いがかかっている」

「なっ……!」

「拘束しろ」


 息を呑んだルベリアが反論する前に、彼は静かに他の騎士に命じて彼女を拘束した。


「一体誰がそんなことを……!」


 ルベリアは抵抗したが、屈強な騎士たちは容易く抑え込む。

 きつい拘束に歯噛みしながら、ルベリアは思考を巡らせ、そして思い至った。


「オビチュアリね! あの子ったら事の重要性がわかっていないのよ!!」


 己の罪も忘れそう吠えるルベリアに、騎士は一通の書状を翳した。


「王城より貴様の捕縛命令が出ている。……アンホールド様は関係ない」


 小声で紡がれたのは、騎士の個人的な感情による台詞だったからだろうか。

 しかしルベリアは書状に釘付けで、彼のその言葉に食いつくことは無かった。


 彼女が特に注目していたのは、書状の一番下。

 そこには神経質そうな字ではっきりと書かれていた。彼女を罪人と呼んだ、その者の名が。


――ファウスト・ベイヤー・フォースタスと。




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