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ブルー・ブラッド傭兵団  作者: 雑魚メタル
12/65

英雄の出発 5

「将軍はすでに港の方へ向かったそうです」


 ルベリアはアブサードに先導され、貴族たちの待機所にやってきたが、ガードナーはすでにいなかった。


「渦潮はもう止まっているの?」

「ドラコニカの遣いの方は、すでに昨日祈りを捧げられました。止まっていてもおかしくないでしょう」

「そんな……」


 波が収まり船が入れるようになるまで、そう時間は必要ないだろう。

 ガードナーは船の到着次第、すぐにでも出発するつもりなのだ。ルベリアは焦りに歯ぎしりした。


「すまない、通してくれ!」


 一目で貴族とわかる彼が声を上げると、人々は気付いた傍から道を開けた。だが、あまりの喧騒に声はごく近くまでしか届かない。

 アブサードははぐれそうになるルベリアの手をしっかりと握りながら、人波を掻き分けるように進んだ。


「アンホールド様!?」


 最前列の警備に当たっていた騎士たちが、アブサードが間を縫うように近付いてくる姿に目を丸くした。慌てて駆け寄ろうとするも、民衆たちの壁は厚く、アブサードが進む方が速かった。


「どうなさったのですか!? 式が始まりましたらお呼びいたしましたのに」

「急ぎスピンディル将軍にお会いさせたい方がいる」


 ルベリアが人波から引っ張り出されると、騎士たちは目を丸くした。

 人波に揉まれ、乱れてはいたが、彼女の美しさはそれで消え去るような紛い物ではない。ほっと息を吐いて髪を整えると、騎士たちは呆けたように頬を染めた。


「そちらの御令嬢は?」

「王都より火急の用とのことだ。スピンディル将軍は今どこに?」


 アブサードが訪ねると、騎士は気を取り直し、惚けた顔を止めて背筋を伸ばした。


「先ほど聖都より船が到着いたしましたので、使者の方々をご案内しているところです」


 騎士が手で指示した場所に、ドラコニカよりやってきた竜の首を船首に掲げた船が見えた。バース・エッカルドのものに比べると随分質素な見た目だが、それでこの港へやってきたのだから、いくつもの見えない魔術が込められていることは見て取れるというものだ。


 その船の前で、ドラコニカ特有の紋様が描かれた青い貫頭衣を身に纏った使者が集まっていたる。

 彼らと向かい合っている人影の、丸太のような太い腕を目にした瞬間、ルベリアは駆けだしていた。




「将軍! ガードナー将軍!」




 ガードナーは振り返ると、走り寄るルベリアに気付き顔の皴を深くした。


「これはシェルグラス嬢。見送りに来てくれたのかね」


 英雄然りとした笑みを浮かべるガードナーに対し、ルベリアの表情は険しさを増す。

 それでも失われぬ彼女の美しさに、英雄の傍にいた誰も彼女を止められなかった。

 ルベリアはガードナーのすぐそばまで来ると、鋭い眼で見上げる。


「王都にご帰還ください!」


 ルベリアの言葉に、ガードナーは眉根を寄せた。

 彼女は畳みかける様に言葉を放つ。


「大監獄のアレについて証言していただきたいのです!」

「なに?」

「将軍も見たでしょう。アブラプトゥムの地下で笑うあの化け物を」


 ルベリアは今や仕留めんばかりの鋭い視線でガードナーを見ていた。そこに英雄に対する憧憬や尊敬といった感情は微塵も見られない。彼女の中では、ガードナー・スピンディルは最早英雄でも何でもないのだ。彼女の目の前にいるのは、真実を告げぬまま独り逃げようとする老いた男。

 だが、その老人が彼女にとって必要不可欠であることも、また事実なのだった。


 ルベリアは途方もない不快感を覚えながらも、説得するために言葉を続けた。


「首と胴体を切り離せた、ならば倒すことができるはず! 百年もアレを閉じ込めておけたのです。どうか宰相に真実をお話してください!」


 そこまで言って、ルベリアは頭を振った。ベイヤーにだなんて、そんな手間を踏む必要はない。宰相には貴重な証言を切り捨てた責を負ってもらうのが一番いいだろう。

 そのためには、


「奏上を。将軍、王へ奏上してください。そして今度こそアレを葬るのです」


 絡みつくような女の視線に、ガードナーは笑みを強張らせた。

 まさかルベリアがここまでするなどとは、彼は思ってもみなかったのだ。


 歪な大地の令嬢である彼女がアブラプトゥム遠征を押し付けられたのであろうことまでは予想できた。しかしどうせ、そこまでだろうと。

 だが彼女はどうやってか、この地までやってきた。ガードナーが出発するまでに間に合わせてきた。

 これは大英雄として年月を重ねてきたガードナーにも予想外のことであった。


 如何に切り抜けようかと思考を巡らせたガードナーは、注目が集まっていることに気付くと、考えることは一度止め、とにかくこの令嬢を追い払うことが先決だと口を開く。


「なんのことだか、ちっともわからんな」


 ルベリアが反論しようと口を開いたのを見て、ガードナーは言葉を繋げる。


「確かに、わしは大監獄アブラプトゥムへと赴いた。しかしそれは歴史の残骸を見に行っただけのこと。わしらの時代の負の遺産を後の世代に背負わせることになってしまうことは躊躇われるが、英雄と言われども結局は一騎士でしかないわしにはどうしようもないことなのだ」


 側に控えていた騎士たちは感銘を受けたように背筋を正した。


 ルベリアは奥歯を噛み締める。

 老騎士の言葉が口先だけの綺麗事だということは、彼女しかわからないのだろう。

 だが騎士たちを責めることはできない。ルベリアとて大監獄での出来事が無ければ、素晴らしい話だと信じて疑わなかったに違いないのだから。


「アレを負の遺産と申しますか」

「大監獄は今や廃墟だ」

「私はあの首のことを申しております」


 ルベリアが吐き捨てる様にそう言うと、大英雄は老いた笑みを浮かべた。


「いつの世か、この国がもっと豊かになった折には、罪人と云えども弔ってやってほしい。老いぼれの頼みだ」


 ルベリアは大英雄を睨み付ける。

 ガードナーはあくまでも白を切るつもりだ。今の言葉とて、首の存在を知っている者が聞いても、否、知っているからこそ、アブラプトゥムにある体の話をしていると思うだろう。


「あなたは……」


 それでも英雄と呼ばれた男かと、ルベリアが怒りを露に言い募ろうと口を開いたときだった。


「一体どういうことです?」


 困惑した声に振り返ると、アブサードが当惑を露にルベリアとガードナーを見比べていた。


「君もこの美しさに騙されたのかね」

「彼女は王都の使者ではないのですか?」

「君はそうだと思ったのか、護衛も無く単身この地にやってきた彼女を見て?」


 アブサードは言葉に詰まった。

 最北の地は今や賑わいを見せているとはいえ、屈強な冒険者や傭兵たちの集う厳しい土地である。うら若き令嬢が一人でやって来ることなど到底あり得ない。彼にもそれはわかっていた。


「しかし彼女は転移魔法の封書を持っておられました」

「ほう」


 と、ガードナーは初めて感心したような声を出した。


「一体どうやって手に入れたというのだね」


 心底から不思議そうな視線でルベリアを見下ろしたガードナー。

 ルベリアは無意識のうちに身を竦めた。


「君の持つそれは正しく本物か?」

「本物よ!」


 ルベリアは勇ましくそう宣言して、懐から封書を取り出した。

 それを掲げるように前に出し、自信に満ち満ちた表情で周囲を見回す。


 しかしその自身も一瞬のことだった。


「蝋がないな」

「え?」

「宮廷魔術師長の蝋がないと言っている」


 ガードナーは短く言う。

 困惑したルベリアおよび周囲の騎士たちも、その言葉の意味がわからぬと見て取って、ガードナーは説明すべく、その口を開いた。


「魔術協会より発行される封書は、宰相あるいは魔術師長の許しがなければ人の手に渡ることはない。それを証明する蝋がないということは、それは偽物であるか、あるいは盗んだものなのではないかね」

「ち、違います!」


 と、ルベリアは即座に反論した。


「大体、高位貴族の推薦があれば封書の下賜は受けられるはずです。あなたの先ほどの説明は不十分では」

「高位貴族の推薦を受けようと、封書に許可を出せるのは宰相と魔術師長。厳密に言えば、封書が正式なものであるという証明ができるほどの魔力量を持つ者だけなのだよ、お嬢さん」


 窘めるようなガードナーの物言いに、ルベリアは口籠った。

 彼女はそんな仕組みなど、もちろん知らなかったのである。

 ベイヤーが許可を出すとて、ただ書類にサインをする程度のことだと思っていたのが仇になった。


 周囲の騎士たちの目に不信感が宿り始め、ルベリアは慌てて口を開く。


「こ、これは友人のオビチュアリがくれたもの! 蝋が無いのも当然のことです!」


 しかし疑惑の念は深まるばかりで、誰も彼女の言葉に納得した様子はない。

 ルベリアはアブサードを振り返った。


「アブサード、あなたは信じてくれるわよね? あなたのお姉さんは宮廷魔術師でしょう」


 潤んだ瞳で見上げると、人の好いアブサードは躊躇ったようだった。


「確かに姉は宮廷魔術師です。転移魔法を使うことも、できなくはないでしょう」

「だがそれならば封書である必要はないだろう?」


 ガードナーの言い分は尤もだった。アブサードの瞳が泳ぐ。

 その瞳がルベリアを捉えると、彼は再び大英雄に立ち向かった。


「騎士であるルベリア様のために、わかり易い方法を取ったということは無いでしょうか」


 言いながら、自分でも苦しいと思ったのだろう。段々と声が小さくなっていく。

 ガードナーはまだ若い貴族の青年に、追い打ちをかけるようなことはしなかった。


「まぁ、それをどうやって手に入れたのだろうと、今日をもってわしは聖都に行ってしまうのだから、そちらでケリをつけてくれたまえ」


 大英雄はそう告げると、使者と共に船へと向かって行ってしまった。

 式典がはじまるまで、あちらでの生活について説明でも受けるのだろう。


「待って!」

「ルベリア様、もうやめましょう」


 追いかけようとしたルベリアを、アブサードがやんわりと押し止める。


「どうして! 今止めなければ行ってしまうのよ!!」


 ルベリアはアブサードの腕を振り払った。

 しかし彼女の視線を遮るように、騎士たちが辺りを取り囲む。


「どきなさい!! アブサード、彼らをどけてよ!」


 アブサードは何も答えず、ただ首を横に振った。

 協力してくれるばかりと思っていたアブサードにまで首を振られ、ルベリアは狼狽える。


「どうして……。ねぇ、もう二度と戻って来られないかもしれないのよ……!」

「あなたの話はどこまでが本当なのですか?」


 と、アブサードは問うた。


「王命で将軍を帰還させるように言い付かったから、封書を持っているのではないのですか?」


 息を呑んだルベリアに、アブサードは不信感を露にする。


「姉は確かに宮廷魔術師ですが、封書に転移魔法を施し友人に渡すような無作法をするはずがありません。あなたは本当に我が姉オビチュアリの友人でいらっしゃるのか?」

「本当よ!」


 ルベリアは声を上げたが、アブサードの瞳は変わらない。

 周囲の騎士たちもその様子に触発され、鋭い瞳をルベリアから離さないでいる。


「アブサード、本当なのよ。将軍が一緒に来てくれさえすれば全部わかるわ」

「ドラコニカからの船を止めることはできません。いずれ祈りの効果も消え、渦潮が再発することになるでしょう。将軍はその前に出発しなければいけません」

「そうなったらもう戻ってこないじゃない!」


 叫ぶように言ったルベリアを、アブサードは静かに宥めた。


「ですが、これはそういうものなのです。あなたのような美しい方がどうしてそこまでスピンディル将軍の聖都出発を拒みたいのかわかりませんが、玉璽の一つも無ければ難しいことなのですよ」

「そんな……、そんなことって……」


 目の前が真っ暗になるとはこのことだと、ルベリアは絶望の傍らでそう思った。


 彼女の頭に、いくつもの後悔が過る。

 こんなことならば、大監獄で地下に降りるとき、騎士の一人でも連れてくるのだった。そもそも、好奇心に駆られて降りなければ、何も知らないままでいられたのに。


「さぁ、その恰好では冷えるでしょう。待機所には暖炉があるから、そこへ行きましょう」


 意気消沈するルベリアに、アブサードはそう促した。

 俯いていた顔を上げるが、今はもうその視線が交わることは無い。


 今はもうアブサードすらルベリアの言葉を信じてはいなかった。ここで問い詰めることをしないだけ、彼はまだ優しい方だと言えるだろう。もしかしたら、オビチュアリから貰ったという言葉だけは、まだ信じているのかもしれない。

 それすら偽りだったと気付いたとき、彼は何というだろうか。


 ルベリアは暗い未来を思いながら、ガードナーとは反対方向に歩き始めた。


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