僕が真っ直ぐを投げる意味
まず、僕が綺麗なストレートを投げられるかと言われたら自信は持てない。プロ選手になれるくらいの技量があるわけでもないし、そもそもプロ野球入りを目指しているわけではないけれど、そんな僕でも引っ掛かってしまう野球部のこと。
グラウンドに赤い声が飛ぶ。
「いつも言ってるだろ!投球内容についての意見を聞かせてくれって!俺のことが気に入らないのか!」
彼は僕に怒りをぶつける。でも僕としては答えようがないのだ。同じチーム、同じピッチャーとして高めあっていきたい気持ちはある。しかし彼はストレートもまともに投げることができないのに、やたら変化球を投げ込む日々。速くもなければコントロールが良くもない、そんな彼が変化球を多投しても素晴らしい投球になるわけないことは明白だった。
良い球は基礎とそれに支えられた技術が軸になって完成へ向かっていく。僕はいつものように言う。
「ストレートをもう少し練習して、質を上げたらどうかな。変化球が好きみたいだけどストレートが良くなればきっと変化球も効果的になると思うんだ、同じものばかりでは打ち込まれてしまうからね」
すると彼と彼の周りに集まる部員は口々に僕を責めたてる。餌を求めてる小鳥みたいに甲高く落ち着きなく。これも、毎日のこと。
「ひどい奴だ!投球内容について聞かれているのにストレートにだけ焦点を合わせて答えるなんて能力が低すぎる!この粗探し野郎め!」
どうやら彼らにとって球の質と投球内容は全くの別物のようで、球速やコントロールは投球全体に影響を及ぼさないらしい。変化球の一投、ただそれだけを抜き出せば完璧な球なのかもしれない。しかし9回を投げて全てを見たときに一球一球そのものが違和感の源で、内容だとかそれどころじゃなかった。
ストレートにだけ注目するのは悪いことらしいけれど、僕からしたら全体を見渡さない彼らの方こそちぐはぐだ。内容さえ良ければ一球ミスしたって構わないだろう、そう言われたってミスだらけの中身が入ってくるはずもない。もはや投げきるつもりも無いのかもしれない。一球だけを作り上げたらもう、それで満足しているのかもしれない。
バットがボールを殴る乾いた音が響く。
部員たちは自分と異なる意見を聞くのが嫌いみたい、意見は批判に聞こえるみたいだ。なるほどそういう見方もあるのか、なんてならない。意見を参考にした上で変更するかしないかは本人次第なのに、意見を正面から受け取ったかと思えばそれは無理やり自分のスタイルに手を加えさせられてしまったという認識になるようで、影に向かって罵倒を投げかけているのをたまに目にする。
キャッチャーミットにボールが吸い込まれる。部員のかけ声が翔る。様々な音が色を持って交錯して、青のプラネタリウムに映し出されたのは雲さえ見えないくらいの黒。黒色に彩られた何かでもない、黒、それそのもの。
投げ方にアドバイスを貰っても、自分の投げたい球を否定された、と言う。そして仲間に慰めてもらう。それから全員で袋叩きだ。「投げ方」と「投げる中身」が違うことにも気がつかないで。
彼らの中の一部に“天才”がいることも大きな影響だ。基礎をすっ飛ばしても高い所まで来た人たち。天才さんはこう言います。
「僕は良いストレートの投げ方なんて知らないけどエースだよ?やっぱり君の能力が低いだけじゃないか!」
明らかに違う。天才さんは投げ方を勉強しなかったのだろうが、あるいは考えてこなかったのだろうがそれでもストレートの質が高い。加えて変化球も上手いから、そこが天才たる証拠だ。それらが全体を見たときに調和のとれた投球を作り出している。
天才は一握り。どれだけ天才さんが擁護しようとも彼は“天才”ではない。だからこそ、何かしようと思ったら努力しなければいけないんだ。天才が何食わぬ顔で駆け抜ける物を一つ一つ分析して練習しなければならない。
それを怠って、意見を寄せた人への悪口を吐いていれば周囲の人間は仲良くしてくれる。なんとも簡単な作業だ。囲いのために投げてるなら、試合に出る必要もないだろうに。仲間内で集ってキャッチボールでもしていれば良い。試合に出るのを目指すのはやめたら良い。そしたら誰も意見なんてしないさ。
僕はプロを目指してはいないけれど試合に出たい。勝ちたい。もっとレベルの高い投球がしたい。だからみんなの前で投げる。いや、前に出るからこそ完璧で綺麗なものを目指すのだ。こんな僕でも応援してくれる人たちに失礼にならないように。
良い球を投げてる「つもり」ならそこで足踏みしていろ。馴れ合ってせいぜい立ち止まっておけ。俺はその間にもっと良い球を投げられるように前に進む。お前らがどうでも良い一球を投げる時間で、俺は百年残る登板をするよ。